2022年3月31日木曜日

春到来を告げるヒメコブシ

昨日午後、金沢気象台は桜の開花宣言をした。わが家でも春到来を告げる花が咲いた。花はヒメコブシ。大きい花だが、咲き誇る日数は短い。

 
まだ4,5才の頃だと思うのだが、親父の実家に行ったとき、背の高い木に紫色したモクレンの花がさいていて綺麗だなぁと見とれたことがあった。そんなことから、家を新築した際にモクレンを大きめの鉢に植えたのだが、2年目で枯れてしまった。そして買い換えたのがこのヒメコブシである。

今年も春の訪れを告げている
梅とアンズも咲いているが、今年は花数が少ない気がする。
数日すると桜は満開となるだろう。ようやく高騰した灯油がいらなくなる。

2022年3月30日水曜日

小立野から大野灯台へ

モノクロ写真のカラー化作業をしていたら、中2で大野海岸に遠足に行ったときの写真があった。当時の灯台のあった付近には建物が殆ど見当たらなくて緩やかな砂丘のような地形だった。現況を3Dで確かめてみた。

大野灯台付近の現状

灯台は当時(65年前)の写真と比べると、全く昔のままの形状を保っているではないか。これには驚きだった。しかし、GPSの情報により灯台の機能は廃止されているはず。

あたりの風景は現在と違って閑散としている

モノクロ写真では晴れなのか曇りなのか分からなかったが、カラー化して「晴れ」だったことがわかった。
この遠足は歩いたのか電車なのかバスなのか全く記憶に残っていない。新須崎付近の写真もあるので歩いたのかも知れない。1学年11クラスの生徒数が605人だった記憶がある。
3年生の遠足は医王山だったが、これは学校から歩いた記憶がハッキリ残っている。1年生の遠足は熊走。ここへも歩いた記憶がある。なので、2年生の遠足も歩いて行ったようだ。
カラー化作業はあと僅かになった。

2022年3月29日火曜日

遠距離ミサイルの標的は病院・学校・住宅

3日でキエフを陥落させる作戦計画が絵に描いた餅になったようだ。包囲していたロシア軍が予期していなかったウクライナ軍の反撃で35km撤退を余儀なくされたという。ウクライナ軍の善戦に拍手したいが、国土全域に亘りロシアの攻撃を受けている。

攻撃は卑劣な手段も用いられているようだ。軍施設より病院、学校、住宅に重点を置いて破壊を続けている。避難民が国外に、その数やがて4百万人。ロシアのやりように腹が立って収まらない!

呆然と立ち尽くす住民
そんな露軍の行為に石川県民も抗議のデモ行進したという。ロシアのウクライナ侵攻に対する抗議集会が金沢市内で開かれた。
これは激化するウクライナ侵攻への反対を呼びかけようと、石川県平和運動センターが開いたもので、県内の労働組合や市民団体などからおよそ70人が参加したという。

中央公園に70人が集結し抗議集会

県平和運動センター 瀧山田庄治代表:
「市民の命、暮らしを守るべき為政者がこういう戦争を行っているということに、我々は反対をしていく必要がある」
集会後には参加者たちが反戦を訴えるプラカードなどを掲げてデモ行進を行い、ロシアを強く非難した。


県平和運動センターでは、今後もウクライナの情勢を踏まえながら活動を続ける方針だという。日本も江戸末期の黒船来航で太平の眠りから目覚めたが、昭和20年からまた太平の眠りについた。台湾侵攻があれば当然沖縄の基地が破壊の目標物になるだろう。それは基地だけの話しではない。想像すると決して寝てはおられない。

2022年3月28日月曜日

3Dで有峰湖~薬師岳~五色ヶ原~立山を見て縦走を思い出した

どうしたのか、google earth を開こうと何回もチャレンジしたがどうしてもダメ。時間をおいて再チャレンジしたらいつもと違う画面が出てきてようやく開けた。以前より重い。
今回は登山したことのある山岳を見ることにした。有峰湖から薬師岳、五色ヶ原、ざら峠、室堂まで縦走したルートが見える位置を探した。 

薬師岳頂上付近で1泊、五色ヶ原で1泊、剱岳を目指したが

有峰湖でバスを降り、薬師岳頂上付近でテントを張った。満天の星空の煌めきは今も忘れていない。翌日、いくつかの山を越え五色ヶ原でテント設営。眼下の黒部湖が綺麗だった。翌日は強い風雨が吹きすさんでずぶ濡れになってざら峠を越えた。室堂で剱岳登山を断念してバスに乗った。

薬師岳は快晴

これから五色ヶ原へ

五色ヶ原到着 翌日暴風雨

それは昭和43年(1968)の独身時代を謳歌していた頃だった。一緒に行ったメンバーの1人が数年前に不慮の事故死で写真を見ると悲しい思いもついてくる。

2022年3月27日日曜日

日本は北朝鮮に舐められている!

プーチンが病院や一般市民を標的に攻撃して、バイデンが戦争犯罪人と叫んでいるが、北の金正恩も新型ミサイルを日本に向け発射し小躍りして喜んでいる写真があった。全く馬鹿にした話である。
ミサイルが落下した海域はスルメイカの好漁場で、能登町小木港を拠点とする中型イカ釣り船が操業している漁場なのだ。6月に始まる出漁期の前だったとはいえ、防ぎようがない空からの脅威に石川県内の漁業関係者は「シーズン中に起こっていたと思うと恐ろしい」「漁船の存在を無視して落下地点を決めているのか」と怒りの表情を見せているという。そりゃそーだろう。

日本にミサイルをぶち込んで喜んでいるのだ

 

外務省は厳重な抗議をしたというが・・・
そんなことは痛くも痒くもない
北朝鮮は大和堆でも大挙して押し寄せ、小木港所属の漁船は近づくこともできないという。
こんな横暴がまかりとおるとは情けない話しである。9条の議論を早めなければ、こんなことがずーっと続いていくだろう。
「拉致被害者?そんな人は1人もいない」とまるでとりあわないこともズーッと続くのだろう。

2022年3月26日土曜日

法光寺町会新築集会所へ

昨日は暖かく穏やかな日だったので、午前中はタイヤ交換、午後はウォーキングに出かけた。ウォーキングルートは法光寺ふれあい公園に隣接した場所に、集会所が完成した頃だろうと確認をすることにした。ふれあい公園では毎年法光寺町会の盆踊り大会が開催されているのだが、数年前までは何度か訪れたことがある。


集会所は公園の隣に好立地。この土地を購入された町会の皆様に敬意を表すると共に落成をお祝い申し上げます。

集会所南側(表側)

東側外観

公園から集会所方向

集会所新築前の状況

盆踊り大会の盛況ぶり

各町会長の皆さんと酌み交わす酒がうまい

帰りのルートに写した写真
かつて、この空いた空間に複線の線路があった。昭和57年から約3年ほどかけて高架化に伴う金沢貨物ヤード関係の建設工事で複々線化したのだが、旅客線が貨物ヤード内を通行することになって複線線路が不要になった。ちょっとくやしい気がするが・・・。

2022年3月25日金曜日

宇出津第2トンネルの入り口が見えた

 昨日のことだが、北国新聞記事の河津桜の動画の欄に宇出津の動画が並んでいるのに気づいた。早速見てみることにした。そうすると、宇出津駅跡地の変貌ぶりが著しい。その写真の上部に道路のような空き地があって、トンネルの入り口が見えた。昭和36年から2年間、能登線建設工事の出来事が頭に浮かんだ。

鉄道廃線敷の先に宇出津第2トンネルの入り口が見えた!
このトンネル入り口傍に脱線器が設置されていた。脱線器からトンネンル方向は建設線であり、反対側は営業線だった。建設資材や道床バラストの貨車が建設線に乗り入れる場合は、駅に電話連絡して脱線器をOFFにした。建設詰め所と資材倉庫は画面下部の駐車場あたりに設置されていた。当時の思い出が次々に浮かび上がった。

宇出津港

この写真で思い出すのは、あばれ祭りの広場なのだが、3才くらいだと思うが、祖祖母におんぶされて鋼鉄船「防長丸」を見に行ったこと、小学生の頃は柳田から運ばれた来た木材が山積みになっていた風景を思い出す。高校生の頃、七尾から客船でここまで来たこともあった。母の実家から近かった「梶川」も懐かしい。あの頃の梶川は「ドブ」同然に汚れきっていた川だった。

そんな思い出を贈ってくれた北國新聞社に感謝感激であった。

2022年3月24日木曜日

もう満開?

朝刊で最初に目に入った写真があった。エッ、もう満開?と驚いた。満開の桜並木の写真だった。記事を読んでいくとそれは河津桜だった。

河津桜が咲きそろい、ピンクの帯のように伸びる並木道=白山市西米光町

行ったことはないが、白山市西米光町だという。堂尻川沿いの「河津桜」が昨日(23日)、満開になったとあった。濃いピンク色の花は川沿いに麗しい花の帯を描きだし、早咲きの桜を目当てに訪れた大勢の見物客の心を癒やしたという。例年だとこの桜はもっと早く咲くという。今年は断続的な寒波が続いたため3週間ほど遅いらしい。

満開の桜

地元では今年、桜並木の一部をライトアップする取り組みを初めて実施し、24、25日は午後6~8時に予定している。
そういえば犀川の堤防に植えられている河津桜の写真は20日ほど前だった。同じ品種でも場所によってかなりの違いがありそうだ。

近場では北部公園も先ず々々だ。ちょっと足を伸ばせば河北潟埋め立て地の西端に位置する2kmくらいの直線道路に植えられている桜並木も見応えがある。あと10日もすれば見られるかも知れない。楽しみに待つことにしよう。

2022年3月23日水曜日

3度目の対戦

星稜の天理戦は甲子園では今回が3度目の対戦だった。もう四十数年前になったが、76年夏は星稜のエース小松辰雄が4回に自ら同点本塁打を放ち、168球で完投勝ちした。お盆の休みを能登で過ごし、鶴来で昼食を食べていた際に実況中継していたのが思い出される。

その十数年後の92年春は星稜の林和成現監督が2番を打ち、4番松井秀喜らと出場。8回裏に天理の5番山本裕樹に3ランを許すなど、一挙5点を奪われ逆転負けした。
30年の時を経て昨日は天理にリベンジを果たした。92年センバツ準々決勝で1-5。林監督は、1年先輩の元ヤンキース松井秀喜らと2番遊撃で出場し、2回表に1点先制、8回裏に5失点した。「スコアボードを見て“同じ展開だな”と思った。くしくも(同じ)8回裏に失点して」という指揮官は、30年前と違う結末を喜んだという。

4回先取点!

9回同点とされ延長戦となった。
11回の攻撃前。星稜の林和成監督は冗談っぽく呼びかけた。「俺はタイブレークは嫌だぞ」
と。仕掛けたのは、同点の延長11回表2死一、三塁。一走の佐々木主将が塁を離れて、けん制を誘った。連動して三走津沢も動いたが、早すぎた。天理の一塁手川端が佐々木を見切って、津沢の挟殺を狙い、三塁に送球した。万事休すと思った瞬間、ボールは三塁手の頭上を越えた。勝ち越しの本塁を踏んだ津沢は「早く飛び出しすぎた。結果オーライでした」と言う。ボールがファウルゾーンに転がる間に佐々木も生還。決定的な2点を奪った。

11回表 勝ち越し!

マーガード投手の好投が光った

さて、今月いっぱいで林監督が引退されるという。去年のセンバツ時に2回戦で対戦した習志野がサイン盗みを働いていることを報道陣に“告発”。同校の小林監督のもとへ怒鳴り込み抗議していた。この一連の行動に対し、星稜には批判の声が殺到。学校の許可なく週刊誌にコメントしたこともあり、指導を自粛していた(させられた)。関係者によると、学内では林監督の更迭論も浮上したという。
しかし、「サイン盗みは悪」と言う林監督の考え方は全くもって正論なのだ。そもそも罰せられるべきはルールを破った“犯人”ではないのか。高校野球に詳しいジャーナリストの田尻賢誉氏は、「昨今の高校野球は強豪校が弱い学校のサインを盗み、ボロ勝ちして喜んでいるケースもある。林監督には正義感があり、誰かが声を上げないとサイン盗みがなくならないという思いがあったはず。せっかく世間がサイン盗みに関心を持ったというのに、声を上げた人だけが悪者になったら誰も正しいことを言えなくなります」と。そんな意見に、そうだ!と拍手したくなる。

何度もビデオを見直しても、習志野2塁ランナーがサインを盗み、頭に手を乗せバッターにサインを送っているのが明瞭に見ることが出来る。学校側の判断が厳しすぎるという思いを強くするのである。
再び復帰して甲子園で采配をふるって欲しいと願わずにはいられない。

2022年3月22日火曜日

4年ぶりの胃カメラ

先週になるが、医科大で4年ぶりに胃カメラの検査を受けた。70才までは勤務先や市の健診で毎年胃カメラの検査を受けていたのだが、70才を過ぎると市の検査項目から外されてしまったので、4年も経過したので危機感を覚え自発的に受診することにした。

医科大病院では全員麻酔注射となっている

実は前回も自発的に検査したのだが、検査結果を聞きに行ったところ、「胃壁に少し違和感があるので念のためCT検査をしましょう」と医師に告げられ、CTを受診した。結果を聞きに行ったところ、「異状は全くありませんでした」といわれ、ホッとしたのだが、帰宅した夕方に医科大から電話で明日来院してください」と。

で、医科大に赴き放射線担当医から説明を受けた。「画像を検査したところ、腎臓に2cmくらいの円形状の影があるので、泌尿器科で精密検査を受けてください」と告げられた。泌尿器科でMRIを受診し結果を聞いたところ、ガンの疑いありと。そしてダビンチというロボットで切除した。(ロボット手術補助金の支給対象となり手術費用負担免除)

ということで、胃カメラ検査がきっかけでステージⅠのガンが見つかり、4年前に切除して現在全く異常なく元気な自分が存在している。そんなことで、胃カメラ検査が命の恩人になったので、4年ぶりに再受診した結果、お陰様で異常なしだった。自分に取っては胃カメラ様々なのだ。

2022年3月21日月曜日

観光客急増! だ、だいじょうぶ?

まん防は今日までなのに、「そんなことどーでもいい」とばかり観光客が押し寄せている。
東北地震で旅行を金沢に変更する人も多いのだとか。

新幹線が到着する度にこの込みようとなった

石川県全域のまん延防止等重点措置が21日いっぱいで解除されることが決まり、北陸の宿泊施設で予約が急増しているんだとか。金沢市の金沢ニューグランドホテルは今週に入り、1日当たりの予約件数が前週の5倍となった。4月上旬までの予約が多く、花見や、延期していた卒業旅行を目的とする関東の団体客が目立つという。
これまでは重点措置解除から県民旅行割開始まで数日の空白期間があった。担当者は「今回は間髪入れずに県民割が始まり、対応しやすい。すでに宿泊プランは考えており、準備は万端だ」と。

近江町が観光地に変貌した

3連休初日の19日、石川県内には卒業旅行の学生らが続々と訪れ、観光地が活気づいた。県内を含め全国のまん延防止等重点措置の期限は21日までだが、「感染者が減ってきている」と「フライング」で旅行を決めた人が目立ち、金沢市内では満室となる宿泊施設もあるようだ。16日に最大震度6強を観測した地震を受け、急きょ行き先を東北から北陸に変更した観光客もいたらしい。

 
これは何の行列かと思いきや、コトジ灯籠の前で写真を撮るんだとか。
昨日は253人、これがなかなか減らない。千坂小も北鳴中も2年生が休校だった。
観光客がこんなに増えても大丈夫なのだろうか。それにしても韓国の感染者数増加率は驚異的。やがて1千万人に達する勢いである。何が原因なんだろう?

2022年3月20日日曜日

憂鬱な日から解放された

ひょっとしたら吾々家族は濃厚接触者か・・・と。それは一昨日の夜からわが家に突然訪れた。高2の孫が熱を出したのだ。そして昨日、こんな時期だから8時半にかかりつけ医に行ってPCR検査をしたのである。結果が出るのは夕方か明日の朝だという。家族全員、結果を聞くまで心配がエスカレートしていった。

ようやく子どもにもワクチン接種が始まった

もし、陽性だったとしたら家族全員が濃厚接触者となる。ウーン、どうしょう・・・と困り果てた。夕方になってもクリニックから報告がないので明朝まで待たなければならないかと思ったのだが、集会所から帰宅すると「陰性」だったと連絡があったという。やれやれと思った。孫は今日、日頃の成果を発表する日で、家族人数制限でぎりぎり文化ホールへ聞きに行くことにしていたので本当に良かったなぁと思った。

4月から3年、目標に向かって邁進することを祈るじじばばである。

2022年3月19日土曜日

東北新幹線の開通は1ヶ月半後か

震度6強で新幹線高架橋が破損したが、不通期間の見込みはまだ調査中につき未発表となっている。ちなみに10年前の東日本大震災では49日間の不通だったという。
阪神淡路大地震では高架橋の損壊が多数に上り80日間に及んだ。

軌道に変状があるということは高架橋構造物が破壊されたということ

高架橋横梁損壊 取り壊して再築造が必要

座屈破壊 高架橋が沈下しているためジャッキアップして再構築が必要
この工事は難航しそうだ

こうした復旧工事に使用するセメントは早強セメントを使用し、コンクリートの早期強度をアップすることにより完成時期を早くすることになる。
(昔とった杵柄がまだうごめく自分がいるなぁ)

阪神淡路大地震の被災を振り返れば、今回はまだまだ小規模だった

1日も早い開通が望まれる。

2022年3月18日金曜日

昭和5年金沢三越?

丸越デパートは昭和30年代で金沢二大デパートの一つとして武蔵の賑わいの場所だった。歴史を辿ると、この地に金沢三越デパートがあったという写真を見つけた。昭和5年に進出したという。

中々の規模のようだ

武蔵が辻交差点から尾張町方向の金沢三越
三越撤退は何時なのか資料がなかった。丸越はその何年後かに開設されたのだろうけど丸越の営業時の写真は見当たらなかった。

時は巡り昭和43年の武蔵が辻界隈

そしてまだ記憶に残るダイエーがあった頃
昭和60年前後だろう

現在の武蔵が辻界隈
ダイエーがあった痕跡は皆無となった

金沢駅前にあった近鉄ビルも忘れ去られようとしている。そういえば町内の古い建物も随分建て替えられて、見慣れた風景がいつの間にか変わっている。

2022年3月17日木曜日

昨夜の地震で新幹線高架橋が損壊し不通は長期の見込み

最近は早く寝る習慣なので、朝刊の1面を見て驚いた。またまた東北地方で震度6強の地震があったという。朝のワイドショウーでは新幹線が脱線した現場状況を中継していた。白石蔵王駅の2km手前で脱線した。

脱線の状況

乗客の負傷者はゼロだった。しかし、走行中に襲った地震の恐怖は凄まじいものがあったと想像できる。脱線した状態で1km以上は走行していたと推測するのだが、強度の揺れと強度の振動で生きた心地はしなかっただろうと思う。

そして高架橋の破損が著しい
この場所ではないが、TV中継していた場所の高架橋では、柱と柱を結ぶ横断梁が鉄筋が露出して損壊しているのが認められた。基礎部分の破損も写し出されていた。
したがって、修復には長くて3週間は要すると推測され、かつ、養生期間も要するので1ヶ月以上は不通となるであろう。

報道によると、17両中16両が線路から外れたという。78人が乗っていたが、けが人はいなかった。同線は那須塩原-盛岡間の上下線で運転を取りやめ、運行する東京―那須塩原間、盛岡―新函館北斗間の上下線も列車本数を大幅に減らすという。

10周年の復興を伝えていたばかりなのだが、またまた発生した。津波は30cmと被害がなかった。高速道路も破損したようだが、これは早期に修復できそうだ。


2022年3月16日水曜日

新入社員教育機関入学の場合は「米」持参の時代

カラー化作業は残り僅かとなった。今回は昭和36年5月16日から6週間、新入社員の教育機関である中央鉄道学園三島文教所へ入所した写真を紹介したい。
入所にあたり、注意書きとして入所の際には米2升を持参することになっていた。そういえば昭和46年に広島へ赴任したときも役場に米穀通帳を提出することになっていた。配給制度がまだあった。

教習所寮は何と元兵舎だった


入所者は岐阜以北の各機関から集まった

1室にベッド8台があった
この部屋は2段ベッドではなかったが、廊下の向こう側は2段ベッドだった。2段ベッド上部から転落した者がいたが怪我はなかった。

寮の窓から富士山が眺めることが出来た
土・日は毎回観光地巡りだった。入所して1週間後だっただろうか。国鉄本社見学があった。

北口横断歩道を渡ると本社だった
見学したのはコンピュータールームだった。どでかいIBMのコンピュータが2台鎮座していた。コンピュータなるものを見るのは初めて。1台3千万円。当時の初任給は1万円ジャスト。2台で6千人分の価格。しかし、当時の演算能力は98程度しかなかったという。それでも画期的な機能だったに違いない。

本社屋上には立派な「鉄道神社」があった

18才の連中もやがて80才だ

だけど、6週間の学園生活は天国のように思えた。入所した際のモノクロ写真が有り余るほど有るのがそれを物語っている。