2013年8月28日水曜日

新幹線計画業務(その1)

昭和44年10月初旬、6か月間暮らした民間アパート「祈念荘」の荷造りを終え、コンテナに積み込み岐阜駅から女房と急行「音戸号」に乗車して広島に向かった。
糸崎から蒸気機関車に付替え、呉線に入った。1等車といえども窓の桟に煤が積もった。
早朝呉駅に到着した。親父とおふくろが新婚生活を過ごしたところだと幼いころ聞いた話を思い出した。
呉から1時間くらいだっか終着駅広島に到着した。広島駅から徒歩20分くらいの東広島駅(貨物ターミナル)にほど近くに新居「清風荘」があった。新築2階建て1、2階4世帯計8世帯が入居できる民間借り上げアパートだった。
アパートと別棟で風呂があった。間取りは6畳、4.5畳、3畳板張りダイニングと岐阜のアパートより広いところであった。
平成14年6月広島出張で訪れ懐かしい思いでシャッターを切った
到着した当日は広島駅近くの職員宿泊所に泊まった。
翌日8時30分登庁。庁舎は旧広島鉄道病院でまだ改装が終わっていない所があり、手術室がそのまま残っている状態だった。
会議室に全職員が集合し、局長訓示を聞いた。「世界に冠たる新幹線を5年間で完成させるために本工事局が設置された。職員一同使命感に燃えて目標を完遂しよう」と檄が飛んだ。この日から6年間の悪戦苦闘が開始したのだが、高揚感だけが全身に漲った。
その日引っ越し荷物が到着した。トラックから取りおろし、アパートまで運搬据え付けまで、課の若手10人が手伝ってくれた。引越しの手伝いは課をあげて行うのが習わしであった。全職員が入居終了時まで引越し担当係長がスケジュールを組んで指揮した。
当時の広島駅(S40完成)
旧広島鉄道管理局庁舎
鉄道管理局裏手に工事局庁舎があった
平成14年、まだ工事局庁舎の一部が現役の建物となっていた
改装なった庁舎玄関前で線増3課職員一同
広島新幹線工事局は広島県全県内の建設を担当
長女が生まれた旧広島鉄道病院
線増第3課の計画設計担当区間
工事局庁舎と借り上げ宿舎の位置図
独身者は比治山裏手の段原町のマンションを独身寮として入居した。
幹部は二葉町の宿舎、一般は清風荘のほか横川駅から可部線3駅ほど北の祇園町宿舎に入居した。6か月後には安芸町温品(ぬくしな)に6棟新築中の鉄筋コンクリート造5階建アパートに入居する予定となっていた。