2021年5月31日月曜日

心は昭和47、8年に飛んでいた

年中大型連休がズーッと続いている身分、現職時代では天国のような時間を過ごしている羨ましい自分がここにいるのだが、今朝の思い出の道具は3D写真。時は昭和46年12月、現場勤務を志願して大野工事区という事務所に転勤した。で、3D写真で事務所があった辺りと、借り上げ宿舎や新幹線建設現場を思い出せる位置を定めた。

右端上部には厳島が見える
やがて50年の歳月が流れるのだが、何と赤い屋根の現場事務所が現在も残っていた。この建物は民間に払い下げられて家具屋に使用されたと聞いたが、今も残っているとは!である。非常階段の降り口のすぐ傍に自分の席があった。写真の右端は山陽本線。現場事務所から徒歩5分の位置に借り上げ宿舎があって、昭和48年には次女が誕生し四人で昭和50年3月まで暮らした。至近距離に鉄橋と踏切があり、列車が通過する度の凄い音で馴れるまでは睡眠不足が続いた。
角度を変えて担当した現場を見た
左下が大野トンネル入り口、直線区間から左にカーブして廿日市トンネルとなる。
左端の高速道路はまだ建設されていなかった。大野トンネルは断層破砕帯にぶつかり難航し、高架橋は地下の巨石でスパン割変更をしたり、おまけにオイルショックに突入して工事費の変更処理等々で深夜までの業務が続いた。余りの多忙に真剣に転職を考えた程だった。

左下は大竹トンネル入り口、上部は大野トンネル出口
この写真は大野工事区に転勤する前に、線増第3課という勤務箇所でトンネル工事の発注業務や橋梁の設計業務を担当していたのだが、写真部分の恵川橋梁設計で心血を注ぎ、息つく間もなく大竹トンネルの工事用道路の設計を任された。この道路は工事終了後、保守用道路として使用されているようである。自分の設計した構造物が今も機能していることが嬉しく思う。語り出せば終わりそうにない。

2021年5月30日日曜日

ブッポウソウというまだ見たことがない鳥

今朝の新聞に、色鮮やかな鳥の写真が掲載されていた。撮影者は日本鳥類保護連盟会員の田谷樹(たつき)さん(52)=同市中島町藤瀬だという。鳥の名前は聞いたことがあるが、どんな鳥なのか確認してはいなかった。

田谷さん撮影のブッポウソウ

緑と青が際立った色がカワセミに似ているので、調べて見るとやはりカワセミはブッポウソウ目となっていた。

羽根を広げて飛んでいる状態がきれいだ

実はこの鳥の名前は、鳴き声でブッポウソウと名づけられたというのだが、この鳥の鳴き声は「ジジジジ」と鳴くだけだという。コノハズクの鳴き声を間違えて付けられたそうである。
樹洞と称する木の穴に営巣するという

県内では加賀地方を中心に分布が確認されているが、能登での目撃情報は珍しいといい、田谷さんは「能登の自然環境が豊かなあかしだ」と話している。ブッポウソウは「近い将来に野生での絶滅の危険性が高い」として環境省、県のいずれのレッドリストにも掲載されている。県によると、全身は光沢ある青みがかった緑色で、くちばしが赤いのが特徴。能登地方では七尾市と羽咋市の一部地域、輪島市沖の舳倉島で分布が確認されている。

ブッポウソウは、ツバメなどと同じ夏鳥として日本に飛来する。本州、四国、九州で繁殖し、冬は東南アジアに渡って過ごす。全長は約30cm。体重は、約150gグラム。翼を広げると60cmくらいのおおきさ。全身緑色でくちばし、足は赤色、飛ぶと翼に青白色の斑が出るという。この鳥を見たいと思うが、渡り鳥でかつ山の中に生息することから、残念なことだが見ることはないのだろう。

2021年5月29日土曜日

現存していなかった灯台

昨日のブログで、宇出津に灯台があることを初めて知ったと記した。しかし、樹木に遮られているのかその姿形が現認できないので、何とか確認する方法がないか考えた。そして、3Dの地図で確認できるかもしれないと地図を色々と角度を変えて見てみた。

地図からして小山の先端にある筈だが・・・

灯台や樹木らしきものはなく、撤去されたと判断した

それで、もう一度ネットで検索し直して見ることにした。すると、宇出津灯台だとする新しい写真があった。

崎山(さきやま)の先端部分にあった宇出津灯台
2011/8/13撮影と記録されていた

県内では、19基の灯台が廃止された。金沢港の防波堤や橋立港、滝港、能登宇出津港、小木港などの防波堤灯台11基と、美川灯台、かほく市の白尾灯台、宇出津灯台、能登島灯台など、日本海沿岸灯台8基を廃止する予定とする記事があった。国は、廃止の時期については、地元自治体との協議が調い次第、順次廃止の意向である・・・としている。

この記事で、灯台は港の防波堤に設置された灯台と一般に灯台と称する2種類あることも知ることが出来た。禄剛埼灯台や猿山灯台は知っていたが、県内に19もの灯台があったことはこれも初めて知った。


灯台の役目は船舶の安全航行を図ることにあった

♫おいら岬の 灯台守よ 妻と二人で沖行く船の 無事を祈って火をかざす・・・
大体、灯台はへんぴな場所にあったので、灯台守は大変だった。猿山灯台の灯台守の家族の小学生が片道2kmも山道を通学したという。それが人工衛星により、正確な位置把握が可能となったため灯台の役割が終わった。

2021年5月28日金曜日

宇出津港に灯台!?

2,3才の頃だと思うのだが、母の実家に行ったある日、曾ばあさんの背中におんぶされ、ガメコという綿の入った丸い形をした宇出津独特の防寒着に包まれて波止場に行った。岸壁にはとてつもなく大きな船が接岸していた。鋼鉄製の黒いその船の名は「防長丸」と云った。

ふと、そんな思い出がよぎって宇出津港の昔の写真を検索した。本当は昭和20年前後の写真を想定していたのだが、戦前の写真がヒットした。戦前といえども家並みが実に多いではないか。明治時代の初期には北前船が寄港したと聞く。写真は昭和初期あたりなんだろうけれども、昔の繁盛ぶりには驚きである。

戦前の写真 遠島山公園からの眺望

天保島あたりか?

そして現在の宇出津港

写真のデータに「アレッ、これは何だ?」というのがあった。詳細を調べると何と「宇出津灯台」だというではないか。宇出津港に灯台?半信半疑で記事を見ると、崎山の先端部分にあるという。地図も調べた。あった!知らなんだなぁ!


エッ、これが宇出津灯台?明かりはどこから?

昔の写真や今の港の写真を見ても、灯台を確認することが出来ない。おそらく樹木で遮られているのだろう。そして、小木港にも同じスタイルの灯台があるという。実にうかつだった。

2021年5月27日木曜日

出雲大社にあったとされる巨木建物が三内丸山遺跡にも

平成10年8月、金沢を朝早く出発して小牧の名古屋空港から青森空港に到着し、青森市内の三内丸山遺跡や青函連絡船の岸壁等を見学した。翌日から受講する技術講習会に出席するための出張だった。この年の4月から新しい職場に勤めて初めての出張だった。

大型掘立柱建物跡(ユネスコ調査団)

巨大な縄文式建物(居住用ではなく祭礼用と考えられる)

さて、特別史跡三内丸山(さんないまるやま)遺跡は日本最大級の縄文集落跡である。発掘調査によって当時の自然環境や生活、ムラの様子などの解明が進められている。この遺跡は、今から約5900年前~4200年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていたという。

縄文人のくらし

昨日(26日)、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関は、青森市の三内丸山遺跡など17遺跡で構成する「北海道・北東北の縄文遺跡群」(北海道、青森、岩手、秋田)を世界文化遺産に登録するよう勧告した。

世界遺産登録予定の縄文遺跡群

農耕に移行せず、狩猟などを基盤としたまま定住した縄文時代の人類の生活実態を示す貴重な物証として世界的に認められたのである。7月16~31日にオンライン開催されるユネスコ世界遺産委員会で正式に決まる見通しだという。

平成18年2月、佐賀県であった技術講習会では、吉野ヶ里遺跡を見学した。ここは縄文時代から弥生時代にかけての遺跡だが、規模的には巨大な遺跡といえる。

この遺跡では、多くの高床式建物が復元されている
石川県埋蔵文化財センターでは、県内の遺跡出土品が陳列されている。この敷地内では、縄文式建物が2棟再現されているが、設計施工監理の受託にあたり三内丸山遺跡の見学が大いに参考になった。

2021年5月26日水曜日

今どきの新築工事に驚愕

町内のあちこちで新築工事が続いている。自宅の近くでも昨日棟上げ(とは云わないのだろう)があった。朝、大型クレーンが到着しみるみる足場が作られた。

4月23日基礎工事終了

昨日の朝から着手した足場が組み上がり、骨組みも2階まで立ち上がった
今までの常識を越えた超スピードで工事が進められた。
現場ではノミやカンナは一切使用しない
響き渡っていたのは電動ネジ釘うち機の音だけだった。
吾々の世代の常識はもう通用しないようだ。そして夕方にはさらに驚きの光景が・・・。
何と4面どこにも「窓」らしきものがないではないか!

壁まで仕上がった!
いくら何でも「窓」がない家はあり得ない。恐らく、今日あたり窓枠部分を切断して窓が設置されるのだろう。ちなみに25年前のわが家の棟上げはどうだったか。
まだ屋根はない。
その時、ここまでの工程は長かった
昨日のニュースで知ったのだが、このところ木材価格が急騰しているという。輸入材に頼っているので海外の事情があるのだろうけど、ひょっとして日本の林業復活に繋がるかも・・と期待する部分もある。
さて、今日の作業はどうなるのだろう。

2021年5月25日火曜日

今朝のLIVEカメラ

今朝、どういう風の吹き回しかLIVEカメラ巡りをして見たくなった。全国どこのLIVEカメラの映像でも見ることができるようになった。そのカメラの性能も格段に向上して、臨場感を存分に味わうことが出来る。

先ず、東京汐留からみよう。

浜離宮と東海道・山手線に囲まれたビル群エリアが汐留
このゾーンは元国鉄汐留貨物ターミナルがあった場所。ここには沢山の線路と貨車群が並んでいた殺風景な場所だったのが嘘のようなゾーンに変貌した。
次に県庁カメラ。北陸自動車道と8号線がドカンと横たわっているが、中々場所の特定が難しい。カーブしている場所は浅野川とクロスする箇所だと言うことがようやく分かった。
 
次に金沢港。
 
クルーズターミナルが完成して随分日にちが経ったが、自粛中でまだそこには行ったことがない。平日の午前中は人が少ない筈だから近いうちに行ってみたい場所である。
輪島港

昨日のブログに取り上げた竜ケ埼灯台付近も見える。どこも今朝は晴れていた。今日一日、これらの場所にとって、良い日でありますようにと祈ろう。

2021年5月24日月曜日

輪島・竜ケ埼灯台の子猫

今年も火野正平「こころ旅」が長崎県から始まった。そして、先週は石川県を駆け巡った。今朝は富山シリーズが始まったのだが、もうすぐ72才の誕生日だと話していた。この番組が始まったのは10年前からなのだが、火野正平の元気の良いのに脱帽するばかりである。北海道までチャリオと旅を続け、秋シリーズでは沖縄まで旅するという。長い上り坂の途中でハァハァ大息をつきながら「もういや!」といいながら、下り坂では、「人生、下り坂最高!」と叫んでいる。

さて、先週の石川県は千里浜、増穂が浦の手前の機具岩、能登鹿島駅近くの鹿島神社と巡り、最終日の先週金曜日は千枚田を起点に輪島市内の竜ケ埼灯台までの行程だった。手紙の行き先は竜ケ埼灯台だという。エッ、そこどこ?その場所はうかつにも知らなかったのである。

冗談にナンマイダと呼んだ

七ツ島が見える・・・と正平氏

千枚田の小道に腰を下ろし手紙を読んだ。竜ケ埼灯台へ行くという。手紙の差出人は63才の宮城県在住の男性。宮城県から東京に就職して間もなく、輪島に旅行したという。その行きたかった場所が竜ケ埼灯台なのだが、そこに子猫がいたので可愛そうだったからシャツのボタンを一つは外して腹に子猫を入れて帰ったそうだ。その猫は十数年生きていたが、東京で数年働いて故郷に戻りその猫と10年余を過ごしたという。余程優しい性格の人に違いない。
そんな話しを知り、とても感動したのである。

行き先の灯台はどこなのか、そんな灯台は大沢野のまだ向こうかなぁ・・・と思っていたら途中に「あそこが目的地だ」と指さした。あれっ、灯台はあるのは知っていたが名前は知らなかったなぁ。

あれっ、いつも見慣れた景色だ
この山の先端に岩場がある。そこに岩場がプールのように加工されている場所があり、そこであのオリンピック選手山中毅が高校生まで水泳の練習をしていた場所なのだ。

火野正平もこの辺を散策した

現場に到着し手紙を再読した
この辺で子猫を見つけてシャツの中側にいれて東京まで帰ったという。餌はどうしたんだろうとか、ウンチは大丈夫だったかとかいろんな心配が湧いてきた。が、三上 基さんの優しさに感動した。

2021年5月23日日曜日

遠藤の奮闘に歓声を上げた

貴景勝に勝って、ひょっとしたらと思いながら琴恵光戦だったが、どうしたのか本来の遠藤ではない取り組みとなって負けてしまい、昨日は照ノ富士との対戦は勢いのある照ノ富士にはかなわないだろうと思いながら対戦を見守った。照ノ富士の優勝が懸かった大一番は立ち会い互角、土俵際で投げの打ち合いになった。もろ差しになって攻め続けた遠藤は右からの下手投げを繰り出し、防戦一方だった照ノ富士は抱え込んで左から小手投げをかけた。両者ほぼ同時に落ち、軍配は照ノ富士に向いた。スローモーションの解説画面でも、遠藤の体が先に落ちたように見えた。

さぁ、どうなる?
そして審判団の協議は約4分に及んだ。それだけ微妙な判定だった。静寂の館内に伊勢ケ浜審判長(元横綱旭富士)の説明が響いた。「照ノ富士の肘が先についており、軍配差し違えで遠藤の勝ちと致します」。大きな拍手の中で勝ち名乗りを受けた遠藤は、わずかに頬を緩め懸賞を手にした。わが家も喜びに沸いた。

遠藤の髷が・・・

どの写真を見ても照ノ富士の手が先に着いた写真はなかった
行司差し違え遠藤の勝ちとなった
貴景勝戦と同等の摑みきれない程の懸賞金を稼いだ。頑張った遠藤におめでとうと伝えたい。それに炎鵬も勝った。夕べはメシが旨かった。

2021年5月22日土曜日

嬉しい接種予約日の変更案内

昨日(21日)昼過ぎに接種予約した医院から電話がかかってきた。何だろうと不審な気持ちで電話に出たのだが、接種日の変更連絡だという。7月9日予定の接種(夫婦二人分)を6月16日に変更するが都合はどうかと。少し遅いなぁと思っていた接種日が早くなると言う。これには何の支障もあるはずも無いので即「分かりました」と返答した。金沢市は医療機関に接種人員を増やし、かつ、スケジュールを早くするよう指導したその効果だろう。

今日の朝刊によると、21日開かれた定例会見で、山野市長は対象となる高齢者およそ11万1000人のうち、これまでに6万9500人が接種の予約を済ませたと説明したという。その上で7月末までに8万3500人のワクチンを確保したことから予約に空きがでたという。このため、現時点で8月以降の接種となっている人は予約を取り直してほしいと話している。

金沢市松寺町の木島病院で20日、リハビリ用体育館を活用した市内最大規模の新型コロナワクチン集団接種が始まり、初日は高齢者102人が接種を受けた。同病院は今後、ワクチン供給量に応じて接種者数を段階的に拡充し、6月中旬からは1週間当たり最大2100人を受け入れる。

看護師が接種して回るシステム導入

バスケットボールコート1面と同等の広さの特設会場には、男女別に各30人分の席が並べられ、看護師が2人1組で高齢者にワクチンを接種して回った。
同病院によると、ワクチン用の注射器の納入に合わせ、19日に急きょ予約を受け付けたところ、数時間で枠が全て埋まった。1日当たりの接種者数は100人でスタートし、6月16日からは300人に拡充する。市内では19病院が集団接種を予定しており、市立病院は17、18日に各40人に接種した。市は7月末までの高齢者接種の完了を目指している。

3月中旬から接種予定としていたが、ワクチンの入荷が滞り2ヶ月前後遅延した。ま、この程度の遅れなら問題なしとしてよかろう。

2021年5月21日金曜日

「生きがい」あるなしで要介護40%の差!

生きがいの有無で7年後の生存率が10%も異なるとの報告がある。首相官邸「『生涯活躍のまち』構想中間報告」(2015年)による。
きがいは人それぞれで違いがある。また、別の調査では、生きがいが「ある」人は「ない」人に比べ、長生きするだけでなく将来介護が必要になる確率が40%低いこともわかっているという。
さらに、75歳以上の人の外出が心身にどのような影響を与えるのかを5年間に渡って調査した結果、外出の機会が多い高齢者ほど身体機能を維持していることがわかったとも。

去年4月頃からコロナ禍騒ぎで外出自粛が叫ばれ、もう1年以上が過ぎたがいつ解かれるのか見通しは全く立っていない。外出の機会が多い高齢者ほど身体機能の低下が懸念される。

●生きがいは寿命にも関係している!
康や寿命と関係がある生活習慣といえば、喫煙や睡眠、食生活などのあり方を思い浮かべるが、実は、健康のために「生きがい」が重要であることは、研究からも明らかになっている。ある調査では、高い目的意識を持っている人ほど、心血管疾患や死亡のリスクが低く、寿命や健康寿命が長いことが示されたという。つまり、人生を前向きな気持ちで生きている人ほど、健康上のリスクを減らせるということになる。


人ごとのように考えていた「傘寿」が1年ちょっとでやってくる。この年で生きがい論がどうのこうの言っても手遅れ感がある。しかし、今まで続けてきた趣味や運動は絶やさないように努力したい。イラストにもあるように、旗振りボランティアは枯れるまでやろう! 介護の世話にならないためにもだ。

2021年5月20日木曜日

3D地図で能登商船や関西汽船を再現

3D地図の威力が素晴らしい。平面のほか、自分が見たいと思う角度が自由自在に調節できて、立体写真(地図)が見ることができるようになった。この仕組みがどうなっているのかさっぱりわからないが、これから行ってみたい場所、行ったことがある思い出の場所を見るのが楽しみである。衛星写真でこんなことが可能なのか?どう考えても地図の作成方法が納得できない。車上カメラの写真と合成できるわけはない。謎である。
この地図で能登商船宇出津・七尾間の航路が想起できた
能登商船能登沿岸航路は昭和39年10月に能登線が蛸島まで全通したことにより、不採算航路となって廃止された。能登線建設に従事した者として、その片棒を担いだことになる。能登線が開通するまでは七尾港から宇出津港・松波港・飯田港へと能登商船の航路があった。冬場は穴水・飯田間の国鉄バスが不通になることがあるため、宇出津港から七尾港、帰省時には七尾港から宇出津港まで能登商船の定期船を利用した。

船は小型より少し大きかったように思うが、船室は6畳間くらいで畳敷だった。冬場は海の荒れた日は大きな揺れがあったり、船室は狭苦しい感じだったので、ただの一度も入ったことがなかった。所要時間は2時間半、港の景色が前方に確認できるようになっても、なかなか近くならなかった。その頃の宇出津港では、港の広場におびただしい材木と薪炭が積み上げられていた。
昭和20年代後半から昭和30年代前半までは、新築ブームと薪炭需要で柳田村は大いに潤った時代だった。数軒あった料亭では毎晩宴会が開かれていたのである。

別府港 まだ定期船は就航しているのだろうか
船旅は高校の修学旅行で別府・大阪間が最長区間であり最長時間でもある。小高い山は野生猿の楽園高崎山。
関西汽船別府・大阪南港間 今もあの時の雰囲気が蘇ってくる
この船が別府港を出港するときは随分賑やかだったように記憶しているが、今では新幹線や飛行機が頻繁に行き交っているので、昔の賑わいはないのだろう。
次はどこの地図を見るかなぁ。

2021年5月19日水曜日

高砂大学校の講義も当分中止!

感染者が一桁台に推移していたのが急に二桁、それもいきなり80を超えて驚いた。それ以降、少しはダウンしていたが終息する見込みがなく昨日、一昨日と40台が続いている。 16日から終日、酒類の提供自粛が始まり、まん延防止等重点措置が適用された金沢である。

どうしたことかテレワークの復活がない
去年のこの時期は全国的にテレワークが多かったが、今回を「ちょっこり」に見たのか、それとも都合が悪く業績ダウンしたからもうテレワークは導入しないことにしたのか。

石川県は14日、新型コロナウイルスの緊急事態宣言に準じた措置をとる「まん延防止等重点措置」の適用に伴う対応を決めた。金沢市を対象とし、期間は16日から613日まで。市内の飲食店に要請している時短営業の期間を延長し、新たに酒類提供の終日自粛を求める。5月末から予定されていた公道での聖火リレーは中止する。

31日までとしていた、飲食店への時短要請や「兼六園」など県の施設の休業期間を、613日まで延長する。この影響がわが家にも及んだ。今月10日、金沢市高砂大学校の入学式が行なわれた。この大学に家内が入学したのだが、毎週1回の講義で最初の登校日が17日、それが急遽取り消しとなって講義再開はまだ目処が立っていないという。

高砂大学校受講模様

金沢市関係の施設の利用停止や全公民館の全ての行事が取り消されたのである。折角張り切っていた女房殿の落胆ぶりは大きい。町内では一斉清掃が中止、全ての年間行事が中止となっているが、かろうじてグラウンドゴルフ同好会のみが活動を続けている。そのGGも今日は空模様がはっきりしないから中止だろう。自粛づかれが出てきそうだなぁ。

2021年5月18日火曜日

誰も為し得ない功績

 昭和36年10月、能都町交通安全協会が主催した自動車運転免許講習会の軽自動車(二輪)免許講習会を受講して軽二輪免許を取得した。赴任してまだ2ヶ月しか経たないのに、ずうずうしくも上司である助役に講習会に行きたいと申し出て、年休ではなく勤務扱いで受講した。動機は第1種原付自転車運転許可証があったのだが、事務所にあったのがメグロ125ccのバイクだったので、これに乗り能登中を走り回りたいと思ったからだった。

メグロオートバイ(125cc)

事務所にあったバイクは125ccながら、現在のバイクとは比べものにならないくらい重量があり風格があった。外見は立派だったが、残念なことにクラッチが故障して機能しなかった。しかし何度も触っていると、足で蹴って動かしてギアをローに入れると走れることがわかって、馴れてくると徐々にギアを上げてトップも入れることが出来るようになった。太った年配の職員を乗せてトンネルの側溝蓋の上を走行できるまでになった。

正月が明けると間もなく軌道敷設工事が開始されるので、その前に宇出津から事務所前の小木駅予定地まで走破を試みた。路盤は完成しているものの、トンネルが連続する区間は側溝蓋の上を走行した。これには高度の運転技術が必要だった。側溝はトンネルの両側に設けられており、側溝幅もせいぜい40cm前後、そしてトンネル側壁がハンドルすれすれに位置しているので極めて危険なのだが、事故も無く10kmを完走した。現在は廃線になっているものの、トンネル側溝は道床バラストで覆われていると想定するので、もう誰もチャレンジは不可能だろう。自分だけが為し得た「功績」は永遠なのだ。

2021年5月17日月曜日

ヤマボウシの花が咲く頃

わが家に花が咲く木が数種類あるのだが、今満開になっている花がヤマボウシである。この花を見ると、十数年前の職場で犀川の水害調査に現場に向かう際に、湯涌街道と犀川が接する付近にこの花が咲いていたのが印象的だった。梅雨入りする少し前に満開になる花なのだが、今年は桜と同様に10日ほど早いのかも知れない。

今年初めて低い枝に花が咲いた

横一列に咲いているのでちょっと見づらい

二階から撮ってみた
この花が咲く前にはピンク色のハナミズキが咲くのだが、今年初めて花が咲かなかった。肥料はやったことがないので咲かなかったのだろう。ヤマボウシが散ると次はナツツバキが咲く。この花は1日でポロリと下に落ちてしまう。やはり春先のヒメコブシが咲いて梅、アンズと次々に咲き乱れる時期が最高。このほかボタンも咲くのだが、植えてある場所が裏手なので状況を見に行ったら見頃が過ぎて無残な状態になっていた。

これからちょっと間があくが、先週植えたキュウリやトマトの花が楽しみとなる。


2021年5月16日日曜日

興奮が伝わってきた61年前の写真

昨日の夕刊1面に大きな写真が掲載された。「あっ、こりゃ凄い!」と紙面に釘付けとなった。その写真は昭和35年4月17日の能登線鵜川・宇出津間の開業で地元の喜びを余すこと無く写されていた。AIによりカラー化したという。国鉄バスの色を久しぶりに見ることが出来た。キリコの最上部である屋根の直下に二人の若者が乗っかっているではないか。宇出津の祭りは何度も見ているが、こんなてっぺんに人がいることはなかった。

開業を祝い新町通りを練り歩く
当時は高3。4月に開業したのだがこの年の夏休みは、母校が甲子園初出場で応援リーダーとして甲子園に行っていたのでお盆過ぎまで帰省できなかった。初めて終着宇出津駅に到着して駅改札を出るときは感激したことを思い出した。その1年後、まさかこの駅から開始された能登線建設に携わるなんて夢にも思わなかった。

当時の開業を祝う写真を何点か見つけることができた。
処女列車が間もなく到着

来たよ、来たよと喜びの声が聞こえてきそう

1番列車到着!
それから45年間奥能登の大動脈として機能したが、能登海浜有料道路や珠洲道路が開通して金沢まで車2時間列車3時間では優劣明らか、その結果廃業してもう16年も経過した。
AI写真では、そんなことになるとは全く誰も思いも寄らないことなのである。