2022年2月28日月曜日

ニシン群来 春の訪れ

昨日は家の前の両側にあった雪がことごとく消えた。こんなことは滅多にないこと。歩道にあった残雪も手品師のトリックのようになくなった。それだけ気温が急上昇したということだろう。そういえば明日から3月。北海道にも春の兆しがあったという。
兆しとは小樽沿岸の余市港が真っ白になったニュースがあった。

ニシンの大群を群来という

ミルクを流したように広がる乳白色の海面。
27日、余市町の海岸で見られたのは「群来」と呼ばれる現象。
群来は、大群で押し寄せたニシンの産卵の影響で海の色が白く変わり、2月から3月にかけて主に日本側沿岸で見られる。

もう何十年も前は北海道西側海岸はこの時期にニシンが群来して活況を呈していた。そういえば朝ドラ「マッサン」でニシン御殿の様子が描かれていた。

 

朝ドラ・余市のニシン番屋 風間杜夫の名演技

10年前から少しづつ増えているというから、いつか昔のような賑わいが戻るかも。
子どもの頃、神社の広場でゴザを広げてニシンを天日干ししてあった。それをかじったことを思い出した。田んぼの肥料にするためのものだったらしいが、いつも腹の減っていたガキにはうまかったのである。

2022年2月27日日曜日

昭和22年から今も続いている「若い力」

昭和22年といえば終戦の2年後。この年に金沢で第2回国体が開催されたという。自分はまだ5才だった頃である。その6年後、自分は小学5年生だったが、その時どういうわけか「若い力」の演技を覚えさせられた。6年生になってからも運動会で演技をした覚えがある。

第2回国体から「若い力」の演技が始まった
金沢全小学校6年生4,000人による
記事引用
昭和22年10月30日 雨の多い金沢では珍しく、明るい日本の未来を予期するかのように爽やかに晴れ上がった秋空と昭和天皇臨席のもと開会式会場の金澤市運動場(現 金沢市営陸上競技場)で、力強く軽快な「若い力」のリズムに合わせて金沢市内の小学6年生男女約4,000人が大観衆を前に堂々と躍動感あふれる演技を披露しました。

これが初めて公に披露された「若い力」の始まりでした。

「若い力」が制作されて70年以上が経ちますが、第2回国民体育大会が開催された金沢市営陸上競技場で、金沢市の小学生たちは今なおその伝統と歴史を脈々と受け継いでいます。


今も続いている千坂小学校の「若い力」
金沢市小学校連合運動会では今も国体が開かれた市運動場で全6年生が演技している

この「若い力」の演技は、当時、石川師範学校男子部付属小学校に勤務する稲場四郎先生や野町小学校の勝尾信子先生、文部省職員の3名で創作されたという。
稲場先生は、大正8年(1919年)生まれ、60歳まで教師、校長として小学校に勤務し、70歳まで保育園園長として子どもたちと楽しく過ごされたそうです。

何年か前だったか、TVで金沢市内の路上を2,3人で歩く若者に、「若い力」出来ますか?とインタビューした。そうしたら躊躇なく演技を始めた。これは凄い事だと感心した。
自分はもうすっかり忘れたしまったが・・・。

2022年2月26日土曜日

灯油10日間で3円値上がりでも長い行列

 昨日11時頃、灯油の空缶6個を積んで10日ぶりにムサシへ買いに行った。給油所には空缶を持った人やカート車に積んだ人たちの長い行列ができていた。灯油は10日前に買いに来たのだが、寒い日が続いき各部屋(5部屋)で焚くので、100ℓ以上の灯油が瞬く間になくなってしまった。コロナ禍のため在宅勤務者もあるので、ストーブはズーッと付けっぱなしだから消費も早い。

 
10日前は93円だったのが95円に値上がっていた。ウクライナ異変でこれからも価格が急上昇することが予測されるが、ストーブなしで震えながらTVを見るわけにもいかないし。ガソリンは10日前に給油したが、167円/ℓだった。これも170円突破は間もないのか?

ウクライナ脱出を図ったが大渋滞でストップ
日本は二度と戦争はしません・・・と憲法に謳っているが、ウクライナの二の舞にならんとは限らんと違うかなぁ。戦争は家も財産も家族も全て失うのだ。ウクライナを人ごととは思わないで、もっと目覚めるべきと思うのだが。

2022年2月25日金曜日

連日の除雪は運動不足解消に

立春から3週間が経過したというのにこの寒さである。昨日も10cm程度新雪が積った。昨日は娘夫婦が出勤前に除雪してくれたが、残った雪を溝の蓋を開けて入れられるだけ投げ込むことにした。

歩道の雪も全部始末できた
歩道は今日も歩行困難な状態
除雪してから子供たちの安全誘導に出かけた。

児童の歩行路は除雪してあった

狭い車道も何とか車が往来していた
2年生の女の子に、「男の子が少ないけど何でや?」と聞いてみた。そうすると、「学童にいってるよ」と。
その後、来月の当番表をプリントするため集会所へ。エレベーターの定期点検だそうで、鍵を開けに女性の副会長が事務室におられた。エレベーターの点検は土日の休日にはできないと云われ鍵を開けに来られたそうである。
今日はプリントした当番表を配付しなければならないが、車で回るか思案六法中。

2022年2月24日木曜日

「五郎島金時」やったぜ日本一

「日本さつまいもサミット ファーマーズ・オブ・ザ・イヤー」という日本中のサツマイモ生産者から最も優れた人や団体を決める審査の結果、加賀野菜の一つである五郎島金時が認定された記事があった。

受賞を喜ぶ酒栄優次部会長ほかの皆さん

五郎島金時は砂丘地で栽培されており、ホクホクした食感と甘みが特徴。受賞の理由として、300年の歴史がある品種であることや、団体で栽培に力を入れている点が評価された。酒栄(さかえ)優次部会長(53)は「北陸の人が長年愛してくれて、食べてくださったおかげ。300年をつないでくれた先人にも感謝」と喜びを語った。
サミットはサツマイモが日本中で作られていることを知ってもらおうと、東京都の企業などでつくる「さつまいも博実行委員会」が主催しているという。 

サツマイモは五郎島金時に限る

五郎島金時は、加賀野菜(金沢の伝統野菜)15種類の一つ。
五郎島金時の特徴は、何といってもきめ細かな粉質と上品な甘さである。
最近は「安納芋」や「べにはるか」といった”ねっとり系”さつまいもばかりをよく見かけるが、「五郎島金時」は「鳴門金時」などと同じ、高系14号という品種。
昔ながらのホクホクとした食感、奥深い甘さと懐かしい風味を楽しむことができます。
主な生産地は、金沢港に近い五郎島粟ヶ崎地区や内灘砂丘です。

この地区は水はけのよい砂地の畑であり、長らくの間どんな農作物も育たない不毛の土地とされていた。しかし元禄時代になって、五郎島村肝煎大百姓の太郎右衛門が、薩摩から種芋を持ち帰り栽培を始めてみたところ「さつまいも」栽培に適した環境であることが判明。
五郎島地区・内灘砂丘は五郎島金時の栽培が盛んに行われるようになった。

江戸時代中期、肝煎大百姓が所用で薩摩へ行った帰りに、種芋をちょんまげに隠して関所を通った(冒頭写真真ん中の人の頭の上に注目)という伝説のサツマイモなのだ。クリの実のような食感、五郎島金時は掛け値なしにうまい。

2022年2月23日水曜日

かかりつけ医の奮闘

もう1週間ほど前になるが、同居している家族の1人が仕事先で発熱したという連絡が入った。さて、吾々同居人はどうすりゃいいんだ?と途方に暮れる思いがした。自分で車を運転して帰宅して、すぐ自分の部屋のベッドに入った。こういう場合、すぐ医者に行かなければならないが、こんな時期に医者はすんなり診てくれるのだろうか・・・と不安がよぎった。

本人が電話でかかりつけ医に電話したら、来院OKだというので車を自分で運転してでかけた。帰ってきたので医院の中に入って受診したのか聞いたら、先生が完全防備で駐車場まで来られ、PCR検査資料を採取されたという。そして陽性か陰性かは翌日判明するという。もし陽性だったら吾々は濃厚接触者となり入院の用ありなしか心配した。翌日10時過ぎ、かかりつけ医から「陰性でした」と連絡がありホッとした。

一昨日のことだが、このクリニックに1ヶ月に1度の薬をもらいに行った。待合室で待っていると、完全防備した看護師が駐車場に向かった。あれ、今日もコロナ関係かな?と思っていると次に先生が違う人の車に向かわれた。

診察室に入って先生に「PCR検査で毎日来院される方がおられるのですか」と質問したところ、そうですね・・・と言葉を濁された。わが家の家族は陰性だったが、陽性の人もおられるだろう。そんな時、同居家族の方は大丈夫だろうか・・・と心配した。三回目のワクチンは3月9日、早くこいこい接種日よー・・・である。

2022年2月22日火曜日

朝4時から6時、降りやがった!

7時まで気がつかなかったのだが、孫を駅まで送る車が出るのに前の除雪せんなんよというので玄関の戸を開けた。ウワッ、こりゃ何だ!と驚いた。すぐ除雪に取りかかった。

雪の重みで樹がゆがんだ

10分間雪と格闘

何とか車が出た

この雪だが、4時頃新聞配達があるが、配達人の足跡が全然見えなかった。ということは、4時以降6時頃までに積ったということになる。そんな降り方で数時間続けば全交通機関はストップとなるだろう。今は太陽が出ているから、もう心配はなさそうだ。

2022年2月21日月曜日

何でだろう?中国で巻き起こる異常な羽生フィーバー

北京五輪が閉幕した。不思議に思うことが多々あったが、特に感じるのは中国における羽生フィーバーである。

開幕前の広州市の花火に外国人ただ1人羽生選手が出た!

この羽生ブームは五輪が終わっても治まる気配はない。何故なのか調べて見たくなった。そうすると、「なるほど、そんなことがあったのか」という記事があった。

以下、記事引用 羽生選手が中国で有名になったのは2014年のこと。上海で開催されたフィギュアスケートのグランプリシリーズの公式練習中、中国代表の閻涵(エン・カン)選手と衝突し、顔面から流血する事故があったが、このとき、羽生選手は閻選手のけがの状況を心配したと中国メディアが報じた。その後、羽生選手がけがをおして、テーピングを頭に巻いて演技を披露する姿は、多くの中国人の心を打ったのだという。

羽生結弦選手
もうひとつは、2017年の世界フィギュアスケート選手権。この大会で優勝した羽生選手は、国旗掲揚の際、3位だった中国代表が掲げていた中国国旗が反転していたことに気付き、すぐに駆け寄って向きを正したという。この出来事は国営メディアでも大きく報じられ、細やかな気配りに多くの中国人が感動を覚えたそうだ。

中国SNSでは羽生に関する話題は北京五輪が近づくにつれて盛り上がり、彼の情報を専門につぶやくファンアカウントのフォロワー数は156万人以上に達するという。あの華春瑩(か・しゅんえい)中国外務省報道官もツイッターで「羽生結弦選手のファンの皆さまへ、『現地応援は中国の皆さんに託す』との声を目にしました。お任せください!」と、名指しで言及したのだという。

多くの中国人が羽生の演技に酔った

これからも選手活動を継続していくという。念願の「4回転半」をマスターして是が非でも金メダルを目指してほしいものである。

2022年2月20日日曜日

昭和35年4月17日、宇出津は熱狂した

Youtubeの動画には過去の喜びや悲しみが詰まっている。先日は松波~宇出津間の動画を見た。ここは吾が青春時代の2年間、建設工事に携わった忘れられない区間なので、何回見ても飽きることはない。

動画の一部 宇出津駅の賑わい
昭和35年4月17日、鵜川~宇出津間が開業した記録によると、町を挙げての祝賀ムードに盛り上がった。
全住民が開業を祝い大騒ぎした
その3年後。昭和38年10月1日、宇出津~松波間が開業。この開業時も松波全町が喜びに沸いた。
松波駅で1番列車を迎えるお嬢さん達

松波駅周辺は歓喜の町民で埋め尽くされた

宇出津まで開業した1年後の昭和36年、「君は能登の出身だというので、小木工事区に勤務せよ」という話しになって、2年ちょっとだったが、宇出津~上戸間の軌道工事を担当した。

羽根駅ホーム上屋の検査

羽根駅停車の動画があった 懐かしく昔の記憶が蘇った
18年前の平成16年、能登線の乗り納め会を6人の有志で実施

廃線後18年が経過した。昨年、宇出津駅跡地に行って来たが人の動きが全くなかった。開業してから高度経済成長が続き、能登線も活気があった。あの頃は今日の衰退ぶりは全く想定外だった。

こんな風景はもう戻らない

能登高校の野球部?

水平線の彼方に立山連峰
このような写真を見ていると泣けてくるなぁ。

この年成人式だった
昭和29年、小学6年修学旅行で輪島駅から汽車に乗った。その輪島駅ももうない。

2022年2月19日土曜日

グーグルアースで北京と上海を見てみたら

金沢は全域にわたって3Dで地形や建物が精彩に見ることができる。しかし、県内全域ではない。県庁所在地程度の都市部が対象となっているようである。ところが、北京と上海を見てみると、金沢を見るような立体感は得られない。完全な3Dは国家として認めると具合が悪いようだ。

3Dで故宮は建物全容が確認できない

太和殿と広場は広大だった
太和殿の一つ手前の建物も広大
3Dで見たかったのにがっかりした。
広場から階段に上って建物に入るが、階段は総大理石造だった

上海の目貫通り これは2D

これが拡大の限界

金沢はバッチリなのになぁ
さて、昨日ようやく3回目接種の案内が届いた。
早速かかりつけ医に電話して、3月9日と決定した。1日でも早い方が望ましいのだが、やむをえまい。ある人の話では、平日はモデルナだが、土曜日だけファイザーだというので土曜日予約にしたという。すべてモデルナしかないと思っていたが、そうではなかったのだ。ま、しゃーないか。

2022年2月18日金曜日

スイス戦に敗退するも決勝トーナメントへ女子カーリング

昨日はどの競技を見るかチャンネルをあちこち変えた。女子カーリングと団体ノルディックがダブった。カーリングは中々決着がつかないゲーム。結局、対スイス戦のカーリングにチャンネルを合わせた。この試合に勝てば決勝トーナメントに進む。が、前のアメリカとの対戦で絶妙なストーン操作で勝利したのだが、昨日は別人のように思えた。

対スイスとの熱戦
ストーンにはハイテク仕掛けがあるという。そういえばストーンを握りしめる根元に複数のセンサーが光っていた。その都度、氷の状態を的確に把握して対応しているそうだ。

本日20時5分から準決勝戦
フィギアはカミラ・ワリエワに注目が集まったが、失敗が続いて4位に終わった。練習には一度も失敗する姿はなかったが、昨日の演技はどうしたことだろう。ドーピング問題でワリエワは、「ここでメダルは取るべきではない」と思い滑ったと言う見方に真実味が見えそうだ。ロシアの体質は根本から改善しなければ、いつまでもこのような問題が続くだろう。
ま、昨日は日本にとって高木美帆様々だった。

2022年2月17日木曜日

高木美帆1000m金に感激!

 ついに金メダル!高木美帆が銀・銀・銀にさらに金。夕食もそこそこにTVにかじりついた。
北京五輪第14日の今日(17日)、女子1000メートルがあり、高木美帆(27)は1分13秒19の五輪新記録を出して、個人では初の金メダルを獲得した。今大会のメダルは3個の銀に続く4個目。

よくやったなぁ 日の丸をかついでアピール
こんな瞬間をリアルタイムで目撃できたことに感動した。

表彰式で最も高い場所に上がった

高木美は今大会5種目に出場し、1500メートル、500メートル、女子パシュートの3種目で銀メダルを獲得。個人種目では初の金メダル。平昌大会では女子団体追い抜きで金、1500メートルで銀、1000メートルで銅。これで五輪7個目のメダルとなり、夏冬通じて日本女子の最多獲得数を伸ばした。

メダルは後日になるという
そしてこの種目で五輪新記録なのだという。
五輪新記録にサイン
いやはや、素晴らしい感動をもらった。美帆ちゃんに感謝!

3ヶ月毎の術後検診

一昨日は腎臓ガン術後定期検診のため医科大病院に行って来た。午後2時予約だったが、30分ほど早めに家を出発して1時過ぎには医科大に到着した。早めにしたのは、前回に胃の検診して4年経過したから念のための検査の予約申し込み手続きを「待ち時間内」にすることにあった。血液検査と尿採取を終え、泌尿器科の受付を済ませ、胃腸科受付をしたら受診室前で待つようにと指示があった。待つこと20分、診察室で問診が行なわれた。血液さらさらの薬は1週間前からストップする等の指示を受け、来月中旬検査と決まった。ここの胃カメラ検査は全て麻酔が施されるため、送迎者随行が条件となった。

再び泌尿器科に戻り長い待ち時間を過ごす覚悟をした。

外来受付が午後からに変更された

退屈するので病院内を歩き回って戻ってきても受診室前の順番表示板には中々点灯しない。そのうち看護士が自分の名を呼んだので返事をしたら、胃腸科に長いこといることになっているので確認したのだという。その後も待てど暮らせど・・・。とうとう5時を回ってようやく最後の順番だった。病院のシステムで患者がどこにいるのかPCに表示されるという。胃腸科は早く終わったのに最後に回された。折角、長ーい待ち時間を有効的利用しようと動いたのが裏目に出た。

ま、主治医は、「5月でまる4年になります。今回も各数値に異状はありませんでした」と告げられたので、しょうがないか。

2022年2月16日水曜日

千坂校下が輩出したきら星は・・・

千坂校下において実業界や政治家で地域に貢献された方々が大勢おられるが、大臣経験者は馳文科大臣のみである。

吾が町内の諸行事にも度々出席された。盆踊り大会は毎年のように来られ、荒屋会館の竣工式にも列席された。

荒屋会館竣工祝賀会で祝辞を述べられた

荒屋団地町会主催盆踊り大会での祝辞
文科大臣に就任された際には、千坂校下で盛大な祝賀会が開催された。

大臣就任祝賀会会場

馳文部科学大臣のご挨拶

当時の新聞記事

千坂校下新春の集いにも毎年出席された
この年、北鳴中学も大臣表彰された

その馳さんは知事選に立候補された。馳さんが地域に注がれてきた熱意は、地元としては決して無視できるものではない。よって、思想、信条は棚に上げ一票は馳さんに・・・。