2022年5月31日火曜日

自分と同じ年齢の店主夫婦が80才で店をたたんだ

今年の12月の誕生日で80才となるが、80才の寺町の和菓子屋ご主人が先日廃業されたという。自分は64才で現役を引退して16年経過したが、その間、二度も2週間の入院生活を余儀なくされた。ご主人は今日まで健康で現役をこなされたことは素晴らしいこと。奥様も同年齢だという。

寺町寺院群近くにある和菓子店「さいだ生菓子舗」が30日、55年の歴史に幕を下ろした。和菓子職人の齋田義一さん(80)と洋子さん(80)の夫婦二人三脚で、氷室まんじゅうなどを提供してきたが、高齢に加え、コロナ下の観光客減少で売り上げが減り、閉店を決断した。多くの客が最後の味を買い求めようと訪れ、夫婦にねぎらいの言葉をかけ、別れを惜しんだ。本当にご苦労様でしたと声を掛けたい。

惜しまれて閉店
そして、小松にも今月で店じまいした90才の店主がいた。
小松を代表するご当地グルメ「塩焼きそば」発祥の店として知られる小松市土居原町の中華料理店「餃子菜館 清ちゃん」が29日に閉店したという。北陸の中華料理店の草分けとされ、多くの人の胃袋をつかんできたが、店主の高輪清さん(90)が高齢となったため。創業から65年を迎え、高輪さんは「さすがに体力の限界。ここまで続けることができて、お客さんに感謝や」と最後の日まで料理を作り続けた。

29日閉店した高輪さん
90才まであと10年のわが身だが、果たして高輪さんのように健康を維持できるか不安である。趣味=仕事が健康を保つ秘訣なのかも知れない。

2022年5月30日月曜日

木材と薪炭で栄えた時代

先日、能登の実家に行った際に久しぶりの光景を目にした。丸太を満載したトラックが通ったのには驚いた。そういえば、ウクライナ侵攻で物価がうなぎ登りに上昇している最中、輸入材が大半となっている木材も相当の値上がりだと聞く。それで需要が・・・
昭和22年頃から10年間ほど、実家のある柳田地区では木材産地として、また、薪炭生産地として潤い、経済は活況を呈していた。

映画館では常時2本立ての映画や、旅の一座による演劇があり、常時、満員の活況を呈していた。旧正月には商店街の売り出しがあり、抽選会で景品を貰ったりした。数件の料亭は常に酔客で賑わい、出初め式のあった夜はどの料亭も宴会が開かれ、三味線の音が途絶えなかった。
しかし、革命的なエネルギーの変換、木材需要の減退とあいまった外材の進出で国産木材はどん底に落ちている。そんな影響をもろに受けた商店街の一つが柳田商店街だろう。

商店街の現在

写真右側に製材所があった。丸太を板や角材に製材する様子が面白かったので学校帰りには飽きずに長時間見とれていた。その向こう隣には劇場があった。アラカンの映画をよく見に行った。

先日、実家へ行った用件は、実家の売却前提とした能登町ホームページの空き家情報掲載の関係者の立ち会いのためだった。聞くところによると、この商店街では何と6軒も空き家が連なっているという。今朝のTVでも全国的に空き家が増加していると報じている。
就職する企業がなければ地元を去る、これはやむを得ないだろう。しかし、地方都市も人口流出、少子化が止らない。これは政治的に早急に対策を講じる必要がある。
馳知事の手腕を期待しよう。

2022年5月29日日曜日

フクロウを飼った時の苦労を思い出した

フクロウの仲間「アオバズク」、今年も兼六園にという記事があった。アオバズクはフクロウの仲間だが、東南アジア方面から飛んでくる渡り鳥だという。

兼六園に飛来したアオバズク
記事や写真を見るうちにフクロウを育てたことがあったことを思い出した。
遙か昔の中1時代に、親父が近所の人からフクロウの子どもを貰ったから育ててみるかというのでウンと答えた。
鳥小屋を作りそこに入れたが、餌をやっていないのに気づいた。餌は蛙だというので鶴間町や刑務所の横を通って旭町の田んぼで蛙取り。5,6匹取って帰ったのだが、餌を与えたら5,6匹全部ペロリと。

翌日、学校から帰宅して直ぐまた蛙取りに行った。これもペロリ。何日か連続で蛙取りしたが限界があった。数日後、また行った。二ヶ月くらい経って飼育を断念した。
そんな思い出はしっかり記憶に残っているから、余程きつかった出来事だったのだろう。

北海道に生息する絶滅危惧種のシマブクロ

環境省釧路自然環境事務所は27日、絶滅が危惧(きぐ)されているシマフクロウに足環(あしわ)を付ける標識調査を始めたと発表した。足環を装着することで出生地や年齢などが分かり追跡が可能となる。
今年の調査は18日から始めた。巣立ち前後のヒナを捕獲し、個体識別番号のついた足環を装着。移動・分散や繁殖状況のほか、寿命などの情報把握に役立てる。捕獲時に体重や体長、羽の伸長などを計測するとともに採血も行い、雌雄の判定やDNA解析による血縁関係、健康状態なども調べる。

フクロウを見ると大きな丸い目をした顔を、ぐるんぐるんと回す仕草が可愛かったなぁ。

2022年5月28日土曜日

町内のうれしい出来事

児童の通学で、朝は子ども会のお母さん方、午後の下校時は町内高齢者で組織する安全パトロール隊が交差点歩道で安全誘導を行なっている。10年前には20人を超えるメンバーが二箇所の交差点で誘導をしていたのだが、数年前から1箇所だけとした。足腰が痛み引退する方が増え隊員は9人に減少してしまったためだった。

朝の集団登校時

下校時の誘導
そんな中、ある人から「〇〇さんが安全誘導をやってもいい」という話しがあったというので、電話で本人に確認したところ数が足りないのなら協力しますとの返答を得た。上部機関の本部から下校時間が通知されたので、当番表(案)を作成し、その表と帽子と制服(チョッキ)・横断中と書いてある黄色の旗を持って、その人の家に行った。
「火曜日は早番と遅番が必要なので、火曜日にお願いします」と表を渡して説明した。

都合等で当番が出来なくなった場合は、休んでもらっても結構ですと伝えたら、そんな場合はウチのカミさんがやるように話しができていると心強い話しだった。そんな話しを聞いて痺れた!
そんなことで、当面は1週間に二度出る必要がなくなり安心した。
「世の中まだまだ捨てたもんじゃない」と嬉しくなった。

2022年5月27日金曜日

初耳のオンラインカジノ

吾々の年代になると、誤送金事件の経緯をたどってみても、オンラインカジノだとか、決済代行業者等々、初めて聞く言葉ばかりで何のことか理解しがたい。


弱冠24才の無職の男が、オンラインカジノに全額つぎ込んだと言う。その決済代行会社三社が残高600万円しかないのにも関わらず、4,300万円を町に返金したという。この辺が「闇の会社」であることを匂わせている。

この闇の会社はネットカジノ急成長の産物のようだ。警察が捜査対象にするのを恐れてカジノに注いだ金額を慌てて送金したと考えられる。

何と3年で120倍なのだ!
山口・阿武町から誤って振り込まれた4630万円の一部を、決済代行業者の口座に振り替え、不法の利益を得た疑いで、田口翔容疑者(24)は18日に逮捕された。振り込まれた金はカジノに全額使ってしまったと言っていたが、まさか日本国内でカジノが出来るとは考えも及ばなかった。オンラインカジノは「公営ギャンブルよりアクセスしやすく、ネットが身近な若い男性を中心に急増している」という。

利用が広がる背景には、日本の法の下にない海外企業が野放し状態でネット上のサイトを運営している状況があり、「国を挙げて違法性の認識を広めることが必要だ」と強調する人がいう。カジノを巡る問題に詳しい静岡大の鳥畑与一教授(金融論)は「コロナ下で急拡大しているオンラインカジノはギャンブル依存症問題につながる可能性もある」と指摘。「入出金記録が残らないため不正なマネーロンダリング(資金洗浄)に利用される恐れもあり、対策が急務だ」という。

ままごと農園のキュウリとトマトの花が咲いた!

大きくなぁれ

まだまだ伸びしろが大きいのにもう花が咲いた

2022年5月26日木曜日

能登観光ブームに沸いた飯田港と今

昭和50年(1975)の飯田港の写真が新聞で公開された。能登観光ブームで能登半島が沸き返っていた頃である。この年3月に6年間いた広島から岐阜市にあった国鉄建設関係事務所に転勤した。職場で能登観光に行きたいので能登出身の自分に、民宿の予約をしてほしいと頼まれた。曽々木の民宿に予約しようとしたが、数軒の民宿全てが半年先までギッシリ埋まっているという。その結果、能登観光は断念し、紀伊半島に行き先を変更したことがあった。

フェリーが着岸している42年前(昭和50年)
(モノクロ写真を着彩)

グーグルアースでこの写真を撮影した角度で画像を確かめてみた。

上の写真と海岸線が一致しないのは広範囲に埋め立てが行なわれたようだ

フェリー岸壁から右上部が埋め立てられた範囲と想定できる。
昨日夕方、宇出津新港の鮨屋に行ったが開店時刻前だったのでUターンしたが、宇出津新港も埋め立て地で、そこはまだ空き地はあるものの、スーパー等の進出で飯田港埋め立て地より活気があるように感じた。だが、珠洲市の方が移住者が多いという。不思議な現象だと思うが・・・
能登町にも移住者が増えれば空き家対策に効果がある。是非能登町に!

2022年5月25日水曜日

空き家登録申請現地立ち合い終わる!

 昨日9時前に能登町に向け出発、11時頃到着し即、座敷の書院障子戸をきっちりと4枚建付けした。続いて10枚の障子戸を外し障子紙をはがす作業。それが終わると障子紙を枠に合わせてカッターで切りそろえ、ノリ置き作業。これがとても面倒な作業となる。その上に切りそろえた紙をぴったりと貼り合わせる作業。これは一人では不可。夫婦一体で呼吸を合わせ紙を下ろして貼る。この作業でへとへと。ま、娘を嫁に出す心境で少しでも見栄え良く印象がいいようにと自分に言い聞かせながら疲れに耐え、午後6時となって作業打ち切り終了。

眺望絶佳、大浴槽は快適

今回は国民宿舎で宿泊した。予約は洋室にリニューアルした部屋に。県民割3千円とショッピング券1千円と4千円もお得だった。夕食後に入浴。広々とした浴槽に3人、ぜいたくな温泉気分だった。今朝は5時半起床、6時朝ぶろへ。フロントで100円の髭剃りを買い求めてから入浴した。誰もいない独り占めの温泉。おまけに快晴のもと、朴ノ木が茂る林の見える景色はなんと贅沢な空間だろうと。

7時朝食、8時再び家で掃除を開始した。空き家情報掲載に伴う現地立ち合いは13時半なので、昼食なしで作業を続けた。カッターで障子紙を切り障子戸を所定の場所に戻した。玄関回りを水洗いし立会人が来るのを待った。1時半、立ち合い人2人と司法書士をしている娘が来て立ち合いが開始した。町側の出席はなく、二人は不動産関係者だった。写真をくまなく撮影した人は社長だということを名刺でわかった。もう一人の女性はその会社の方だった。その人は間取りを調査された。

調査が終わってヒヤリングが行われた。先日もこの近くで成約物件があったという。字絵図を広げられて未登記物件について経緯を聞かれた。現状になって70年が経過しているが、時効成立は簡単な事務処理ではできないという。登記処理をきっちりと済ます必用があるという。ま、娘が動いてくれると信じることにした。父母が使用していた物品は山のごとく存在する。その処分に頭を悩ませているのだが、社長はシニア人材センターが品種ごとに仕分けして処分してくれるのだが、一般業者の1/3くらいで済む。かつ、能登町の処分費補助制度があるので皆さんに喜ばれているという。

そんなことで、実家の処分に明るい兆しが見えて来た。疲れたが、今日はいい日だった。

2022年5月23日月曜日

能登町空き家情報掲載の現地立ち会い決定

能登町のホームページに空き家情報という頁があって、それに掲載する申請書を提出していたのだが、25日に能登町・不動産業者・建物所有者の三者が現場立ち会いすることが決定した。家は25年前まで両親が住んでいたが、急病で入院して以降は空き家となっている。敷地80坪、建物延べ面積100坪と能登では一般的な広さとなっている。

玄関上がり口

漆塗りなので艶は衰えない

連休中に実家の掃除や障子の張り替えと除草をしたが、書院の障子張り替えが思ったより手間取り、残った障子戸の張り替えや両親が棚にしまい込んだ物品の確認をするため、明日国民宿舎に1泊することにした。県民割りは23日で終了したと伝えられたが、直ぐ後に延長されたので適用されると聞いた。

9尺床の間と書院

2階床の間と違い棚
民宿としての利用価値はまだありそうだ。しかし、経年のためガレージシャッターが壊れ、水道栓も3年前から使用不可になってしまった。欲しい人があったら無償でお譲りすると近所の人に話をしたのだが、子どもの頃は賑やかだった商店街の通りも空き家が連続しているという話しから、希望者は望めないだろうと。
それでも、能登町のホームページでは、在所の二つの物件が成約済みだという。やはりネットのパワーは素晴らしいと認識を新たにした。
どうか買い手がつきますように・・・と祈るしかない。

2022年5月22日日曜日

年内開通予定と・・・秋までには開通できない?

昨日の新聞で、「おっ、いよいよだなぁ」と思わせる活字が目に入った。
それは
●大河端-福久間、年内に開通予定
というタイトルだった。
海側環状は、県と市が現在、大河端-福久間(延長3・2キロ)を整備している。年内に片側1車線通行で開通し、山側環状を含めた金沢外環状道路がつながる。

・・・とあった。

三月末までに路盤工事が完了した

三月末までひしめいていた重機群が全ていなくなった。路盤工事までが完了して次は舗装工事が開始されるのは何時か想像できなかったが、二,三日前に8号線を走った時に建設機械が随分投入されているのに気づいた。

今朝の記事
年内に供用開始予定の金沢外環状道路海側幹線(海側環状)の浅野川に架かる橋の上で21日、地元の金沢市大河端町と北寺町の親子130人が思い思いに絵を描いた。
児童たちは階段で整備中の橋に上がり、路面にペンキで自分の名前やアニメキャラクターなどを描いた。

大河端地内の海環浅野川橋梁に絵を書く子供たち

高所作業車で高さ7メートルまで上って近隣の学校や田園の景色を楽しんだ。最後に小型無人機「ドローン」で上空から記念撮影した。
県央土木総合事務所が企画した。浅野川小6年の谷内陽菜乃(ひなの)さんは「最初に歩くことができてうれしい」と笑顔を見せた。

まだ工事中だった頃の海環浅野川橋梁

県央土木事務所も粋な企画をするねぇ。この子供たちにとっては生涯忘れられない思い出になった。

2022年5月21日土曜日

竪町通りにOMO5金沢片町(星野リゾート)がオープン

香林坊交差点から片町方向に歩くと左側に竪町商店街の入り口がある。この通りはかつて9年間通勤路として歩いた通りである。当時(平成10年~)は繁華街の一角として人通りが多かったが、近年は随分賑わい感が減退したように思える。
そこに、全国各地で宿泊施設を展開する「星野リゾート」が昨日(20日)、金沢市中心部に新たなホテルが開業した。コロナ禍の今、その狙いとは?地元の商店街からは大きな期待の声が上がっているという。
 
金沢市片町1丁目の竪町ストリートで工事が進められていた、星野リゾートが20日に開業した「OMO5金沢片町」。6階建ての新施設は延べ床面積約3700平方メートル、客室数は101室。OMO5金沢片町 蕪木翔太総支配人「地元の人と石川県外から来る人が交流できるような外に出てもらえるようなホテルを目指している」

改築前の建物 旧長崎屋が営業していた
星野リゾートは価格帯やコンセプトの異なる5つのブランドを展開していて、石川県内では2015年、加賀市の山代温泉に「界」ブランドがオープン。一方、今回新たに進出する「OMO」ブランドは全国で11番目の施設となる。
地域観光のサポートをコンセプトとし、周辺のガイドツアーも毎日実施する「OMO」。地元の商店街もにぎわい創出に期待を寄せている。
竪町商店街振興組合 西田倫明理事長「ホテルのコンセプトが地域の繋がりを大事にするということなので商店街としても歓迎するしお互い商店街の活性化のために協力できれば」と。

昨日オープンした
今回、星野リゾートが開業したのは、かつて総合スーパー「長崎屋」があった場所。当時は多くの人が通りを行き交っていた。長引くコロナ禍や郊外への商業施設の出店が相次ぎ、金沢市中心部の空洞化も懸念される中、周辺の商店街関係者も熱いまなざしを送っている。
片町商店街振興組合 小間井隆幸常務理事「ますます中心街に対する商業的な風当たりは強くなっている。ブランド力のあるホテルが町の中にできることは町で事業を営む者にとっては心強いパートナーだと理解している」と期待の声。

2022年5月20日金曜日

「母ちゃん防災士」の番組

 先日、「母ちゃん防災士」という小坂町の竹川操枝さんの行動を記録した番組を見た。竹川さんは防災士として中越地震や能登地震で防災士として縦横無尽の活躍をされた人として、その活躍ぶりをしっかりとカメラが捉えていた。

TVのタイトル
 
平成19年に吾が町内の高齢者サロンで講演を依頼したことがあった。話術が素晴らしく全ての人が熱心に話しを聞いていた。防災士の資格は中越地震で被災地に赴き救援活動を続けるうちに、隣近所の仲間が非常に重要だと認識され、防災士の資格を取得され、能登半島地震で救助活動を実践された。

校下内外を問わず、積極的に防災指導にあたられた

近所の人を自宅に呼び、50人分のメッタ汁を作り
災害時には最も喜ばれる料理だと普及を図られた
ところが、3年前に発病入院されていたが、コロナ禍で面会謝絶等が厳守されるようになり、自宅療養を希望されて療養されていた。
近所の人がドッと見舞いに来られた
しかし、ご家族の手厚い看護も及ばず不帰の人となられた。
facebookの友達だったが、娘さんが変わって友達になってもらった。
ご冥福を祈るばかりである。

2022年5月19日木曜日

思い出すなぁ、10年前の百万石祭り

第七十一回金沢百万石まつりのメイン行事「百万石行列」で、三代加賀藩主の前田利常や妻の珠姫(たまひめ)ら主な役の出演者が14日尾山町の金沢商工会議所で衣装合わせをしたという記事があった。近くの尾山神社で記念撮影をし、新型コロナウイルス感染症の影響で三年ぶりの開催となった待望の祭りに向け士気を高めた・・・。

そういえば自分も百万石行列の一員として参加したことがあった。それは10年前の平成24年だった。あれから10年も経ったとは・・・
当日朝早く商工会議所二階に集合し、衣装合わせが行なわれた。着付けは京都の専門業者が行なった。

行列出場者全員の着付けで会場はごった返していた
着付け完了後に集合写真を撮った。

8家老と足軽
この出場者は金沢市町会連合会の関係者で構成され、会長が家老となっている。60余りの町会連合会の持ち回りで割り当てられている。

孫が応援に駆けつけてくれた

60代の足軽は数少ない
随分待ち時間が長かったが、ようやく出発の合図があった。

携帯のカメラを取り出して撮影した
予想もしていなかったことだが、この付近や香林坊近で2回も戦闘演技を披露した。練習はなしだったが。雄叫びを上げながら30m程全力疾走せよと指示があった。これにはまいった。金沢城に入るまで行進したが、ワラジはすり切れ疲労困憊した。日当1万円、これは報酬として先ず先ずの額だろう。しかし、もう一度出演して・・・と頼まれたらお断りである。あれから10年も年食ったし・・・

2022年5月18日水曜日

腎臓ガン切除(ステージⅠ)丸4年経過診察

昨日午後12時20分、金沢医科大に向け家を出発し40分に到着。自動受付して採血し、CT検査して泌尿器科受付したのが1時10分、ここからが我慢の待ち時間が始まった。毎週火曜日は泌尿器科教授の診察指定時間なので、朝から待つ患者が多く、特に何組もの夫婦連れの患者が待合室にひしめき診察を待っているから三時間以上はかかる。夫婦連れは深刻な病状の患者に多い。吾が女房殿も4年前、神妙にガンの病状や手術について説明を聞いた。

医科大病院入り口付近の様子
先ず、自動受付機へ

腎臓にしても膵臓にしても、体調が悪くなって初めて気づき検査することになるが、その時は殆どが手遅れ状態が一般的。それが、暫く胃カメラを飲んでなかったので、4年前に検査することにした。診断結果で心配ないと思うが、念のためにCTを撮りましょうと検査した。結果、胃腸科の先生は異状は有りませんでしたと診断された。ところが放射線担当医師から腎臓に異状が認められるので泌尿器科で精密検査してくださいということになった。腎臓は事前に細胞採取して検査できないため、切除したもので癌か否かを判断するという。ま、100%癌でしょう・・・と。

先端医療ダビンチで手術
お陰様で痛みは一切なし、入院も13日で済み、おまけに医療費が研究費から補助された。
昨日は長時間待ったが、血液、尿の検査データに異常値なし、CT画像にも異常はないと診断された。嘘みたいな本当の話である。

2022年5月17日火曜日

散歩の風景

昨日は天候の様子からしばらく見合わせていたウォーキングをした。ルートは百坂・森本駅・郵便局・福久東の南回り。町内の南小公園に咲き誇っていたツツジが散って路上に貯まっていた。森本駅の階段を二段飛びでかけあがるのだが、この階段にツバメの巣がある。まだ、産卵していないらしく巣にツバメの姿はなかった。階段には新聞紙のふん受けが設けられている。

向こうの階段にも巣がある
駅を過ぎて郵便局の前を過ぎると田んぼがあるのだが、田植えが済んだところとまだのところがある。奥手の品種なのだろう。

郵便局横の田んぼはまだ田植えしてない
暫く歩くと広大な田んぼになるが、ここも田植えしてない田がかなりあった

ちょっと懇意にしてもらっている人の事務所に寄って雑談して帰路となった。

ままごと農園に植え付けして2週間、やがてキュウリ棚を設置しなければ・・・

夕方は相撲観戦。今場所も同じ場所に例の妖精さんが。毎日同じ場所、不思議だなぁその人。

左側の白っぽい洋服の「妖精」さん
ネットでは有名な人
先場所、今場所の輝はどうしたのだろう。昨日の炎鵬は体重倍の剣翔に勝った。遠藤は後半で白星を重ねることを期待しよう。

2022年5月16日月曜日

空襲で焼失した富山大和が16日後に営業再開?

ロシアは3日もあれば降参すると観ていたウクライナへの侵攻だが、やがて三ヶ月も猛攻に耐えている。侵攻は戦車とミサイルがメインとなっている。昔は爆撃機による空爆、焼夷弾による焼き尽くしだった。それがロシアはどういうわけか制空権が取れないという。それに、連日のように黒海のロシア艦船がミサイル攻撃で撃沈しているようだ。東部に侵攻したロシア軍が徐々に後退しているという。NATO諸国の武器供与が大きな貢献をしているようだ。強者のおごりが正常な判断力を失っているようだ。

さて、先日、何度も目にしたことがある富山空襲の写真がまた記事になっていた。消失した家々の補償はない。当然、亡くなった者の補償もない。記事によると、焦げた大和デパートは16日後から営業したという。このエネルギーは凄まじい。

中央のビルは富山大和
このあたりの現況はどうなっているか、グーグルアースで確かめて見た。

3D映像化するとこうなった

以下記事引用
終戦直前の空襲で50万発以上の焼夷(しょうい)弾が降り注いだ富山市中心部で、焼け野原に残る茶色の富山大和が存在感を放っている。中心市街地の99・5%が焼失したとされる富山大空襲をくぐり抜けた数少ない建物である。

営業を再開したのは空襲からわずか16日後。長らく総曲輪周辺のにぎわい創出の中核を担い、戦後復興のシンボルとされていたが、2007年の店舗移転に伴い、13年に惜しまれながら撤去された。
その跡地には15年、市ガラス美術館や市立図書館などが入る複合ビル「TOYAMAキラリ」がオープン。総曲輪周辺の再開発は進み、路面電車は環状化し、06年に撤退した富山西武跡地には19年、23階建ての高層ビルが完成した。

ウクライナの破壊され尽くした都市も、きっと素早い復興をすることを期待したい。
それにしても、病院、学校を狙い撃ちにするロシアは許せない!

2022年5月15日日曜日

10年前とその11年前の沖縄旅行で見たこと聞いたこと

今日5月15日は沖縄復帰50周年だという。現在の沖縄は新型コロナウイルスの感染者が新記録を重ねている深刻な状況にある。沖縄に旅行するまでは琉球国というイメージで半ば外国のように思っていた。勿論、太平洋戦争で激戦地だったことは知っていた。

最初に訪れたのは21年前の平成13年だった。用務は公務出張で、3日間の建設技術関係講習会のためだった。小松から那覇まで一直線、この日は前泊なのでフリー、午後に到着してすぐ観光バスに乗車した。

最初の観光地は旧海軍地下壕だった
沿道の街並みは「ちむどんどん」の家とそっくりな木造平屋建てのコンパクトな建物が多かった。
沖縄にもかなり規模が大きな鍾乳洞があった

小学生の頃に見た映画を思い出した

日本三大がっかり?守礼門は想像よりコンパクトだった

首里城の勇姿は今はない
那覇市の国際大通りにほど近いホテルの付近で、新交通システムの高架橋工事が施工中だった。
そして、その10年後になるが、平成23年の12月に女房と旅行した。10年前と大きく違っていたのは街並みだった。家々が新しくなっており墓地の各区画割が桁違いに大きくて、石造りの上屋がある墓が多いのに驚いた。

1日目はデラックスなリゾートホテルに泊まった

ホテルではいろいろな沖縄の踊りが披露された

南国ムード溢れる観光地へ

最も人気が高い水族館へ

大水槽のジンベイザメが大人気

夜は観光船のライブショーを見ながらの食事
この日24日に誕生した人にプレゼントがあった。自分の誕生日は惜しくも昨日だったのであった。沖縄の高速道路も観光バスは走ったのだが、建設省に就職した同級生が北陸地方建設局から出向して建設業務に取り組んでいたことを思い出した。現地で食べた海ぶどう、もう一度食べたい!そして返還50周年、今後の発展を祈念したい。