昨日の予定だった作業が悪天候のため今朝から着手した。先ず、石灰を撒いた畝の均しや整形をして、植え付けする穴を掘って元肥を撒き、攪拌して苗を植えた。連作を避けるため、キュウリとトマトの植え付け位置を入れ替えした。
作業時間は1時間で終了 |
入り口近くの4台目あたりに駐車した |
去年より雪が多かったため、7日遅れのトロッコ電車が運転開始したという。黒部渓谷を縫って走る電車は息をのむ景色が連続する。行って見たいなぁ・・・と思っていた観光地だったが、ようやくその夢が叶ったのは平成21年のことだった。
運転開始の模様(昨日27日) |
吾々が旅行したのは9月だった 観光客で大賑わいしていた |
流れる水の色はエメラルドグリーン |
欅平駅から上流方 |
駅から徒歩10分の展望台 |
足湯が大人気でいつも満員 |
読売旅行のツアーだった |
児童たちのツバメの巣調査 |
ツバメの巣は、実は幸運の象徴とされているという。どうして、ツバメの巣が幸運の象徴とされているのだろうか。実は、そこにはさまざまな理由がある。
一つに、ツバメは鬼門に巣を作らないから(風水)という。
理由はわからないが、さまざまな場所で見かけるツバメの巣の位置を確認したところ、鬼門にあたる位置にはツバメの巣がなかったのだそうだ。
精一杯大きな口を開けて鳴く 親鳥は順番を守って餌やりしているのだろうか |
玄関を美しく清潔に保つことで、多くの幸運が舞い込むと考えられている。ツバメの巣が玄関先にあると、無意識にこまめに掃除をすることになり、玄関はいつもきれいで清潔に保たれる。すると、多くの幸運が舞い込むことになるため、ツバメの巣は幸運の象徴とされているという。能登の実家ではガレージに巣作りしていた。親父が天井直下に穴を開け、シャッターを下ろしても往来できるようにしていた。しかし、二十数年たつが自家には巣はない。団地にはやってこないのだろうか。
新聞社の記事に50年前の写真が掲載されていたのでAIカラー化を試みた。ヘリかセスナから撮影した空中モノクロ写真で、美大(旧陸軍弾薬庫、現歴史博物館)と兼六園球場が写されている。カラー化した写真を見ると、高校生の頃に小立野から香林坊へ徒歩でこのあたりを通ったことを思い出した。
特に兼六園球場は、全国高校相撲金沢大会が開催され、土俵を中心に放射状に並んだ各校の応援団、その中に応援リーダーの自分がいたことが懐かしく思い起こされる。高校野球石川県大会S35年夏の決勝戦、声をからせて応援した。見事初優勝を飾り、福井で開催された北陸代表決定戦も勝ち進み、晴れて甲子園。懐かしい思い出が次々と浮かんできた。
試合の翌日、朝日朝刊に吾が応援リーダーが大写しで掲載された 右端が自分、この写真は宝物! |
毎日朝7時30分からBSプレミアムで始まるこころ旅を欠かさず見ている。この番組は、視聴者が心に残る風景をリクエストし、そこへ火野正平が自転車で訪れるという番組。この番組が始まったのは2011年というが、はじめの頃は全く知らなかった。それが何と現在も続いている。火野正平の人柄が番組を支えている。
今回は県内の心に残る風景から、何点か抽出してみたい。
これは最近の放映だった獅子吼高原 |
これも最近の放映 千里浜の夕日を見た |
見附島も行ったようだ |
NHKの資料参照 |
昨日夕方、知床半島遊覧船の26人が不明というニュースが流れた。4年前、ウトロのホテルで宿泊したことがあったので人ごとには思えず、続報が流れるのを待ったが、今朝になってようやく4人発見というニュースがあった。前回の旅行では、知床五湖やオシンコシンの滝等を観光したのだが、先端付近を船で観光したいと思っていた。が、今の気持ちでは思いとどまることに傾いた。
遊覧船は前回も事故歴があったという |
海岸線は断崖絶壁、観光は船がたより |
塩田に神酒をささげる登谷良一さん(左)と塩をささげる水上浩社長(中)=珠洲市清水町で |
浜士から汐汲み運搬作業要領の説明を聞いた |
町会長が実習指導を受けた |
濃くなった塩水を煮る釜 |
塩造りの初めから終わりまでの工程を聞いた |
昨日は週に一度の安全誘導旗振りの当番。交差点の手前で児童がやってくるまでの手が空いてる時間に、道ばたにタンポポの丸い綿毛が行儀良く並んでいるのが目に入った。すぐスマホを取り出してそれを写した。
タンポポが何か話しかけているように見えた |
タンポポという、なんだか心が弾むような可愛い名前だが、この名の由来は諸説ある。調べて見ると由来の一つは、白い綿毛が丸く集まった様子が、綿などを丸めて布で包んだ「たんぽ」に似ていることから、「たんぽ穂」となったというもの。田んぼの道に生えていることが多かったことから「田菜」と呼ばれていたものが、徐々に「たん」という音に変わり、綿毛がほほける(ほつれる)という特徴から「ほほ」と組み合わさって、「たんぽぽ」になったという説もあるようだ。
1人で歩いてきた2年生の男の子がタンポポを取り、「フッ」と吹いた。自分も同じ事をしたことを思い出した。
人生100年時代といわれるようになったが先週だったか、何気なく見ていたTVで床屋さんをしているおばあさんが映った。客である年配者の髪を切っていた。これだけを見ていると全く普通の床屋さんなのだが、ナレーターがこの床屋さんは104才と言ったのである。1917年生まれとなるが、自分の母が1919年(大正8年)生まれで、亡くなってもう11年経った。それなのに、である。なんと今も現役のバリバリ。かつ、去年は東京オリンピックの聖火リレー選手までを務めた。そんなTVを見て驚愕した。
104歳の箱石シツイさん |
昨年は聖火リレー選手を務めた |
仲間と冗談を言いながらのプレーは楽しい |
先週から旧柳田村石井の空家について、能登町HP掲載に向けた手続きで、能登町の取り扱い事務担当者から登録申請書を受理したとの連絡があった。今後は能登町が契約する不動産業者と現場立ち会いをすることになる。心配したのは調度用品等の片付けなのだが、そのままの状態で立ち会いOKだという。布団や鍋釜・食器類に衣類等々、大型トラック3台分くらいは有るかも知れない。
能登町の定める全ての問題がクリアすると、はれて下図のHPに掲載されることになる。
かなりの物件が掲載されており、成約済みとなっている物件も相当数ある |
昨日の記事に宇出津の曳山の写真があった。4,5才だったと思うが、母の実家である宇出津の千間書店付近で母に手を引かれて曳山見物をした思い出が浮かんだ。もう七十数年前の記憶だが、かなり長い綱を引きながら大人や子供たちが声を上げて練り歩いていた光景である。能登の曳山といえば七尾の青柏祭「デカ山」が有名だが、輪島になくて宇出津にもあるのが不思議に思う。500年前に遡るらしいが、漁師気質の威勢の良さで、「おらのとこもヤマせんかいや」とはだてたのかも知れない。
かなりの人出で賑わったようだ |
桜の花吹雪が舞う時節に移り、今度はシバサクラが満開だという。 小松市中海町のロードパーク「なかうみの里」のシバザクラが見頃を迎え、立ち寄ったドライバーらの目を楽しませているのだとか。ピンクや白、紫の小さな花をつけた約8000株が600平方メートルにわたって、じゅうたんのように咲き誇っている。中海町の地元住民が10年以上かけて植栽し、「シバザクラの里」として親しまれている。これは個人的栽培は不可能、やはり住民等が協力して世話をしないときれいに咲かないだろう。
小松「なかうみの里」のシバザクラ |
ここも凄いなぁ |
旧柳田村で生活していた親父が病で倒れて金沢の病院に入院と同時に、同居していた母も金沢へ来たので、それまで住んでいた家が空家になった。あれからもう26年経過し、家をどうするか真剣に考えることにした。外観は障子の破れが目立つが、内部はまだまだしっかりしている。障子は来月にでも張替えすることにしよう。
生活利便性は良好な環境にある |
上がり口の神代杉 |
二階書院付き床の間 |
床の間に続いた段違い棚 |
この部屋も書院・床の間付き |
コウノトリの郷公園が館内から見学できる |
この公園で飼育され放鳥される |
多くのコウノトリが遊んでいる |