2024年4月26日金曜日

あれっ、こころ旅が中断した?何でだろう

熊本の週が終わって今週は長崎の予定だった「こころ旅」だが、何だか様子がへんである。去年の北海道編が再放送になっている。おかしいなぁ・・・と思っていたら、やはり異変が生じていたことが分かった。
BSでは15日から放送がスタートしていたが、それぞれ1週間分の放送を終えた翌週から「予定を変更してお送りします」との断りが表示され、過去の再放送となっている。

13年目の初めてのリタイヤ

火野氏の所属事務所によると、火野氏は同番組の撮影が始まってから、持病の腰痛が悪化。医師と相談の上、現在は療養しているという。
火野正平氏の年齢が現在74才であること、痛めている箇所が腰であることを考えると無理は禁物である。今は「2024年春の旅」で巡る予定であった9つの県のことを考えるよりも、自身の体に治すことに専念されることが良いだろう。
74歳でも登坂をはぁはぁしながらペダルをこぐ様子を見て、達者なもんだなぁ・・・と感心してみていたのだが・・・
それにしても番組がないのは淋しい限りである。

2024年4月25日木曜日

千枚田最後の耕作者引退!

千枚田唯一の農家引退 
82歳田中さん「ここらが潮時や」 
農機具壊れ、体力も衰え
〈1.1大震災〉

という新聞の見出しがあった。とうとう千枚田の耕作者がいなくなった。自分より1歳年上の田中さんである。
「白米千枚田」の田んぼの所有者で唯一の耕作農家、田中喜義さん(82)が米作りを断念したという。地震で農機具が壊れ、体力も衰えたため、守ってきた農地に足を入れることをやめる決断をした。大型連休が近づき、本来はあぜを塗って田植えの準備を始める頃だが、田中さんは無残にひび割れた棚田を見詰め「ここらが潮時や、寂しいが仕方ない」と語った。

これ以上耕作は無理・・・と断念した田中さん

日本海を望む急勾配の斜面に大小1004枚の棚田が広がる。約30年前に白米町で17、18軒あった耕作農家は年々減少。2014年からは田中さんのみとなった。
地震で千枚田近くの田中さんの自宅は損壊。敷地内の農機具の倉庫はつぶれ、愛用のコンバインやトラクターが下敷きとなった。3月下旬に妻の君子さん(86)と避難先の金沢から自宅に戻ったが「寄る年波には勝てん」と田中さん。修理には多額の費用がかかることもあり、耕作意欲が再び湧くことはなかった。
他の農家の田んぼも引き受けて米を作ってきたが、近年は十数枚を維持するのが精いっぱいだったという。


引退を決め、自宅から道の駅「千枚田ポケットパーク」までの散歩が日課になった。苗を植えなくなった田んぼをどうするかは決まっていない。それでも田中さんは「千枚田の価値は変わらんよ」と長年守ってきた景色をいとおしそうに眺めた。
 ●オーナー制215組が継続 地震で辞退は1組だけ
千枚田で会費を払い、米作りを体験できる「オーナー制度」で、昨年からの継続会員は215組で、新規会員は62組。輪島市などでつくる景勝保存協議会によると、地震の影響でオーナーを辞退したのは1組にとどまった。

 オーナー制度は市が借り上げた約500枚が対象で、田んぼ1枚を借りられる「オーナー会員」、田植えなどの作業のみ参加できる「トラスト会員」を毎年募集。地震の影響で今年は規模を縮小して作付けを行うため、返礼品などの特典は原則なしとする。

1004枚ある田んぼの500枚のほかの耕作者はどうなっているのか気がかりだ。

2024年4月24日水曜日

遠くに行ってしまった孫

上の孫は今年で23歳、下の孫が20歳になる。二人とも一つ屋根で暮らしていたが、県外の大学に進学したので去年から誰もいなくなってしまった。大学を卒業してもUターンはまず考えられないだろう。孫の両親は仕事の関係で帰宅する時間が遅かったため、孫の面倒見はじじばばの役目だった。二人が常に家にいるのが普通だった。それだけに、二人目の孫がいなくなった去年から特に淋しい思いが募った。

H1412孫(長男)1歳

H1705孫(次男)

H20孫(次男)

H18年3月に退職して17年も経過した。孫と暮らしていたのが去年で最後となった。孫の手を引いて方々に出かけた思い出は多い。
それだけに二人の孫がわが家からいなくなって淋しさがつのるばかりである。

2024年4月23日火曜日

医者通い

最近になって医者通いが増えた。今日はかゆみが治らないので医科大の皮膚科へ行って、帰りに町内の薬局で薬をもらい先ほど帰宅した。かゆみ止めは従来の薬と新たに寝る前に飲む薬が増えた。やっかいなかゆみ症状である。
痛風の藥は毎回55日分貰っている。この整形外科医は高齢のため5月末で閉院になるという。次はどこにしようか迷う。

5月末閉院予定の整形外科医

また、血液サラサラ、高血圧の治療に内科医院に通っているが、ここは1カ月ごとである。医科大は皮膚科のほか、泌尿器科へは半年ごと。こんな状況なので、とても免許返納は考えられない。お陰様で肺炎2週間、腎がん2週間以外は長期の入院はない。男の平均寿命は81.05歳だという。これだと今年で寿命が尽きることになるが、適当に医者に通いながら余命を過ごしたいと思っている、

2024年4月22日月曜日

ちょんこ山

 能登の方言で「ちょんこい」という言葉がある。ちょんこい犬やなというように小さいという意味だ。宇出津の曳山祭で子供用の山をちょんこ山という存在を初めて知った。おふくろが宇出津の実家へ帰るときには必ず連れていかれたから、あばれ祭り等に何度か行ったことを覚えている。この曳山祭も千間の橋付近で見た記憶が残っている。そういえばダシの綱も引いた覚えが残っている。

曳山祭のダシ

このダシは震災で道路復旧されていない場所もあるようで曳山は中止となった。その代わりに子供のダシであるちょんこ山を引き回した。

ちょんこ山を引く子供たち

下水道マンホールが浮き上がっているが、これではダシの引き回しはとても無理。
祭の承継は子供たちが楽しさを体験する必要があるが、ちょんこ山はその役目を十分に果たすことだろう。来年はきっと本山車が引けることだろう。

2024年4月21日日曜日

ゴキブリだんご

昨日は町内の組織である「悠々サロン」でゴキブリだんごを作った。毎年1回、この時期に行われるが、参加者から好評を得ている。
キッチンなどに現れる嫌われ者といえば、ゴキブリ。暗くてジメジメしたところを好むゴキブリにとって、キッチンは理想の居場所の一つ。冷蔵庫の裏やシンク下の隙間などは暗くてジメジメしており、ゴキブリにとって好条件のそろった場所となっている。


このゴキブリという厄介ものをやっつける団子は、人間にとっても有害物なので取り扱いには十分気を付けなければならない。それだけあって、この団子を置くとその効果は驚くべきものがある。

有毒物のホウ酸を使う

ゴキブリ退治の方法には殺虫剤や業者による駆除があるものの、頻繁に殺虫剤を使用したり駆除を依頼したりしていては、多くの手間やお金がかかってしまうことも考えられる。
ホウ酸団子は、悠々サロンで簡単に作ることができるので重宝している。

サロンの終わりに「金沢健康体操」をしているのだが、町会のノートパソコン2台とも情報の流出防止のためか、特殊な保存方法が導入され一般的な方法ではCDも利用できなくしてある。これは行き過ぎの防護だと感じる。事前の説明もなく余りにも独断だと憤りが湧いて
きた。

きた。

2024年4月20日土曜日

眼底浮腫が快方に

 右眼を閉じると薄黒い模様のようなものが現れ、眼を開けるとその模様が浮かび上がり、しばらくすると消えたりした。原因は白内障治療のため行った検査で判明した。その手術が18日実施されたが、手術といっても眼球に注射するだけだった。支払い時に請求額を見て驚いたのだが、左眼の白内障手術とほぼ同額。院内の掲示物にこの治療のことが記されていた。解説によれば、注射液開発は活気的なものだと記されていた。

図に浮腫ができた箇所を赤丸で表示した。

この位置の網膜の外側に水が溜まって腫れた状態になっていた。手術は一昨日だったが、昨日から薄黒い模様のようなものは消えた。
この注射液が最近開発されたもので、高額だということが分かった。

来月中旬に右眼の白内障手術が予定されている。左眼の手術を終えたが、眼科の医療技術の飛躍的進歩に驚きを禁じ得ない。