2017年9月25日月曜日

映画の手書き看板

金沢の市電は昭和42年2月に廃止された。廃止されるまで、ボギー車の車体には大きな映画の手書き看板がかけられていた。衰退化が進む映画界ではあったが、この頃はまだ市内に沢山の映画館があった。今でも目に焼き付いている映画のタイトルがある。「長く白い雲」という洋画。

香林坊には封切り映画館が数館あって、どの映画を見ようかとうろついたものである。
パリー菊水は洋画専門。松竹、東映、大映が軒を連ね、現在の109あたりにスカラ座があった。ここは洋画とストリップ劇場の共用だった。
そんな映画館の正面には上映されている映画の手書き看板があった。どの看板も見事に描かれていた。

往時の香林坊映画街
中学生のころは映画観賞は親子同伴に限られていた。友達と行くと補導員に捕まったものである。学校名、住所、氏名を聞かれ学校に通報される。そして職員室に呼び出され長い説教があった。

しかし、この頃は学校として映画鑑賞が実施されていた。「警察日記」、「滅びゆく大草原」、「海底二万哩」などを見に行った。これは非常に大きな楽しみだった。
大和デパートの5階や丸越の5階にも映画館はあった。並木町の「北國第1」や「北國会館」はいつ無くなったのだろう。
50円2本立ては石引の「スター劇場」、ここへもよく行った。

手書き看板の名人はまだご存命だろうか。
イオン金沢の映画はシルバー1100円。50年前の封切りは350円もした。それでも見たい映画が山ほどあった。
今は年に1,2本ほどでしかない。

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