2016年12月30日金曜日

今は昔の帰省ラッシュ

今日(30日)が帰省ラッシュのピークだという。
ニュースでは東名、東名阪、中国自動車道等で20kmを超える大渋滞や、東京駅を発車する新幹線、羽田や成田の空港も帰省客で超満員である。
特に目立つのは子供連れの夫婦が多い。こんな風景を見ると、かつて自分も年末年始の帰省で難儀したことが昨日の出来事のように思い出される。
数ある中で最も大変だったのは広島市近郊の安芸町にあった宿舎在住時代。長女がまだミルクを飲んでいる頃で、広島駅から特急しおじで岡山駅まで、そこで新幹線に乗り換え新大阪まで。雷鳥に乗り換え金沢へ。金沢から急行能登路に乗り換えて宇出津まで、それも金沢からの能登路は超満員で立ちっぱなしとならないようグリーン車の指定席。宇出津から最終バスに乗り在所まで30分。あと1時間くらいで到着するころ決まって長女は泣き叫んだ。都合10時間の長旅で精魂が尽き果てた。
途中のミルクを飲ませるが一苦労だった。座席指定券を確保するため、1週間前には広島駅の窓口に並んだ。昭和46年年末であった。
東京駅のはくたか
昭和50年は岐阜市に在住していた。
このころは長女が4歳、次女が1歳。携行する荷物が多くなり鉄道から自家用車となった。そのころ高速は丸岡までであった。木の芽峠で昼食。敦賀から杉津峠を下り武生まで大渋滞。丸岡から金沢西までは渋滞はなかった。能登有料は柳田ICまで。そこから柴垣を経由して中島までが、これまた大渋滞。これも約10時間前後となった。
年末年始だけではなく、5月の連休、7月のまつり、8月のお盆と年4回も帰省した。これに要したエネルギーは考えただけでも恐ろしくなる。


2016年12月18日日曜日

千坂小学校へ昔遊びの講師役

先週(12月13日)、千坂小学校の1年生を対象とした「昔遊び」の体験学習が行われました。
「まりつき」、「お手玉」、「おはじき」、「紙飛行機」、「あやとり」の5種目を、自称「名人」が、学校から指名を受け講師役として協力することになりました。
私は「紙飛行機」の講師となり、20人くらいのグループを3回に分けて実施しました。
前日、インターネットで数種類の折り方を試み、実際に飛ばしてみて最もよく飛んだ紙飛行機を数点折って持参して臨みました。

定刻までの20分ほど、5人のメンバーが校長室で雑談しました。
話題はある講師役のお孫さんが世界バトミントン選手権大会で準優勝したこと、高校時代は自宅で下宿生活のお世話をされ、全国津々浦々まで応援に行かれたこと、連合音楽会で私の孫がピアノを弾いたこと等々、話が大いに盛り上がりました。

定刻になりピロティーで開会式。講師役一人ひとりが自己紹介して、児童代表があいさつしてくれました。まりつきと紙飛行機が会場に残り、あとの種目は各教室へ。
最初のグループがよろしくお願いしますと挨拶した後に、準備してあった紙飛行機を取り出して飛ばしてみせました。「ワ~」と歓声があがりました。数点の紙飛行機を児童に渡して「飛ばしてみよう」と伝えたところ、またもや「ワ~」と歓声。
卓球台にチラシが山積。それを用いて折り方の指導を始めました。
1グループ20人だと、折り方を説明してもなかなか全員に伝わらないのがもどかしく思いました。
そして完成した紙飛行機を喜色満面の姿で飛ばしていました。
3グループだと時間が非常に短く感じます。

後日、お礼の手紙が送られてきました。
「とても楽しかった」という手紙に、講師役が務まったのだなーと感慨ひとしおのものがありました。
3年ほど前までは、1~6年生の縦割りグループで昔遊びを指導しました。校長にそのことを話ししたら私が来る前まではそうだったようですねと答えられました。
対象児童数が多く、ボランティアの人数も数十人と多く、運営が大変だということでしょう。
平成25年の記録からその1
その2 紙飛行機の折り方
その3 飛ばしてみよう!
 私が小学1年生だった頃といえば昭和24年。TV、PC、スマホは当然なし。駒まわし、ペッタ、凧揚げ、かるた、グーチョキパーで王様遊び、紙鉄砲、缶けり、陣とり等々、神社の広場、神社の森、在所の家々の縁の下が主な遊び場で夕飯まで遊び呆けた頃が懐かしい。