2018年3月31日土曜日

28年ぶりの痛快事!

石川県から2校が甲子園に出場し、共に大活躍している。
昨日は航空石川が明徳義塾と対戦し、9回裏、原田が劇的逆転3ランをかっ飛ばして勝利した。
そのシーンは正に血沸き肉躍る思いをさせてくれた。前打者がホアボールで出塁した時、中村監督が原田に、「バントするか?」と聞いたという。原田は、「打ちます」と躊躇することなく答えたという。中村監督は、バントはうちの野球ではないと考えていたといい、一応、原田に聞いてみたのだという。ある新聞は、監督と選手この信頼関係がチームを強くしていると書いた。

原田曰く、「ホアボールの次は必ずストライクを取りに来る、インコーナーを諦めさせ、バッターボックスのラインぎりぎりに立って好球必打の体制を採って構えた」という。

バッターボックスに立った原田
フルスイング 左中間スタンドにサヨナラ3ランホームラン
期待に応えた原田のホームランに喜色満面の中村監督
小生は対戦相手の明徳義塾にはこれまで好感を持つことはなかった。それは今から28年前にまで遡らなければならない。1992年8月16日に阪神甲子園球場で行われた第74回全国高等学校野球選手権大会2回戦の明徳義塾高校(高知)対星稜高校(石川)戦において、明徳義塾が、星稜の4番打者・松井秀喜を5打席連続して敬遠する作戦を敢行し、この試合で松井が一度もバットを振ることないまま星稜が敗退した出来事は忘れられない。

監督就任2年目の馬渕史郎監督の采配であったが、ルール違反ではないものの、高校生の野球らしくないと批判が巻き起こった。余りの反響の大きさに、馬渕監督は学校側に辞意を表明したが、あなたは間違ったことはしていないと監督続投を依頼されたのだという。

現在62歳、大したものである。その監督が差配する明徳義塾を航空石川が破ったのである。

あゝ、痛快なり!


2018年3月30日金曜日

子どもに戻った3枚の写真

昨日は子供の時代に、脳裏に焼き付いているある場面を彷彿させる3枚の写真を眼にした。
1枚目は東京・昭和館というところで写真展が行われている作品の一部なのだが、GHQの職員が写した1700枚の写真の一つに、進駐軍のジープを子供たちが追っかけている写真である。この写真の撮影場所が不明なのだそうだ。
チョコをねだる子供たち
この写真を見て、チョコレートを貰いたくて一生懸命にジープを追っかけた自分の姿と重なった。当時、私は小学校に上がる前くらいだったから、スピードのあるジープを追っかけるといってもほんの10mくらいだったのだろうが、それでも必死に追いかけた。

進駐軍の兵士が4,5人乗っていた。2,3カ月に1回くらいの頻度で、輪島の駐屯地から村の富豪の所へやって来た。確か1,2度はチョコにありつけたように思う。「こんな美味いもんがあるんだ!」と感激したものである。
そんな情景を写した写真もあった
もう1枚の写真は「発動機」である。

ヤンマーか井関か
弾み車の横にあるベルトかけでベルトを精米機や脱穀機にかけて作業をしていた。この発動機を運搬して各農家を回っていた業者がいた。そんな作業をエンジン掛けから作業が完全に終わるまで飽きもせずジッと見ていた。重々しいエンジン音が面白かった。

そしてもう1枚。それは日本の写真でなく、かつ、昔の写真でなく現時点の写真である。
トラックの写真なのだが、何と「煙を吐くトラック」なのである。


場所は北朝鮮。燃料が木炭なのだという。規制強化でガソリンがないのだろう。
進駐軍のジープを追っかけていた頃、バスやトラック、それにタクシー(昔はハイヤーと称した)は、薪を燃料にしていたので釜が付けてあった。バスの車掌は長い鉄筋棒を持って釜の蓋を開けて中を突っついていた。そのあと薪を投入し手で風車を回して風を送った。この風車を廻すのが面白くて、トラックの運転手に頼んで風車を廻した。かなり負荷があったが、速く廻すと釜が赤くなるほど火力が強くなった。

年齢は5歳から6歳、時代は昭和23年、24年の出来事だった。
もう70年も前の話であった。

2018年3月29日木曜日

金沢城防御施設・西外惣構升形が間もなく完成


金沢市が復元工事を進めている金沢城西外惣構(にしそとそうがまえ)の防御施設「升形(ますがた)」が完成間近となり、本町1丁目に威容を現した。1600年代初めの都市構造を伝える貴重な遺構が通行人の目を引いている。(新聞記事から)

市役所裏の標柱

完成間近の升形

升形は宮腰往還(みやのこしおうかん)(現・金石街道)と、西外惣構が交わる交通、軍事の要衝に位置し、外敵の侵入を防ぐ役割を果たしていた。

場所は武蔵が辻交差点の西に100mほど下がった所
市内で唯一、遺構が確認できる升形で、約600平方メートルの敷地に高さ約5メートル、幅約11メートルの土塁「土居(どい)」を復元した。土居の周囲には深さ約1メートルの空堀を整備し、遺構が残っていた石垣も欠損箇所を積み増して当時の様子を再現したという。
路面から5mあり、このような構築物が知事公舎横から香林坊、北國新聞社裏手からこの場所、そして主計町まで構築されていた。

上の写真の裏側・かなりでかい!
市は今月末までに説明板の設置など仕上げ作業を進め、4月15日に完成報告会を開く予定となっている。
ちなみに、武家屋敷は西外惣構の外側に位置している。しかし、こんなものは現代に不必要な施設なので、全面復元するのはとても無理でその必要は全くない。だからほんの一部で十分なのだ。

そういえばブラタモリでも土居の跡地を見ていたなぁ。京都の土居は秀吉が築いたという話もブラタモリだった。


2018年3月28日水曜日

新幹線レールをスキャンしてみた

昭和50年3月10日に山陽新幹線岡山博多間が開業した。その日、広島駅新幹線上り線ホームにおいて開業式典が行われ、小生も工事関係者として参列した。

新幹線開業式典 於広島駅
このセレモニーが終わり、広島に集結していた技術職員は東北新幹線や出身母体の岐阜、大阪、下関に転勤したのだが、事務系、技術系を問わず全職員に記念品が配付された。
記念品は新幹線のレールを1cmの厚さに切断したもので、それにメッキを施してプラスチックケースに収められたものであった。
先日、書棚の整理をしていたらそれが出てきたので、スキャンしたらどうなるかやってみたくなった。


これは原寸大にスキャンできた。
切断前のレール
このレールは60kgNレールと称し、1mあたり60kgの重量である。
ちなみに北陸本線は50kg、能登線では30kgレールが使用された。
七尾線では日露戦争で「ぶんどって来た長さ10.06mのレール」が長く使用されていた。このことは旧国鉄職員であっても知る人は稀である。
断面
広島博多間の開業にあたり試運転が2カ月間行われたが、小生も広島から博多まで列車最後尾の運転室で試乗した。

0系運転席

これでも当時は最新型だった
あれから43年の月日が流れた。これは「のぞみ」よりもはるかに早い!

2018年3月27日火曜日

うちにも春が来たよ

昨日に続いて今日も快晴、日中の気温も5月上旬並みに上昇しそうだ。
昨日の夕方だが、姫こぶしが少しだけ開花したのに気付いた。豪雪で枝が雪に埋まり折れた枝を随分切った。にもかかわらず今朝見に行ったら、もうすぐ満開になりそうなくらい咲いていた。

姫こぶし
露地を歩いていたら、歩み石の横からフキノトウが花を付けていた。

フキノトウの花が満開
裏庭の両角にウメノキとアンズが植えてあるのだが、いつも梅が早く咲くのに今年はアンズが満開となった。

ウメは8分咲き
満開のアンズ
先月はこんな状態だったのにだ。


春が駆け足でやって来た。何だか心が弾む。
兼六園の桜も一気に蕾が膨らむことだろう。


2018年3月26日月曜日

天才少年?小3児童がウイルス作成


16歳の中学生が、やがて7段に昇段するという藤井聡太君は将棋界でも稀にみる天才だと云われる。
だが、先日、小学3年生の児童がコンピュータウイルスを作成したというニュースが流れ、世間をアッと驚かせた。これまた違った意味で天才なのだろう。

大阪府内に住む小学3年生の男子児童が、動画投稿サイトを参考に作成したコンピューターウイルスを誰でもダウンロードできる状態にしたとして、神奈川県警が不正指令電磁的記録提供などの非行内容で児童相談所に通告していたことがわかったという。
このコンピュータウイルスをダウンロードしたとして、不正指令電磁的記録取得の非行内容で、東京都内に住む小学4年生の男子児童と、山梨県内に住む小学5年生の男子児童も児童相談所に通告されたとか。

友達でも何でもない小学生がこれをダウンロードしたという。児童たちは凄い才能を持っている。が、自分のやっていることがどれほど悪質で、反社会的行為なのか理解できない年齢である。

発表によると、大阪府の男子児童は2017年5月~6月までに、自身が作成したコンピュータウイルスをインターネット上にアップロードした疑いが持たれているらしい。
その後、インターネット上にアップロードされたウイルスを、東京都内と山梨県内に住む男子児童らがダウンロードしたということなのだ。
どのようにしてそんなウイルスがあることを知ったのだろうか。検索したら、たまたまアクセスできたのだろうか。


この件に関してSNSでは色々な意見が飛び交っている。




優れた才能を潰さずに伸ばせてやるのが大人の義務。良き指導者に巡り合えるのを期待したい。
しかし、最近になってPCができない若者が増えているという。原因はスマホにあるという。

うちの高1、中1の孫はパソコンをいじっているから当面は心配なしである。
かくいう自分は55歳からのパソコン・・・・。

2018年3月25日日曜日

75歳以上が1770万人

私は去年12月に75歳になったのだが、このほど総務省が 発表した3月「人口推計」によると、75歳以上の後期高齢者は1770万人で、65~74歳の1764万人を上回り、高齢者全体の半数を超えたという。
人口推計で75歳以上が65~74歳を上回るのは初めてなのだそうだ。

3月1日時点の総人口(1億2652万人)に占める75歳以上の割合は14・0%。推計によると、75歳以上のうち男性は693万人、女性は1077万人。85歳以上は男性173万人、女性387万人の計559万人だった。10年経つと男性の減少が目立つ。
年代別の総人口に占める割合は、15歳未満が12・3%、15~64歳が59・8%、65歳以上は27・9%だった。少子高齢が際立っている。

10年前(平成20年3月)の人口推計では、65~74歳が1482万人だったのに対し、75歳以上は1297万人だった。何と500万人も増えたのだ。

75歳以上が激増中
では、その高齢者の生活実態はどうなっているのか。


高齢無職世帯の生活費が23.5万円、単身世帯が14.2万円だという。
では、収入はどうなっている?

毎月5万余円が赤字となっている。年60数万円の赤字である。
一方、単身世帯はどうか。

単身者も4万円余/月の赤字。交際費の支出が大きいが、これは親戚縁者で逝去される人が増える年代なので増加は避けられない。また、高齢になると通院が増えるのだが、ウエイト的にはそんなに大きくはない。
こづかいが6000円程度となっているが、これは夫婦二人分なので「たばこ代」にもならない少額である。預貯金を取り崩しての生活だから「我慢」なのか。

介護保険料が6000円前後に値上げされることになった。2025年問題とは、高齢者の5人に1人の割合で認知症になると予測されている。そうなれば多くの後期高齢者が介護施設のお世話にならざるを得ないのだろう。
先日の新聞に、きんさん、ぎんさんの娘さんが100歳になったという記事が掲載された。娘さんは4人おられるのだが、いたって仲良し、長女と次女が同居して生活されているようだ。
きんさん、ぎんさん
テレビインタビューの4姉妹
去年の4姉妹インタビューで4人が口を揃えて介護保険制度に「ケチ」を付けていた。
「100になるまで介護施設のお世話になっていないのに、介護保険料は払いっぱなし。
少しはお祝い金として還付してもいいんじゃないか」と。
正論! 

2018年3月24日土曜日

町内の偉人

並みの人間ではない人を偉人というが、吾が町内にもそんな人が何人かおられる。
一水会や二科展で活躍されている女性画家や、国内を問わず世界各地で公演されている炎太鼓のメンバー、あるいは少年少女発明工夫展において二年連続最高賞を受賞した少年等々の皆さんである。70代後半の女性が国内・海外で開催されるフルマラソンに参加されている信じられないスポーツマンも含まれるのだ。


昨年は二カ月連続して北國文芸短歌の部で一位入選を果たされた80代半ばの女性がおられるが、その女性が今月も一位入選を果たされた。何ケ月か前にその女性に創作活動を続けておられるか尋ねたことがあった。「もう年だからなかなか応募できない」とおっしゃっていたが、今月、見事一位入賞の快挙を果たされた。


今後の創作が楽しみである。
さて、昨日、町会の拡大役員会が招集されたので出席した。班長や町会役員のほか、シニアクラブ会長、子供会育成委員会長、民生委員、各種同好会代表で構成された39名のメンバーの一人として招集された。

冒頭の町会長のあいさつで、新たに班を新設した話があった。この班の地域は本来、当町会の範囲外なのだが、新興住宅地でどこの町会にも属していない空白地域であった。ところが、その地域のある世帯主が町会に入会したいと申し出があったので、空白地域の14世帯の皆さんにアンケート調査を実施したところ、9世帯が町会入会の意思表明があり、4月から新しい班が加わることになったという。

15年ほど前になるが、この地域の住民が町会入会を打診されたことがあったが、町会長は町内だけとする建前に拘って拒否した経緯があった。10年前に既存パチンコ店の駐車場跡地に数軒の住宅が建てられ、大規模パチンコ店進出計画が明らかになった際に地元説明会を開催した。その際に当該地域は町外ながら町会入会の要望があり、全世帯が班の一部に編入されたことがあった。全国的に町会脱退が多くなっている時世に、世帯数が増える町会は異例だが、地域の防犯、防災を考えれば望ましいことではある。

さて、その拡大役員会のメインテーマは、花見祭り、グラウンドゴルフ大会、カラオケ大会、麻雀大会の開催要領と計画準備についての役割分担であった。これらの行事は現役町会長の企画立案で、従来の町会活動にはなかった行事である。なかったというより、従来の行事を執行するのに四苦八苦していて、とてもそんな余裕はない状況であった。
町会長の強力なパワーに驚きを禁じ得ない。そうした意味で、町会長も偉人の一人に違いない。


2018年3月23日金曜日

MRIで精検

1週間おいて昨日は再び医科大に行って、予約していたMRI検査を受検した。
本来ならば造影剤を使用するのがベターなのだが、既往症に「喘息」があると申告したら、造影剤は使わないでより強力な磁力が発生する機器で検査することになった。
MRIはこれまで二度やったのだが、今回は検査要領と機器の発生する音が異なった。



午後3時過ぎに検査室に入った。台や機器の形状はいつものものとは変わりないのだが、台の上に寝そべってから膝の下にクッションを入れられた。それに、胸の上にホームベースのような分厚くてかなり重さを感じる物体を乗せられた。やがて台は筒状の中に入った。しばらくすると金づちで金属を叩くような音がして、それが数種類の音に変化した。ある音は機関銃を打ちまくっている音そっくり、ある時は高音の断続音だったり、総じて気分が悪くなる音であった。

「息を吸ってー、はい吐いてー、はい止めて」を十回以上繰り返した。所要時間は40分前後、随分長く感じた。
午後4時前後、検査が終わり医師の受診まで待合室で待機した。画像処理に時間がかかるようで、ここでも随分待たされた。午後5時を回った頃ようやく診察室に入り医師の説明を聞いた。

画像はCTよりも鮮明であった。「この部分が腫瘍です。ただし、良性か悪性かは分かりません。患者さんによってはこのまましばらく様子をみるという人もあります。手術の方法は二種類あります。腹腔鏡による場合と開腹手術です。腹腔鏡は私は経験がありませんがら詳しい話ができません」。
「全摘と部分摘出がありますが、部分摘出のメリットは何ですか」と質問した。
「残す分だけ機能が生きる」と答えられた。二つあるから一つ摘出してももう一つあるからいいではないかと思うのだがそうではないらしい。
再度質問した。
「針を刺して細胞を採取して判断できないのか」と。
「腎臓に関しては生体採取はできない。手術後に検査するので2週間後に判定される」と返答された。

腎臓がんの症状を示した図であるが、初期の段階なのか一切自覚症状はない。
イメージ図
「私は手術をお願いしたいと思っています。今後のスケジュールはどうなりますか」と質問した。
「来月4日に泌尿器科の会議があるので、この検査結果を踏まえて会議にかけて判断することになる。」と答えられ、来月4日に医科大の予約となった。
良性、悪性にかかわらず腫瘍は摘出することにした。
腹腔鏡による手術は入院日数が短いと医師が説明されたが、さてどうするか・・・だ。

2018年3月22日木曜日

鶴来のふれあい昆虫館


県ふれあい昆虫館(白山市八幡町)が、今年で開館20周年を迎えるという。
同館の開館は1998年(平成10年)7月22日で、それ以来の歩みを紹介するコーナーでは、20年間のイベントや出来事が記されたすごろくゲームで、コマを進めながら館の歴史を振り返ることができるようだ。


吾が町内の老人会は、平成20年に同館を訪れたことがある。

平成20年6月 福寿会と称していた頃の研修旅行
場所は白山比咩神社の手前300m位の交差点を右折したところにある。


同館の見所を紹介するコーナーでは、10種約1000匹のチョウが飛び交う「チョウの園」など、職員らのおすすめ展示スポットが紹介されている。このほか、同館の裏側紹介のコーナーでは、昆虫の飼育やイベントの企画を担当する学芸員ら8人の職員を楽しく紹介している。


企画展は7月2日まで。火曜休館。入館料は一般410円、小中高生200円、小学生未満は無料。
うちの孫は小1なのだが、幼稚園時代から大の昆虫好き。ここへ連れてくると目の色が変わるのだという。
家に遊びに来た時には、私のパソコンの前に腰かけ、「カブトムシの戦い」を見たいという。

この館にはヘラクレスという大型のカブトムシがいるという。カブトムシの戦いでは一番強いのだとか。
子供にとっては何度でも行きたいところなんだろうなぁ。

2018年3月21日水曜日

千坂ドッジボールファイヤーズが全国大会へ初出場!


今朝の新聞に「千坂初V全国切符 春の小学生ドッジ県大会」という見出しで標記の記事が掲載された。
千坂小学校の学童で編成されている千坂ドッジボールファイヤーズは、数年前からメキメキと腕を上げて金沢市の代表に度々なっていたのだが、県大会での優勝は今までなかった。この度、めでたく優勝、県代表として全国大会に出場することになった。

第27回春の全国小学生ドッジボール選手権県大会(28日・金沢市総合体育館=県ドッジボール協会、北國新聞社主催)12チームが出場して予選リーグ、決勝トーナメントで全国切符を争い、決勝で金沢市の千坂ドッジファイヤーズが6連覇を狙った松任の大魔陣を破って、初優勝を果たした。千坂ドッジファイヤーズは県代表として、3月25日に三重県津市産業スポーツセンターで開催の全国大会に出場する。


千坂ドッジファイヤーズは準々決勝から登場して向本折クラブAを11―5、準決勝で鳳至ドッジボールクラブを2―0(10―3、10―3)、決勝で松任の大魔陣を2―0(10―9、8―7)でそれぞれ破った。

開会式では、県ドッジボール協会の久保幸男会長(北國新聞社取締役事業局長)があいさつ、日本ドッジボール協会長の馳浩衆院議員らが激励し、向本折クラブAの竹崎莉愛星主将が選手宣誓した。閉会式では、石田一栄県協会理事長が総評した。

このチームを指導監督されているのが成瀬章宏さんである。成瀬さんは法光寺町で成瀬管工事のオーナーでもあるが、全国管工事協同組合青年部理事をも努められている「凄腕」の持ち主でもある。
成瀬さんのホームページを見ると、数年分のドッジボール大会の動画が記録されている。

動画から抜粋
練習は千坂小学校の体育館で日曜日に行われている。その団体名が千坂ロータスルートと称している。3年前になるが表彰状を渡したことがあった。


県大会初優勝は、監督されている成瀬さんの情熱が実を結んだと云える。
是非、全国大会で鍛えた技を遺憾なく発揮され、「全国制覇」を遂げられますことを祈念します。

2018年3月20日火曜日

金沢市の外国人向けyou tubeが大人気!


「17年の外国人宿泊7800万人 過去最多更新、LCC寄与」という見出しで、観光庁が昨年の外国人がホテルや旅館に泊まった人数を発表した。
それによると、泊まった外国人の延べ人数は前年比12・4%増の推計7800万人(速報値)で、過去最多を更新したと発表した。三大都市圏を除く地方が全体の40・9%を占め、伸び率も三大都市圏を上回る15・8%だった。格安航空会社(LCC)などの発着が増えた東北や九州を中心に好調だったという。

都道府県別の宿泊者数は、東京がトップの1903万人で、大阪1171万人、北海道743万人、京都559万人、沖縄460万人と続いた。
伸び率でみると、青森の60・3%が最も高く、大分59・3%、佐賀51・9%、熊本51・7%の順だった。

県内での外国人宿泊者数をみると、タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシアの四カ国で一三年は計約一万五千人。構成比は全体の6・3%ほどだったが、開業翌年の一六年には四万六千七百人に膨れ、8・8%まで上昇した。

県担当者は「格安航空会社(LCC)などで座席供給量が増え、新幹線で関東からのアクセスが良くなったことが大きな要因」と分析。「団体もいれば、個人でも『LCCで格安に』という人や高級志向を好む人もいて千差万別。地道な取り組みときめ細かな対応が大切だ」と話す。

東南アジア以外でも、スキーを目的に長野を訪れたオーストラリアの観光客を県内に呼び込む取り組みも一六年度から始めたところ、宿泊客は前年の一・五倍になった。
国内外を問わず、大きな効果を発揮してきた新幹線。訪日外客数が毎年、過去最高を更新していく中で県内にどう呼び込むか。県の今後の戦略にも注目だ。

金沢市は外国人向けの公式youtubeチャンネルcity of kanazawaを発信している。最近配信されたDANZA IN KANAZAWAを見てみた。兼六園、21世紀美術館、金沢城などを2分40秒でまとめている。年末に配信されたのだが、今日現在で419万回という驚異的な数字を示している。
you tubeの一部
このプールも注目の的となっているようだ。
国内外を問わず、大きな効果を発揮してきた新幹線。訪日外客数が毎年、過去最高を更新していく中で県内にどう呼び込むか。県や市の今後の戦略にも注目される。

2018年3月19日月曜日

高齢化団地の住民による生活防衛術

私の居住する住宅地は、石川県勤労者住宅生活協同組合が昭和37年に第1期分譲を開始し、以降、3回に亘り開発分譲を行って、その周辺もその開発地が核となって宅地化が進んで形成された住宅である。従って、初期に移り住んだ住民は高齢化しており、2代目や3代目が世帯主となっているケースが多い。だが、80代後半の世帯主もかなり住んでいて、生活に支障が出てくるようになった。

10年ほど前になるが、高齢のため班長の順番をパスする住民が増え、3年くらいに班長が回ってくるので班割を変更してほしいという要望が多く出されるようになった。
しかし、同じ年齢層が多い地区の班割は、どういじってみても困難であった。
そんな中、庭の雑草の始末ができない、庭木の剪定ができない、雨どいが壊れたがはしごに登っての作業はこころもとない、障子の張替えをしたいがその気力が失せたという声が多く聞かれるようになった。

吾が町内に交友会というグループがある。このグループは50代、60代の人が多く、会員が20数人前後である。そもそもグループの成り立ちは30年ほど前に遡り、ソフトボール同好会のグループであった。その人達が懇親会の席である人曰く、「親睦のための行事も良いのだが、団地も高齢化して生活上困っている人がいる。吾々でそういう人たちの手助けをしようではないか」と誰かが提案し衆議一決、荒屋団地おたすけ隊を立ち上げた。

この運動を町会としてもバックアップすることになり、広く一般住民からも隊員を募集することになった。民生委員も加わって活動を始めたところ、校下全域のおたすけ隊に格上げされてしまったのである。私も隊員に登録しているのだが、まだ一度も出番がない。
そのおたすけ隊が今朝の新聞にでかでかと取り上げられた。


このような活動が全国的な広がりを見せればいいのだがと期待している。

2018年3月18日日曜日

東京、大阪の銭湯オーナーのルーツ

東京の銭湯創業者は石川県出身者が多いとは聞いたことがあった。それも七尾以北の能登出身者が殆どを占めるという。最近のことだが、それは東京に限らず大阪も東京に劣らないほど石川県出身者が多いという。
その理由を知りたくて調べてみた。

もともと、北陸は昔から出稼ぎの多い地域だった。また、江戸時代から明治時代にかけて、北陸から東京に出て、大工、左官や古本屋、豆腐屋、銭湯を経営する人が多かったという。
そして、東京や大阪で銭湯を開業すると、身内や知り合いを呼び寄せた。帳簿をまかせるなら、信頼のできる身内が一番というわけである。さらに、仕事を覚えた彼らが、のれん分けの形で新たに開業して、北陸出身者の経営する銭湯がますます増えていった。
堂々とした構え
しかも、北陸の人間は、出身地別に団結力が強く、仲間内での資金の融通もし合っていた。そういう助け合いを利用して銭湯を開業する人も多く、さらに北陸出身の銭湯経営者が増えていったという。

ちなみに、大正元年、初めて風呂場にペンキ絵を描いた神田の「キカイ湯」の経営者も、石川県鳳至郡の出身者だった・・・
立山と北陸新幹線の絵も現れた
銭湯の仕事は、朝早く夜遅い。しかも、かなりの重労働である。しかし農作業に比べれば,さほど苦にならない。農家の次男・三男は、故郷にいたのでは自分の土地や財産を持つことは難しかったため、都会へ出て、それらの重労働に就いて長い下積みを重ねながら、独立して自分の店を持つようになったからだといわれている。また、雪深い気候条件のためか、厳しい自然で培った「ねばり強さ」が適していたともいわれている。故郷にいたのでは、自分の土地や財産を持つことは容易ではない。その彼らにとって、土地も建物も自分の財産になることは大きな励みになり、その為にセッセと働いたのだそうだ。そして、同じ村から大阪に出てくる。下足番からたたき上げられ、やがて独立して自分の銭湯を開業するに至る。そうした積み重ねが、結果として、同郷の出身者が多くなった。そういう村の属する県が、北陸そして石川県だったのである。


だが近年、住宅事情の変化で来客数が激減したため、廃業する銭湯が後を絶たないのだとか。それでも銭湯は広大な土地を所有するため、マンション経営に転向するオーナーが多いという。創業者の苦労に感謝々々であろう。
大学病院前大通りにあった「大学湯」がなつかしい。