昨日午後、金沢気象台は桜の開花宣言をした。わが家でも春到来を告げる花が咲いた。花はヒメコブシ。大きい花だが、咲き誇る日数は短い。
今年も春の訪れを告げている |
モノクロ写真のカラー化作業をしていたら、中2で大野海岸に遠足に行ったときの写真があった。当時の灯台のあった付近には建物が殆ど見当たらなくて緩やかな砂丘のような地形だった。現況を3Dで確かめてみた。
大野灯台付近の現状 |
あたりの風景は現在と違って閑散としている |
3日でキエフを陥落させる作戦計画が絵に描いた餅になったようだ。包囲していたロシア軍が予期していなかったウクライナ軍の反撃で35km撤退を余儀なくされたという。ウクライナ軍の善戦に拍手したいが、国土全域に亘りロシアの攻撃を受けている。
攻撃は卑劣な手段も用いられているようだ。軍施設より病院、学校、住宅に重点を置いて破壊を続けている。避難民が国外に、その数やがて4百万人。ロシアのやりように腹が立って収まらない!
呆然と立ち尽くす住民 |
中央公園に70人が集結し抗議集会 |
薬師岳は快晴 |
これから五色ヶ原へ |
五色ヶ原到着 翌日暴風雨 |
プーチンが病院や一般市民を標的に攻撃して、バイデンが戦争犯罪人と叫んでいるが、北の金正恩も新型ミサイルを日本に向け発射し小躍りして喜んでいる写真があった。全く馬鹿にした話である。
ミサイルが落下した海域はスルメイカの好漁場で、能登町小木港を拠点とする中型イカ釣り船が操業している漁場なのだ。6月に始まる出漁期の前だったとはいえ、防ぎようがない空からの脅威に石川県内の漁業関係者は「シーズン中に起こっていたと思うと恐ろしい」「漁船の存在を無視して落下地点を決めているのか」と怒りの表情を見せているという。そりゃそーだろう。
日本にミサイルをぶち込んで喜んでいるのだ |
外務省は厳重な抗議をしたというが・・・ そんなことは痛くも痒くもない |
昨日は暖かく穏やかな日だったので、午前中はタイヤ交換、午後はウォーキングに出かけた。ウォーキングルートは法光寺ふれあい公園に隣接した場所に、集会所が完成した頃だろうと確認をすることにした。ふれあい公園では毎年法光寺町会の盆踊り大会が開催されているのだが、数年前までは何度か訪れたことがある。
集会所新築前の状況 |
盆踊り大会の盛況ぶり |
各町会長の皆さんと酌み交わす酒がうまい |
帰りのルートに写した写真 |
昨日のことだが、北国新聞記事の河津桜の動画の欄に宇出津の動画が並んでいるのに気づいた。早速見てみることにした。そうすると、宇出津駅跡地の変貌ぶりが著しい。その写真の上部に道路のような空き地があって、トンネルの入り口が見えた。昭和36年から2年間、能登線建設工事の出来事が頭に浮かんだ。
鉄道廃線敷の先に宇出津第2トンネルの入り口が見えた! |
宇出津港 |
朝刊で最初に目に入った写真があった。エッ、もう満開?と驚いた。満開の桜並木の写真だった。記事を読んでいくとそれは河津桜だった。
河津桜が咲きそろい、ピンクの帯のように伸びる並木道=白山市西米光町 |
4回先取点! |
先週になるが、医科大で4年ぶりに胃カメラの検査を受けた。70才までは勤務先や市の健診で毎年胃カメラの検査を受けていたのだが、70才を過ぎると市の検査項目から外されてしまったので、4年も経過したので危機感を覚え自発的に受診することにした。
医科大病院では全員麻酔注射となっている |
実は前回も自発的に検査したのだが、検査結果を聞きに行ったところ、「胃壁に少し違和感があるので念のためCT検査をしましょう」と医師に告げられ、CTを受診した。結果を聞きに行ったところ、「異状は全くありませんでした」といわれ、ホッとしたのだが、帰宅した夕方に医科大から電話で明日来院してください」と。
で、医科大に赴き放射線担当医から説明を受けた。「画像を検査したところ、腎臓に2cmくらいの円形状の影があるので、泌尿器科で精密検査を受けてください」と告げられた。泌尿器科でMRIを受診し結果を聞いたところ、ガンの疑いありと。そしてダビンチというロボットで切除した。(ロボット手術補助金の支給対象となり手術費用負担免除)
ということで、胃カメラ検査がきっかけでステージⅠのガンが見つかり、4年前に切除して現在全く異常なく元気な自分が存在している。そんなことで、胃カメラ検査が命の恩人になったので、4年ぶりに再受診した結果、お陰様で異常なしだった。自分に取っては胃カメラ様々なのだ。
まん防は今日までなのに、「そんなことどーでもいい」とばかり観光客が押し寄せている。
東北地震で旅行を金沢に変更する人も多いのだとか。
新幹線が到着する度にこの込みようとなった |
近江町が観光地に変貌した |
ひょっとしたら吾々家族は濃厚接触者か・・・と。それは一昨日の夜からわが家に突然訪れた。高2の孫が熱を出したのだ。そして昨日、こんな時期だから8時半にかかりつけ医に行ってPCR検査をしたのである。結果が出るのは夕方か明日の朝だという。家族全員、結果を聞くまで心配がエスカレートしていった。
ようやく子どもにもワクチン接種が始まった |
もし、陽性だったとしたら家族全員が濃厚接触者となる。ウーン、どうしょう・・・と困り果てた。夕方になってもクリニックから報告がないので明朝まで待たなければならないかと思ったのだが、集会所から帰宅すると「陰性」だったと連絡があったという。やれやれと思った。孫は今日、日頃の成果を発表する日で、家族人数制限でぎりぎり文化ホールへ聞きに行くことにしていたので本当に良かったなぁと思った。
4月から3年、目標に向かって邁進することを祈るじじばばである。
最近は早く寝る習慣なので、朝刊の1面を見て驚いた。またまた東北地方で震度6強の地震があったという。朝のワイドショウーでは新幹線が脱線した現場状況を中継していた。白石蔵王駅の2km手前で脱線した。
脱線の状況 |
乗客の負傷者はゼロだった。しかし、走行中に襲った地震の恐怖は凄まじいものがあったと想像できる。脱線した状態で1km以上は走行していたと推測するのだが、強度の揺れと強度の振動で生きた心地はしなかっただろうと思う。
そして高架橋の破損が著しい |
カラー化作業は残り僅かとなった。今回は昭和36年5月16日から6週間、新入社員の教育機関である中央鉄道学園三島文教所へ入所した写真を紹介したい。
入所にあたり、注意書きとして入所の際には米2升を持参することになっていた。そういえば昭和46年に広島へ赴任したときも役場に米穀通帳を提出することになっていた。配給制度がまだあった。
教習所寮は何と元兵舎だった |
入所者は岐阜以北の各機関から集まった |
1室にベッド8台があった |
寮の窓から富士山が眺めることが出来た |
北口横断歩道を渡ると本社だった |
本社屋上には立派な「鉄道神社」があった |
18才の連中もやがて80才だ |