2018年2月28日水曜日

車と野菜の両立?

世界のトヨタが野菜を工場生産するという。
これが関連記事の見出し。
トヨタ方式で野菜すくすく 効率生産、品質管理の技生かせ
金属の加工を得意とするトヨタ自動車系プレス部品メーカーが、“畑違い”の農業に本格参入する。本業で磨いたトヨタ生産方式による効率化と品質管理を水耕栽培に応用する。担い手不足や耕作放棄地など日本の農業が抱える課題の解消に役立つ先進モデルになりそうだ。

新しい分野に挑むのは、愛知県豊田市の豊田鉄工。国内の新車販売と生産が伸び悩む中、多角化の一環で二〇一三年から試験栽培や栄養価の分析、収益性の検討を進めてきた。現在、豊田市内に広さ七百平方メートルの施設を建設中で、サラダに使うベビーリーフを五月から栽培する。
 
ベビーリーフを試験栽培している豊田鉄工の実験施設


部品生産は納期の遅れや不良品がその後の受注に響く。野菜も猛暑や台風などによる不作を避けるため、食品工場のような施設で作る。病害虫の侵入を防ぎ、日光代わりの照明や室温、湿度を常に管理することで、一年を通して販売計画通りのペースで栄養価が高い無農薬の野菜を育てる。日ごろ、部品の異常をチェックしている部署が品質保証を担い、洗わずに食べられる便利さをアピールする。

豊田鉄工の農法は、水や電気などを確保できれば北極や砂漠でも栽培が可能。中心メンバーを担う開発部の武島登志郎さん(46)は「世界で異常気象や爆発的な人口増が心配される中、環境に左右されない未来の農業を目指す」と説明。同部の三宅正規さん(34)や溝口真帆代(まほよ)さん(27)も「車を通じた貢献を、社会全体に広げるチャレンジをしたい」と意気込んでいる。

3年ほど前になるが、野菜を水耕栽培している工場に行ったことがある。場所は小松市内で経営者は社会福祉法人南陽園である。2011年1月に小松市大領町で、植物工場を店内に併設したレストランを開いた。店舗内で生産、消費する「店産店消」で誘客を図り、同園が取り組む障害者の就労を進めている。


店名は「しあわせ食彩ゴッツォーネ」で、和食とイタリア料理を提供する。事業を停止した「レスト三湖」跡の店舗を改装して営業した。

植物工場には、縦60cm、幅90cmのパネル48枚を設置、約40日間で、グリーンリーフなどのレタス類とハーブ「ルッコラ」の計5種類を栽培し、レストランで調理して提供する。客は無農薬で育つ野菜を眺めながら食事を楽しむことができる。

植物工場
10年ほど前から野菜を工場で水耕栽培する企業が増えてきた。



だが、採算性の問題で撤退や倒産する企業も多々あるのだとか。
トヨタの「かんばん方式」は野菜作りにも通用するのか見ものである。



2018年2月27日火曜日

80歳でゲームアプリを開発した「老女」

何気なく新聞を見ていたら「おやっ」と思う記事に目が行った。82歳の老女がゲームアプリを開発したという。
きっと大学を出た「りけじょ」に違いないと思ったのだが大間違いだった。
高校を卒業して大手銀行に就職。  62歳で退職後、在宅で母親の介護をしながらパソコンでオンラインチャットを始めたことをきっかけにパソコンに夢中になったのだとか。現在“リケジョ(理系女子)”ならぬ“リケ老(理系老人)”として、自宅でパソコン教室を開くなど、高齢者にパソコンやスマホなどを普及する活動も積極的に行っているという。




去年2017年6月には、米国アップル本社で開催されたWWDC(世界開発者会議)に、世界最高齢(82歳)の女性アプリ開発者として同社ティム・クックCEOに紹介されるなど、世界的に名の知れたシニアなのだ。12月には、自身の生き方、考え方を綴った書籍『明日のために、心にたくさん木を育てましょう』(ぴあ株式会社)を出版された。 




あるメディアのインタビューから(抜粋)
アプリ開発やエクセルアートなど、パソコンやスマートフォンを使いこなし、自らをリケジョ(理系女子)ならぬリケ老(理系老人)なんておっしゃっていますが、いつ頃から、そうなったのでしょうか。

■パソコンは、定年後の60歳から始めました。若い時から好奇心が旺盛で、まだ普及していなかったパソコンでしたが、ちょっと使ってみたいと思っていました。私、おしゃべりなので退職すると話し相手がいなくなるのが心配だったんです。でも、パソコンがあれば、パソコン通信で家にいても会話ができると聴いて、当時、決して安いものではなかったパソコンを衝動的に買ってしまいました(笑)。ただ、その高価な買い物で人生が変わったように思います。

■パソコンはすぐに使えたのでしょうか。
当時はパソコン教室もなかったですし、マニュアルのような本も出ていない状況でした。この頃は、まだインターネットも普及しておらず、電話回線でパソコン通信に接続する時代です。パソコンを回線に繋げるには外付けのモデムや接続ソフトが必要なことがわかって、後から買ってきたり、いろいろ試行錯誤して繋ぐことが出来ました。

■テデックス・トーキョーでの登壇の思い出はありますか。
私が銀行をやめる少し前に、スプレンディドシート(集計プログラム)、いまでいうエクセルのようなものの講習に、みんなで行きました。その講習の修了試験があったんですが、それに私だけ落第点を取って帰ってきたんです。

その話をテデックス・トーキョーでマイクロソフトの人に話したら、「それはよかったですよ」と言われ、どうしてですかと聴いてみたら、「エクセルで決算書なんて作れる人は世の中にいっぱいいますよ。エクセルでウチワを作る人なんて居ないから、それが良かったんです」と言われました。

だから、私が変わったんじゃなくて、世界の価値観が変わってきて、同じようなものをやるのはロボットさんの仕事。人間はロボットが出来ないことをやるわけですから、ロボットは、エクセルでウチワを作るという突拍子もないことを思いつけない(笑)

■これからシニアになる人たちは、SNSやインターネットを使って交流の場を広げることがおすすめですね。
そうだと思います。テデックス・トーキョー、アップルのWWDCの影響もあって、私のフェイスブックに国内、海外から友だち申請がたくさん来ました。もう、私のFaceBookは多言語化しています。

私宛の外国語メッセージがわからなくても、文章をコピーして翻訳サイトで訳してもらうので、なんとなく内容もわかります。「素晴らしい写真ですね」なんて言われてることがわかったら、「あれは3日前に友だちが撮ってくれたものです」と、スペイン語だって、ヒンドゥー語だって翻訳できます(笑)。

そんなことで、最近はあちこちから講演依頼がわんさかあるのだとか。


そしてこんな本も出版された。


私は55歳からパソコンを使い始めた。それから20年、何の進歩もない自分がいる。こんな活躍をしているおばあちゃんの話に触れて、俺も今からでも何かできることがあるのではないかと明るい光が差し込んできたように元気づけられた。

2018年2月26日月曜日

「保育園落ちた」とは無関係な保育園


「日本死ね」とか「保育園落ちた」という言葉が流行語になったことがあったが、そんなの関係ないわと、金沢に青空自主保育グループなるものがあって、今年で5周年になるという。

金沢市の青空自主保育グループ「おでかけさん」が今春で5周年を迎える。子どもにのびのびと、自然の中で自由に遊ばせるだけではない。親がゆったりした気持ちになれる時間を持つための活動でもある。週4日、皆で集まるが、事前に何をするかは決めない。そんな程よいゆるさが人気の秘訣(ひけつ)だ。(堀井聡子)

先月下旬、大雪が積もった「夕日寺健民自然園」に母子十四人が集まった。スキーウエアを着込んだ一~四歳の子たちが林を散策し「あっちもいこう」などとはしゃぐ。雪玉を作って、「雪がころころする」と笑う子も。ひとしきり雪にまみれた後、持ち寄った野菜スープを頬張った。

二〇一三年三月、東京都立川市から金沢市窪に引っ越した遠藤カヨさん(36)が代表を務める。東京では、「広い場所で遊ばせたい」と青空自主保育グループに参加していたが、金沢の自宅近くでは似たグループが見当たらなかった。
「だったら自分でつくっちゃおう」。軽い気持ちで、「おでかけさん」を始めると、自然の中で子どもを遊ばせたいと思う母たちが賛同し、今は十三組の親子が活動に加わる。遊具は使わない。雨でも雪でも、子どもを自由に遊ばせる。保育園になじめない子も、ここでは仲良く遊ぶ。

東京で活動しているうちに気付いていた。「青空の下にいると、伸び伸びできる。子どものためだけでなく、親のためでもある。親の気持ちは子どもに伝わる。子育てを満喫し、ゆったりした気持ちになれる場所が必要なんです」
子どもたちが小学生になれば、放課後の活動や、高齢者と触れ合う時間も取れるように考えていくという。「子どもをせかさないで遊ばせれば、親も気持ちに余裕ができる。長く続けていきたい」と話した。

活動は月、火、木、金曜日の午前十時半~午後二時。会費は親子一組で月額五百円。参加者には、一年分の保険(九百円)に入ってもらう。

この親子は保育園に通っていないということなのだ。こういうことができるのは、共稼ぎではないことが条件であり、裕福な家庭環境といえる。それにしても月額500円とはただ同然。青空の下にはお金は不要ということか。

雪で遊んでいる親子の写真があるが、ここは夕日寺健民自然園で四季を通じて心が和む場所である。実はこの公園に隣接した住宅地が山王団地である。20年ほど前までこの団地に居住していた。
この自然園には芝生の広場、ふれあいセンター、里山ふるさと館等のほか、林の散歩道が整備されており、一度は訪れたい場所である。
芝生広場とふれあいセンター
里山ふるさと館
林の中の散策路
駐車場も整備されている
山王団地の山側に貝の化石広場がある。娘を連れて何度か掘りに行った。
何十年も掘っても尽きることはない化石
春になると目白の群れが梅の木にとまったり、カッコーやキジが鳴く自然に恵まれた環境豊かな場所であった。ただ、冬場は降雪量がリャンハンほど多いのが玉にきずであった。

2018年2月25日日曜日

平昌五輪 大和撫子の大活躍

「うん」、「いいよー」、「そだねー」、今年の流行語筆頭候補になった。


昨日のカーリング英国戦は接戦で最終エンドを迎え、後攻英国チームの最後のストーンがスピードに乗って日本チームの2個のストーンをめがけて滑ってきた。1点先行の日本を破るには2個のストーンを外に弾き出すしかない。
赤色のストーンが1個目の黄色いストーンをはじき出し、2個目に当たったのだが何と赤色のストーンにぶつかってはじき返されてセンターに静止し、TheEndとなって日本チームの銅メダルが確定した。

国内のどこのカーリング教室でも申し込みが殺到しているそうだ。男子、女子ともにカーリングで健闘した影響が大きいのだという。将来が楽しみである。
報道記事より引用
常に笑顔を絶やさなかった「そだねー(そうだね)ジャパン」は、最後にうれし涙を流した。平昌五輪第16日の24日、カーリング女子「LS北見」は、3位決定戦で英国と一進一退の攻防を繰り広げ、史上初のメダル。スピードスケートの新種目、マススタートの女子では、高木菜那(25)が初代女王に輝いた。

激しい攻防の末に迎えた第10エンド。英国のラストショットではじかれた日本のストーンがサークルの中央に収まった。その瞬間、それまで笑顔を絶やさなかった氷上の4人は、互いの顔を見つめ合い、大粒の涙を流しながら次々に抱き合った。

この銅メダルが確定する少し前、新種目の女子マススタートで高木菜那が見事金メダルを獲得した。
最後の一周で、2位につけていた高木が素晴らしい瞬発力を発揮してトップに躍り出て、そのままゴールインした。


スピードスケート新種目の女子マススタートで金メダルを獲得した高木菜那(25)の地元、北海道幕別町では、PV会場で町民らが歓喜に沸いた。「金メダル2個は本当にすごい」。妹の高木美帆(23)と合わせて今大会5個目となるメダルに、絶賛の声が相次いだ。
PV会場の幕別町百年記念ホールでは、町民ら約100人が声を張り上げて応援。ゴールの瞬間は総立ちになり、「おめでとう」と拍手に包まれた。兄の大輔さん(27)は「姉としての力を最後に見せつけた」と褒めちぎった。

母の美佐子さん(55)は「信じられない。同じスポーツをしていたら、勝ち負けは姉妹で必ずあるもの。それを乗り越えて、よくやった」と声を震わせた。
車いすで駆け付けた祖母の山口利久さん(88)は「姉妹2人とも頑張った。私もうれしい」と涙を拭った。
お母さんも喜び爆発
会場に集まった人たちは大輔さんを胴上げし、クラッカーを鳴らすなど喜びを存分に味わった。高校の同級生、片山琴絵さん(25)は「世間の認識は美帆のお姉さんだったけど、今回の五輪で世界の菜那になった」と話していた。

娘二人も選手に育てた両親の苦労は並大抵ではなかっただろうと察する。その甲斐が実を結んで4個もメダルを獲得してくれた。家族全員狂気乱舞の心境だろう。
おめでとうございました!



2018年2月24日土曜日

三千三百年前の道具 火切り臼


宇出津から海岸線に沿って北上すると、羽根、小浦を経て真脇の集落に入る。集落を抜けると姫に至る道路と小木に至る道路の分岐点付近の左側100mくらいの位置にのと線真脇駅跡がある。
もう55年前になるが、私はこの付近で仕事をした。ジープや単車でこの付近を走り回った。仕事は能登線建設工事であった。
真脇駅付近建設工事中
その思い出のある地で、縄文時代の火おこし器が発見されたという。
石川県能登町教育委員会は23日、同町真脇の国史跡・真脇遺跡で、約3300年前(縄文時代後期末~晩期初頭)の木製「火きり臼」が見つかったと発表した。摩擦熱を利用して火をおこす道具で、縄文時代の出土例は北海道小樽市の忍路土場(おしょろどば)遺跡に次ぎ2例目。本州で縄文時代に人々がこうした道具で火をおこしていたことが初めて裏付けられた。


 真脇遺跡は、約6000年前(縄文前期初頭)~約2300年前(晩期終末)の長期にわたる集落跡。火きり臼は、史跡公園の整備に伴う発掘調査で2015年12月、川の跡(幅約4メートル)から大量の木製品と一緒に出土した。

火きり臼は板状で、長さ39.1センチ、最大幅5.5センチ、厚さ1.8センチ。素材は杉で、年代は放射性炭素年代測定で特定した。片方の側面に二つある丸いくぼみ(直径約1.5センチ)が炭化していた。くぼみ部分に沿わせるように垂直に立てた棒を手で回転させるなどし、摩擦熱で火種を作ったとみられる。

人類は旧石器時代には火を使用していたと考えられている。火きり臼のように効率的に火をおこす木の道具は、国内では弥生時代以降に多くの出土例がある。最古とされる忍路土場の火きり臼の年代については発掘当時、周辺の出土物などから真脇のものよりやや古いと推測されたものの、他に出土例がないため議論もあった。

真脇遺跡は昭和57年・58年の発掘調査によって縄文時代の前期初頭(約6000年前)から晩期終末(約2300年前)まで、約4000年の間繁栄を続けた、他に例のない長期定住遺跡であることが判明している。本遺跡は標高4~12mの低地に位置する湿地遺跡であったため、普通は腐って残りにくい動植物で作られた遺物が大量に保存されていた。
昨年8月、木柱跡データを基に竪穴式住居が完成した
特に前期末から中期初頭(約5000年前)の層から大量のイルカの骨が出土している。その数の多さから真脇の縄文人はイルカ漁を行っていたと考えられている。また中期中葉(約4500年前)の層からは板敷き土壙墓が4基見つかっている。晩期(約2800年前)の土層からは巨大なクリの木を半割りし、円形に立てて並べた「環状木柱列」が見つかっている。
このように多種多彩な遺物が出土した真脇遺跡は縄文文化の見直しを迫る貴重な遺跡として位置づけられ、平成元年に約37600㎡が国指定史跡に指定され、さらに、平成3年にはたくさんの出土品のうち219点が国の重要文化財の指定を受けている。 

巨木柱跡
真脇遺跡縄文館
平成15年10月、間もなく能登線が廃止されることが決定されていたことから、能登線見納め・乗り納め会を友人3組夫婦6人で実施した際、ここの縄文館に訪れた。
営業中の能登線の線路が見える
遺跡の入口にあるモニュメント
火切り臼発見のニュースで吾が青春時代が蘇った。

2018年2月23日金曜日

一人暮らし高齢者の不安

昨日、夕食を終えテレビを見ていたら電話がかかってきたので受話器を取った。そうしたら涙声で何かを話をしているのだが、気が動転しているらしく何をしゃべっているのかさっぱり理解ができないので、落ちついて!と諭した。
相手は町内の85歳の一人暮らしの女性。
ようやく落ち着きを取り戻して話しだした。

話を要約すると
夕方5時頃警察のものだがと電話があり、空き家になっている隣家がいたずらされたので、その家に住んでいた娘さんの電話番号を聞きたいと云われたので調べて教えてあげた。だけど、何だか悪い予感がして心配が募るばかりだ・・・というものであった。

警察の人というのは間違いないかと念を押したのだが、心もとない感じで「はい」と返事。それなら何の心配はないよ。と云って電話を終えた。
ところが暫くして泣きじゃくりながら悪い予感が収まらないという電話があったので、家に行って詳しく話を聞くと云ってその人の家に行った。

警察の人ならちっとも心配せんでいいよと言うのだが、その警察の人という確信が持てないらしい。ならば警察に相談してみるか?と聞いたところ、はいと頷いたので東警察署に電話した。
当直の担当者は親切丁寧な応対をされた。聞いた状況を話し、担当者の質問に答えながら応答が続いた。「警察から聞かれたという電話の記録確認するのでしばらく待って」という指示があり、しばらくしてそのような電話をした記録がない、と告げられた。
警察は電話でそのようなことを聞くことはないし、氏名を必ず伝えるようにしている。
むやみに心当たりのない電話に出ないよう伝えてください、と云われて応答は終わった。

警察に報告したことで安心した様子だったので帰ることにした。
家に帰り入浴中、東署から電話があって女房が応対した。付近の空き家に泥棒が入って犯人が逮捕された。当該の家にも入った。ただ、誰が電話したかどうかは確認がとれない。その旨、一人暮らしの人にお伝え願いたい。ということであった。
昨日の夕方5時頃の電話なので、恐らく警察官が電話したのだろう。
人騒がせな一件が落着した。

2018年2月22日木曜日

あっぱれ!パシュートの金メダル

平昌五輪も終盤になった。毎日朝早くから深夜にかけてLIVE放送されるTVに釘付けになっている。スキージャンプやノルデックは競技時間が午後10時過ぎが多い。ヨーロッパの視聴時間に合わせた時間に競技が行われるという。選手本位ではなくて放映権料本位なのである。選手は寒さと強風に震えながら競技をせざるを得ない理不尽なオリンピックである。

昨日も朝から夜までTV観戦だった。惜しくも女子カーリングがスイスに苦杯を喫したのだが、アメリカが負けたのでタナボタにありつけて決勝戦に進出するという。カーリングは競技時間が長いので、あちこちのチャンネルを切り替え、いくつもの情報を確認しながらカーリングに戻った。

9回でギブアップ
さて、昨日のハイライトは女子パシュートだ。準決勝のスターターは物議を醸したが、昨日は韓国人ではないスターターだったのか問題なくスタートした。
序盤オランダを上回るスピードを維持したが、中盤に約1秒の遅れとなってヒヤヒヤさせたが、終盤は圧倒的馬力でオランダを制した。
「自分の力だけではなく、みんなだからとれた」と語った高木美帆選手は今大会3つ目のメダルとなり、金・銀・銅すべてのメダルを獲得している。

オランダを圧倒し金!
これが本当の三位一体という
冬季で最多の11個のメダルを獲得して日本選手の活躍が光っているのだが、日本人の活躍が気に入らないのが韓国。数々の競技妨害や嫌がらせを受けているのだという。

小平選手のスタート 
ヨーイからドンまで平均3秒の間が4秒近くだった。左ももがピクリと動いたがこらえた。実に汚いことをするものだ。スターターの判断に委ねられているとはいえ、明らかに小平選手にフライングを誘った手口である。
まだある。


問題の行為があったのは日本の渡辺啓太が出場した7組のレース。転倒した北朝鮮選手が並走していた渡辺のブレードをつかみにかかり、渡辺ももう少しで転倒するところだった。中国メディアでは「この一部始終がカメラに記録された」などと報じられている。あるネットユーザーはこの映像を中国版ツイッター・微博(ウェイボー)に投稿。これを見たネットユーザーからは「嫌な気分」「恥知らず」などのコメントが寄せられている。
youtubeの映像を見ると、目を疑う行為をしているのが確認できる。

ノルデックで金が期待された渡部暁斗は5位で終った。本人は力量不足とコメントしているが、スキーのワックスが剥がれたのが体力を消耗したと荻原解説員が指摘していた。
坂道にさしかかってストックなしで滑走していた時、5mほど後方の選手が滑走していたのだが、渡部が見る見る間に追いつかれてしまった。これでは体力の消耗が激しいと感じた。これも何だか匂うのである。スキー板を選んで履くのだというが、故意に滑らないスキーを用意してあったのかも知れない。

また、葛西紀明選手が練習を終えジャンプ場から選手村へ帰る際、午前0時頃のー20度の極寒にバスが来なくて40分待たされたり、宿舎の暖房が壊れていたりしていたと聞く。国民性がそうなんだからと納得したいが、数々の妨害や嫌がらせに腹が立ってしょうがない。


2018年2月21日水曜日

64でリタイヤ?そりゃ早すぎる!

パソコン画面に表示される設計図面を毎日チェックしていて、外の景色に目をそらした時、電柱が3重に見えるようになって、もうこれ以上仕事は続けられないと思い、退職を決断したのが64才だった。60才で定年退職して嘱託になったのだが、給与は高卒初任給並みに減額され、業務内容は以前と変更はなかった。減額の理由はたぶん年金が支給されるからということなのだろうけど、その年金は給与収入があるということで半額以下に抑制された。そんな不満を抱いて4年間勤務し、もう1年お願いできないかという話を断った。

ところが、である。昨日、ある話題に「エエーッ、90歳で現役?」と驚いた。

東京都足立区のオーダーメードシャッターの製造会社「横引シャッター」の平久守さん=同区南花畑=は、90歳になった今も、正社員として働いている。78歳の時に知人の紹介で入社。現在はシャッターを支える金具の一つを作っている。平久さんは「死ぬまで仕事を続けたい」と意気込む。

90才の職人 現役バリバリ
東京の下町で生まれ育った。幼いころ、近所にナイフを製造する町工場があったことから「ものづくり」に興味を持った。

20歳のころ、ハサミや包丁の溶接を主とする工場を自ら設立。長年、家族で経営してきたが、海外の安い製品の台頭で需要が減り、65歳で会社を畳んだ。

その後は、赤羽や錦糸町など都内各地をバスで回って散策するなど、リタイア後の生活を気ままに楽しんでいたが、12年前、知人から「年齢に関係なく新規雇用をしている」と現在の会社を紹介され、再び働き始めた。金具を作る作業は手作業のため、平久さんの長年の経験と勘が生きている。  勤務時間は午前10時から午後5時まで。片道30分かけて自転車で通う。会社側は少しでも長く働いてほしいとの思いから「雨が降ったら休んでいい」という特例を設けている。ステーキが好きだという平久さんは「仕事とうまいものを食べることが生きがい」と語った。

「わしゃ75まで現役やった」と云っていた近所の人は、日曜日はほかの会社から頼まれた仕事をしていたという。自分より10年以上も長く、75まで日曜日も休まず仕事をしたと聞いて驚いたものである。退職してからは、グラウンドゴルフに没頭し、地域ナンバーワンといわれるくらいに腕を上げられた。町内老人会の会長も務められ地域貢献もされた。そんな尊敬に値する人が、去年秋から介護施設に入所された。ご家族の話によると、他人にはわからないだろうけど、認知症が進んで一緒に生活することが困難になったと云われたのである。

私の同級生で、まだ現役で頑張っている者がいる。そんなことを考えると、64でリタイヤは早すぎたかなぁ・・・と思うのである。ではあるが、去年の秋、「わが社で仕事をしていただけないか」という話を断った。その理由は、モチベーションの欠如だった。

2018年2月20日火曜日

火野正平は無関心見向きもしない


火野正平氏は高所恐怖症なのだが、そのレベルが半端でない。橋を渡る時は自転車から降りてへっぴり腰で渡る。私の知っている人でも、何人かが高所恐怖症である。禄剛崎でがけ下を降り、波打ち際の岩場をぴょんぴょんと渡り歩いていた時、一人だけ足がすくんで歩けないという。海面まで4,50cmしかないのに怖くて足がすくんでしまったという。私は案外平気なのだが、明石大橋の人道でガラス越しの海面を見たときは全身寒気が走った。

なぜこんな話をするかといえば、「地上300mで「断崖絶壁」気分 あべのハルカス屋上で」というニュースを見たのでそんなことが頭をよぎった。

展望台から下界を見下ろした景色

ハルカスの展望台
全国に数多く存在する絶叫アトラクション。恐れを知らない絶叫マニアたちのため、アトラクションも日々複雑に進化している。そこへ、一旦原点に帰ろうよ的な狂ったアトラクションが近日オープンすることになった。その名も『EDGE THE HARUKAS(エッジ・ザ・ハルカス)』。

大阪にある日本一高いビル、「あべのハルカス」が舞台であるという時点で嫌な予感しかしなかったが、その予感は悪い意味で的中することになった。どんなアトラクションかを簡単に書くと、地上300メートルを、命綱をつけて、ただ歩くのである。……頭がおかしいのだろうか?

・狂気のアトラクション爆誕
2018年3月7日、「あべのハルカス」の最頂部にある展望台「ハルカス300」にオープンする『EDGE THE HARUKAS』。地上300メートルという、ビルの展望台としては日本一を誇る場所だ。そんな場所にわざわざ作るなよ……と言いたくなるが、内容はシンプル極まりないものだった。概要を公式ホームページから引用しよう。

「最頂部の縁に大人1人が歩ける程度の幅のデッキ部を新設し、命綱を装着して約20mを歩くアトラクションです」
こんな体験はいかがですか
デッキの幅は約60センチメートルだそうだ。つまり、地上300メートルの吹きさらしになっている60センチの幅を、ただ歩くと……。いや、無理でしょ。絶対いかんでしょ。ホームページを見る限り、手すりは腰の高さくらいしかない。考えただけでお尻のあたりがムズムズしてきたぞ。

ビルの開業から丸4年を迎えることに合わせて企画。屋上に新設した幅約60センチ、長さ20メートルのデッキから身を乗り出せば、「断崖絶壁」にいるような気分になる。同社によると、屋外で外壁もなく、地上300メートルから見下ろせるアトラクションは日本初だという。  デッキ上では約7分間風景を楽しめ、記念写真も撮影してもらえる。「高い所が苦手な人は怖いが、遮るものがないので爽快感はある」と同社広報。60階の展望台で受け付け、展望台入場料とは別に料金は1人1千円(写真代など含む)。年齢制限はないが、身長制限がある。

横浜MM21のランドマークタワーは完成して何年かは日本一だった。

ランドマークタワー
その展望台には何回か登った。

横浜球場が望める
「煙と馬鹿は高い所へ登る」といわれるのだが、スカイタワーの眺望も素晴らしかった。
ゆらゆらゆれる吊り橋も平気なのだが、手すりがないととてもじゃないが渡ること能わずである。


2018年2月19日月曜日

地域住民交流活性化の妙案

先日の神戸新聞の見出しが目を引いたので記事を読んでみた。

増える高齢者、減る「老人クラブ」 運営岐路に
お年寄りの数はどんどん増えている。それなのに、地域で活動する「老人クラブ」の会員は、どんどん減っている。新規加入が少ないため、クラブ内の“高齢化”も顕著だ。価値観が多様化した現代において「仕方がない」という声もある。一方で、老人クラブの運営は自治体などが支援し、地域社会で一定の役割を担ってきた。岐路に立つ老人クラブ、皆さんはどう思いますか?(中島摩子)

この問題は当町内老人クラブの問題そのものでもある。

全国老人クラブ連合会によると「おおむね60歳以上」を対象にした全国の老人クラブは約10万、会員数は約568万人を数える。老人福祉法で「老人福祉を増進することを目的に事業を行う者」として位置づけられており、生活を豊かにする楽しい活動▽地域を豊かにする社会活動-などに取り組むとしている。

 兵庫県内では2016年4月時点で、5032クラブ、31万1549人が活動。阪神間6市1町では計1099クラブ、計5万9753人だ。

 西宮市の「夙寿会(夙川老人クラブ連合会)」には約250人が加入し、「ウオーキングクラブ」や「歴史講座」「カラオケクラブ」「児童見守りクラブ」など17の活動がある。

会員が250人の割には17も活動があるというが、どのような運営方法なのか興味がある。

その一つが、「男の料理クラブ」。月1回集まり、今月1日には節分に合わせて「恵方巻き」や「イワシの塩焼き」などを作った。メンバーはアシスタントの中村洋子さん(78)含め7人。90歳以上も2人いる。大石勝重さん(90)は「和気あいあいと寄って、ごちそうを食べるのが楽しい」と笑顔。高井峯夫さん(91)は「妻が亡くなって一人暮らしになり、料理をしようと入会した」と話す。

 ただ、メンバーは以前より減り、中村さんは「新しい人が入らず、私たちは年を取っていく。段々と体がついていかなくなる、というのはある」とこぼす。

当町内にも料理、生け花、お茶、クラフト、カラオケ、麻雀、映画などがあるが、7年前の発足時から会員が徐々に減少し、運営困難になりつつある。元気があるのは麻雀のみとなった。
男の料理クラブ 楽しそうな雰囲気である
「役員の定年は80歳までと決まっているが、私はすでに82歳。“跡継ぎ探し”が難しい」と話すのは、夙寿会の児島章範会長だ。「友愛、健康、奉仕」をモットーに、仲間作りを呼び掛けてきた。

 しかし、自分より若い世代を勧誘しても、「老人クラブは、私はまだ…」「個人で趣味の活動をしている」などと断られてしまう。「まずは『面白そう』と関心を持ってもらうことが大事」と児島会長。会員以外も参加できる「映画観賞会」「いきいき体操」などの企画にも取り組んでいる。

兵庫県のまとめをもとに、2016年と、その10年前の06年を比較すると、県内全体の会員は約7万8千人減り、クラブも約770減った。阪神間でも尼崎や伊丹、宝塚市などで減少が目立っている。

 「県老人クラブ連合会(のじぎくクラブ兵庫)」=神戸市中央区=によると、会員減少の理由の一つが「役員をしたり、行事に参加するのが負担という意見」だ。会員の高齢化が進んで役員の引き受け手がなく、組織が維持できなくなり、解散や休止をしたクラブもあるという。

先日、カラオケ同好会の定例会があったのだが、参加者は二人のみ。そこへ町会長がやってきて相談あるという。
町会長曰く、「どの同好会も会員が漸減している。町会は活性化策として4月末から5月上旬にかけ、各同好会が一斉に会館で文化祭をすることを企画している。それ以前の問題として、どうすれば会員が増えるか妙案はないか」と聞かれた。あれやこれやと話しているうちに「会館にきたら手帳を作ってスタンプを押すのはどうか。協賛の商店に賛同してもらい相互にメリットがあるような企画はどうか」という話にまとまった。

カラオケの文化祭は参加者を公募し町内のカラオケ喫茶を利用する。会費は町会も一部負担するが参加費を500円とする案でどうかと町会長から提案があって、その方向で進めることで同意した。

高齢者を家から引っ張り出して社会交流を促進する妙案として、果たしてスタンプ効果はあるかどうか。
全国的にもその効果が試される。

2018年2月18日日曜日

6人目の孤独死

数日前、集会所事務室で町会長から、「先日、町内で孤独死があった。私が副会長と町会長の通算6年間で6人目になる」という話があった。孤独死の原因や状況については町会に情報が入っていないが、親族はそんなに遠くない所に住んでおられるようだ」と。

名前を聞いて驚いた。会話も何度かしたことのある人だった。
去年の6月、あんずの収穫をしていたらその人が樹の下まで来て、「あんずを分けてください。お金上げますから」と頼まれた。そして、「ちょっとバスで出かけるのであとで伺います」と云われた。収穫を終え、あんずを袋に入れて夕方まで待ったが来られなかったので自宅に届けに行った。「いくらですか」と聞かれたので、「沢山とれたのでお金はいりません」と答えたらとても喜んでおられた。

昨日、地域サロンがあり、サロン運営の世話人で民生委員をしておられる方にその事について聞いてみた。
「孤独死の連絡はいつあった?」、「当日、その人の近所の方から聞いた」。
「体調が悪かった?」、「以前、骨折して入院していたと聞いたことはある」。
「近所との交流はどんな状況だった?」、「ほとんど交流のない人だった」。
「誰が発見したのか?」、「子供さんだろうけど、電話しても通じなくなって家に見回りに来たという話を聞いた」。

昨年は60才の男性が孤独死した。隣家の人が何日も電気がつかない日が続いたので不審に思い、町会長に連絡して警察が調査したところ孤独死と分かった。
この人は近所の人との交流は一切なかったという。

この二人に共通することがある。近所との交流が希薄なのである。前者は、私はあなた方とレベルが違うから交流したくないというタイプ。
後者は引きこもりタイプ。6人の孤独死した人に共通することは、世間は煩わしい、一人が自由で一番いい、という考えなのだ。

孤独・孤立とは、物理的に他の人々と隔たっていることのみをさすわけではない。
どれだけ周りに人がいようとも、心がつながっていなければ精神的な孤独・孤立感を感じることになるのである。





これから一人暮らし世帯は加速度的に増加していく。しかし、それに反比例するように地域コミュニティーが希薄化していく現象は一体なぜなのだろうか。
老人会加入率が極端に少なくなってきている。

厚生労働省は2016年、高齢者の孤立を解消することを目的としたモデル事業を実施する方針を固めた。具体的には、行政機関への相談に導く、地域イベントへの参加を呼びかけるなどして、社会的に孤立する高齢者の問題を解消しようとするものである。この取り組みは、全国約100の地方自治体で実施される予定になっているという。


「1人の方が気楽でいい、なんで窮屈な組織に入る必要があるか 」という考えをどうすれば変えさせることができるか、それこそ地域の力量が問われているのである。