2024年4月27日土曜日

昨日から中宮温泉に行けるようになった

白山ホワイトロードの一部が昨日開通した。これにより冬季閉鎖していた中宮温泉がオープンとなった。
冬季閉鎖されていた白山白川郷ホワイトロードの無料区間4.5キロ(白山市尾添―中宮料金所)が26日、開通し、来訪者がドライブや釣り、ハイキングなどを楽しんだという。開通に合わせ、冬季休業していた中宮温泉では営業が始まった。

通行止め解除!

これにより閉鎖となっていた中宮温泉がオープンした。

町内シニアクラブで中宮温泉のホテルで昼食や入浴を楽しんだ

もう十年ほども前の話になったが、町内の老人会で紅葉シーズンにバスツアーした。

紅葉真っ盛りの三方岩駐車場

中宮温泉

なお、有料区間(24.5キロ)の全線開通は6月中旬を見込むとなっている。全線開通したら行って見たい。

2024年4月26日金曜日

あれっ、こころ旅が中断した?何でだろう

熊本の週が終わって今週は長崎の予定だった「こころ旅」だが、何だか様子がへんである。去年の北海道編が再放送になっている。おかしいなぁ・・・と思っていたら、やはり異変が生じていたことが分かった。
BSでは15日から放送がスタートしていたが、それぞれ1週間分の放送を終えた翌週から「予定を変更してお送りします」との断りが表示され、過去の再放送となっている。

13年目の初めてのリタイヤ

火野氏の所属事務所によると、火野氏は同番組の撮影が始まってから、持病の腰痛が悪化。医師と相談の上、現在は療養しているという。
火野正平氏の年齢が現在74才であること、痛めている箇所が腰であることを考えると無理は禁物である。今は「2024年春の旅」で巡る予定であった9つの県のことを考えるよりも、自身の体に治すことに専念されることが良いだろう。
74歳でも登坂をはぁはぁしながらペダルをこぐ様子を見て、達者なもんだなぁ・・・と感心してみていたのだが・・・
それにしても番組がないのは淋しい限りである。

2024年4月25日木曜日

千枚田最後の耕作者引退!

千枚田唯一の農家引退 
82歳田中さん「ここらが潮時や」 
農機具壊れ、体力も衰え
〈1.1大震災〉

という新聞の見出しがあった。とうとう千枚田の耕作者がいなくなった。自分より1歳年上の田中さんである。
「白米千枚田」の田んぼの所有者で唯一の耕作農家、田中喜義さん(82)が米作りを断念したという。地震で農機具が壊れ、体力も衰えたため、守ってきた農地に足を入れることをやめる決断をした。大型連休が近づき、本来はあぜを塗って田植えの準備を始める頃だが、田中さんは無残にひび割れた棚田を見詰め「ここらが潮時や、寂しいが仕方ない」と語った。

これ以上耕作は無理・・・と断念した田中さん

日本海を望む急勾配の斜面に大小1004枚の棚田が広がる。約30年前に白米町で17、18軒あった耕作農家は年々減少。2014年からは田中さんのみとなった。
地震で千枚田近くの田中さんの自宅は損壊。敷地内の農機具の倉庫はつぶれ、愛用のコンバインやトラクターが下敷きとなった。3月下旬に妻の君子さん(86)と避難先の金沢から自宅に戻ったが「寄る年波には勝てん」と田中さん。修理には多額の費用がかかることもあり、耕作意欲が再び湧くことはなかった。
他の農家の田んぼも引き受けて米を作ってきたが、近年は十数枚を維持するのが精いっぱいだったという。


引退を決め、自宅から道の駅「千枚田ポケットパーク」までの散歩が日課になった。苗を植えなくなった田んぼをどうするかは決まっていない。それでも田中さんは「千枚田の価値は変わらんよ」と長年守ってきた景色をいとおしそうに眺めた。
 ●オーナー制215組が継続 地震で辞退は1組だけ
千枚田で会費を払い、米作りを体験できる「オーナー制度」で、昨年からの継続会員は215組で、新規会員は62組。輪島市などでつくる景勝保存協議会によると、地震の影響でオーナーを辞退したのは1組にとどまった。

 オーナー制度は市が借り上げた約500枚が対象で、田んぼ1枚を借りられる「オーナー会員」、田植えなどの作業のみ参加できる「トラスト会員」を毎年募集。地震の影響で今年は規模を縮小して作付けを行うため、返礼品などの特典は原則なしとする。

1004枚ある田んぼの500枚のほかの耕作者はどうなっているのか気がかりだ。

2024年4月24日水曜日

遠くに行ってしまった孫

上の孫は今年で23歳、下の孫が20歳になる。二人とも一つ屋根で暮らしていたが、県外の大学に進学したので去年から誰もいなくなってしまった。大学を卒業してもUターンはまず考えられないだろう。孫の両親は仕事の関係で帰宅する時間が遅かったため、孫の面倒見はじじばばの役目だった。二人が常に家にいるのが普通だった。それだけに、二人目の孫がいなくなった去年から特に淋しい思いが募った。

H1412孫(長男)1歳

H1705孫(次男)

H20孫(次男)

H18年3月に退職して17年も経過した。孫と暮らしていたのが去年で最後となった。孫の手を引いて方々に出かけた思い出は多い。
それだけに二人の孫がわが家からいなくなって淋しさがつのるばかりである。

2024年4月23日火曜日

医者通い

最近になって医者通いが増えた。今日はかゆみが治らないので医科大の皮膚科へ行って、帰りに町内の薬局で薬をもらい先ほど帰宅した。かゆみ止めは従来の薬と新たに寝る前に飲む薬が増えた。やっかいなかゆみ症状である。
痛風の藥は毎回55日分貰っている。この整形外科医は高齢のため5月末で閉院になるという。次はどこにしようか迷う。

5月末閉院予定の整形外科医

また、血液サラサラ、高血圧の治療に内科医院に通っているが、ここは1カ月ごとである。医科大は皮膚科のほか、泌尿器科へは半年ごと。こんな状況なので、とても免許返納は考えられない。お陰様で肺炎2週間、腎がん2週間以外は長期の入院はない。男の平均寿命は81.05歳だという。これだと今年で寿命が尽きることになるが、適当に医者に通いながら余命を過ごしたいと思っている、

2024年4月22日月曜日

ちょんこ山

 能登の方言で「ちょんこい」という言葉がある。ちょんこい犬やなというように小さいという意味だ。宇出津の曳山祭で子供用の山をちょんこ山という存在を初めて知った。おふくろが宇出津の実家へ帰るときには必ず連れていかれたから、あばれ祭り等に何度か行ったことを覚えている。この曳山祭も千間の橋付近で見た記憶が残っている。そういえばダシの綱も引いた覚えが残っている。

曳山祭のダシ

このダシは震災で道路復旧されていない場所もあるようで曳山は中止となった。その代わりに子供のダシであるちょんこ山を引き回した。

ちょんこ山を引く子供たち

下水道マンホールが浮き上がっているが、これではダシの引き回しはとても無理。
祭の承継は子供たちが楽しさを体験する必要があるが、ちょんこ山はその役目を十分に果たすことだろう。来年はきっと本山車が引けることだろう。

2024年4月21日日曜日

ゴキブリだんご

昨日は町内の組織である「悠々サロン」でゴキブリだんごを作った。毎年1回、この時期に行われるが、参加者から好評を得ている。
キッチンなどに現れる嫌われ者といえば、ゴキブリ。暗くてジメジメしたところを好むゴキブリにとって、キッチンは理想の居場所の一つ。冷蔵庫の裏やシンク下の隙間などは暗くてジメジメしており、ゴキブリにとって好条件のそろった場所となっている。


このゴキブリという厄介ものをやっつける団子は、人間にとっても有害物なので取り扱いには十分気を付けなければならない。それだけあって、この団子を置くとその効果は驚くべきものがある。

有毒物のホウ酸を使う

ゴキブリ退治の方法には殺虫剤や業者による駆除があるものの、頻繁に殺虫剤を使用したり駆除を依頼したりしていては、多くの手間やお金がかかってしまうことも考えられる。
ホウ酸団子は、悠々サロンで簡単に作ることができるので重宝している。

サロンの終わりに「金沢健康体操」をしているのだが、町会のノートパソコン2台とも情報の流出防止のためか、特殊な保存方法が導入され一般的な方法ではCDも利用できなくしてある。これは行き過ぎの防護だと感じる。事前の説明もなく余りにも独断だと憤りが湧いて
きた。

きた。

2024年4月20日土曜日

眼底浮腫が快方に

 右眼を閉じると薄黒い模様のようなものが現れ、眼を開けるとその模様が浮かび上がり、しばらくすると消えたりした。原因は白内障治療のため行った検査で判明した。その手術が18日実施されたが、手術といっても眼球に注射するだけだった。支払い時に請求額を見て驚いたのだが、左眼の白内障手術とほぼ同額。院内の掲示物にこの治療のことが記されていた。解説によれば、注射液開発は活気的なものだと記されていた。

図に浮腫ができた箇所を赤丸で表示した。

この位置の網膜の外側に水が溜まって腫れた状態になっていた。手術は一昨日だったが、昨日から薄黒い模様のようなものは消えた。
この注射液が最近開発されたもので、高額だということが分かった。

来月中旬に右眼の白内障手術が予定されている。左眼の手術を終えたが、眼科の医療技術の飛躍的進歩に驚きを禁じ得ない。

2024年4月19日金曜日

輪島港復活の第一歩

輪島から門前にかけて、海岸が2mから4m前後隆起したため、漁港として利用できなくなった。輪島港では200隻前後の漁船が動けなくなったという。輪島港は2.5m前後隆起したようだ。
漁船の底が海底と接触して故障する可能性があるため、約200隻ある船が漁に出られない状態が続いているという。
漁の再開に向けては、漁船を沖側にいったん移動させたあと、港内の海底を掘り下げる必要があるが、一部の船の移動先となる岸壁に仮設桟橋を設置する作業がこのほど終わったという。


仮設桟橋は、1基あたり、長さ34メートル、幅が4.2メートルのものを3つつなげたもので、高さは1.5メートルあり、岸壁と海面の高低差を縮めて船に乗り降りできるようにしている。







地元の漁協によると、20隻から30隻ほど泊めることができ、来週から移動を始める予定だという。
残りの船は港内の別の場所に移動させる予定で、すべてを移動させたのちに隆起した海底を掘り下げる作業を行って漁の再開を目指すことにしている。また、地震で壊れた荷さばき所や製氷施設も復旧させていくことにしている。石川県漁業協同組合輪島支所の上濱敏彦統括参事は「桟橋を設置することで作業が進み始めるので、復旧にむけた第一歩を踏み出せたと思う。仮の措置ではあるが早く港を復旧して部分的にでも漁を再開できるようにしたい」と話していた。
だが、港湾全体が浅くなっており、船舶の航行に支障ない深さを確保する浚渫作業は難工事を避けられない。漁船が動かせないということは、漁師にとって死活問題なので一刻も早く航行可能な港湾にしてもらいたいものである。




















掘り下げる作業を行って漁の再開を目指すことにしています。

2024年4月18日木曜日

白内障のほかに眼底異常が発見された

昨日は右目の手術をした。眼底の一部が腫れている状態が見つかって、その治療のための注射だった。注射をする前には検査室で十種類前後の検査をして、手術室に入った。

検査室は3部屋に分かれており
こんな機器類が十数台並んでいる

この眼科医の以前に通ったところは検査室に数台の機器類があったが検査室は一部屋のみだった。

支払いの際に4万3千円といわれ、聞き違いかと思い聞き直したら間違いなかった。注射液が最近つくられたもので、料金が高いのだと分かった。

右目にはガーゼがあてられ、粘着テープで貼り付けられた。左目の点眼液が3種類あって、今日から右目にも点眼するよう指示があった。来月中旬に右目の手術が予定されている。治療の終わった左目と右目を交互に開けると、左目に写る景色はバッチリ明るくてくっきり見える。いかに進んでいたか、もう少し早く手術すればよかったのかも。


2024年4月17日水曜日

この時期必ずやるべき仕事

4月に入ると垣根のレッドロビンが急成長する。隣の家との境界にそれがあるので、放置するわけにはいかない。フェンス越しに枝があちこちに伸び、迷惑を及ぼすことになる。今週初めに目の手術が予定されていたが、午後からの予定だったので午前中に実行した。実はその前日に天端を切りそろえ、わが家 に面する側面もカットしてあった。

この作業は天端の切りそろえが最も難しい。あらかじめガイドラインを設けてから、脚立に登っての作業となる。

プロのような仕上がりではないが・・・

作業は枝切ばさみと脚立をかづいて隣の敷地に入らせてもらって作業開始となる。こちらの面の天端切りそろえはわが家からの作業は困難なので、先ず天端きり揃えから開始となる。作業時間は2時間前後、そのあと散らばった枝を掃いて終了となる。

かくして一仕事が終了となる。アーしんど。年は取りたくないもんだ。

2024年4月16日火曜日

10分足らずの手術は3時間待ち

 昨日(15日)、予約した2時に眼科医で受付を済ませ、手術を受ける者は10人、その8番目だといわれた。受付前の待ち合わせ室で白衣(手術着)に着替え、30分ほど待っていると別室に案内された。

手術にあたって、事前に各種検査を受けたが非常に検査機器類が充実している。

長時間(2時間半)待って、ようやく順番が回ってきた。この手術は不思議だった。水晶体から物体を取り除きレンズを挿入するという。その時間5分前後、出血ゼロ、痛みゼロ、ガーゼが当てられ手術が終わった。母が県中で白内障の手術をした際には、目の周辺は出血で染まっていた。入院は1週間、それが手術5分、その日退院・・・。大きな違いだった。

そして驚きは、1週間のうち3回が手術日という。1回10人だから毎週30人が手術していることになる。浅ノ川病院の勤務医だった先生が、眼科の患者をひっさらって開業されたという。今では金沢市内で最も著名な眼科医となられた。

今日も、明日も手術後のチェックのため通院しなければならない。1か月後は右目の予定となっている。

2024年4月15日月曜日

近辺ぶらり歩けば

ウオーキングもたまには自由気ままなルートとなる。2日前のルートは慶応幼稚園方向に歩き出した。交差点を左に曲がると一直線の広い歩道となるが、この歩道は高速道にぶつかるまで実に長い。住宅地を過ぎるとレンコン田となるが、この歩道に無人のレンコン販売所が設置されるが常設ではない。

レンコンダ田だが収穫を終え肥料を撒く準備中のようだ
今までこんな風景は見なかったような気がするが

この辺でレンコン販売所が設置される
かなり人気があるが常設ではない

神社と慶応幼稚園の間に農道があるのでそこをあるいて田んぼ道にでた。ここは従来から千坂小学校のマラソン大会のルートになっている。車が走らないので安全なルートである。

この交差点でマラソン大会の応援をした
レンコン田が広がっているがまだ未収穫地がある

金沢東入り口(富山方面)

ここから8号線までは遠くはない。8号線の歩道を歩くと「大西運送」の駐車場となるが、今では何か所も大駐車場を持つ大西運送。業績が急拡大しているようだ。

8号線沿いのトレック駐車場

かくして普段のルートではなく、気まぐれルートのウオーキングを楽しんだ。今日午後から眼科医に行って白内障の手術を受けなければならない。日帰りだが、来月反対の目も手術予定となっている。最近急に新聞の字がぼやけて見えるようになった。


2024年4月14日日曜日

永遠に戻らない風景

昭和44年9月、新幹線岡山~博多間建設要員として広島に赴任したのだが、広島市内の事務所で2年半ほど経過したら宮島にほど近い大野町に設置された事務所に転勤することになった。そこの同僚たちと能登半島をドライブすることになり、緑剛崎や曽々木を見物した。その時のアルバムを見ていたら、もう2度と見ることができなくなった風景があった。

それは曽々木の窓岩で同僚と写した写真である。

窓岩は思ったより大きかった

崩壊の写真を見てもどこが壊れてどこが残ったのか分からない

吾々が座っていた岩は、中央の岩の頂上部なのだろうか。どうもそうとしか思えない。先日、弟が県に勤務する長男と一緒に被災状況の視察で写した写真を見せてもらったが、時国家にしても窓岩にしても本当に悔しい思いが湧いた。
思い出だけは大切にとっておきたい。

2024年4月13日土曜日

旧住宅の大半が2分割住宅に変貌している

先日のウオーキングだが、いつものルートを町内ジグザグコースに変更してみた。縦横に10年以上も通ったことがない路地を歩き回った。この住宅団地は昭和37年から分譲され、その後も開発部分の外側へと宅造が進んだ。ついこの間まで細長い田んぼだったところは、5戸の住宅が建てられ7、8年経過した。

10年前まで細長い田んぼだった場所に住宅が建てられた

昭和37年から昭和40年代に建てられた住宅は、だいたい60数坪の画地が多い。初期の住人は高齢者が多くなり亡くなった方が随分増えた。
そんな住宅に2戸の住宅が建てられ分譲されるのが一般的になった。10年前より町内の世帯数が220戸から300戸前後に増えた。これからもこの傾向は続くだろう。

最近の住宅は箱型というイメージに見える。屋根はフラットに近く前後左右もほぼ同じサイズで、我々の持っている住宅というイメージが変わってしまった。心配なのは耐久性。大雪の屋根に積もった雪は大丈夫なんだろうかと。ま、近年は屋根に1mも積もることが殆ど無くなったので心配しすぎか。

2024年4月12日金曜日

2年前に生家を購入してくれた移住者が被災

2年前に能登町の生家を購入してくれた外国人一家が、去年の秋に移住していたが、1月1日発生した能登半島地震で、砺波市の避難所に避難していること知った。新聞記事に掲載されていて、それで経緯が分かった。

生家の買い主グルトリンゲルさん家族の皆さん

能登半島地震で被災した能登町の移住者一家が砺波市の夢の平コスモス荘に二次避難し、2カ月に及んだ一次避難の疲れを癒やしている。能登の自然豊かな暮らしに引かれ、中古物件を購入して移り住んだ矢先の災害。先が見えない不安を抱きながらも、「大好きな能登に必ず戻ってゲストハウス開業の夢を実現したい」。砺波で心身を癒やし、能登で日常を取り戻す日を願って再起を誓う。

生家の内部

二次避難したのは能登町石井のフランシス・グルトリンゲルさん(43)、妻佳登(かすみ)さん(30)、長女澪凪(れいな)ちゃん(2)の一家。
ドイツ国籍のグルトリンゲルさんは旅行で能登の豊かな自然や文化、食などに引かれ、2017年に京都から移住。青森出身の佳登さんと結婚し、22年12月に能登町で築78年の木造2階建ての建物を購入。漆喰(しっくい)の壁やいろりなどを備えた旧料亭で、昨秋に家財道具を運び入れて移り住み、年明け早々に住民票を移す予定にしていた。

この記事を読んで胸が痛んだ。本当にお気の毒に思う。それでも全壊に至らず、修理して住んでいただけることを知り一安心した。民宿オープンには泊まりに行くと宣言しているので是非行って見たいと思う。

2024年4月11日木曜日

バイデン大統領に輪島塗カップとボールペン

岸田首相が被災地輪島を訪れたときに、田谷塗装店主田谷昂大さんと対談した際に、輪島塗のコーヒーカップと万年筆が注文され、バイデン大統領夫妻にプレゼントされることになったという。

プレゼントされたコーヒーカップ

ボールペン2本

アメリカを訪問中の岸田総理大臣は、日本時間の10日朝、バイデン大統領とジル夫人の招きを受けて、裕子夫人とともにホワイトハウスを訪れた。この中では贈り物の交換が行われ、岸田総理大臣からバイデン大統領に、能登半島地震で被災した、石川県の伝統工芸品「輪島塗」のコーヒーカップとボールペンなどを贈った。

コーヒーカップは無傷に残っていたものから選ばれた


コーヒーカップには、バイデン大統領とジル夫人のファーストネームが、まき絵の技法で金色で描かれていて、岸田総理大臣は地震で被災した職人が心を込めて制作したことなどを説明した。

大統領ご夫妻のプレゼントに輪島塗のコーヒーカップとボールペンが選定されたということは、輪島塗の高品質を世界にアピールされたが、岸田首相の粋な計らいである。

2024年4月10日水曜日

本日晴天なれど風強し

今朝の天気予報は沖縄から北海道まで「晴れ」である。こんなことは滅多にないことだろう。今日水曜日は町内グラウンドゴルフクラブの例会の日だった。で、8時半過ぎにグランドゴルフの会場である八幡公園へ向かった。町内の端から端に移動するので、所要時間は10分ほどかかる。8世帯の在所の前を通ると、道路端に大きな桜の木があるのだが、それが見事に咲き競っていた。

自分が会場に着いた時間は8時45分だったが、すでに8コース全てがセッテングが終わっており、2,3人が練習をしていた。9時前にはくじ引きをしてチーム編成するのだが、今日は10名で4,3,3の振り分けで3チームとなった、

風が強いがゲームに支障なし

このグラウンドに8コースが設定されており、二まわりすると10時半前後に終了することになる。メンバーは女性が過半数を超えているから賑やかなプレーとなる。2組の夫婦も参加されている。「だら話」して大笑いしながらのプレーは楽しい時間である。世話人から6月2日に開催される校下グラウンド大会の選手の発表があり、「選手」として出場するよう要請があった。決して腕はいい方ではないが、少しでも向上するよう毎週の開催日には欠かさず出席しようと思う。

2024年4月9日火曜日

満開桜堪能!平日なのに人の群れ

 昨日は1年ぶりに兼六園に出かけた。駐車場から横断歩道を渡り紺屋坂を登ったのだが、ぎっしり人の群れで埋まっていた。この坂の桜並木もお気に入りの処。それにしても外国人の多いこと!以前は中国語や韓国語が飛び交っていたが、今では英語を含め欧州語が多いように感じた。石川橋から眺める桜並木にしろ、石川門に至る並木にしろ、満開の桜は最高の眺めだった。

よか眺め!

昔の金大生はここが通学路だった

桜に埋もれた景色

曲水あたり

一回りしてここに至った 人の波は消えた

犀星の道

お気に入りの風景

昨日は桜ずくしのいい日だった。

2024年4月8日月曜日

圧巻的眺望は犀星の道沿いの桜並木

今日あたりは八分咲きの桜だが、去年より一週間は遅い。去年は二,三日後には京都に行ってしまう孫と一緒に、合格お礼参りを兼ねて兼六園の桜を堪能した。公園そばの駐車場が改築してオープンとなったばかりだったが、その屋上から初めて花見をした。

兼六園と金沢神社をあとにして、もう一か所の桜を見に行くことにした。そこは犀川大橋から桜橋沿いの道(犀星の道と呼ぶらしい)の老木の桜並木がお気に入りの場所。かつて、ここは9年間勤務した職場への通勤路なのである。

見事な老木に咲く花

ゴザを敷いて家族と一緒に花見の会はいいだろうなぁ・・・

今日午後から兼六園の桜を見に行きたいなぁ・・・と思っているが。

2024年4月7日日曜日

復興に希望の光

復興の象徴のように昨日、のと鉄道が全通した。これを機に復興の進行がますます加速されることを祈りたい。 
「のと鉄道」は昨日(6日)、能登中島―穴水間が復旧し、全線で運行を再開し、穴水駅で記念の出発式が開かれた。約3カ月ぶりに出発する七尾行きの一番列車を、地元住民や関係者らが送り出し、復興への期待を込めた。 

所作100点満点の1日駅長はかっこ良かった!

出発式には、のと鉄道会長を務める馳浩知事や中田哲也社長ら社員、沿線自治体の首長、線路を保有するJR西日本の工事関係者らが出席。馳知事は「子どもたちの入学式、始業式に間に合うようにと思っていた。復旧復興の第一歩だと思っている」とあいさつ。中田社長は時折言葉を詰まらせながら「地域に大きな意味を持つ再開。私たちの絆、強さ、未来への希望の象徴となる」と力を込めた。


のと「さくら駅」到着

「のと鉄道」が全線で復旧し、桜の名所で知られる能登鹿島駅に到着した列車=6日午前、石川県穴水町
「のと鉄道」が全線で復旧し、桜の名所で知られる能登鹿島駅に到着した列車=6日午前、石川県穴水町

満開には2.3日早いが全線開通を祝うように競って咲いているようだ。