2017年8月31日木曜日

輪島で県内初のミサイル避難訓練

昨日、県内で初めて輪島市でミサイル避難訓練が実施された。全国では12番目だそうだ。一昨日、北朝鮮のミサイルが北海道上空を飛翔した翌日とあって、注目度が極めて高かったようだ。
ヨーロッパ諸国でも関心が高く、訓練の模様をドイツとフランスの報道機関が取材したという。

そもそも、なぜ県内で輪島となったのか。それは、能登半島地震を踏まえて住民の防災意識が他の地域より格段に高いからなのだ。防災士の人数は市民一人当たりで最も多いともいう。
県としては大都市部でも実施したいとしている。



河合小学校での訓練の模様
新聞記事より抜粋
北朝鮮の弾道ミサイルの飛来を想定した住民避難訓練が30日午前、能登半島の石川県輪島市で行われ、小学生を含む住民ら約300人が参加した。
同市立河井小学校では午前9時頃、ミサイル発射を告げる防災行政無線に続き、「カーテンを閉めて窓から離れてください」と校内放送が流れると、児童らは、廊下側に寄せた机の下に一斉に潜り込んだ。市文化会館では、住民らが窓のない廊下に頭を抱える格好で座り込んだ。
訓練は以前から予定されていたが、北海道の上空を通過する北朝鮮のミサイルが発射された翌日となり、参加した男性(74)は「しっかりやらないといけないが、現実だったら冷静にはなれないかな」と話していた。

しかし、何故こうまでして避難訓練をしなければならないのか実に腹立たしく思う。 
これは太平洋戦争中のアメリカの無差別空襲の空襲警報と同じではないか。まるで戦時中だ。
北朝鮮関係筋によれば、北朝鮮当局は講演会などで、「核を保有しなかったイラクやリビアが米国に攻撃されて滅んだ」と市民に教えている。同筋は「米本土に届くICBMが完成するまで、金正恩(キムジョンウン)(朝鮮労働党委員長)は挑発を止めないだろう」と語った。

北朝鮮が強気一辺倒の態度を続ける背景には、金正恩体制維持への強い危機感があるという。そのため、平然と日本に向けてミサイルを発射している。ミサイルが着弾した海域には漁船群が操業中だったというではないか。予告もせず、これほど日本国民を無視した暴挙は到底許せない。

と思うが手も足も出せない日本国なのだ。拉致問題にしても、それは解決済みだと厚顔無恥な態度に終始している。輪島北方300kmに位置する大和堆では、北朝鮮の漁船群がのさばり、能登町の漁船が締め出されている。日本の取締船は何もしないとたかをくくり、逆に銃口を向けて威嚇するので取締船は逃避するのだという。何と情けない日本国!
ミサイル発射に立ち会って高笑いしている金正恩がいまいましい。
トランプに現状を訴え、「英断」を願うか?



2017年8月30日水曜日

Jアラートが鳴り響いたらどうする?


昨日は早朝からテレビは北朝鮮のミサイルが、日本上空を飛翔したことを繰り返し放送していた。
東北や北海道の市町村にJアラートが響き渡ったという。そして、全く放送されなかった自治体もあって、システム障害が多発していることがわかった。
北陸新幹線をはじめ、東北、上越、北海道新幹線は発車を見合わせたともいう。
Jアラートで、速やかに非難してくださいと呼びかけられても、どこへどうすりゃいいのかわからないという意見も多数あった。

Jアラートという言葉をよく耳にするが、それは一体どんなシステムなのかいまいち理解していないので調べてみることにした。

以下ネット検索から
「Jアラート」は2007年から政府が展開している、「全国瞬時警報システム」の通称です。このシステムは、津波や地震をはじめとする大規模自然災害や、テロ等武力攻撃の発生など、国民に伝えるべき25種類の情報が瞬時に伝達されるように開発されました。津波警報や緊急地震速報もこのうちに含まれるので、おそらく多くの方がスマホや携帯電話で受信経験があるのではないでしょうか。

政府によりJアラートが使用されると、まず市町村の防災行政無線等が自動起動し、屋外スピーカー等から警報が流れるほか、設定済みのスマホや携帯電話に警告音とともに緊急速報メールが即座に配信されます。警告音は、耳にした誰もが危機感を駆り立てられるようにあえて不快感や警戒心を煽る音になっています。

この音は総務省の運営する「国民保護ポータルサイト」で誰でも視聴することができるので、万が一に備えて、一度視聴しておくといいでしょう。ただし、公共の場などでむやみに視聴してしまうと違法行為にあたるので、気を付けて下さい。

このJアラートは、通信各社から現在発売されている多くのiPhone・Androidスマートフォンに対応していますが、格安SIM回線など、一部、非対応機種もあるようです。今回はiPhone、Androidでの設定方法と、非対応機種でも受信可能にする方法を紹介します。それぞれとても簡単な操作なので、ご家族間で確認してください。
           
                 システム概要図


1週間ほど前にスマホが鳴り出して画面を見たら県から発せられた土砂災害警報であった。今日は輪島でミサイルの避難訓練が行われるという。物騒な時代になったもんだ。
ホリエモンのツイッターが波紋を呼んでいる。

実業家の堀江貴文さん(44)が、北朝鮮の弾道ミサイル発射で作動したJアラート(全国瞬時警報システム)での目覚めに「マジでこんなんで起こすなクソ」とツイッターにつぶやいた。リプライ欄では賛否の声があがっている。

Jアラートは2017年8月29日早朝、北海道など12道県で配信された。

■「国民の命を守るため」「なんでこんなに叩かれてる?」

総務省消防庁は2017年8月29日6時2分、Jアラートで北朝鮮のミサイル発射を知らせ、同14分に日本上空の通過を伝えた。対象地域は北海道、青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、新潟県、長野県だった。

ホリエモンこと堀江さんは6時30分、Jアラートの配信を伝えるニュース記事をツイッターで引用し、
「マジでこんなんで起こすなクソ。こんなんで一々出すシステムを入れるクソ政府」
と投稿した。これに対し、ツイッターなどでは「システムは国民の命を守るためでしょう?」「なんでこんなに叩かれてんのかね?」と、賛否を呼んでいる。
「残念ながら必要だと思ってる人間もいるのです」
「こんなこと?本当にミサイルが落ちたらそんなふうに言えませんよ。システムは国民の命を守るためでしょう?」
「命を守るためのシステムです それをクソ扱いですか?」
「なんでこんなに叩かれてんのかね?」


実際500km上空を寸時で通過するミサイルの警報を聞いても、それから行動することは無意味である。土砂災害警報と訳が違うのである。

2017年8月29日火曜日

子を探す親ガモのために高速道路を閉鎖

親ガモと7羽のコガモが高速道路を横断中、コガモ5羽が車に轢かれたため、親ガモが高速道路で子ガモを探し始めた。道路管理者はこの事態を重く受け止め、高速道路を通行止めにしたという。


何と粋な計らいであろうか。写真の親ガモが子を探す姿が愛しい。
この写真の見て、どこの高速道路だろうと記事を見たら、残念ながら我が国の出来事ではなくドイツの高速道路だった。
関連記事
車にひかれたヒナを捜そうと現場に戻ってきた母ガモ(ケルンの警察当局提供)
【ベルリン=井口馨】ドイツ西部ケルンで、警察が車にはねられたヒナを捜す母ガモのため、高速道路を約30分間封鎖したと発表し、話題になっている。

悲劇が起きたのは23日午前。ヒナ5羽が次々とはねられて死んだ。母ガモを先頭に横断中だったとみられる。母ガモは、難を逃れた何羽かのヒナと共にいったんその場を離れたが、しばらくして走行車線に戻った。わが子を捜そうとしたのに違いない。気付いた警察が急いで道路を封鎖。母ガモは、まもなく道路脇の森に姿を消した。

ドイツでは、森を突っ切る高速道路をカモの行列が渡ることが珍しくない。5月には西部ドルトムント郊外の高速道で、警官が親ガモからはぐれたヒナ4羽を制帽に入れて保護した。

金沢市内でも子を連れて道路を横断するカモの写真を何度か目にした。だが、高速道路を閉鎖したなんて聞いたことがなかった。クマやシカの絵を描いた「動物に注意」の立て看板は方々の高速道路にはある。もし、クマやシカが道路を横断中は道路を閉鎖するだろうか。それは100%ないだろう。

ドイツの道路管理者に拍手喝采を贈りたい。 

2017年8月28日月曜日

往時の賑やかさが霧散霧消・呆然として現場に立つ

2年ごとに開催している36同期会が、昨日と今日にかけ岐阜市長良川ホテルすぎ山で開催された。
この会は昭和36年4月1日付で国鉄岐阜工事局に21名が採用されたメンバーによって構成され、昭和51年にこのホテルで第1回が開催された。

今回で8回目、幹事の案内ハガキにはこの会を以って最終回とする文書となっていた。
昨日、金沢を午前8時に女房と共に出発し、昨年亡くなった同期会のメンバーの家に向かった。関インターから一般道を走行したが、カーナビの指示どおり走っても同じところをぐるぐる回っていたりで、予定時間を30分ほど超過してしまった。

同僚は野々市町出身の同級生で、新婚時に荷物を車から取り下ろす作業を手伝ってくれたり、広島でも家族ぐるみで付き合い、岐阜に戻ってからも奥さんや娘さんがうちの長女と次女の面倒をよく見てもらった。そんないきさつから、女房がこの機会に仏前に手を合わせ、奥さんとも話がしたいというので、同行することにした。

奥さんと娘さんが我々夫婦が来るというので家の前で待っていてくれた。
仏前に手を合わせてから、4人で思い出話に沸騰した。
近くのレストランで食事を済ませてから、女房を残して宿泊場所へ向かった。
ホテルに向かう長良川沿いの道に入ろうとしたら柵が設けられており、迂回してようやく到着するも、駐車場はすでに満車。どうしたものかと右往左往していたら、マイクロバス運転手があとをついてこいというのでそれに従って進んだ。ようやく駐車場に到着。マイクロに乗ってようやくホテルに到着した。

今回の企画は「鵜飼いを船に乗って見物しよう」というものであった。
乗船場までマイクロバス。そして乗り合い船に乗った。

乗船場は客が溢れていた
3時間の談笑
総がらみのクライマックス
屋形船40隻、船の数は多いそうだ。天候に恵まれ最高の舟遊びとなった。
2段重ねの折と寿司セットで3時間を大いに楽しんだのであった。

宿に帰って幹事部屋で今後のことを協議
日が変わって、朝食後再び協議。岐阜市近郊の5人は2カ月ごとに顔を合わせることを継続するという。幹事が一人ひとりから意見を聞いた。
このような会が高齢を理由に解散すると体調が急に悪くなるという例がある。幹事が世話役を継続するのに抵抗感がなければ継続すればどうかという話では、幹事曰く、「わしとしては一向に苦にならない」という意見で2年おきに継続することとなった。

2年後にまたの再会をしよう!
10時過ぎ、女房を拾って国鉄アパート群のあった場所に行ってみることにした。

2号棟の跡地、向かいは3号棟跡地
大黒寮だけが残っていた
去年まで、ここに11棟ものアパートが林立して子供たちや奥さん方の話声で賑やかだった。思い出がいっぱい詰まったこの地を訪れ、こんな風景を見て呆然としながらあたりを見渡した。昭和56年まで住んだ大黒町アパートのことは夢のまた夢となってしまった。


2017年8月26日土曜日

故意の足蹴りで人生が終わった

SNSが大炎上というタイトルが急速に拡散中であるという。
どういうことか調べたら、自分が投稿したブログにも関係することだった。
今月20日、「下駄を履くまでわからない」というタイトルで投稿したブログなのだが、そのブログに1枚の写真を掲載した。

                 掲載した写真
大阪桐蔭の1塁手捕球するも足がベースに乗っていなかった
これがきっかけとなって、仙台育英が大逆転さよならの勝利を収めた。どうして1塁手がこのようなへまをしたのか不思議に思ったが、それ以上の疑問は持たなかった。
実はそれにはわけがあったことを昨日のネットで知ることとなった。
大阪桐蔭7回裏守備の局面に遡る。
仙台育英渡部夏史捕手が遊ゴロ、ショートがファーストに送球しバッターアウト。

その時、渡部捕手がベースを踏んだ際、中川1塁手の右足を強烈に蹴ったのである。
タイムがかかりケガの治療をして中川1塁手はポジションに戻ったが、試合終了後は車いすを使用したという。
その時のトラウマで足がベースから離れたらしい・・・・。
審判の立っている位置からは、こうした蛮行は確認できなかったのであろう。何のお咎めもなかったのである。

昨日、強烈に足蹴りしたという映像がネット上に溢れているのに気付いた。半信半疑でその映像を見た。どの映像でも、それは明らかに故意であることが分かった。

足蹴りする瞬間映像
瞬間の出来事なので審判の判断は不可能
そしてネットでは


動画も非常に多く掲出されている。
実はこの強烈な足蹴りは、日本文理戦でも実行されたという。また、県予選の試合でもそのような行為があったとも。
                文理戦でのキック
捕球してアウトなのだが、この時も強烈に蹴りまくった
仙台育英 渡部捕手
仙台育英のOBが「故意にやるわけがない。偶然にそうなった」と反論している。そのほかにも「故意にやったと決めつけるのはどうか」といった反論もある。が、映像はそれをことごとく否定している。

現在はカメラの映像も格段に進歩して、スローでも動作が手に取るように素人でもわかる時代である。これだけ拡散してしまった渡部捕手の悪意は消し去ることはできない。これで野球人生の終焉となるであろう。
高野連としても調査委員会を立ち上げて何らかの処分を検討する必要があろう。

仙台育英という学校全体のイメージを根底から覆すこの野蛮な行為に失望した。日がたつにつれ学校側としても「知らぬ存ぜぬ」は通用しなくなるだろう。なるべく早いうちに謝罪会見を行うべき事案である。




2017年8月25日金曜日

会期ぎりぎりでマルビーへ

去る7月28日から開催されている「江戸絵画の神髄展」が、明日(26日)で終わることから、昨日午前中に21世紀美術館へ同展を見に行くことにした。
10時過ぎ、美術館の駐車場入り口に到着したのだが、駐車場満車で4,5台が路上にまではみ出て待機していた。何回か訪れたことがあるが、こんなに混雑しているのは初めて。
それでも20分ほどで駐車できた。入口はさほど混雑していなかった。


しかし、展示場に入って人、人、人。東京富士美術館が所蔵する俵屋宗達、伊藤若冲、狩野派一門等の絵画が展示されるとあって連日大入り満員だという。
会場内は写真撮影が禁止されているので、北國新聞の報道写真をお借りして会場の雰囲気を表現することにした。
北國新聞より 丹羽俊夫氏による解説
北國新聞より 象の絵が人気

北國新聞記事より
金沢21世紀美術館で26日まで開催中の東京富士美術館所蔵「江戸絵画の真髄(しんずい)展」(北國新聞社、一般財団法人石川県芸術文化協会主催)は19日、来場者数が2万人を突破した。会期が残り1週間となる中、北陸初公開の伊藤若冲(じゃくちゅう)「象図(ぞうず)」をはじめ、近年ブームが続く江戸絵画を間近に鑑賞しようと、県内外から家族連れや観光客が足を運んだ。

狩野派、土佐派、琳派をはじめ、若冲、曾我蕭白(そがしょうはく)ら奇想派、円山応挙、長澤(ながさわ)蘆(ろ)雪(せつ)ら円山派、池大雅(いけのたいが)、渡辺崋山ら文人画の名品がそろった。加賀藩のお抱え絵師として活躍した俵屋宗雪、金沢城二の丸御殿の障壁画も手掛けた虎の名絵師、岸(がん)駒(く)ら地元ゆかりの作家も加わり、まさに百花繚乱の展示となっている。入場料は一般1200円、中高生1千円、小学生800円。


この入場券にデザインされた伊藤若冲の象の絵を目の当たりにして、よくもまあこんなデザインをおもいついたものだ・・・と感心して鑑賞した。絵のサイズも大きく描かれていた。
教科書などに掲載されている洛中洛外の絵や、源平合戦の絵図も迫力があった。よく近づいて見ると、武将たちの顔の表情が細かく描かれているのに感心した。

東京富士美術館の入場料金は800円。400円も安いのだが、運搬展示の経費、それに東京へ行くとなれば旅費もかかる。
よって大満足の鑑賞ではあった。
 


2017年8月24日木曜日

作業停電が3時間も

1カ月ほど前に北電から作業停電についてというハガキがきた。
午後1時から4時までの3時間となっていた。そして昨日その日がやってきた。
冷蔵庫に入れたものが悪くなるということで、停電1時間前に冷蔵庫のダイアルを最強に回した。1時丁度、電力の供給がストップした。

作業準備中
昨日は高校野球決勝戦が2時から行われた。が、テレビは映らない。しようがないのでスマホでテレビを見るも全然迫力がないので見るのを止めた。
当然パソコンもダメ。コーヒーを温めようと思ったがレンジもダメ。

電気がないとこうも不便なのかと思い知った。
3時過ぎに中1の孫が部活(サッカー)から帰ってきた。シャワーを浴びたいというので、浴室に入りシャワーの栓をひねったのだが、いっこうにお湯の出る気配がない。ガスなのにおかしいなぁと思ったのだが、制御盤が作動しないことがわかった。いやはや不便なこと。


3時間もかかる作業内容は何だろうと思い、作業車のブームてっぺんに取り付けられているかごの中を注視したのだが、何をしているのかさっぱり見当がつかなかった。
絶縁碍子の交換でもやっているのか?

孫が工作に必要なビニルテープが欲しいというので、イオンへ向かった。広い駐車場が工事用囲いのため非常に狭くなっており、いったい何なのだろうと思い見渡したところ、ココスの建物が目に入ってきた。アッ、そーか、ココスが福久南交差点付近からここへ引っ越すんだとわかった。

家に帰ったら4時。電源が入り元の生活に戻った。日中に3時間もの停電は最近経験したことがなかった。電気の有難さが身に染みた。

花咲徳栄が広陵を大差で破って優勝した。あの破壊力は凄まじい。航空石川の佐渡投手が立ち上がりに調子が出ず5点も許した。が、最終得点差は9:3、広陵戦よりはるかに成績がいいではないか。航空石川の次の甲子園に期待しよう。


2017年8月23日水曜日

建設業界に革命が起きる前兆

今朝の朝刊にコマツがICTを駆使して建設機械を操縦する技術についての記事が掲載された。
新聞の見出しが、「ゲンバ ICTが支援」。一瞬、何のこっちゃ?と思った。
このICTという単語が最近よく見る機会が増えたような気がする。
そこでICTを検索したところ、このように記述された記事があった。

ICT

情報通信技術。information and communication technologyの略称である。2000年代前半まではIT(information technology)がほぼ同一の意味で使われてきたが、国際的にはICTが広く使われており、日本でもICTが併用されるようになった。
 そもそもICTは広範な意味をもつことばであり、サーバー、インターネットなどの技術だけでなく、ビッグデータ、ソーシャルメディアなどのサービスやビジネスについてもその範囲に含めることが多い。ICTとITに大きな違いがあるわけではないが、両者の使われ方を比較すると、ITはコンピュータ関連の技術に力点を置き、ベンチャー企業が展開するサービスなどに用いることもあるのに対し、ICTはコンピュータ技術の活用面に着目し、省庁が絡む大型プロジェクトなどで使われる例が多い。通信技術を活用した次世代の中央省庁システム、一つのIDで複数の省庁にまたがった行政サービスを受けられる認証システムなどがICTの典型とされている。通信会社系の大手情報会社も営業用語として使用している。総務省の「IT政策大綱」は2004年(平成16)から「ICT政策大綱」に名称変更された。[編集部]

現在、あらゆる産業の人手不足が顕著になってきているという。特に建設業界の人手不足が深刻であるらしい。
コマツはこの問題を改善するため、10年ほど前から研究を重ね、ICT技術を建設機械に導入した。


土を切ったり盛ったりする場合、事前に地形を測量して縦断面図や横断面図を作成する。
土木関係者ならそのための人手や日数がどれほど多く必要かよく理解できるであろう。
そして、現場に切り盛りする土工定規という基本的な図面に基づいて、丁張(ちょうはり)というものを測量しながら設置する。

この丁張を目印にして所定の切土、盛土を重機と人力併用で施工するのが従来のやり方。
これに対して、ICTを駆使する工法は先ず測量をドローンで実施する。水準測量、平板測量が不要となり、それらの情報を重機に直接つないで自動的に運転するのだという。
測量に1週間、設計に1週間、これをまとめた施工計画書作成に1週間、これらに要する
時間は1,2日で済んでしまうという。測量士、土木技術者、重機オペ、全てに省力化となる。

このICTは、数年後には「アッと驚く為五郎」というくらい、建設業界に一大革命が到来するに違いない。



2017年8月22日火曜日

滑落1週間、74歳救助生還!

登山中に足を踏み外して滑落した74歳の男性が、1週間ぶりに救助されて生還したという。
このニュースで驚いたことが何点かある。
一つは数十メートルも滑落したにもかかわらず軽症だったこと
二つ目は74歳という高齢にもかかわらず登山というハードな趣味を続けていること
三つ目は冷静沈着な行動をとったこと

冷静沈着な行動とは、焦らないことなのだが、自分がこのような局面でジッと待っていられるか甚だ疑問である。おそらく1,2日間はじっとしていてもそれ以降はこうしているとただ死をまつのみと考え焦りに焦って動き回ったことだろう。

チョコを少しずつ食べ、体力を維持したという。1週間ほど経って、チョコも残り少なくなってきてきっと心配が大きくなっただろう。
だが、騒がず慌てずジッと救助を待った。これが正解だった。


山岳専門誌を購入したことはないが、きっとこのような場合のノウハウが記述されているに違ない。
沢の水を飲むことができたことも生還につながった。
広島に住む家族にとって、消息不明の日々は地獄だっただろうし、それだけに生還できたことが本当に嬉しかったことだろう。

私と同年齢。冷静沈着な行動に敬意を表し、心からおめでとうと言ってあげたい。



2017年8月21日月曜日

あなたにもお勧め 桂林西湖のナイトクルージング

上海の西南1200kmに桂林という都市がある。ここは山水画の風景で有名な漓江下りの起点でもある。上海から飛行機で約2時間で到着するが、飛行機の発着は時刻表の予定時間より1時間以上の単位でかなり遅れる。それがどういう理由なのか全く案内されることはない。
漓江下りを目的としてスケジュールを組んだので、オプションで組み込まれた旅行は余り期待していなかった。
だが、桂林市内にある両江西湖ナイトクルージングは期待以上の素晴らしい体験だった。

旅行前に桂林に行ったことがあるという人にどんなところか話を聞いた。その人曰く、「桂林へ行ってナイトクルージングしなければ、行った値打ちは殆どないくらい」だという。ところが、これに関する情報が殆どない。ぶっつけ本番で楽しむことにした。

まだ暗く成りきっていない夕方、ガイドがホテルに迎えに来てくれた。そして、方々旅行したことがある中で、このホテルの門を出たとたん、今までに見たこともない異様な光景が目に飛び込んできた。老若男女10人ほどが並んで物乞いするのである。5,6歳の少女が花一輪を持って買ってと差し出した。
現地人のガイドは中国の恥だから一切無視してくださいと注意した。100円くらいなら買ってやれば良かったと今でもその光景が目に浮かぶ。

歩いて10分、船乗り場に到着した。船は30人ほどでほぼ満席だった。日本人の観光客が殆どを占めた。


高校の同級生3組夫婦6人の旅行であった
船は静かに湖面を滑り出した。同時に二胡で「支那の夜」の演奏が始まった。その曲はナイトクルージングにぴったりの曲だった。

写真では夜景の美しさがいまいち出せない

桁下もカラフル
クルージングの時間ははっきり覚えていないが、たぶん1時間30分くらいだろう。

昼の西湖の風景

よく整備されている
このクルージングのあと、少数民族舞踊団のショーを見に行った。娘さんたちはハッとする美人ぞろい。終わった後に記念写真に納まってくれるのだ。


桂林のホテルで2泊して漓江下りのため後にした。
中国のイメージとちょっと違っていた桂林。皆さんにもお勧めです。


2017年8月20日日曜日

下駄を履くまでわからない

昨日の高校野球はどの試合も緊迫したゲームが展開した。
4試合目の大阪桐蔭対仙台育英戦は、9回までずっと大阪桐蔭が1点リードのまま、緊迫した局面の連続であったが、その裏仙台育英の攻撃でツーアウトランナーなしとなって、大阪桐蔭の勝利だと誰もがそう思った。
だが、「勝負は下駄を履くまでわからない」ということわざが現実のものとなった。

九回2死、中前安打で出て次打者の2球目。投手がモーションを起こすかどうかの瞬間にスタートした。「ノーサインです。完全にセーフだと思った」。二回、内野安打で出たときだけでなく、他の選手が出塁したときも、間合いをはかって準備していたという。

 父はプロ野球西武などで活躍し、「アンパンマン」の愛称で親しまれた左腕の杉山賢人氏。杉山は「ここぞで走れるように練習試合でもやってきた。今日のような試合で決められたのがよかった」と、さっそうとしていた。

そして次のバッター若山。
若山の遊ゴロの送球を捕球するが、一塁ベースを踏まずセーフとなる。

              一塁コーチ佐藤=加藤諒撮影
足がベースに乗っていなかった
以下、新聞記事から
一塁塁審の手が横に開いている。
 「何が起こったのか分からなかった」とは大阪桐蔭の投手柿木。主将で捕手の福井は「あまり覚えていません」。九回2死一、二塁。最後のピンチを遊ゴロで終えた、はずだった。
 送球を受けた一塁手の中川が足でベースをまさぐる。遊撃手の泉口が二塁に投げてアウトを取る、と思ったのか。「焦って、ベースを見ずに入ってしまった」。走者のヘッドスライディングが先だった。
 満塁。スタンドでは観客がタオルを回す。手拍子も起こる。背番号13の加藤が西谷監督の言葉を伝えにマウンドに来る。「こんなことはあまりない。成長できるチャンスだ」。ナインに笑顔はあった。が、選抜王者と言えど、この逆境を跳ね返すのは至難だった。


 史上初となる2度目の春夏連覇へ。春以降も慢心はみじんもなかった。激しい競争。毎日の練習では福井がたびたび仲間を集め、投げる時の基本的なステップから何度も何度も確認するほどの徹底ぶりだった。
 だから、厳しい戦いが続いても崩れなかった。大阪大会は準々決勝から3戦連続で逆転勝ち。打線の状態が上向かない中、甲子園でも2回戦は1点差ゲームをものにした。
 そしてこの日も。福井の盗塁阻止や左翼手山本の本塁への好返球があった。八回に1点をもぎ取り、最後の最後。福井は「ショートゴロで勝ったと思った。そこが隙だった」。
 試合後の中川は放心状態で、柿木は泣きじゃくった。ともに2年生。たしかに、張り詰めた空気から解放されるのがコンマ数秒、早かったのかもしれないが、責める者はいない。西谷監督が言う。
 「今日の負けは、誰のせいでもない」(山口史朗)

テレビ球場に朝から晩まで釘付けの1日だった。
高校球児からパワーをもらった。今日もきっと好試合が展開されるだろう。




2017年8月19日土曜日

地域コミュニティ崩壊の理由


〇地域コミュニティが崩壊寸前だという。どういう理由があるのだろうか。
その理由をある対談記録から読み取れる。

地域のコミュニティーが崩壊寸前で、老人会や消防団などの組織率もどんどん下がっている。現代人というのはあらかじめ用意された繋がりではなく、趣味や人生のテーマなどで共通項のある仲間を意識的に求めていますよね。高齢者も、老人会に行ったって面白くないわけですよ。だから行かない、仲良くなろうとも思わない。
            ↑
〇この意見には賛同しかねるが・・・・

 そういう状況を見ていると、実は老人が嫌いなのは老人自身なんだと思ったりしますよね。例えばJR横須賀線なんか乗ると、向かい合わせの4人席にお年寄りが4人乗っているけど、ブスッとして全然話そうともしない。昔は他人同士でもそういう場で会話が弾むようなシーンがあったと思うのですが・・・。

〇平均寿命の更新が続く現在、定年退職してから死亡するまでの期間がどんどん長くなっている。さあ、どうすればいいか?

19世紀以降、国家運営の一つの柱は教育だったと思いますが、それは21世紀も続いていきます。子供の教育は国家を成長させ、支えていく柱ですから。それでは、高齢者はどうかといえば、平均寿命が80代まで延びてきている状況で、もうすぐ死ぬから放っておけばいいということでは全くないわけですよね。

 そうであれば、子供の教育に匹敵するような場所や、退職してから死ぬまでの時間をどのように過ごしてもらうかというノウハウを国が公的に提供するような仕組みが必要だと考えます。
 ↑
〇金沢では高砂大学などかなり充実した教育が行われている。

老いの自覚
歳とともに老いの兆候としてさまざまなことが心身に現れる。夜眠るのに、中々寝つかれない。心の中でさまざまな記憶がよぎる。子供時代のことがまるで昨日のことのようにあざやかに心の中に浮かぶ。ひとりひとりの名前もはっきり覚えている。そしてその記憶の中で遊んでいる間にますます目が冴えて眠れなくなる。
夜中にトイレに起きる。もう朝かと思うほどはっきりと目が覚めてしまう。尿意を催している。トイレに立つ。夜の帳の中に鳥の鳴き声や雨の音が身に染み入るように聞こえる。昼間では聞こえない声や音が聞こえる。そのとき老境に入った自分の心を覗き見る気がする。
老いとともに朝早く目が覚めるようになる。四時くらいに目が覚めてそれからもはや眠れない。散歩に出るにはまだ早すぎる。床の中でさまざまなことを考える。今まで考えもしなかったことが思い浮かび、どうしてこんなことがわからなかったのだろうと思ったりする。老境に入って初めて気づく人間の心というものは無限にある。

〇退職前にあれほどあこがれていた「自由時間」、それがもてあまし気味になっている今。贅沢過ぎる今があるが、これほどもったいないことがあろうか。さぁ、もっと充実した時間を過ごそう!




2017年8月18日金曜日

いつの間にか定年後10年


「定年後に楽しい人生を送る人、惨めに過ごす人」というタイトルの記事を見た。
執筆者がいうには、40代から老後の生活を考え、備えを怠るべからずと主張している。
自分が40代のときにそんなことを考えたことがあるかといえば「NO」である。

一昔前は定年退職してから亡くなるまでの期間が短かった。しかし、年々平均寿命が伸びていったことにより、今の時代は定年退職してから数十年という期間を生きることになる。
 その期間を精神的にも経済的にも充実した期間とするためには、定年退職前の時期から十分な準備が必要となる。その準備期間として50代という期間は極めて重要な期間である。
 早い人は40代後半から戦略的に動き始めている。そういった期間をモチベーション低く過ごすことは、あまりにもったいないことではないかと思う。

確かに私が30代の頃、勤めていたある職場では55歳で退職する機関士が概ね5年で亡くなるという話を聞いたことがあった。仕事柄、過酷な職場環境で仕事を続けてきた人の余りにも短い平均寿命である。


私が定年を意識し始めたのは定年直前になってから。嘱託で再雇用が確実だったから。
しかし、50歳代に羨ましく思ったことがある。それはヨーロッパ諸国の労働者が口を揃えて「早く定年になりたい」という思いを持っていることであった。
やりたいと思った時間に好きなことが出来る・・・、定年になるとこんなに素晴らしいのだと。私も共感したものであった。

定年後は十分な生活が保証されているからそう考えることができるのだろう。
私の場合は嘱託となり、仕事の内容は全く変わらないものの、給料は1/4、年金は減額支給となり、おまけに現役ということで大幅カットされた。定年直後、ハローワークへ失業保険の手続きに行ったのだが、年金と失業保険の併給制度が廃止され、どちらか選択しろという。ばかばかしくなって面倒な失業保険交付を断念することにした。

日本人の平均寿命は男性が80歳、女性が88歳。
 例えば、定年延長せずに60歳で定年退職し、85歳まで生きたとすると、退職後に25年間生きるだけの資金が必要になる。

 仮に、生活費が夫婦2人で毎月35万円かかるとすると、年間で420万円かかり、それが25年間続くと、1億円以上が生活費のための資金として必要になる。

 これにさらに医療・介護関連の費用も支出として生じる。こう考えると、定年退職時の貯蓄と年金の額にもよるが、働かずに悠々自適の老後を送るということは決して簡単なことではない。 そのため、定年退職後もセカンドキャリアを得て、ある程度の収入を得る必要性が生じることも十分にあり得る。

こんな文章を読むとえらく金がかかる老後である。
定年後嘱託勤務していた64歳のとき、仕事を終えパソコンの電源を落として帰るとき、外の風景を見て驚いた。何と電柱が二重三重に見えるではないか。
2,3日後「もう1年延長しますか」と庶務担当から質問され、「もう限界。延長しません」と答え退職したのであった。

そして10年後の今がある。それなりに楽しみ、それなりの生活があって今がある。
定年後のことは、あまり心配することはないよといいたい。



2017年8月17日木曜日

”恨の文化”を一刀両断

韓国で映画「軍艦島」が封切られた。徴用工が酷使された歴史を描いたという。ヨーロッパ各国の外交官を招待して上映したともいう。だがこの映画はねつ造された描写で事実と異なるという。今はやりの言葉でいえば日本を貶める「印象操作」である。
朴槿恵大統領が恨みは1000年続くとも言った。本当に凄い国である。
最近ではソウルのバスに慰安婦像を据えて運行中だという。

13日、ソウルの路線バスに乗せられた従軍慰安婦問題を象徴する少女像(共同)


少女像をいたわるソウル市長
 韓国・ソウル市の中心部と北部を結ぶ路線バスが14日、慰安婦像を乗せて運行を始めた。9月末まで、同路線の5台の座席に強化プラスチック製の慰安婦像を固定。市民団体などが8月14日を慰安婦問題の記念日と位置付けていることから、運行会社社長が企画した。

 運行する民間企業「東亜運輸」(ソウル市)の林真●(=火へんに日の下に立)社長は「個人的な企画で、ソウル市の事業と無関係」としている。ただ、朴元淳市長は14日朝、慰安婦像を乗せたバスに乗り、慰安婦問題に積極的に取り組む姿勢をアピールした。

 このバスはソウル市中心部にある日本大使館公報文化院近くを通過する際、慰安婦を描いた昨年の韓国映画「鬼郷」の一場面の音声を流すという。

 この路線は日本人観光客が多く訪れる南大門市場やロッテ百貨店なども通る。(共同)


また、昨日の報道によれば、徴用工像を日本大使館前に据え付けるため、慰安婦像の設置者と協議中だともいう。

日本政府は勇気ある決断をして謝罪と補償をせよと文在寅大統領が意向を表明した。
40年ほど前に全て問題はないとした協定を無視するどころか、ゴールポストをずるずる後ろに移動させている。不思議な国である。

その不思議な国を一刀両断する記事を夕刊フジが報道した。

異様!ソウル市内走る“慰安婦バス” 専門家「韓国は世界が見えなくなっている」
8/16() 16:56配信
 北も南も暴走が止まらない。北朝鮮が米領グアム沖へのミサイル発射計画を発表し世界に緊張が走るなか、韓国では慰安婦像を載せた路線バスが登場し、乗車したソウル市長が「最終的かつ不可逆的」に解決するために結んだ日韓合意に異を唱えた。専門家は「韓国は北も含めて世界が見えなくなっている」と指摘している。
 韓国の市民団体などが「世界慰安婦の日」と定めた14日、各地で慰安婦像設置などの行事が行われた。ソウル市内ではプラスチック製の慰安婦像を乗せた路線バスが運行するというシュールな光景が登場した。車内では、慰安婦を描いた昨年公開の映画、「鬼郷(クィヒャン)」に音声として登場した民謡「アリラン」が流された。
 これに文字通り便乗したのが朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長。車内で慰安婦像に手を添えるなどし、
日韓合意に代わる「新たに国民が納得できる合意」が必要などと強調した。
 今月12日には、ソウル市と近郊の仁川(インチョン)市内で、日本の朝鮮半島統治時代に「強制された」という「徴用工の像」が2体設置されたばかり。拓殖大の藤岡信勝客員教授は「慰安婦の強制連行にしても、徴用工が虐待されたという話にしても100%ウソだ」とした上で、こう話す。
 「事実関係を無視してこうしたものを作るということは、国全体が『偶像偏愛依存症』に陥っているとみるべきだ。幼児のおしゃぶりと同じで、人形があることで心理的なバランスを取っているのだろう」
 藤岡氏は14日に米国のダンフォード統合参謀本部議長が訪韓し、北朝鮮問題について文在寅(ムン・ジェイン)大統領と会談した点に着目する。
 「そうした重大な局面にあるなかで、何の生産性も見いださない慰安婦像の設置が行われたことになる。ますます国としての評価を下げていることに気付かないのだろう。韓国は北も含めて世界全体が見えなくなっている。ここまで堕落した国もない
 問題のバスは9月末まで運行の予定。昨年、韓国を訪れた日本人は約230万人を数えるが、イヤな思いをしてまで行く必要があるのか、疑問だ。

7月中に韓国から来日した観光客は中国に次いで数十万人もあるのだという。いうこととなすことがチャランポランのように思うのだが・・・・。

2017年8月16日水曜日

限りなく遠い記憶

人間の最も古い記憶は何歳くらいのものなのだろうか。
だけど、記憶に残ることといえば、余程怖い目にあった時、悲しい出来事があった場合なのだろう。

昨日は終戦の日であった。昭和20年8月15日から起算して72年経ったのだが、当時私は2歳半くらいだった。住んでいた場所は親父が海軍にいたので舞鶴の民家の借家住まいをしていた。3つ上の姉と父母の4人暮らしであった。
2才半でそんなことが分かる筈はないが、これは小学生になったころ、囲炉裏を囲んで親父から聞いた話で知った。

記憶は「空襲警報発令」と何度も繰り返し拡声器から流れる放送であった。「くうしゅうけいほうはつれい」という言葉ははっきりと記憶している。それと「くうしゅうけいほうかいじょ」という言葉も。
母は私をおんぶし姉の手を引いて防空壕に急いだ。防空壕の中は水たまりがあって、暗くてきたないイメージが残っている。

入口のイメージだが、私の記憶では入口の形はぐしゃぐしゃ
中はこんなイメージ
かなり長い時間だったと思うが、ようやく敵機が去り防空壕の外に出た。まだ煙を上げている焼夷弾が道路に多く転がっていた。舞鶴の空襲は数回に及んだとされるが、「空襲警報発令」と放送が流れ避難した記憶は2回である。

それから何か月後なのかはっきりわからないが、汽車に乗っている記憶がある。妙に覚えているのが、何本ものつり革が揺れる様子が面白かったのか、そのつり皮の記憶と汽車のつなぎ目から見える流れる風景とどこかの駅に停車している記憶が残っている。
この記憶は母親と一緒に舞鶴から能登の実家に引き上げる途中の様子だろうと聞いた。


この時、今の時代が来ることを誰が想像できただろう
焼け野原にバラック、それでも子供たちは元気にラジオ体操だ
終戦で職を失った親父は能登の実家に帰って、奥の座敷1間で暮らすことにした。ここでの記憶は、怖いイメージの祖母、馬屋にあった暗い便所、母と入浴中に突然風呂桶が分解して大騒ぎした記憶がある。
親父はお袋の弟を連れて行商を始めた。能登でブリ等を仕入れ、武生の料亭に売りさばいた。その売り上げで釘を買い飯田で売りさばいた。北前船商法とまではいかないが、これがかなり儲かったらしい。列車の無賃乗車もあったようだ。魚にしろ、釘にしろ中間マージンがないので買う人間には安く手に入るメリットがあったのだろう。売り買いの対象物や販売場所の選定を考えた親父の手腕に拍手喝采したい。

親父が濃紺の海軍のコートを着て家を出るとき、「行ってらっしゃい」と見送った記憶が残っている。
そんな生活を2年続け、親父は県道に接した農地を購入して家を建てた。2年間で新築資金を工面したことになる。家の基礎は石なので、所定の位置に据えて櫓をたてて綱を引き石を突き固めた。「よいとまけ」のイメージで石場がちというが、年寄りが派手な衣装を纏い、唄い踊りながら綱引きの音頭を取る。これはやがて5歳になる頃の記憶である。

昭和44年、広島に転勤したのだが、アパートの隣に何とまだ防空壕が残っていた。コンクリートの壁に穴をあけ奥行きのあまりないコンパクトなものであった。
だがそこはホームレスの住み家になっていて気色が悪かった。

終戦記念日にあたり記憶の限界を辿った。

2017年8月15日火曜日

山代温泉のごみ置き場に2千万円捨てられた

昨日、山代温泉のごみ置き場から重箱に入った2千万円が見つかり、拾得物として警察署に届けられたというニュースがあった。
よその県でもごみ置き場に現金が、それも決まってうん千万円レベルである。


拾得物は法令が改正されて3カ月の保管期間中に落とし主?が申し出しなければ、見つけて届け出た人に返還されるという。
そもそもこんな大金を重箱に詰め込んで、捨てなければならない事情というものは何なんだろう。見つかったら困るということなのか?
どれだけあっても困らないというのがお金。首をかしげるのみである。
どこかの県ではごみ収集の職員が見つけて半分だけ届け、あとでバレたというニュースはつい先日の話。
竹藪に捨てられていた1億円を拾った人は、後の人生が不幸だったという話もあった。
捨てる金がある人は是非ご連絡をお願いしたい。極秘で戴きに参上させていただきます。

さて、本日、航空石川が午後1時から花咲徳栄と対戦する。
その両監督が対戦を前に対談したという。


本音は胸の奥深くにしまってあるに違いない。
石川の野球レベルを示してほしいものだ。航空石川ガンバレー!

昨日は高岡商業が前半戦は善戦していたのだが、東海大菅生に11:1と大敗した。さすが早実を破った実力を遺憾なく発揮した。
福井の坂井は7:6と実に惜しい試合だった。
当分の間、テレビ球場に入り浸りである。


2017年8月14日月曜日

火事場の馬鹿力が出た人、出なかった人

今朝の北國新聞に「9回の逆転劇に学ぶ」と題した運動部長杉山圭一郎氏の記事があった。
氏は先日の航空石川と木更津総合戦で9回表の航空石川が繰り広げた逆転劇の感想を述べている。人間、土壇場になれば馬鹿力が発揮することをその例として、航空石川の攻撃を上げた。

人間の脳にはパワーの出力を管理する「安全装置」が備わっているという。これ以上の動きは体が壊れると判断すれば出力が抑制されるそうだ。ところが、気持ちが高ぶれば安全装置が解除され、アドレナリンが一気に放出され、眠っていたパワーが全開するという。
これは科学的にも証明されているという。

いきなり火事に直面し、普通ではとても持ち上げることができない物をかかえて運び出したという話はよく聞く。なるほど理屈がわかったように思う。

昨日、世界陸上選手権で日本が400mリレーで銅メダルを獲得した。その陰に悲運に泣いた人間がいたのである。その人は知る人ぞ知るあのウサンボルト。
レース中、転倒したのだ。

ロンドンの夏は終わりを告げるこの時期、レース前に長時間待たされたようである。
脚が冷え切ってしまい、レース中痙攣を起こし転倒した。ボルトはこの大会で引退を宣言したのだが、余りの悲劇で終わってしまった。
常勝ボルトのポーズがもう見られないことは一抹の寂しさが漂う。
ボルトには火事場の馬鹿力が出なかった。




2017年8月12日土曜日

国民の祝日「山の日」の回想

昨日は国民の祝日「山の日」であった。
山の日は昨年から施行された。今年は曜日との兼ね合いで大型お盆連休となって、空、新幹線、高速道路など超満員となった。

そもそも山の日が、なぜ8月11日なのか?
山の日を制定したのは日本の議員連盟「山の日制定議員連盟」というところで、その連盟の目指すものは『山の日を国民の祝日にしよう。』というものでもあった。
2013年6月30日に山の日制定議員連盟が開いた総会では、6月上旬、海の日の翌日、お盆前・・・など
たくさんの候補があったようだが、実ははじめに採用されたのは8月12日だったという。

しかし8月12日という日に、もしかしたらピンと来る人もいるかもしれませんが、実は日本史上最多の死者数を出した航空事故、日本航空123便墜落事故が起こった日も8月12日であった。
悲惨な事故があった日をあえて祝日にするものかと、反対意見が出ていたのでそれを受け止め、山の日制定議員連盟は、11月22日の総会によって山の日を、8月11日にすることを決定したという経緯がある。

伊豆大島三原山
私が山らしい山に登ったのが伊豆大島の三原山が最初であった。木曽駒登山で山の素晴らしさを味わって、黒部ダム、霧ヶ峰、立山、薬師岳、富士山、乗鞍岳、白山等に登った。
独身時代に黒四ダムへ
ん十年後再び
薬師岳から五色が原へ縦走したことも
残念ながらガスで眺望不可
富士山へは富士宮登山口から新五合目までバス、そこから登山を開始した。5時間余で頂上に立ったが、ここもガスで覆われおまけに雨交じりの強風で最悪のコンデションであった。ワー何と高い!と思った「うどん」を食べて早々に下山することにした。
下山は砂走コース。ガスも嘘のように晴れ渡り走って下ったので2時間くらいだった。

家族で登った乗鞍は快晴だった。ブロッケン現象で家族4人の長い影が遥かかなたの山々にまで届いた。

何年か前に二度目となる上高地に行った。河童橋を渡って梓川に沿った遊歩道を歩いていくと涸沢が現れる。ここの風景は山を代表する風景で私のお気に入りの場所である。
しかし、山の日についてこんな意見もある。


根拠なんてどうでもいいと思うのだが・・・・。

2017年8月11日金曜日

チンパンジーがじゃんけんの勝ち負け判定を理解

愛知県犬山市の京大霊長類研究所は、チンパンジーにじゃんけんを100日間教えた結果、勝ち、負けが理解できるようになり、人間の6歳相当の知能を有することがわかったという。


霊長類研究所の北側に隣接して日本モンキーセンターがある。日本モンキーセンターは一九五六年、名古屋鉄道をはじめとする中部の財界の支援を得て設立された。霊長類研究所が設立されたのが一九六七年なので、その十一年前だ。すなわち、京大の研究者らによって日本の霊長類学が立ち上げられ、国はすぐにはその重要性を認めなかったので、まず民間の力で日本モンキーセンターが設立され、その後、国立の霊長類研究所が京大に付置されたという歴史的な経緯がある。

算数も理解できる
日本モンキーセンターは、この四月までは名鉄とその関連会社が経営する「日本モンキーパーク」という遊園地の動物園部門であった。おとな千六百円の入園料を払うとジェットコースターにも観覧車にも乗れるし、サルも見られるというコンセプトの遊園地である。霊長類研究者としては少し馴染まないものであった。

国語の勉強 授業態度〇
この二〇一四年四月に、南北に縦貫する主要幹線道路を境に明確に東西に分けた。西側の遊園地は従来どおり名鉄とその関連会社が運営する。東側の動物園は日本モンキーセンターが所有し独自に運営するサル類専門の動物園になった。入園料は、おとな(高校生以上)が六百円、小中学生が四百円、子どもが三百円で、環境教育の場として生まれ変わった。

名鉄犬山遊園駅からモノレールに乗り換え、約10分ほどで到着する。
私は独身時代に訪れたことがあるが、大規模で環境が抜群の研究所とモンキーセンターである。
京大の霊長類研究所の教授がアフリカのジャングルでゴリラと生活を共にして、ゴリラに友達として遇された話はあまりにも有名である。