2018年11月30日金曜日

8050問題って何でそうなった

8050問題とは、現代日本に発生している家族に関する問題だという。
「引きこもり」という言葉が世に知られるようになってから、およそ20年たった。それが今、40代〜50代の引きこもり当事者と、70代〜80代にさしかかり、精神的・経済的に限界を迎えている親たちの問題がクローズアップされているのである。

280世帯の吾が町内でも複数の引きこもり世帯がある。ある家庭では両親が相次いで亡くなり、引きこもっている人は一人暮らしを続けている。玄関フードの鍵もしっかり掛かっており、班長が回覧物を置くにも困っているという。

引きこもりの若者が存在していた世帯もこれが長期化すれば親も高齢となり、収入に関してや介護に関してなどの問題が発生するようになる。これは80代の親と50代の子の親子関係での問題であることから「8050問題」と呼ばれるようになったのだ。




 2018年に内閣府は、40歳から59歳までを対象とした初の実態調査を行った。それは従来までは引きこもりの問題は若者特有の問題であるとして調査されていたものの、中高年の実態はどうであるかを把握して支援に役立てるため。そして2018年度の予算案に調査費として2000万円を計上した。

該当している親子というのは親には収入がなくなっている状態であり、親子で社会から孤立した状態になっている。2018年3月5日の北海道新聞では該当する親子がそろって孤立死したという記事が掲載された。これは1月に検針に来たガス業者が異変に気付き、中に入ってみれば親子で孤立死しており、これは前年に死んでいたと思われる状態であった。

80代の親が収入のない50代の子と同居したまま、外とのつながりが途絶えて孤立し、生きていくことに行き詰まる「8050」世帯の現実が、また顕在化した。 
こんな造語があるという。OSDという。意味は単純で、親が死んだらどうするの頭文字だそうだ。
札幌市のアパートの一室で、82歳の母親と引きこもる52歳の娘の親子が、飢えと寒さによって孤立死した姿で見つかったのだという。
3月5日付の北海道新聞の記事によると、親子の遺体が見つかったのは、今年1月初めのことで、娘は長年引きこもり状態だったという。

20年以上にわたって引きこもりを取材しているジャーナリストの池上正樹氏は「日本社会は他人の評価を気にし、比較をしてしまう価値観があるし、レールを一旦はずれると元に戻れなくなっている。そういう中で親は他人の評価を気にして正社員になれと圧力をかける。でも本人はそんなところどこにもなくて、苦しめられている。地域や周囲から隠すため、誰にも相談しないというケースが多い。親の世代、特に70~80代になるとプライドもあるし、なかなかSOSを発信しない。親のマインドを変えることで引きこもりが解決するというケースもある」と指摘する。

「親だけが原因というわけでもない。日本は原因を特定して、責任の所在がどこにあるかということから始まる。親は自分の子育てに問題があったのではないかと抱え込んでしまう。だから"見守りましょう・待ちましょう"では、親がどんどん孤立してしまう」と訴えた。 



気楽な"つながり感"というのを、日本社会が作らないといけない。また、終身雇用モデルも崩れてきていて、正業・副業という境目も亡くなってきている。在宅でできるクラウドソーシングの仕事も最近はたくさんあるので、そういうのを活用しながら、ひきこもって行きていくことも可能ではないか」


内閣府が公表した調査(H30年度版『子供・若者白書』)によると、16〜39歳の引きこもり当事者は全国に約54万人いると推計されているが、実は40歳以上に関しては調査から外れているのだ。国は今秋以降に調査すると発表しているが、「大人の引きこもり」が多数存在していると考えられる。 トータル的には100万人を超えると推定されるのだ。

引きこもりになったきっかけとして多いのは、「職場になじめなかった 23.7%」「病気 23.7%」「就職活動がうまくいかなかった 20.3%」「不登校(小学校・中学校・高校) 11.9%」「人間関係がうまくいかなかった 11.9%」「大学になじめかった 6.8%」「受験に失敗した 1.7%」などがある。 

吾々世代で引きこもりになったという話は聞いたことがない。それは吾々世代の子供から始まったと云える。あれこれ原因は上げられるだろうが、やはり育った環境だろう。吾々世代は親が苦労して子育てをしていることを見て育った。一方、子供が生まれ、その子供には不自由はさせたくないという思いがベースになって子育てをした。子供の云うことに頷きながら子育てをした。吾々世代の子供時代と比較すれば、それは「甘やかし」であった。で、自分で生きる必死さに欠けた子供が大人になった。

地域がどう関与すればいいのか考えなくてはならない問題だ。

2018年11月29日木曜日

白尾IC~千里浜ICの沖合に発生する竜巻

11月もあと1日となった。今日は晴れていい天気なのだが、12月に入ると季節風が強くなり空の色も北陸特有の「鉛色」が何日も続くようになる。小説「ゼロの焦点」にもそんなようなことが書かれていた。
既に能登では波の華が舞ったというニュースもあった。上大沢の間垣の真価が発揮される季節到来である。
そんな季節になると、海上の沖合に空から海上に伸びるロート状になった竜巻が何本も発生する。一説によると、それは竜巻とは云わないのだという。竜巻は海上から巻きがっているときに限って竜巻という・・・そうだ。(本当にそうだろうか)

そんな風景をのと里山海道を走行しているとき、海岸から3kmくらい離れた海上に何本もの竜巻を目撃した。
自分では写真を写した記憶がないので、ネットで探してみた。が、意外と「これだ」と思うような写真がないのである。
ネット上では小松市で写した写真があった。

この写真では複数の竜巻は発生していない

イメージ的にはこんな状況の竜巻が発生する
形雲の下側が海まで達していないものは、気象用語としては「竜巻」ではないというが、この写真では竜巻観測としている。
竜巻雲を調べていたら奇妙な雲が沢山あることに気付いた。

地震の前触れ的地震雲
天変地異を思わせる巨大な雲

空を覆いつくす巨大な雷雲は米ミネソタ州の平野上空。まるで空を覆いつくすかのように現れた、どす黒くお椀のように膨れ上がった巨大な雷雲。日常とは明らかに違う雰囲気で不気味さが漂う。
これはロール雲というそうだ
南米アルゼンチンの東部沿岸上空に現れた、巨大なロール状の雲の帯。層積雲や高積雲に現れ、 水平な軸のまわりに回転する気流によって生じるそうな。
国内で観測された「レンズ雲」の写真もあった。こんな形状になるとは不思議である。

礼文島のレンズ雲
いつか海上の「数本の竜巻」を撮影して紹介したいと考えている。お楽しみにー。

2018年11月28日水曜日

散歩道は「牛殺川」ルート

昨日の天候は快晴。どこまでも青空が一杯に広がっていた。午後2時頃、いつも歩く散歩道方向に足を向けた。家から西へ300mくらいで国道8号線に出て歩道を行くとパチンコ銀座となる。10分くらいで次の信号が福久東交差点。タイミング悪く赤信号となったが、直進、右折と待つ者の身となれば長ーい。信号待ちしながら考えた。いつもの通り真っすぐ国道の歩道を行くか、ルートを変え横断歩道を渡ってイオン方向に歩くか。

迷ったが結局、横断歩道を渡ってイオン方向に向かった。しばらく歩き、イオンへは右折なのだが直進するため又も長ーい信号待ち。木越方面に向かって暫らく歩き神社横交差点を右折した。
住宅街をしばらく行くと、いきなり幅が広い川の「始点」に出る。上流側の水路は1.5mあるかないかの用水なのだが、いきなり立派な河川の始点になるのだ。河川の名称は「牛殺川」という恐ろしい名前が付けられている。

ここから牛殺川という名前の川となる
 いつもはカモの群れが川面に浮かんでいるのだが、昨日はどういうわけかその姿はなかった。
それでも大きなシラサギが首を長くして川面を睨んでいた。なんとのどかな風景なことだろう。

牛を引いて渡ろうとして底なしの川床に足を取られて牛が動けなくなるという川からこんな名前が付けられた
川に沿って右岸側は新興住宅地となっている。小生が転居してきた20年前は、まだ区画整理が始まっていなくて、国道8号線から海側は田園風景が広がっていた。イオンの進出が決まって区画整理に弾みが出て平成10年頃から住宅がぽちぽち建ち始めた場所である。
500mくらい歩くと柳瀬川という川と合流するので、下流は柳瀬川となって牛殺川はここまでとなる。

合流点、左が牛殺川河口
合流地点付近の橋を渡り、今度は柳瀬川堤防を歩くことになる。


この橋を渡って堤防道路を上流に向かった。

突き当りが国道8号線あたりとなる
歩いている者は全然見当たらなかった。そういえば毎日が日曜日の者と行動パターンが一緒である訳がないもんねぇ。
8号線まで戻って地下道をくぐりぬけいつものルートに戻った。なにやかんやとお世話になっている方の事務所の前を通り家に帰りついた。いつもより5割増しの散歩時間であった。何だか心身ともに清々しい気持ちになった。




2018年11月27日火曜日

「空の駅」という店舗

今日の朝刊に「空の駅こまつと空カフェ、累計50万人来店」という記事があった。
道の駅ならぬ空の駅なんていうものがあるなんて、初めて知るところとなった。

小松空港F1にある空の駅
こまつ観光物産ネットワーク(小松市)は26日、小松空港ターミナルビル1階のアンテナショップ「空の駅こまつ」と、同2階の「空カフェ」の、累計50万人目の来店者となった東京・目黒区の会社員渕上慎次郎さん(42)一家4人に記念品を贈呈したという。
記念品を受け取る渕上さん一家=小松空港ターミナルビル1階
記念品は小松産大麦を使った大麦バウムやトマトカレーなど。空の駅こまつで行われたセレモニーで、渕上さんは「とても光栄。また観光に訪れたい」と喜びを語った。同ネットワークの竹村信一代表理事があいさつし、和田慎司小松市長が祝辞を述べた。
空の駅こまつと空カフェは2013年10月1日にオープンした。

そこで空の駅という施設に興味を持ったのでいろいろと調べてみた。
空の駅は東日本大震災後に東松島市に設置された小野駅前応急仮設住宅で手作りされている「おのくん」をきっかけとし、震災後の同市に賑わいを取り戻すための交流拠点としてJR仙石線の陸前小野駅前に設置されたという。 だから空港とは無関係なのだ。

とはいえ、空のえき そ・ら・ら(茨城県小美玉市)は地域振興などを目的として茨城空港近くに設置された。
空の駅 さくら館も成田国際空港に隣接し、航空機の離着陸を間近で眺められる「さくらの山」にある。 

空の駅 風和里しばやま(千葉県芝山町)は農産物直売所。レストランも併設されている。同名の道の駅とともに運営されている。 


ところが空港のターミナルビル内にあっても「道の駅」となっているところもある。
どこかといえば「能登空港ターミナルビル」にある。

道の駅のと里山空港となっている
驚いたのは鉄道の駅に「空の駅」があった。正式名称が余部鉄橋空の駅。

余部鉄橋ではなく余部コンクリート橋!

今にも電車に接触しそう!
ただし、ここは店舗ではない。JR山陰本線の余部橋梁が架け替えられた際に旧橋梁の遺構を利用して整備された展望施設なのだ。
そういうことで、空の駅の歴史は意外と浅かった。



2018年11月26日月曜日

親父と息子が二人三脚で育てた「優勝」という果実

貴景勝と父・一哉さん(57)の二人三脚を支えた陰には、母・純子さん(51)の存在があったという。勝てば優勝が決まる14日目から九州に“前入り”。だが「(取組は)見られませんでした・・・と。会場をウロウロして勝ち名乗りを聞いて『あぁ、勝ったんだぁ』と」と明かしたそうだ。

貴景勝のお母さん(51)美人にびっくり!
夫と息子が毎日6時間を超える稽古に励む中、母として支えた。「私は本当にサポート。食事や精神面のフォローをしていました」。食費は毎月30万円もかかっていたという。
毎日肉を3kg買うスーパーの店員が、「ライオンでも飼われているんですか」と聞かれたというエピソードがあるそうな。

貴景勝のお父さんは大の貴乃花フアンだった縁で、小学5年生の時に貴乃花部屋に稽古に来ないかと誘われ親子で出向いた。稽古には貴乃花親方が自ら稽古をつけたといい、「君は絶対強くなる」と太鼓判をおされたというのだ。




22歳の小結・貴景勝(千賀ノ浦)が初賜杯を抱いた。千秋楽で前頭3枚目・錦木(伊勢ノ海)から13個目の白星を挙げ、2敗で並ぶ大関・高安(田子ノ浦)が結びで敗れたため史上9例目の小結Vが決定した。

優勝インタビューも落ち着いて応答していた
部屋で祝杯
賜杯を抱いて両親が揃った写真は見たことがない!
パレード出発 運転手隣に親父さんが!これぞ親孝行!
非凡な才能は父・一哉さん(57)の情熱によって磨かれたという。地域で無敵となっていた相撲は、小3から本格的に始めた。「人の10倍ぐらいやりました」と父が徹底指導。週4日の3部練習に加え、相撲クラブが休みの日は芦屋市の自宅で父とぶつかり稽古。近所で坂道ダッシュもしたが、閑静な高級住宅街に似つかわしくない親子の姿に「頭おかしいと思われていたと思う」と振り返る。

背も普通。食も細い。そんな少年が小6時の作文に「大相撲に入り、横綱になる」と本気で書いた夢を、ある親に「(小柄な体で)何ができんねん」と鼻で笑われた。「悔しかったよ。信じてくれるのは親しかいなかった。見返そう」。父と固く誓った。

おまけといっちゃぁ何だが、三賞選考委員会が25日、福岡・福岡国際センターで行われた。優勝争いをしている22歳の小結・貴景勝=千賀ノ浦=が殊勲賞と敢闘賞をダブル受賞。これで殊勲賞は3回目、敢闘賞は2回目の受賞となった。
 弱冠22歳、これからが楽しみだなぁ。




2018年11月25日日曜日

よその国の出来事なのだが

「台湾、与党民進党が大敗 蔡氏は党首辞任表明」というニュースが流れた。2年前の総選挙では圧勝したというのにどうしたのだろう。
ニュースに目を通すと、2020年の台湾次期総統選の前哨戦となる統一地方選が24日投開票され、与党の民主進歩党(民進党)は同党の牙城である高雄や、台中の2直轄市などで敗れ、22県・市の首長ポストを13から6ポストに減らし、大敗したというのだ。

本当に親日派だったか?
最大野党、国民党は大勝し、次期総統選での政権奪還へ向けて大きな足掛かりを築いた。
年金制度改革などに対する有権者の不満から蔡英文総統の支持率が低迷したことが響いた。蔡氏は「支持者の皆さんに心からおわびする」と述べ、大敗の責任を取って兼務する民進党主席(党首)を辞任すると表明した。

蔡総統は大の親日家と聞いていたのだが、その民進党は東北大地震があった福島県産の食品輸入に大反対だったというではないか。 
その輸入禁止について「国民投票」をしたという。科学的分析でクリーンであることが証明されている食品を何で国民投票で決めなくてはならんのか。「馬鹿げた不思議な国」である。

今回の選挙が今までとは異なるのが、同日に実施される10件の住民投票だ。これまでも国政選挙に合わせて住民投票が行われたことはあったが、10件も乱立するのは初めて。過去の住民投票では「国際連合加盟」の是非や「対中政策」などがテーマだったが、いずれも投票率が成立条件の50%に満たず成立しなかった。

今回は住民投票が成立する可能性が高まっている。2017年に住民投票に関する法律が改正され、25%以上の投票率で賛成が過半数を超えれば成立することになったからだ。そもそも10件も住民投票が乱立することになったのも、法改正で住民投票実施に必要な署名数が有権者の5%(約94万人)から1.5%(約28万人)に大幅に緩和されたためだ。

野党の国民党や社会団体など、蔡政権に不満のあるグループがここぞとばかりに署名集めを展開した。署名に関しては、複数の提出案件で亡くなった人の名前が約1万人も含まれていたことが発覚し、投票業務を管轄する中央選挙委員会が刑事告訴を検討する騒ぎもあった。 まるで「未開人の国」がやることではないか。

日本が関係し、国際的な注目を集めている住民投票もあるのだとか。東京五輪への「台湾」名義での参加是非を問う案だ。

「台湾と関係が深く、親台湾の人が多い日本で開催される五輪開催ならば、台湾名義での参加も可能ではないか」(投票を支持する独立急進派)。
一方、「台湾の気持ちはわかるが、安倍(晋三)首相訪中のように、中国との関係改善が進んでいる現状で、日本として必ず成功させないといけない五輪で揉めたくはない」と話す。
個人的には台湾が好きである。駅の雰囲気なんかどこか日本的である。そんな国がこれから中国にシフトするというのだろうか。中国人旅行客が中国の政策で2年前からぱったり途絶えたという。だから国民党に投票?背に腹は変えれないか!
自分の台湾国民を見る目が曇ったのかなぁ。

2018年11月24日土曜日

55年ぶりの大阪万博決定!

万博開催地の投票が予定より1時間近く遅れ、11月24日0時55分(日本時間)ごろから、BIE加盟国による電子投票(1国1票無記名)が行われた。1回目の投票では、立候補していた日本(大阪)、ロシア(エカテリンブルク)、アゼルバイジャン(バクー)のうち、日本が54.49%、ロシアが30.77%、アゼルバイジャンが14.74%を獲得。3分の2以上を獲得した国が無かったことから、最下位のアゼルバイジャンを除く日本とロシアでの決選投票が行われ、日本が92票を獲得し、ロシアの61票を上回り、開催国に決定した。

大阪開催決定の瞬間
候補地はロシアにしろアゼルバイジャンにしろ強敵な相手として予断は許されないのだと下馬評があった。
息をこらして結果を待っていた大阪、決定が伝えられ喜びが沸騰した
こんなニュースで48年前の大阪万博の思い出がこみあげてきた。
当時、広島に勤務していたのだが、女房と見に行くことにして入場券を2枚購入した。
ところが重度の妊娠悪阻(つまり、つわり)のため入院してしまった。で、やむなく中止したのである。その入場券は今でも大切に保管してある。

今度の開催地は千里が丘とは随分離れた夢洲(ゆめしま)。
夢洲IRイメージ図
ここにこんな基本構想が樹立された。


交通アクセス計画もこれから具体化されることになっている。


再来年の東京オリンピック、その5年後の大阪万博。盆と正月が一緒にきたような日本になった。それにしても大阪人の熱意は半端じゃなかった。誘致までの意気込みが素晴らしかった。

愛知万博は行ったが、80を回っても今度こそ大阪万博は見に行くぞ!


2018年11月23日金曜日

原付自転車運転の講習会

現在、自分が交付されている運転免許証の取得年月日欄に、昭和35年12月19日と表示されている部分がある。この日付を見ると高校3年生だった教室での出来事を思い出す。先日、瑞宝章をもらった友人とは高校時代からずーっと親友として付き合ってきた仲なのだが、その彼がこんなことを云った。「わしゃ原付の許可証を取りたいと思っとる。申請書に医師の診断書がいるさかい家に帰る途中、医者に寄ってもらってこんなんがや」と。

その話を一緒に聞いていたもう一人の親友と、「ワシも許可証ほしいなぁ」、「診断書は医者に行かんともらえんしなぁ」と云ったら、「ワシャ頼んでみようか」ということになり翌日封筒に入った診断書が渡された。
その診断書を添付して申請書を広坂警察署に提出し講習会を受講することになった。2時間程度の講習会が終了すると同時に「第1種原動機付自転車運転許可証」が交付された。

当時、運送屋の2階に下宿していた関係で運送屋に原付があったので、早速、これを持ち出して大学病院構内を走り回った。
原付自転車といえば小学生の頃、少し頑丈そうな自転車にエンジンを付けて走っているのを見かけたものである。

昭和20年代後期の原付自転車
ホンダの歴史を辿ると、戦後の昭和21年、陸軍で使用した小型エンジンを自転車に取り付けて試走したことから始まりだという。その後、独自エンジンの開発に着手し、原動機付自転車を生み出している。本格的なバイク製造は昭和24年のドリーム号に始まり、昭和27年にはカブF型の開発で爆発的なヒットを生みました。昭和40年代以降の高度経済成長期にはスクーターのヒットで日本屈指のメーカーとなったのである。

さて、昭和36年7月、能登線建設工事の現場管理担当のため九十九湾観光船乗り場付近にあった小木工事区に勤務することになったのだが、その事務所には50ccバイクがなく125ccのメグロオートバイがあった。しかし、原付許可証では運転不可。着任してからしばらくして第2種原付の講習会が宇出津で開催されるというので、上司にお願いして1週間その講習会に参加した。実習に使用されたのがスクーターだった。足を揃えて乗るのが慣れなくて膝を大きく開いて受講した。そして貰ったのが第2種原付許可証だった。

晴れて配備されているオートバイにそこいらじゅう走り回って、行動半径が飛躍的に大きくなったものである。その後免許制度の変遷により現在は無制限で自動2輪に乗れるようになった。

免許証の種類
娘婿殿はハーレーで国内を走り回っているが、小生といえば450ccのバイクを借りて試乗したことがあって、アクセルをちょっと回しただけで体が置いて行かれる感覚になり驚いたものである。それ以降、乗りたいなぁという気持ちにはならない。


2018年11月22日木曜日

叙勲を祝う会

今月3日、新聞に叙勲者の発表があった。新聞に掲載されている氏名を見ると、「おぉー」と目を見張った。昔、近所に住んでいた関係で家に遊びに行ったこともある女性が旭日単光章!そして高校の同級生が瑞宝双光章の栄に浴した。

今月10日過ぎに同窓会幹事に同級生から叙勲のお祝い会をしてはどうかという話が持ち掛けられた。急遽、幹事4人が集まって対応を協議したところ、21日にホテルで開催することに決定した。

そして昨日、その日がやって来た。受章者はわざわざ大きな額に賞状と勲章が収められた大きな表彰額を持参して披露してくれた。
受章事由は建設省羽越工事事務所長等を歴任して功績があったというものだった。

表彰額を手にした同級生を祝った
今まで、親戚の元警察官だった義父、県職員だった弟、公民館長や消防関係者等の叙勲祝賀会に参加したことがあるのだが、同級生は無かった。昨日の祝賀会に参加した者は「何だか自分が表彰されたみたいに嬉しいなぁ」という声があがった。

叙勲とは、長年にわたり公共や社会に功労があった70歳以上(または、所定条件に該当する55歳以上)に勲章を与えることと定められている。

表彰額

まず、乾杯!
そもそも、この会は36会と称する
36会とは昭和36年3月卒業なのでそう命名し、これまで何度となく旧交を温めてきた。全同級生33名、そのうち7名が既に鬼籍に入った。関東や近畿地方にも分散しているが機会があったらまた顔をあわせたい。

卒業してから平成10年まで、同窓会の世話役は市役所や県庁勤務の人間にお世話になっていたが、平成10年に県関係機関に転職し、転勤のない職場になったことから代表幹事を務めているのだが、昨日の祝賀会で司会者が今後の幹事役をどうするか諮ったところ現状のままとすることで決まってしまった。

関東に住んでいる元日大教授は、白内障の手術で出席を断念したと報告があった。この歳になるといつ何時どうなるかわからないという不安はあるが、祝宴の席で、「おいみんな、TPPじゃなくてPPKやぞ」と大笑いした。

2018年11月21日水曜日

エンジンがない漂着船

去年の年末近くにSNSにこんな投稿があった。


首相官邸(災害・危機管理情報)
【近づかず、すぐ通報を】北朝鮮からと思われる不審な船や不審人物が主に日本海側で発見されています。普段は見かけない船や人を見かけたら、決して近づかず、すぐに通報を!漂着している不審な船や人を見かけたら警察(110番)へ、海上で不審な船を見つけたら海上保安庁(118番)へ #不審な船

エンジンが外されている
 今年も北海道や青森、秋田に漂着しているという。
青森に漂着した船
2,3日前に次のような記事があった。

許せない!日本海の烏賊を獲り尽くす北朝鮮 止まらない”イカさま”密漁の実態
今年、9月に青森に流れ着いた北朝鮮漁船を調べたところ、エンジンが取り外されエンジンルームが居住空間に改造されていた。昨年来、出漁前からエンジンとスクリュウが取り外されていた漁船が、数多く漂着している。それらの船からは、遺体は発見されていない。また、船の中から革靴やジャケットが発見された事例もあり、
日本国内に北朝鮮人が上陸している可能性も高い。漂着船の数からすると、100人規模の密入国者がいてもおかしくは無い・・・・ というのだ。

そして次のような警告を発していた。
北朝鮮は、イカ漁を隠れ蓑にして、日本への上陸を企てていると考えられる。今までの北朝鮮の行動から、覚せい剤の密輸やスパイ活動などが懸念される。
日本海の全域に姿を現す北朝鮮漁船対策を根本的に見直さなければならない。すでに、海保、水産庁の対応は限界に達している。漁業者の力も借りて、海の安全を守る体制が必要なのである。

今年、金沢安原地内で発見された
しかし、よりによって強風と荒波のこの時季に、スパイを日本に送り込むというのは、北朝鮮と云えども人命を軽視しすぎで、このような推定は無理があるのではないだろうかと考えるのだが、エンジンを取っ払った状態の漂着船もあるし・・・。
漂着船がひっくりかえった状態の写真を見ると、船の作りが非常に簡単だと考えられるが、航海するとなると波にあおられ不安定だと思う。

扁平な底
老朽化した北朝鮮船が朝鮮半島から遠く離れた海域で無謀な漁を続けるのは、金正恩委員長が北朝鮮近海の好漁場を中国に売り飛ばしたためだという。中国に売却することで得る収益は年間7500万ドル(約76億円)に達し、これが統治資金になっているとみられる。

金正恩は2013年以降、年末になると「朝鮮人民軍水産部門熱誠者会議」を開催し、海産物の漁獲量を画期的に増やすよう指示している。今年は経済制裁に対抗した「万里馬運動」という増産強制運動もあり、また悪天候も重なって漂着件数が増えたと思われる。

2018年11月20日火曜日

各紙一面トップにゴーン逮捕

昨日の夕方、ゴーン会長逮捕かというニュースが流れた。そんな馬鹿なと思ったのだが、
どうも内部告発が半年前から東京地検特捜部に持ち込まれていたという。
ゴーン氏の報酬が国内主要企業のそれと比べて特段に高いと感じてはいた。ところが真逆、その報酬額が実際よりも半額だったというではないか。

ゴーン氏は1990年代後半に経営危機に陥った日産に出資したルノーから派遣され、大胆な経営改革で業績を急回復させた。16年には燃費不正問題で経営が悪化した三菱自動車にも日産が出資し傘下に置いた。3社連合(アライアンス)の会長兼最高経営責任者(CEO)も務めている。ルノーは日産の株式の43%、日産はルノー株の15%を保有している。

午後6時過ぎ、日産自動車の西川広人社長は、報酬額を実際の額よりも少なく有価証券報告書に記載していたとして、カルロス・ゴーン会長が金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で逮捕されたと発表した。
役員報酬の記載で立件されるのは極めて異例。東京地検特捜部は、偽った報酬が多年度にわたり、高額でもあることなどから悪質性が高いと判断、強制捜査に踏み切ったとみられる。
200人を超える記者を前に西川社長が発表した
 日産の有価証券報告書によると、ゴーン氏の前期(2018年3月期)の報酬は7億3500万円。同氏はこのほか会長職を兼務している三菱自動車から2億2700万円、フランス自動車メーカのルノーからも740万ユーロ(約9億5000万円)の報酬を受けていた。共同通信は、ゴーン氏が報酬約50億円を過小に記載していたと報じた。

ゴーン氏は1990年代後半に経営危機に陥った日産に出資したルノーから派遣され、大胆な経営改革で業績を急回復させた。16年には燃費不正問題で経営が悪化した三菱自動車にも日産が出資し傘下に置いた。3社連合(アライアンス)の会長兼最高経営責任者(CEO)も務めている。ルノーは日産の株式の43%、日産はルノー株の15%を保有している。


毎年20億円にものぼる給料が物足りないのか、個人的な投資に流用したり、個人経費を会社経費の中から支出していたという。人間の欲望には限りがないという見本を示している。しかし、強欲過ぎるなぁ。
保釈金がどれほどか試算した記事があった。


20億円くらいは「へ」でもないという見方は現実味を帯びる。
離婚した際には50億円の慰謝料が支払われたというではないか。


ブラジルでは日産負担で別荘も買ったとか。
吾々年金暮らしの身分にはとんと尺度が合うはずもない。

高井弁護士は「それが事実であれば、会社法の特別背任罪や横領罪にあたる可能性もある」との見方を示す。
「事案が事案だけに、日本の刑事司法に対する外国の信頼を損ない、外交問題に発展する恐れもあるので、慎重な捜査が必要だ」との見解も付け加えた。
何で外国の信頼を損なうというのかさっぱり理解できない。