2019年4月30日火曜日

兼六園のライトアップ

昨日は午後1時半から5時までのカラオケ同好会例会の終った後、兼六園のライトアップを見に行く予定だったので、少し寒くなるかもしれないのでハーフコートを羽織って出かけた。森本駅18時10分発の電車に乗ったのだが、「なんでこんなに混んでいるんだろう?」と思うほど乗客が多かった。

「夕食は駅のレストランで食べよう」と決めていたのだが、金沢駅は人、人、人でごった返しているではないか!百番街を人をかき分けながら歩いて、レストラン街へ行ったものの、どの店舗も長蛇の列。「なんじゃこれは!」だった。
そういえば新聞に10連休の経済効果は半端ない!という記事があったのを思い出した。

で、駅構内の食事はあきらめてフォーラスに向かった。しかし、ここのレストランやすし屋も入口付近から順番を待つ客がずらりと。ただ一軒だけ直ぐ入れる店があった。「天丼の店だけど入る?」と女房が云うので「しゃーないなぁ」とそこに入った。空き席が2,3あった。だが、注文して出てくるまで30分も待たなければならなかった。

公園方面のバス乗り場へ行った。公園行のシャトルバスは6時台で終っている。公園下経由のバスを待つこと20分、そのバスは紺屋坂前付近のバス停に停まらず公園下交差点を超え、100mも離れた場所のバス停にストップした。
「今日はついてないなぁ」と心の中で呟いて紺屋坂を登った。
いつもの入口は閉鎖されていたので茶店前を通り過ぎて左折したところが入り口だった。

ようやくことじ灯篭が見える場所に出て、石橋を渡ってライトアップされた風景を眺めながらゆっくり歩いた。

湖面に写る景色が二重丸だった
三脚なしのカメラなのでブレた
写真の出来はいまいちだが雰囲気は伝わる
逆さに写る松も趣きがある
霞が池の下になる位置に風情のある滝がある
茶店街の通りに、まだかなりの見物客の姿がある
公園を出て金沢城公園に向かった。

石川門から河北門に出た
大手門を出て大手堀沿いを歩いた。気温が低くなると予想していたが、汗が滲んだ。

大手堀もライトアップされていた
名鉄エムザまで歩き、バスで金沢駅へ。
9時前後の金沢駅もかなり混雑していた。

平日だとこの時間帯は閑散としているのだが
というわけで、予定していたライトアップ見物が終った。歩数計を見たら8千歩を上回っていた。
もう一度、歴博へ1000年ぶりに御開帳された「ご神仏様」を見に出かけなけらばならない。
これは6月上旬までだから連休の終った平日にしよう。


2019年4月29日月曜日

夜景を見に行くならやっぱり冬場

日本三大夜景といえば、函館、神戸、長崎である。
このうち、実際に眺めた所は函館と長崎。函館に行ったのは平成10年3月上旬。事業団を3月末に退職することが決まっていたので、上司が粋な取り計らいをしてくれた。
「行きたいところがあるなら行ってこい。出張扱いにするから」と。
女房にそんな話があったことを伝え、「北海道へ流氷を見に行こう」と誘った。

金沢から小牧まで車で行き、小牧から女満別まで飛行機を利用した。この旅行は全て自分で宿や列車等の予約をしたため、随分割高な旅行となった。例えば、小牧~女満別までの航空券が1人4万円も。だが、砕氷船に乗ったり、旧網走刑務所へ行ったり、札幌、函館としめて二人で30万円余の3泊4日の旅だった。

そんな中、函館の夜景は圧巻だった。3月上旬と云えども北海道は寒かったのだが、夜景は寒い時期に見るのがベストだという。空気が冷たく遠くまでスッキリと見渡せる。夜景は光という光がダイヤモンドのように煌めいて見えるのである。

やがて空はすっかり暗くなる
これが天下一の夜景
函館山から市内を見下ろすと、真ん中がくびれて上部と下部は大きく広がりを見せる函館独特の地形が演出効果を醸し出している。無数のきらめきが輝く夜景は三大夜景のトップにランク付けされているのに頷ける。

ここは神戸。広がりのスケールは大きいのだが
そして長崎。稲佐山展望台からの眺め
長崎の夜景は公務出張の折り、稲佐山から夜景を堪能した。
去年の暮れに横浜のナイトクルージングをしたのだが、ネットで夜景を検索していたらMM21の意外な夜景を見つけた。

何と、ランドマークタワーの背後に富士山が見えるではないか!
これは夕暮れ時の写真なので、どっぷりと日が暮れたら富士山は見えなくなる。

最近はスマホの内臓カメラの性能が極めて向上した。そのせいで、デジカメがさっぱり売れなくなってしまったという。
ドローンに搭載されているカメラも解像力が極めて高くなって、テレビカメラと何ら遜色がなくなった。去年旅行した宗谷岬をドローンから写した写真があった。

行ったときを彷彿させてくれる
この宗谷岬の上部に草原が広がっている。バスは細い道ながら草原の道を走ってくれた。風力発電の風車群があったり、牧場があったりで目を楽しませてくれた。何故か礼文島の風景とそっくりなのに驚いた。

よく似た年代ばっか
名古屋から電車で岐阜まで乗ると、人口の割には光のきらめきが少ない。高速で福井を通過する時もいまいちだが、金沢に入ると圧倒的な光の量になる。
金沢は贅沢な町なのだろうなぁ。

2019年4月28日日曜日

平成時代の終焉

平成時代があと2日を残すのみとなった。平成の31年間を振り返れば正に「あっという間」に過ぎ去った。
31年前といえば45歳。子供は高3と中3の娘二人。これから先、諸経費がもろにかかってくる平成の初期だった。

平成時代の幕開けはバブルの最中にあった。地上げ屋が暗躍し土地価格が沸騰していた。
「マイホーム、手の出るところは熊も出る」とサラ川で優秀作品に選定されたりもした。
住宅販売会社を創設した同級生の話では、「バブル時代は儲かった。毎晩財布に100万円入れて片町へ遊びに行った」という。

一介のサラリーマンとしてはバブルの恩恵を受けなかったといえば嘘になる。何故なら平成8年、金融機関から何と4千万円、住宅金融公庫から4千万もの融資受けて土地購入と建物新築ができたのである。前に住んでいた家の売却費と平成10年3月の退職金で一部を返済した。

平成10年、55歳でトラバーユ。職場風土が180°違う場所は、居心地としては60点くらいだった。そんなところに9年、64歳で退職した。退職したら何をしようかアレコレ考えたが、退職直前の平成18年1月、前任者から懇願されて町会長に就任したので、その業務の深みに足を取られて6年間ものたうち回った。

業務の深みとは何か。平成初期から地域住民が毎月500円を集会所改築資金として18年間積み立てていた。集会所は老朽化して2階の床が抜けそうになって使用制限をしなければならない状況にあった。幸か不幸か、清算事業団で都市計画や宅地造成計画、ホテル新築工事監理業務を経験していたので、土地の形状から建築計画と概算所要資金を算定してみたところ、何とかなると見込みが立って設計、公的資金助成申し込みをして平成20年に着工した。

その前年、敷地所有者の勤労者住宅生活協同組合に土地譲渡を懇願し晴れて町会所有地として登記できた。その勤住協が6カ月後倒産したので、登記できたのは正にグッドタイミングだった。会館完成は平成22年3月、市長(代理)、国、県、市義会議員や住民が集い新築落成祝賀会を盛大に挙行した。
そんなことで少しは地域に奉仕できたかなと自負している。

この後、3年ほど公民館長を務め退任して現在に至っている。毎月今頃になると小学生下校時の交通誘導の当番表を作成しているが、これも13年続いている。
このような平成時代があと2日で終わりとなる。そういえば、大正生まれのおやじとおふくろが平成9年と平成21年に亡くなったことも付け加えなければならない。

昨日の新聞に、全車両に「令和」ヘッドマーク IRいしかわ鉄道  という記事が掲載された。
IRいしかわ鉄道(金沢市)は26日、一部の車両に「令和」と書かれた記念ヘッドマークを掲げた。金沢―富山間など計7便で運行された。27日~5月6日は全車両に掲示される。
マークは縦45センチ、横50センチで、毛筆体で「令和」、赤色で「祝 改元」の文字を配置した。

「令和」と記されたヘッドマークを掲示した車両=金沢駅
IRいしかわ鉄道は、5月1日に「平成31年4月30日」「令和元年5月1日」の日付がそれぞれ印字された金沢-倶利伽羅間の乗車券2枚組を限定500セットで販売する。1日午前10時から金沢駅のIRお客さまカウンターで取り扱う。

そして昨日からサラリーマン待望の10連休が始まった。

北陸新幹線から降りてきた乗客=27日午前8時49分、JR金沢駅
天皇の代替わりに伴い、残り4日の平成と新たな令和の時代にまたがる10連休が27日スタートした。北陸新幹線や空の便は、例年のゴールデンウイークを大幅に上回る利用が見込まれており、連休初日は石川への入り込みがピークになるとみられる。JR金沢駅や小松空港は朝から人波ができ、土産を手にした帰省客や行楽地に向かう観光客で混雑したという。
さぁ、1000年も秘蔵された「ご神体」、それに兼六園のライトアップでも見に行こうかぁ。

2019年4月27日土曜日

コミュニティ活性化の各種同好会

昨日は週2回のカラオケ同好会の開催日だった。
もう9年前になるが、町会の悲願であった集会所改築が成り、新館完成を機にこの施設をフル活用しコミュニティ活性化を図ろうと、十種類の同好会を立ち上げた。
そのうちの一つがカラオケ同好会である。
発足当時は十数名のメンバーが集まって、唄うのは勿論だが雑談もあって楽しいひと時を過ごした。

カラオケ同好会の模様
懐メロの数千曲はPCに収録されているが、新曲を唄う人があるのでパソコンのyoutubeで検索すればだいたいの曲はある。ただ、キーやテンポの調整が効かないのがちょっと不満な所ではある。
しかし、小形ながらアンプ付きスピーカーの音質・音量も営業店並みの出力があり、エコー調整が可能、何よりも65吋ディスプレーに接続して唄うことが出来るのである。
カラオケ喫茶店よりも音質・音量・ディスプレーとも上回っているし、何よりも会館の使用料が無料なのがありがたいのである。

リクエスト曲を選曲中
みんなも一緒に口ずさむ
しかし、9年の歳月は当然高齢化の波に飲まれ、亡くなられた方や病気療養中の方、介護施設に入所された方等で5,6名に減少してしまった。
昨日はある会員から、もっと楽しい同好会にするための提案があった。
課題曲を選んでみんなで唄おうというものである。そうすれば、同好会に参加する人が増えるだろうという意見だった。
次回には二人ほど新しい会員が増えそうである。

その他の同好会の活動模様を紹介しよう。

料理同好会

生け花同好会

茶道同好会
 茶道具専門店のおやじさん曰く、「町会が茶道具1式を備え付けているのは他に聞いたことがない」と。
映画同好会

クラフト同好会

グラウンドゴルフ同好会の定例会

健康クラブ

ネットサークル
このような活動が10年近く続いているということは、地域住民の絆は他の地区に比べて格段の差が出てきたように思う。
3年前にできた荒屋団地お助け隊も、このような環境・土壌があったからできたと云える。だが、この組織の中核を担っているメンバーは、もともとあった交友会(旧ソフトボール同好会)の協力が最も大きいのかも知れない。

囲碁将棋同好会は数回開催されたものの、運営方法に難があったか自然消滅している。
ま、健康に支障がない限り、カラオケ同好会の運営に関わっていかざるを得ない。
その訳はPCのオペレーターは他にいないからである。



2019年4月26日金曜日

チンタオに翻る旭日旗

中国山東省青島で中国海軍が70年記念国際観艦式を行なった。
去年は韓国が諸国海軍を招き観艦式を行なったのだが、特に日本自衛艦に注文を付けた。
入港の際は旭日旗の掲揚は禁止とするという通知を出したのだ。旭日旗に対するアレルギー体質は益々強まるばかりである。
それどころか、自衛隊機にレザー照射し、敵意に満ちた行為をなんだかんだと訳の分からない反論を繰り返していたのだが、つい先日正式に、自衛隊機が近づいたらレザー波を照射すると通知したという。

日本と韓国は敵国となって戦った事実はない。北にすりよる姿勢を強めている韓国は、日本を敵国としたい空気が充満しているようだ。それにしても韓国政府の目に余る「反日」に関わらず、寛大な姿勢をとっている日本政府が腹ただしく思う。


それに対して、日中戦争で12年も戦った中国が観艦式で何の制限をしなかったばかりか、青島の岩壁に横付けした自衛艦「すずつき」 が大人気で、24日には5千人が見学に訪れたという。この中国と韓国の差は何なんだろう。

見学者の長い行列ができた

海上自衛隊の護衛艦「すずつき」の前で記念撮影する中国人観覧者=24日、中国・青島(共同)
【青島共同】中国海軍は24日、山東省青島での国際観艦式に参加した日本や中国の艦艇を一般公開し、海上自衛隊の護衛艦「すずつき」には観覧希望者が長蛇の列をつくった。この日だけで約5千人が見学したとみられ、ロシア艦艇と並び人気を集めた。自衛隊員らは中国人と記念撮影に応じるなどし交流を深めた。

乗艦する第8護衛隊(長崎県佐世保市)司令の本村信悟1等海佐は「日中両国と、海自と中国海軍の相互理解促進につながればいい」と望んだ。中国人に間断なく記念撮影を求められ、笑顔で応じていた。
また、中国海軍は24日、各国海軍幹部らが参加したシンポジウムを開いた。

軍艦旗が翻る「すずつき」
自衛艦名の「すずつき」の意味が分からなかったので調べたら、「爽やかに澄み切った秋の月」に由来するそうな。
また、旧海軍に駆逐艦「涼月」があったという。

中国との関係が良好になった今日ではあるが、相変わらず尖閣諸島付近の領海侵入を繰り返している現実を忘れてはいけない。

2019年4月25日木曜日

ふるさと探訪のツール

グーグル地図をズームアップすると、自然的にストリートビューに切り替わって付近の風景が映し出される。これが世界中の地図でも見ることが出来る。これは非常に素晴らしいことなのだが、世界各国で裁判沙汰のトラブルがあるのだという。

日本では家々の表札や店舗の電話盆号が多く写っているほか、「関係者以外立入禁止」と明記されている道路や、女子校の敷地内にある道路など公道以外で撮影を行っていること、さらに横浜市の条例に違反する行為や自動車通行止めなど通行規制を無視して進入した事例も報告されている。

地方自治体や弁護士らも動いており、東京都杉並区は2008年8月12日と11月7日にGoogleに対し「プライバシーへの配慮と削除要請への適切な対応」を申し入れており、全国の地方議会から何らかの規制検討や、撮影の事前告知を求めるといった内容の意見書提出も相次いでいる。福岡県弁護士会は2008年12月2日に「ストリートビューサービスの中止を求める声明」を出したという

そんな問題はさて置き、実家付近のストリートビューで幼かった日々の思い出を振り返った。

実家のすぐそばにある諏訪神社
この付近のストリートビューの撮影が2018年7月と表示されていた。この写真を見ると「キリコ」と神社の幟や提灯が写っているではないか。在所の祭りは7月26,27日と決まっていたが、何年か前から直近の土日に変更されたという。で、撮影車が通過したのが去年の7月月末の土日いづれかということができる。

さて、この諏訪神社境内や神社内、物置や天井裏の隅々まで子供の頃の遊び場だったところである。7月の祭りでは境内に2本のキリコが立った。夜10時頃、神輿が先導してキリコが動きだす。ここから火の宮まで約500mを10回くらい休憩しながら進む。

約200mの位置にある市姫神社で神主が祝詞を奏上する
この火の宮で再び祝詞奏上 
祝詞奏上の間、キリコ人足は一升瓶のたらい回しでがぶ飲みする。祝詞奏上が終ると鉦や笛、太鼓のテンポが急に速くなって2基のキリコが神社の周りを人足が小走りになって動く。これが最大の踏ん張りどころである。諏訪神社に戻る頃は日が変わる。最後に境内の広場を小走りになって練りあるく。これが夜祭、翌日午后三時頃再び同じコースを辿って祭りは終わる。最近は人手不足でキリコは1基、それも小型のものになった。まだ、車輪がい付けてないのがせめてもの救いか。

火の宮の裏の椿
火の宮の裏手の民地に椿の大木がある。子供の頃、この木に登って椿の実を採った。この実で算盤を磨くと動きが滑らかになった。

まだまだ思い出がつきないぞ。それは明日にしよう。

2019年4月24日水曜日

運転手不足も旅客収入減も一挙に解消!

宅配業者にしろ引越業界にしろ運転手不足が著しいという。4月危機という話があったが、会社員にしろ公務員にしろ人事異動に伴う引っ越しは順調になされたのだろうか。
そんな状況の中、人口減少が続く地方のバスで客貨混載とすることで、どちらもメリットがあることから、拡大しつつあるようだ。
先だって、金沢・東京間のJRバスでも客貨混載が始まったという。

高速バスにも導入された客貨混載
そしてこの度、利用者減少が続くJR北海道が、宗谷線稚内―幌延間(60キロ)で、佐川急便の宅配荷物を輸送する事業を18日から始めた。駅からタクシーなどで各戸に配送する仕組みで、運転手不足の佐川にも利点がある。国土交通省によるとタクシーも組み合わせた貨客混載の取り組みは全国初という。

参加するのはJR北海道(札幌市)、佐川急便(京都市)、タクシー会社「天塩ハイヤー」(北海道幌延町)。佐川が集めた荷物を稚内駅か幌延駅で専用の箱に入れ、1両編成の普通列車内の座席に固定。幌延駅からの配送は委託を受けたタクシー運転手が実施し、稚内駅では佐川が荷物を配送する。1回に最大60個程度の荷物を輸送できるという。

宗谷線は1キロ当たりの1日平均乗客数が1975年度の1878人から2017年度の352人と5分の1以下に減少。一方で佐川もトラック運転手確保は容易ではなく、トラックで片道1時間程度かかる稚内―幌延間をJRに置き換えると年間417時間の運転時間が削減可能という。トラックからの二酸化炭素排出量も年間3・8トン削減でき、JR北と佐川は、今回の取り組みが成功すれば他地域への拡大も検討する。

JR宗谷線稚内駅で
18日、稚内駅では普通列車に最初の混載となる41個の荷物を搭載。佐川の柴田和章取締役は「これからますますドライバーが不足する中、労働環境改善や排ガス軽減で地域社会にも役立つ」と期待を示した。JR北・旭川支社の島典賢(のりさと)支社長も「宗谷線の利用促進に向け(事業を)育てたい」と話した。
鉄道ジャーナリストの梅原淳さんは「旧国鉄時代に比べ旅客列車での小規模荷物輸送は減っていたが、JR、宅配便事業者双方にメリットがある新たな貨客混載が実現すれば将来的に実施地域拡大や特急列車、北海道新幹線の利用などの可能性も出てくる。コンテナでの大規模輸送に比べ、小規模な荷物の輸送需要を取り込むことで乗客減少が続くJRの路線維持にもつながる」と評価している。

JR北海道では今月も夕張線を廃止した。本当は半数以上の路線を廃止したいのだとか。
民営化して32年、「国土の均衡ある発展」という金科玉条のもと、赤字路線もなんのそので経営した国鉄だったが、民営化ではそうはいかないので、これから益々赤字路線が廃止され、結局、住民が泣きをみるしかないのだろうなぁ。
JR四国も全路線が赤字だという。どうなるんだろうねぇ。

2019年4月23日火曜日

黒部トロッコ電車営業開始

立山室堂まで除雪が終り道路両側の雪の大谷と称する垂直に立ち上がる雪の壁に観光客の歓声があがっているという。特に中国・台湾からの観光客が多いのだとか。
沖縄の人が本土へ行って見たいものが①富士山②紅葉③雪景色だという。どれも沖縄にはないものだからそうだ。沖縄に旅行するまでは紅葉もないとは知らなかった。

かくいう自分もはるか網走まで行って砕氷船に乗り流氷を見に行ったもんなぁ。

室堂までの除雪が完了して1週間くらいなのだが、次は黒部峡谷のトロッコ電車の営業開始が20日から始まったという。





北アルプスの大自然を車窓から楽しめる黒部峡谷鉄道(富山県黒部市)のトロッコ電車が20日、約5カ月の冬季休業を終え、一部区間で運転を再開した。11月末まで。
開通区間は、同県有数の温泉街のある宇奈月-笹平の約7キロ。オレンジ色の車体が特徴のトロッコは、黒部川沿いを平均時速15キロでゆっくりと進み、観光客は新緑やエメラルドグリーンのダムを眺められる。


乗車した埼玉県川口市の会社員糸田満さん(48)は「晴れてダムの水面の緑がよく映えていた。宇奈月温泉も良く、またゆっくり訪れたい」と満足そうだった。
暖冬の影響で雪解けが早く、例年より数日早い29日に宇奈月-欅平の全線約20キロが開通する
黒部峡谷鉄道によると、2018年の利用者は約67万人で、19年は71万人を目指すという。

実は10年前の平成21年にトロッコ電車に乗るツアーに参加した。
宇奈月から欅平まで電車に乗ったのだが、黒部渓谷の素晴らしい眺望、黒部川のエメラルドグリーンの不思議な色に息を飲み、それはそれは楽しい思い出がぎっしり詰まっている。

トロッコ電車の始発駅

川の色合いがきれいなのだ

電車終点

欅平駅を降りて付近の眺めに見惚れた
金沢からバスツアーの一行
バスツアーは本当に楽。切符もお任せ。室堂~トロリーバス~ケーブルカー~黒四ダム~扇沢~金沢もバスツアーだった。リーズナブルで時間ロスもなくバスツアーは最適である。今年はどこにしようかなぁ。


2019年4月22日月曜日

71年前の光景が蘇る宇出津の曳山

一昨日から宇出津の曳山祭りが始まったという。写真を見て71年前の祭りの光景が蘇った。年齢は5歳だから昭和23年だと思う。
この曳山祭りの歴史は古く、500年も前から続いているという。
自分の記憶では母と3歳上の姉と3歳下の弟と行っていると思うのだが、何故か姉弟一緒という記憶は全くない。

見学場所は梶川沿いの路上だった。具体的には千間書店の前の橋の上に通りかかった風景が見える場所だから、梶川沿いの路上だと思う。

当時はトンネルは無かった

これは新町方向に引っ張っている
トンネルの手前左側に道路が分岐しているのだが、母の実家はここから近くである。その実家も2,3年前から空き家になってしまった。

曳山の上に子供が沢山いるが人形があるだけで実演はないようだ
当時の引手はこの写真よりもずっと多かったように思う。
考えてみれば戦後3年目の頃なのに、このような経費の掛かる祭礼を執行した宇出津の経済力に驚かされる。
で、この梶川の橋は祭礼に欠かせない場所なのだ。7月七夕の頃に開催される「あばれ祭り」の神輿をこの梶川に投げ込み、橋脚にがんがん神輿をぶつけて破壊する場所なのである。だが、この梶川は子どもの頃から「汚い川」だった。家庭排水のため水は濁り、捨てられたごみが浮いている本当に汚い川だった。が、下水が整備された20年前くらいからイメージが一新している。

2台勢ぞろい 演目は何だろうか。人形が飾ってある
つい10年前まで営業していた「千間書店」がなくなって一抹の寂しさを覚える。
10連休に一度行ってみようかなぁ。