2019年12月31日火曜日

田舎の家や山林等の不動産をどうする?

親父が亡くなって23年たつのだが、両親が住んでいた家や畑、山林を兄弟姉妹が協議して自分が全部相続したが、家は両親が住んでいたままの状態で今に至っている。
20年以上もたつと樋が破損したりガレージのシャッターがさび付いて開閉不可になったり、水道栓もダメになってしまった。ただ、親父が亡くなる数年前に屋根瓦を葺き替えたので雨漏りしていないのが幸いである。
それに、数本の樹木が枝を張って隣地に迷惑を掛けているため、村のシルバー人材センターに依頼して昨年伐採した。

相続登記で名寄せをして家のほか、親父名義の山林や畑、墓地があったのだが、どこに何があるのか把握できないでいる。山林は椎茸栽培をしていたので、若い頃何度か山に行ったことがあるが、今ではどこが境界なのかさっぱりわからない。
空き家の問題は売るに売れない、貸すに貸せない空き家をどうするか?である。
取り壊して更地にすると固定資産税等が6倍になるのでは、空き家のままが良いという重いがよぎったりする。後は無料でももらってくれる人を探すのみとなり、空き家を解消するのは容易ではないのだ。

相続放棄という手段があったが、今となってはその手法は不可である。
貸屋にする場合は相当の修繕費が必要になるし、取り壊しでも3百万はかかると推定する。ただ、県道のバイパス計画が凍結されているのだが、計画では家が全て支障家屋となる予定ではある。これが処分の判断を誤らせたといえるだろう。しかし、今でも「ひょっとして」という思いは捨てがたい。

いまさら相続放棄すれば良かったと嘆いてみても埒は開かないのだ。
明日から新しい年が始まる。来年中に何とかしたいと念じているのだが・・・・

2019年12月30日月曜日

今年もあと1日になった

年中無休でコンビニオーナーが、「年末年始を休む」とのろしを上げて経営側ともめだした。契約破棄という強気の経営側もあって、一筋縄では解決しないようだ。
オーナーとしては、深夜の営業も客が少ないから休みたいと声を上げている。だが、コンビニの配送システムが狂うことから簡単に同意できない事情があるという。

さて、今日は30日、今年も残すところ明日のみとなった。3年前までは朝7時に近江町へ女房殿と買い出しに行ったものだが、一昨年の年末から買い出しは近所のスーパーに切り替えた。
今日の朝刊には近江町の買い出しで賑わう風景が掲載された。
正月準備の買い物に訪れた人でにぎわう場内=金沢市の近江町市場
近江町市場、人の波 正月用品買い求め
金沢市の近江町市場は29日、令和最初の迎春に向けて、おせち料理の材料や正月用品を買い求める市民らでにぎわい、年の瀬の場内は朝から活気であふれた。
店頭にはカニやブリなどが並び、来店客が冬の味覚を品定めした。大型連休を利用して訪れた観光客も北陸の海の幸を買い求めた。

東京アメ横も大賑わい
アメ横では、不思議なくらい安いものが多い。ここで大量に仕込んで金沢で売りに出しても商売が成りたつほどである。

3日前には家周りの掃除を終えた。ガレージシャッターや窓ガラスに水をかけ洗い拭き取る単純な作業ではあるが、玄関フードは裏表なのでかなりの作業量である。2時間ほどで終了したが、いつもは感じない疲れがあった。巻き爪の痛みでウオーキングをしなかったため、運動不足が響いたのか、あるいは術後の影響もあるのかも知れない。

昨日は天候もまあまあだったので久しぶりにウオーキングができた。
この付近では除夜の鐘がうるさい、なんていうクレームを付ける人間がいないようなので
例年通りの越年ができそうだ。

2019年12月29日日曜日

副会長の「勇」に感激!


石川レスリング協会長 言いも言ったり「川井の親父なんて俺が外そうと思ったら、明日にでも外せる」
と記者会見で大見得を切った下池会長。俺様に文句あっか!と高飛車に構えた県レスリング協会の下池新悟会長だった。

協会に君臨している下池会長と協会の体質がこの言葉で広く世間に知れ渡った。
ところがである。下池会長を頂く協会は強固な一枚岩と思われていたが、「義を見てせざるは勇なきなり」と反旗をかざした副会長が現れたのである。

意義:正義は人の行なうべきものであるが、これを知りながら実行しないのは勇気がないからである。



 石川県レスリング協会の下池新悟会長(73)がレスリング大会で、「五輪内定者は残念ながら女」などと発言したとされる問題を巡り、同協会の久野均副会長(64)が、下池会長の退任を求める申し入れ書を協会に提出したことがわかった。

 この問題は、東京五輪のレスリング女子57キロ級の代表に内定している川井梨紗子選手(25)が11月、県スポーツ特別賞の贈呈式後に明らかにした。川井選手は、下池会長が大会のあいさつで「石川県にはオリンピック内定者が2人いますが、残念ながら女です」と女性を蔑視(べっし)する発言をしたと批判。下池会長はこれを否定している。
申し入れ書は今月12日付で同協会の塩谷雄司理事長に宛てて提出され、「多くの県民や日本国民までもが、下池会長に対して大きな不信感を抱いている」などと書かれている。

 これに対し、下池会長は「退任するかどうかは理事会が決めることだ。自分は誠実に選手の育成に努めている」と話している。
父親に募金箱持たせ「娘の派遣費集めてこい」
下池会長は反論する。「寝耳に水の話。川井の『か』の字も言うとらん。女であろうと、男であろうと、選ばれたっていうことは大変名誉なこと。それだけ県のレスリング協会が評価されたということなんだから」という。父親に募金を集めさせたことについては、「自分の娘のためのお金なんだから、親が集めてくるのは当たり前の話」と認めた。

キャスターの立川志らく「真実は分からないですが、女性蔑視発言は他に聞いている人がいるので、聞けば分かる。ただ、会長の『誰であろうが』という物の言い方が、ちょっと蔑視の臭いがするし、ふんぞり返った態度も引っ掛かりますよね」

支援者が広く一般からつのるのが募金で、「親が集めるのが当たり前」という発想は違うのではないか。

県レスリング協会の役員に知事や国会議員も名を連ねているという。このまま会長が居座り続けば県民・国民が許す筈がない。


2019年12月28日土曜日

各種同好会発足10周年

平成23年4月、18年間こつこつと改築資金を積み立ててきた集会所が完成した。一世帯あたり10万円余の負担額となる。平成4年に総会で積み立てすることを決定したのだという。
当時の町会長が立案して決議されたのだが、結束力が強固だったのか誰も反対する者がいなかったという。近くの町会でも会館新築計画を進めているが、費用負担を巡りなかなか詳細が決まらないと聞く。

自分はこの町内に来たのが平成9年だから、積み立て額は平均の6割くらいになる。当住宅団地は勤労者住宅生活協同組合の造成地だったので、50坪の土地を集会所用地にして町会に無償で貸し付けしていた。そこに木造二階建ての集会所を建てて三十数年、台風で屋根が飛ばされたこともあって、老朽化が著しいものがあったので改築資金の積み立てとなった。

平成22年の春、改築工事が開始され工期1年、晴れて平成23年4月に鉄筋コンクリート3階建のエレベーターが完備する新館が完成した。
この完成した建物は皆で建てたものなので、フル活用してコミュニティ強化に資するべきと意見が一致して、各種同好会を立ち上げることにした。

その一つにカラオケ同好会があるが、発足当時は15名前後で賑やかに開催していた。しかし、高齢者が殆どなので10年たつと亡くなったり介護施設に入所とかで会員減少が急速に進んだ。
保存曲数3千曲余、新曲はネット利用

60吋ディスプレイ、出力100wアンプと贅沢な設備を誇る
昨日はその定例会の開催日だった。だが、参加者は代表者1名のみ。現在の参加者は3名なのだが、現役の人が非番日に参加するので、その人の都合のいい日と合致する日に開催することにしている。だから昨日は休みにしても良かったのだが、会館使用予定の取り消しがしていないので1時間だけ準備していた。

現在、麻雀同好会12名、料理同好会8名、グランドゴルフ同好会12名、茶道同好会5名、生け花同好会7名、映画同好会と囲碁将棋同好会は休止中である。そのほか、ネットサークルという活動もある。
会場使用料はなし。住民による住民のための集会所でフル活用している会館である。


2019年12月27日金曜日

小学生のロボコン


もうすぐ年が変わるが、2020年度からの小学校プログラミング教育の全面実施に向けて、文部科学省では、 
・「小学校プログラミング教育の手引(第一版)」の作成(平成30年3月)
・「小学校を中心としたプログラミング教育ポータル」※を通じた実践事例の発信 などの支援策を実施するスケジュールは6月30日の本ブログで紹介したところである。
小学生がプログラミングするということを聞いて「本当かな」と半信半疑の思いなのだが、そうではないということがわかった。

朝刊に「加能ガニ」のロボで児童競う 市が初のコンテスト という記事があったのである。
カニのロボットをプログラミングで動かす
県産ズワイガニの雄「加能ガニ」をテーマにした第1回加能ガニロボットコンテスト2019(北國新聞社後援)は26日、近江町交流プラザで開催され、石川、福井県の児童が自作のロボットでプログラミング技術を競った。赤い画用紙やストローで作ったカニを機体に取り付けるなど、児童はデザインにも工夫を凝らし、設定されたコースを走らせて高得点を目指した。
これはカニか?
コンテストには小学4~6年生の16チーム21人が参加した。「金沢」と「月」を結ぶコースが用意され、カニの卵に見立てたボールを途中に置いたり、月面エリアにあるボールを持ち帰ったりして得点を積み重ねるルールで、正確性やスピードなどが審査された。
優勝した中央小5年の吉田旭輝(あさひ)君(11)=長土塀1丁目=は、カニを表現するため赤く塗った段ボールをロボットに貼り付け、県観光PRマスコットキャラクター「ひゃくまんさん」もあしらった。吉田君は「プログラミングで曲がる角度やスピードを調整して参加し、優勝できてうれしい。将来はプログラマーになりたい」と喜んだ。

凄いことができるんだなぁと感心したのだが、上には上があった。
WRO2018 国際大会 というのがあるのだ。
オープンカテゴリー〈小学生部門〉
WROはロボット製作の課題を通じて、各人が持つ創造性をぶつけ合い、困難を共に克服していくことで、科学技術への理解を深め、知識を高めあう喜びを分かち合ってほしいという思いから生まれた。課題にトライすることが、実生活の問題への対応力をつけることにもつながる。 
真剣にのぞき込んでいる子もPCはお手のものに違いない
本当に楽しそうだ 将来はプログラマーとして大活躍するのだろうなぁ
55歳になってようやくPCができるようになった自分とは大違い。
それがまもなく5G(第5世代)に変わるという。(現在は4Gなんだそうだ。)
それには3つの理由があるのだとか。

1つ目は、スマホなどで観ている動画などの画質をもっときめ細かくしたり、ダウンロードをもっと速くできるようにしたり、動画をあらゆる角度から観ることができるKDDIの3D自由視点テレビを楽しめるようにしたりなど、さらに使い勝手をよくして便利にするためだそうだ。そのためには、通信速度を今の10倍以上に高める必要があるという。

2つ目は、家電や車などのIoT(モノのインターネット)のように、これまで無線ネットワークにつながっていなかったさまざまなものが、ネットワークにつながるようになるので、一度につなぐことができる通信機器の数を大幅に増やす必要があるというんだが。

3つ目は、つながる機器の数が増え、種類も増加することでサービスが多様化する。そうなると、用途によっては4Gでは実現できないほど通信のタイムラグを減らす必要が出てくるなど、ネットワークの新しい性能が求められるようになる。こういった理由で、4Gから5Gへとネットワークを進化させる必要があるそうだ。

なんとなくわかったような気になった。もたもたしとれんぞ、小学生に負けちゃうぞ!

2019年12月26日木曜日

新聞記事で60年前の修学旅行を思い出した

阿蘇山のロープウェイが、火山活動の活発化により営業を休止していたのだが、昨日の新聞に「廃止する」という記事が掲載された。
このロープウェイには十年ほど前に弟夫婦と九州旅行をした際に乗ったことがあった。
で、ロープウェイは昭和33年4月に開通したそうだが、その2年後となる昭和35年3月に高校の修学旅行でここを訪れたことがあった。
S35.3 修学旅行で阿蘇山へ
阿蘇山ロープウェーは昭和33年4月10日に開業した。開業間もない約2ヶ月後の6月24日に火山噴火が発生したという。鉄道データファイルに載っている「阿蘇山ロープウェー」の記事によると、この被害にあわれたのは大和索道の関係者が多かった。復旧工事前は61人乗りだったキャビンも、復旧後は81人乗りに架け替えられたという。
修学旅行時と変わらない佇まい
2016年の熊本地震や、半年後の阿蘇中岳の噴火で被災した阿蘇山ロープウェー(熊本県阿蘇市)について、運営会社の九州産交ツーリズム(熊本市)は24日、再建工事を中止すると発表した。20年度の運行再開に向け、今年5月に着工したが、火山活動の終息が見通せず経営リスクが高いと判断した。旧駅舎は解体済みで、事実上の廃止となる見通し。

同社は県、地元と協議して、バス輸送に切り替えて運行計画を詰める。
ロープウェーは1958年に開業。阿蘇山西側の登山バス終点から火口近くまでの858メートルを約4分で結んでいた。迫力ある火口見物が人気で、最盛期には年約50万人が利用したという。
路線の大半が、噴火警戒レベル2で立ち入り規制される火口1キロ圏内にあり、たびたび運休。16年の熊本地震で支柱が破損し、その後、運休中に火山ガスで運行装置が壊れていたことも判明した。最後に運行したのは14年8月だった。
5年前の噴火による被害状況
再建案では、全面ガラス張りのゴンドラを導入するなど設備を一新する計画だったが、4月から噴火警戒レベル2が続き、夏以降は工事が中断していた。
森元末光取締役は「火山活動が長期化する可能性があり、火口1キロ圏内への投資は困難。阿蘇観光に貢献する新たな案を考えたい」と話した。 

阿蘇山は遊歩道から火口の底を見ることができる。十年前に写した写真を探したが、どのホルダーに格納してあるか探し当てることができなかった。
新聞記事で60年前の修学旅行を思い出したのだった。

2019年12月25日水曜日

去年世界一を誇った遊学館バトントワリング部が今年の全国大会で二連覇!

昨年、世界一に輝いた遊学館バトントワリング部が今年も全国大会で二連覇の偉業を果たしチャンピオンに輝いた。
2年連続でグランプリに輝いた遊学館高バトントワリング部の生徒ら=金沢市庁舎前広場で
全国舞台に輝く成果 バトン連覇の遊学館高

「先輩たちの夢を達成」
バトントワーリング全国大会に出場し、二年連続でグランプリの文部科学大臣賞を受賞した金沢市の遊学館高校バトントワリング部のメンバーが二十四日、市役所を訪れ、山野之義市長に報告した。受賞は六回目で連覇は初めて
大会は七日、千葉市の幕張メッセであり、高校のバトン編成部門には全国から四十六校が出場した。遊学館高の演技は「サバイバー」がテーマ。これまでの優雅な動きから趣向を変えて、床を転がったり倒れたりする激しい動きを取り入れ、力強さを表現した。

大会の規定で、二年連続グランプリを受賞した学校は、翌年度の全国大会で特別演技(エキシビション)ができる。
キャプテンの三年中野稚奈梨(ちなり)さん(18)は「連覇のプレッシャーは大きかったけど、たくさんの支えがあって優勝できた」と振り返り、副キャプテンの三年梨子村朱莉(なしむらあかり)さん(17)は「卒業生にもお世話になった。(卒業後は)自分たちがしてもらったことを後輩にしたい」、同じく副キャプテンの三年高村梨里(りり)さん(18)は「二連覇は先輩たちの夢だったので達成できて良かった」と、周囲への感謝や喜びを語った。

昨年アメリカで開催された大会の概要
(1)大 会 名 第34回世界バトントワーリング選手権大会 
(2)開催期間 平成30年8月2日(木)~8月5日(日)※2年に1度開催 
(3)開催場所 米国フロリダ州 (4)主 催 世界バトントワーリング連合(WBTF) (5)参加国数 16カ国 (6)競技概要 種目 年齢区分 国代表 フリースタイル個人 男・女 ジュニア12才~17才 シニア18才以上 各3名 フリースタイルペア ジュニア 12才~17才 シニア 18才以上 各1組 フリースタイルチーム 12才以上(6~8名) 1チーム 
なお、今大会は二年に1回の開催なので、今年は開催されない。

市内各校にバトントワーリング部があり、それがどんなものかを実感できるのが百万石まつりのパレードである。それにしても遊学館の活躍は素晴らしい。金沢市民の誇りでもある。だが、正月休みもないハードな練習に次ぐ練習に耐えてこそ成せる技なのだ。
その素晴らしい演技の発表会が来月25日、本多の森ホールで開催されるという。
日本一どころか世界一の演技が披露されるので関心のある方は是非どうぞ!

2019年12月24日火曜日

誕生日に続くクリスマス

昨日は吾が誕生日だった。30年間、その日は国民の祝日として皆さんから祝福されている気分に浸ったものだったが、今年から平日に戻ったので何だか寂しい気持ちである。
それでも多数の方からお祝いメッセージが届いた。この歳でも嬉しく思う。
家では特にセレモニーは無いのだが、子どもの頃はお袋が5人の子どもの誕生日ごとに「オハギ」を作ってくれた。おやつのない時代にオハギはとても嬉しかった思い出がある。

今日の朝刊にクリスマスケーキの写真が掲載された。今日はクリスマスイブ。
クリスマスケーキ作りに追われるスタッフ=金沢市内のホテル

クリスマス直前の23日、石川県内のホテルや洋菓子店はケーキ作りがピークを迎えた。パティシエらは砂糖細工のサンタクロースなどをホールケーキに飾り付け、甘いひとときを届ける準備に追われた。

金沢市のホテル日航金沢では、調理部ベーカリー&ペストリーのスタッフがスポンジに生クリームを塗り、真っ赤なイチゴやチョコレートを載せたホールケーキを仕上げた。同ホテルでは4種類のケーキを用意し、17日までに約1200個の注文を受けた。

クリスマスといえば生涯忘れることのない思い出がある。それは小学2年生の頃だと思うが、全児童を集めてクリスマス会という行事が催された。
何が始まるのかわくわくしてその時を待ったのだが、絵本でしか見たことがなかったサンタクロースが大きな袋をしょって前に現れたのだ。「ワッ、サンタが来た!」と感動したのを覚えている。
こんな状況だった
プレゼントは確か無かったように思う。しかし、このイベントはその後一度も実施されなかった。サンタになった先生は、先日の宝暦杉ブログで紹介した女性のお父さんだった。

クリスマスで最も楽しみにしてしていたことと云えば朝起きて枕元にあるプレゼントだった。何が置いてあるか目覚めてすぐ確かめるのだが、いつもいつも期待は外れだった。
毎年、みかんが1個置いてあるだけだった。
こんなプレゼントを期待していたが・・・・
たかがクリスマス、されどクリスマス。毎年ほろ苦いクリスマスを思い出すのである。

2019年12月23日月曜日

車の墓場?

こりゃ一体何の写真?とある記事に目がいった。写真には同じ色で同じ車種の小型の車がはるか遠くまでぎっしりと埋め尽くされているではないか!
先ずその写真をご覧あれ。
その数何と三千台
カーシェアリング事業の業者が経営不振のため集積したものだという。

先ごろ、中国・浙江省嘉興市秀洲区で、自動車の「墓場」が再び出現したと報じられた。多くの廃棄処分となったカーシェアリング用の車が畑の脇にぎっしりと置かれてあり、その光景は異様だ。

この「墓場」に置かれた車は、競売にかけられる予定ではあるものの、処理が進んでいない。
その背景には、業界の置かれている苦しい状況がある。最近、北京市のカーシェアリング大手プラットフォームの「途歌(TOGO)」が資金難で担保に入れる資産がなくなったと伝えられたほか、「盼達用車(Pandauto)」などの同業者も資金繰りに行き詰まり、ユーザーのデポジットも返金困難な状態だという。
カーシェアリングの分野は、かつて投資が集中した時期があった。中国電子商務研究センターのデータによると、2017年に764億5900万元(約1兆2000億円)の融資を得て、当年度で最も大きな融資を獲得した分野となった。2018年になっても、投資家らは発展の可能性が高い会社に対する投資を継続させた。しかし、現在では、投資の動きは少なくなり、逆に企業の経営不振が相次いで伝わってきている。

業者は資金繰りが行き詰まりのため行方不明だという。 余程大規模な経営をしていたと推定できる。債権者としては競売にかける予定だというのだが、膨大な台数のため買い手も尻込みするのだろう。

日本国内でもカーシェアリングの時代が到来すると予測した企業もあったが、最近は殆どそういう話は聞かれなくなってしまった。これから超高齢化する日本、免許返納も急増するに違いない。中国もカーシェアリングはなじまないのだろう。

2019年12月22日日曜日

宝暦の一揆を小学生が上演!


2017春のにっぽん縦断こころ旅が石川県を訪れるということで、原稿募集があったので応募した。自分のこころに残る風景は、宇出津田ノ浦海岸から見えた立山連峰であった。当時19歳、能登線建設で軌道敷設のための中心測量作業中に見た、雪を冠した立山の壮大なパノラマだった。水平線上にくっきりと浮かび上がった風景に感動を覚えたのである。

で、放送の日、ひょっとしたらという思いで番組を見た。そうすると、思いがけない狭い道を走っているではないか。何と、我が家のすぐ後ろにある道だったのだ。大きな驚きだったことからfacebookの写真に用いることにして今に至っている。

さて、なぜ今こんな投稿をするのかというと、つい前日、新聞記事に「宝暦の一揆、児童が熱演 能登・柳田小 」という記事が掲載されたからである。
宝暦の一揆を題材にした劇を披露する児童=能登町柳田小
何となんと、2017春のこころ旅で火野正平が我が家の後ろを通ってこの宝暦杉を見に行ったのである。

能登町柳田小の6年生15人は6日、同校の児童集会で劇「宝暦(ほうれき)杉の物語」を上演した。柳田地区周辺で起きた奥能登最大の一揆(いっき)「宝暦の一揆」を題材にした劇で、村のために命を落とした先人の姿を熱演した。

劇は過酷な年貢の取り立てに憤った農民が十村役の屋敷を襲い、責任を負った村の世話役が獄死する姿が描かれている。同校児童が演じるのは初めて。困窮する農民の姿や討ち入りの様子を情感たっぷりに表現し、下級生や保護者から盛んな拍手を浴びた。

これまで劇を上演してきた上町(かんまち)地区の住民有志でつくる劇団「勘座(かんざ)」が稽古をはじめ、舞台装置や衣装を用意するなど協力した。和尚役の森川こころさんは「緊張したが、練習の成果を出すことができた。地域の歴史を知り、柳田がさらに好きになった」と話した。

実は己が地元出身者でありながら、この宝暦の一揆なるものを見たことも聞いたこともなかったのである。これは自分の責任ではなく、村の教育関係者は歴史を教える必要性を持たなかったことによる。

こころ旅で寺分に宝暦杉があること、一揆を語り継ぐ記念碑があることを初めて知ったのである。

宝暦杉と一揆の碑にとうちゃこ!

川底に根を張る厳しい環境で育った

手紙を読む正平氏
この手紙の投稿者はこのすぐ近くの「珠洲道路」沿いの家の出身者である。
その手紙を紹介しよう。

ふるさとへの気持ちを思い起こしてくれた場所
正平さん、チャリオ君、スタッフの皆様、いつも一緒に旅をしているような気分で楽しく拝見させてもらっています。
私のこころの風景は、川のそばに立っている1本の大きな杉の木です。
今は合併して能登町となっていますが、旧柳田村寺分の珠洲道路から見え 宝暦杉と呼ばれています。小学校を卒業するころまで、その木のそばに流れている清流や広場で、日が暮れるまで遊びほうけたものでした。
宝暦杉は、私たちの遊び場のシンボルでした。
そんな楽しい日々を過ごしたふるさとなのに、県タトの大学に進学した私は 柳田村という村出身者だということを恥ずかしく思っていました。
今から思うと何とも情けない話ですが、田舎者と思われるのが嫌で自己紹介の場がとても苦痛でした。
県内に就職し、結婚後、里帰りをした私は、懐かしくなり、久しぶりに宝暦杉のある広場まで行ってみました。あんなに広いと思っていた広場がとても小さく感じられ、そして、そこに建てられていた宝暦義民碑を見て、初めて宝暦杉のいわれを知ったのでした。
今から260年ほど前の江戸時代に、飢饉による年貢不足の責を負って村人を助けるために、自ら名乗り出て入牢することになった二人の男たち。その二人が、もう生還できないと覚悟し、涙ながらに植えた木だったのです。自己犠牲を払って村の人たちを救った先人の思いにふれ、私は、自分のちっぽけさに気付かされました。
今は、能登半島の先端の珠洲市で、波の音を聞きながら過ごしていますが 夏祭りの季節になると、柳田村寺分のたった一基のきりこが夕暮れ時、男たちにかつがれて宝暦杉の横を通り過ぎていく光景が思い出されてきます。
「デンコデンコデンコデン・・・」という鐘や太鼓の音の響きがだんだん小さくなっていき、青田の中を、きりこの灯りがゆらゆらと揺れながら遠ざかっていく美しさ。
大好きな祖父母といっしょにいつまでも眺めていた幼い頃にタイムスリップしてしまいます。
私に、ふるさとへの誇りと感謝の気持ちを思い起こしてくれた宝暦杉。
今はふるさとを離れて県タトに住む母にも、もう一度ふるさとの光景を見せてあげたいと思い、お手紙を書きました。正平さん、チャリオ君、スタッフの皆様、どうぞ、これからもすてきな旅を続けてください。お身体に気を付けて。
                       石川県 珠洲市 徳力 都 63歳


2019年12月21日土曜日

発達障害の息子を持った不幸


先週16日に判決があった、44歳の長男を刺殺したとして殺人罪に問われた元農林水産事務次官、熊沢英昭被告(76)の裁判員裁判で、事件の背景に理解を示しつつも、実刑が相当と判断し、懲役6年(求刑懲役8年)を言い渡したのだが、その4日後の20日に東京高裁が保釈を認める決定を出し、保釈金500万円を支払った熊沢被告は保釈されたという。
殺人罪で実刑判決を受けた被告が保釈されるという極めて異例の展開をたどっており、控訴審で判決が見直される可能性もあるのだとか。
ひきこもりがちだった長男の家庭内暴力に悩み、東京大学を出て頂点にまで登り詰めたエリート官僚の凶行。
発達障害だったという息子に献身的に寄り添う姿も明らかになり、また、熊沢被告は事件直後に自ら110番通報するなど、当初から罪を認め、弁護側も執行猶予付き判決を主張したことから、その量刑に注目が集まっていた。

熊沢被告には長女がいたが、長男の素行が原因で婚約が破談になり、自殺していたことが公判で明かされている。
また、奥さんはストレスが昂じてノイローゼになっているという。
息子がひきこもりだったことは報道されていたが、発達障害があったということは初めて知った。

本来は超エリート層と称される家庭像になるのが当然だったのに、何がどう違ったのか、悲惨な家庭状態になった熊沢被告に同情せざるを得ない。控訴審で量刑が軽減されるのを期待するのだが・・・・

2019年12月20日金曜日

あなたなら地域の中でどう生きるか

現在の町に移住してきて22年経った。家を新築して引っ越ししてきたのだが、家の周りの空き地があっという間に住宅が建ち並んだ。バブルの余韻がまだ残っている時代だった。1年後、家の並び順で班長をすることになった。ま、何もわからないが少しでも早く町内のことがわかればいいと思い引き受けた。班長の仕事は町内会費の集金がメインで毎月各家に行って集金する仕事は専ら女房殿の仕事だった。今では無くなったが交通保険料金も集金業務の一つだった。

吾が輩は名古屋へ単身赴任中で毎週金帰月来の生活。翌年、勤務箇所本体が廃止解体することになり、運輸省が見えないところで根回ししてくれて県の関係機関に転職したので、永年不自由した別居生活が解消することになった。

年数回開かれる班長会議に初めて出席したのだが、驚いたことに怒声が飛び交い紛糾したのだ。なんちゅう町会だと呆れた。紛糾原因は町会長が1年で町会長を辞めるので次の町会長の選出方法を巡ってもめていたのだ。次の回もまた次も何の結論も出なかった。

1月が総会と決まっている。町会長が何を思ったのか、いきなり吾が輩に議長をやって貰いたいと懇願されたのである。議長の経験は組合関係で何度かあったが、町会の総会は出席したこともなかったので、「お断りします」と返答したら、「何も心配はいらない。毎回1時間前後で終わる」といわれ、なら引き受けましょうとなった。

総会では次期町会長が決まらないのに、町会長は今季限りで退任すると強弁したので、意見百出、しまいには議長が町会長をやれとむちゃくちゃな意見が出て紛糾が続いた。
総会以降、こんな町会とは関わりたくないと行事には一切参加しなかった。

ところが紛糾した町会長の次に選出された町会長の元で、副会長の割り当てが当班に回ってきたので、どうせやるなら若い内にやろうと女房殿と意見が一致したので副会長をすることになった。任期1年だが、町会長権限でもう1年延長となった。

2年の任期満了でもう何もせんぞと意思決定し1年経過。12月も押し迫ったある日、突然役員数名が家に来て次期町会長を引き受けてもらいたいという。何度も家に来るので絶対やりませんと突き放した。
翌日、町会長から電話で「ちょっと話があるから自宅までご足労願いたい」と。

家に入るといきなり「関係書類は段ボールに整理して入れてある。」と切り出されたので「いやいや、そんな話は聞いていない」と云ったら、「俺ももう70で体調も良くない。何とか引き受けて貰いたい」と、当方の意思は無視する強攻策に出られた。
奥さんと死別され十余年、子どもはなく一人くらし・・・、そんな話を聞いていたら不憫に思う気持ちが湧いてつい「わかりました」と引き受けてしまった。

そんなことがあったあれから14年たった。その町会長が亡くなられてやがて3年・・・・。



2019年12月19日木曜日

元治さんの塩田


 朝ドラ「スカーレット」のいくつ前になるのだろう。輪島を舞台にした「まれ」の里を町内のシニアクラブで巡ったことがあった。
そのドラマで「まれ」が住むことになった家の主人「元治」さんは塩造りをする人だった。その潮撒き塩田が輪島から10km以上も離れた仁江海岸のちょい向こうにある。
「まれ」が住むことになった元治さんの家
その塩田の主である角花さんの歴史を調べて、大谷小中児童が紙芝居を制作して発表会が開かれたという。

塩田の歴史 始まり始まり 珠洲・大谷小中児童
     写真(上)角花菊太郎さんに関する紙芝居を紹介する児童たち=珠洲市大谷小中で
     写真(下)地元住民を前に紙芝居を発表する児童たち=珠洲市大谷公民館伝承故角花さん


珠洲市大谷小中学校の4年生4人が、塩田にまいた海水を天日で乾かす奥能登伝統の「揚浜式製塩」の技術を守り続けた角花(かくはな)菊太郎さん(同市清水町、1919~2004年)を紹介する紙芝居を製作した。16日に近くの大谷公民館で発表会を開き、地域が誇る偉人の功績や塩田の歴史などを地元住民に伝えた。

地域を知る社会科学習の一環として、先月から歴史書や塩田のパンフレットなどを参考に角花さんについて調査。主に後谷愛心(うしろやあこ)さん(10)と新谷瞳依(めい)さん(9つ)が絵を、川端駿介君(10)と辻花若菜さん(9つ)が文章を担当して完成させた。

発表会では、地元の大谷爽健クラブや大谷婦人会の会員五十人が見守る中、能登の揚浜式製塩が千三百年前から伝わる伝統で、江戸時代には加賀藩の財政を支えていたことなどを説明。昭和時代に外国産の安価な塩が多く輸入されたことなどを理由に能登の製塩業が衰退する中、角花さんがただ一人で塩田を守り続けたと伝えた。

また、角花さんが戦時中に塩作りを任されたために兵役を退いた時の苦悩や、一九六八年に塩田が台風の被害にあった時の思いなどを角花さんの言葉とともに紹介。製塩作業者によって歌い継がれてきた砂取節も披露すると、会員から大きな拍手が送られ「珠洲を愛する気持ちが伝わってきて涙が出た」「よく歴史を勉強していて素晴らしい」などと感想が寄せられた。

発表を終えた辻花さんは「紙芝居を作ったことで、昔から珠洲の未来を考えてくれた人を知ることができて良かった。自分たちの気持ちもうまく伝えられたと思う」と話していた。
元治さんがここで汐を撒いた
当主の角花 豊 さん
汐を撒いて乾燥した砂を集める作業
この塩田のすぐ近くに汐汲み場がある。
少し人工的に手を加えた汐汲み場
この汐汲み場の水深は40cm程度でプールのようになっている。
実はこの汐汲み場は我が家にとって深い縁がある。というのは、娘たちがまだ5歳と2歳くらいの時から帰省した折りに毎年海水浴に何度もここへ来た。そして娘たちはこの汐汲み場で泳ぎを覚えた思い出深い場所なのだ。中学生くらいに成長した頃には、この沖合の岩場に潜ってサザエを採ることを覚えた。入社した同期の友人に、「私、サザエ採るよ」といっても信じて貰えないと嘆いていた。
曽々木海岸のシンボル「窓岩」
角花さんの塩田へ行くときは必ず曽々木海岸を通るのだが、自分が中学生になる頃まではこの公園付近は塩田がいくつもあって、藁葺き小屋も沢山あった。時はそれから既に65年も過ぎた。世の中変わって当然だなぁ。

2019年12月18日水曜日

夜半のトイレ3回が2回に改善

腎臓がんを手術して以降、3ヶ月毎に経過観察のための検診をしており、やがて1年と7ヶ月経過した。検査毎に尿と血液の検査をしているが、お陰様で異常値は発生していない。先月、検診の際に医師に、「夜間、3度ほどトイレに起きるようになったが、薬を処方してもらうことはできませんか?」と尋ねた。

「薬を出しましょう」と、28日分の処方箋を書いて貰い近所の薬局でもらったのだが、それが昨日で切れたので今日は医科大へ処方箋をもらいに行ってきた。
検診の都度、予約票を貰うのだが、薬の処方箋は予約しないので正面玄関入ってすぐの受付で貰いなさいと指示があったので、そこへ行った。そうしたら、ここは総合案内なので再診受付窓口へ行くようにと案内された。いつもと勝手が違うのでちょっと面倒に思った。
受診票と診察券を半透明のファイルに入れたものを持って泌尿器科の受付に向かった。
採血センターの前で採血を待つ患者が100人以上はいた。
そこを通り過ぎ受付箱に入れてしばらく待った。受付係に呼ばれ、35、36,37、38のいずれかの標示板に名前が表示されるのでそこで受診して下さいと指示された。

いつもは37番の部屋で医師の診察になるが、今日は処方箋発行だけで医師の指定はないのでどの部屋から呼び出しかは不明だから、あちこちの標示板を忙しく眺めなければならなかった。約1時間ちょっと待ちでようやく38番の標示板で点灯したのでそこに入った。
入るなり、「久しぶりですね。元気そうね。」と女医さんから話かけられた。手術して毎日入院ベッドへ回診に来られた女医さんだった。

「先月から薬を飲んでいますが、効果が出てくるのはどれくらいですか」と質問した。
「2週間くらいから改善されます。夜中に口が渇いたり熱が出る場合があります」
医師から思わぬ質問があった。「どうして28日分しか出なかったんですかねぇ」と。
「どうしてですかねぇ」と答えるしかなかった。
「今回は70日分出しますね」ということで処方箋をもらい、自動支払機で180円を払って近所の薬局へ直行して受け取った。
薬代1800円。やっぱり70日分の薬となると高いなぁ。

2019年12月17日火曜日

命を奪った二人の元高級官僚の行動


昨日、元農林水産事務次官(76)の判決が言い渡された。
44歳の長男を刺殺したとして殺人罪に問われた元農林水産事務次官、熊沢英昭被告(76)の裁判員裁判。弁護側は執行猶予付きの判決を求めたが、裁判員らは熊沢被告と長男の英一郎さんとの生活状況を丁寧に検討。事件の背景に理解を示しつつも、実刑が相当と判断し、懲役6年(求刑懲役8年)を言い渡したという。
44のひきこもり長男が、近くにある小学校の運動会で「うるさい、ぶっころしてやる」とわめいていたという。親も暴力をふるわれて体中に黒あざがあったという。
元事務次官の長女もそんな家庭環境を悲観して自殺しているというのだ。

5月に発生した川崎市多摩区で起こったスクールバス登校の学童殺傷事件、バスを待つ小学生17人と送りに来た成人2人の計19人が襲われ、そのうち6年生の女児と、別の児童を送りに来た父親で外務官僚の二人が殺害され、40代の女性と小学生2人の計3人が重症、実に凄惨で聞くだに恐ろしい事件であった。

どうしてこんな凄惨な事件が起きたのか? この事件も文字通りの80・50問題と言われる引きこもり男の犯行とされるのである。
5月に発生した川崎事件。そして6月に発生した本事件。元事務次官はこの川崎事件が糸をひいているとする弁護側の主張を否定したという。本当にそうだろうか。エリート官僚だった被告の心情に、「俺が何とかしなければ世間に迷惑を掛ける」と思い犯行に及んだと考えられるのだが。

裁判で「これしか方法はない」とした熊沢被告の主張や、ネット上で「殺したのは英断」という声が上がっている現状に異議を唱え人間もいるという。 が、そんな立場になったことがない人間のいうことである。

そして4月には88歳の元高級官僚が暴走事故を発生させた。
東京・池袋で今年4月、高齢者が運転する車が暴走し2人が死亡、9人が怪我をした事故で、警視庁は旧通産省・工業技術院の飯塚幸三元院長(88)を過失運転致死傷の疑いで書類送検した。ブレーキとアクセルの踏み間違いが原因だったとしている。

警視庁は12日、自動車運転処罰法違反の過失致死傷の疑いで、運転していた旧通産省・工業技術院元院長の飯塚幸三容疑者(88)を書類送検した。起訴を求める厳重処分という意見をつけている。およそ7ヵ月に及ぶ捜査で車の機能に異常はなく、アクセルとブレーキの踏み間違いが事故原因だと断定した。捜査関係者によるとこれまでの事情聴取に当初は「ブレーキが利かなかった」と話し、その後「パニック状態になり、ブレーキとアクセルを踏み間違えた可能性もある」などと説明しているという。
事故の背景としては、片足の具合が悪い上に手足の震えや筋肉のこわばりが起きる「パーキンソン症候群」に罹患していた疑いがあったことも判明した。医師から「運転は許可できない」と伝えられていたということなのだ。この事故をめぐっては、飯塚容疑者が逮捕されないということに批判が相次いだ。

医師から運転許可が出なかった飯塚元院長が「高齢者が安心して運転できるよう」と発言した。このおじさん、頭がおかしい!自分が母子二人の命を奪っていながら残忍性の反省が微塵も感じられないではないか。事故を他人のせいにすりかえているではないか!

同じ高級官僚が起こした事件だが、この飯塚容疑者は許せないのだ。
 

2019年12月16日月曜日

「みくじ合わせ」というセレモニー


 12月も半ばを過ぎて、ぼちぼち年賀状の準備をやらなければならない時期となった。
大河ドラマも終わるが、今年の大河は故意に見逃すことが多かった。何で毎回のようにビートたけしの漫談を聞かんなんのかと不満に思った。
紅白もここ2,3年は見ていない。我々世代に合った紅白はもう終わったのだろう。若い世代は、やたら棒で尻をたたく番組を年が明けるまで見ているせいもあるが。

先日、万札を天井めがけてばらまいたことを記したが、ある写真を見て、「おや、何だか見たような光景だなぁ」と思った。
これは「みくじ合わせ」という気多大社の行事
初詣のおみくじとなるおみくじを混ぜ合わせるセレモニーだという。
 羽咋市の気多大社で7日、初詣用のおみくじをかき交ぜる「みくじ合わせ」が行われ、巫女(みこ)役の中学生15人が参拝者の幸運を願い、約20万枚を舞い上がらせた。

50通りあるくじが偏らないようにする年末の恒例行事で、白衣に緋袴(ひばかま)姿の地元の中学生が拝殿でおはらいを受けた後、参集館に移って車座になり、両手いっぱいに抱えたくじを繰り返し放り上げた。
羽咋中1年の西村怜南さん(13)は「皆さんが良い生活を送れるように願いを込めた」と話した。
15人の中学生が巫女役の衣装を付けて本殿に向かいお祓い

まさに天井めがけてばらまく寸前の状況
おみくじは20万枚だというが、30万枚の年もあったようだ。
50通りのおみくじがあるのだという。だいたい小吉か吉が多いが、昔、富士山に登山する際に浅間神社でおみくじを引いた。そうしたら何と「大凶」を引いた。それからズーとそれを引きずったように思う。

数年前に金沢神社へ初詣した際に引いたおみくじは「大吉」と出た。
その割にはいいことがないなぁ。ま、毎日が平穏無事、これが大吉なのだろう。

2019年12月15日日曜日

花金すんだらボーナスサタデーだった


花金で賑わった一昨日の晩だが、昨日はボーナスサタデーで金沢の各デパートへ買い物客が殺到したという。
当たり前のように貰っていたボーナスだが、それが無くなってもう13年も経った。
3月には年度末手当も出た。その頃は貰うのが当たり前、当然の権利と思ったものだが、13年たった今ではそんな時代が恋しく思う。

現役時代、ボーナスは支給される前には仕訳が決まっており、自由になる金銭は微々たるものだった。支給を当てにした各種ローンの支払いに充当される部分が大きかった。テレビの買い換え、ビデオデッキの購入、車のローンの支払い、洋服屋の支払い等々・・・、それに忘年会費まで徴収された。

独身の頃、ボーナスを貰って寮の6畳間で20万円ほど貰ったボーナスの札束をばら撒まいてみた。天井めがけて力一杯ばらまいた。万札ビラがひらひらと舞いながら落ちた。馬鹿な行為だが、開放感が湧き上がってストレスが小さくなったように思えた。だがそれ以降、撒いた覚えはない。

今日の朝刊
「ボーナスサタデー 金沢に活気 」
買い物客が繰り出し、にぎわう街中=金沢市香林坊
官公庁や多くの企業でボーナスが支給されてから最初の週末となった14日、金沢市中心部は大勢の買い物客が冷たい雨風に肩をすぼめながらも行き交った。今年は消費税増税直後の師走商戦となっているが、百貨店や商業施設は普段の土曜より来店者が多く、にぎわいを見せた。

香林坊大和では通常土曜の2倍の人出となり、高級腕時計やアクセサリーの売れ行きが好調で、品定めする客で活気づいた。めいてつ・エムザでは防寒具やブーツが売れ始め、ハンドバッグ、おもちゃも人気となっている。
お歳暮の平均客単価は、香林坊大和が前年より500円高い1万6600円、めいてつ・エムザが600円アップの1万5千円となっている。


香林坊ラモーダに入居する人気セレクト店「ジャーナルスタンダード金沢店」「ビームス金沢」も若者を中心ににぎわった。


たまにはシティウオッチングせんなんなぁ。

2019年12月14日土曜日

花金で賑わう片町界隈

今日の朝刊に「花金」という言葉があった。この花金で賑わう片町交差点の写真もあった。そういえば夜半12時過ぎにこの付近をうろうろしていた時代があった。時は昭和57~60年、金沢鉄道高架事業関係で金沢在勤だった頃である。その3年後にも1年だけ在勤したこともあった。

その頃はまだバブルの4,5年前だが、新宿歌舞伎町並に2時、3時でも人出が多かった。出張で来た連中を夜の片町へ引っ張り出したものだが、「へぇ、金沢の繁華街って凄いんだなぁ」と口をそろえた。暴走族が交差点で手を振ると、群衆も手を振って応えていた時代だった。
忘年会シーズンを迎え、サラリーマンたちでにぎわう繁華街=13日夜、金沢市の片町スクランブル交差点
本格的な忘年会シーズンを迎えた13日、金沢市片町には多くのサラリーマンらが繰り出し、「花金」の夜を楽しんだ。
ぐるなび(東京)の予測では忘年会のピークは20日。ぐるなび金沢営業所によると、石川県内では人数が20~30人程度で、予算は1人当たり4500~5千円の宴席が多く、おおむね例年通りだという。

予算が4,5千円だというが、30数年前と全く変わらない。そういえば給料の伸び率も殆ど無いくらいだ。娘の30年前の大卒初任給が20万円ジャストだったが、今でも20万円前後の初任給がまかり通っている。ま、大氷河時代もあって、企業は出し渋っているということだろう。

今では全く縁遠くなった片町である。片町はまだ元気があるが、長く住んでいた岐阜市の柳ヶ瀬なんちゅう所は人影まばらに昔の栄華の片鱗さえ見られなくなった。行きつけのハワイ〇号店もとっくに姿を消した。〇〇さんの旦那さんは飲み会の時は必ず奥さんに電話があるというのにあんたは・・・とよく愚痴られた。あの頃が懐かしい!



2019年12月13日金曜日

念願の最短ルートの整備完了

のと里山海道の終点といえば能登空港ICである。穴水から洲衛間の能越自動車道が平成25年3月に完成して名称が変わり全線無料化された。
それまでは能登有料道路の終点は此木ICだった。この周辺に食堂や鮨屋、大型電気店、ホームセンター等が集積して便利になったと思ったのだが、今ではルートが外れてしまい客足がいまいち伸び悩みとなっている。

平成24年度末まで墓参や家の維持管理に行くときは必ず此木ICを通ったので、レストランに入ったり鮨を食べたりしたものである。それがルートが変わって以降、一度もそこには通ったことがなくなってしまった。
平成25年3月末までは能登有料道路の終点だった此木IC
穴水町の住民にとっては、新しく穴水ICが新設されたものの、町の中心部へはやはり以前と変わりはなかった。
それがこのほど、一つ手前の越の原ICから穴水中心街にアクセスする道路が整備されたと報じられた。

のと里山海道越の原IC穴水駅 念願の最短ルート拡幅

穴水町ののと里山海道越の原インターチェンジ(IC)と、のと鉄道穴水駅を結ぶ最短ルートとなる県道と町道の拡幅工事が11月9日までに完了した。約4・4キロの全区間で2車線を確保し、大型バスの運行やすれ違いが可能となった。町にとって念願のルートで、観光バスなどを中心部に引き込むため、事業者に積極的な利用を働き掛ける。

拡幅工事が完了したのは、県道穴水剱地線の1・1キロと、町道宇留地越の原線の0・6キロ。県道は2014年度、町道は15年度に着工し、道幅7メートル、片側1車線を確保した。

従来は道幅が狭く、金沢方面から里山海道を経由して奥能登へ向かう大型バスが穴水駅へ向かうには、穴水ICで一般道に入り、いったん南下する必要があった。
アクセス道路完成!
越の原ICから駅までの距離は、穴水IC経由より1・9キロ短くなった。町担当者は「時間や距離の短縮以上に、穴水ICから『引き返す』ことなく町中心部へ進める道が確保できた意義が大きい」(基盤整備課)と話す。

先月9日に穴水町大町で県道と町道の「完成を祝う会」が開かれ、石川宣雄町長は約70人を前に「穴水を奥能登の交通結節点とすることで、町の活性化につなげたい」と期待を込めた。谷本正憲知事もあいさつし、山口彦衛県議が祝辞を述べた。穴水高書道ガールズが「道」をテーマにパフォーマンスを披露した。

一度そこを走ってみたいと思うが、時間的ロスが大きいのでなかなか実現しそうにない。此木にも行ってみたいなぁ。 


2019年12月12日木曜日

互換インク使用でプリント不良が発生

2年前にプリンターを買い換えたのだが、インクの消耗が激しいので近くの量販店で純正品を購入した。6,400円前後だったが、ちょっと高すぎだなぁと思ってネット通販でいくらの値段か調べた。そうしたら、2千円台、3千円台と色々な互換インクが格安に販売されていることがわかった。純正インクを2,3回買えば新品のプリンターが買えるではないか。インクで稼ごうという商法なのだ。
そんなことで2回目から互換インクを使用している。先月、中学のクラス会があったので写真をメールアドレスがある数人の同級生に送信したのだが、幹事からメールできない6人に写真を渡したいが何かいい方法があるかと相談があった。で、A4サイズワード版でアルバムを作成してプリントするのでそれを皆さんに送付すればどうかと打診したらそれでお願いしますということでアルバムを作成した。

完成したのでプリントを開始。10枚くらいプリントしたとき、インク切れの表示があったので準備していた互換インクを交換した。このインクは通販で買ったばかりだったが、値段がこれまでに最も安価な3千円を切るものにした。次々とインク切れしたのでその都度交換した。
そして異変が起こった。何と、髪の毛がグレーに、青色生地の浴衣の色が周辺にまで広がっているではないか。試しに2,3枚プリントしてみたが同じだったのですぐ中止して、集会所のプリンターを借りてプリントを終えた。

その後、自分のプリンターのインクを全て取り外して買い換えた互換インクに取り替えた。今回は3,400円程度の品質に変えて購入し、試し刷りは何の問題もなかった。
ネットで調べてみると、インク革命.COMでもISO9001取得工場にて日々クオリティーコントロールを行っており、品質向上に努めているため、低価格で純正インクに限りなく近い品質の互換インクを手に入れることができるという。

価格が安いと、コスト削減以外にプリンターのメンテナンスにも違いが出てくる。
価格が高いと、コストパフォーマンスが悪いからインクを消費しづらい。
放置して目詰まりした際も、ヘッドクリーニングで大量にインクを使うので、またインクを購入することになる。

インクコストを気にして、たまにしか使わない場合でも、プリンターの電源ON/OFFをするだけでクリーニングのため、インクが減ってしまう。結果として印刷できる合計枚数が減ってしまう。安価であればコストパフォーマンスが良いので、たくさん気軽に印刷できる。

ま、メリット、デメリットがあることを承知して互換インクを使い続けることにしよう。