2017年9月24日日曜日

障子と縁側、畳に床の間

現在の住まいは平成9年に新築した。自分で方眼紙に間取り図を描いて、それを基本に確認申請ができる図面に書いてもらった。ここに転居前まで住んでいた家も基本設計は自分で行った。2軒の家を自ら概略設計したのである。最初の家の間取りはインナー車庫に座敷と縁側とLDK、2Fは洋間2、和室2であった。昭和56年に完成したその家は和室がメインで、当時は極一般的な間取りであった。
それから16年後、今の家が完成したのだが、間取りが一変し1Fが和室1、洋間3、2Fが洋間3で洋間がメインとなった。

それから20年を経た今、新築住宅から和室が消えた。コストダウンを追求した結果なのだろう。和室に畳は付き物である。10年前に比べてい草の需要が半減したという。
畳は平安時代から貴族が使っていたが、江戸中期から町人に広がって、明治中期には農家にまで普及した。

日本文化となっているものの多くは中国大陸から入ってきたものが多い中、畳は日本で生まれ育ち、延々と伝えられてきた。いなわらを使用して作られた床にイグサで編んだ畳表を作り、日本の気候に合い湿気にも強い畳を作り上げた。日本での生活も益々欧米化が進む中、畳が姿を消しつつある。

そんな中、ある畳職人が業界にかつを入れた。業界は社会の変化でそうなったというが、それは違う、業界が努力を怠ったからだと主張している。その主張を読んでみると納得する部分があることは確かだ。


昨日は彼岸の中日だった。和室のない家の仏壇はどこに置くのだろうか。仏教王国といわれる北陸の家から仏壇が消えるのだろうか。これは心配しすぎか。
やはり障子と縁側、畳に床の間がある家は心が落ち着く。

一般的な座敷
だが、前の家にしろ今の家にしろ座敷を使うのは月に1,2度くらい。贅沢な空間にも思える。


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