2020年3月31日火曜日

なぜ面白い?「ぽつんと一軒家」


日本各地の人里離れた場所にポツンと存在する一軒家で暮らす人を追ったバラエティー番組「ポツンと一軒家」が3月15日に放送されたが、その平均視聴率は22.2%を記録したという。この時間帯はNHK大河ドラマがあるが、何とその視聴率を上回っているのである。
この番組は2017年10月に初回が放送されたというが、ここ4,5ヶ月前から見るようになった。

流れはパネリストの林修がGoogle Earthの映像を紹介する。対象の一軒家が所在する都道府県の全景からズームインし、最大拡大率にてポツンと一軒家の画像をアップにし、そこから読み取れる情報を林が解説した後、4人でどんな家なのかの推測を話し合った後、VTRが始まる。 これが番組の流れのパターンとなっている。
所ジョージ、林修はレギュラー
ぽつんと一軒家と称するだけあって、どれも人里から相当離れていて集落からその家までの道も狭い。住んでいる理由はそれぞれだが、先祖代々住んでいるから住むという人もあれば、こんな所に住んでみたかったという人、人里離れた場所に自ら開墾し自分で家を建てた凄い人もいた。

石川県内ではぽつんと一軒家を二つ紹介していた。一つは白山市。
1軒目の情報収集を開始した捜索隊。最寄りの集落で、町内会長の男性から詳しい道を聞き、山道へ向かう。「冬季間通行止め」と注意書きの書かれた細い道を進むと、倒木がそのままになった荒れた道に。捜索隊は不安になりながらも先へと進むと……。

そこは我谷盆制作工房だった

我谷盆制作復元木工芸作家 森口信一さん
週に4日、金沢からここにやってくるという。工芸教室の生徒さんは30人も。

さて、もう一軒は珠洲市だった。


先祖代々の家なのですぐ後ろには墓などもあって離れるわけにはいかないのだとか。
だが、買い物は4kmの山道を自転車で行くのだとか。


全国の一軒家を見てきたが、この人は一人暮らしなので、もし病気でもしたらどうするのだろうと心配に思う。
中にはイワナを育てていて、年に何回か孫達がやってきてイワナを獲ったり焼いて食べたり、20人くらいが集まるそんな風景に目を細めて眺めているおばあさんがいたり。
人生いろいろなんだなぁ・・・と思う。

2020年3月30日月曜日

時ならぬ「雪」といえば

昨日は東京で満開の桜と歩道に積もった雪を踏んで歩く姿が今朝のTVに映し出されていた。春が来たと心も弾んだ気分が一気に冷え込んだ。時ならぬ雪といえば、51年前が思い出される。昭和44年3月12日、和倉温泉は前日とは打って変わって20cmを超える積雪。この日は新婚旅行に出かける日だった。敦賀あたりまで銀世界の景色を眺めながら新大阪駅で下車し、伊丹空港に向かった。ところがである。飛行機の出発時間が遅れに遅れたのである。原因は四国松山方面が70年ぶりの大雪だというのだ。

それでも2時間くらい遅れてどうにか出発した。搭乗の飛行機は4年前から日本初の旅客機として就航したYS-11だった。伊丹~松山路線は昭和41年、この旅行の3年前だが着陸に失敗、松山空港付近の海上に墜落し、全員死亡という大事故があった。そんな飛行機に乗るというので、友人は「また落ちる」とからかった。

伊丹空港

松山空港

飛行機には初搭乗だった。滑走路から飛び立つとき、エンジンを全開にしてプロペラが回転するものだから、一瞬つんのめる感じになり、いきなりブレーキを外したのかフワッと浮き上がるようにして走行を開始してやがて離陸した。そして1時間も乗っただろうか、あっという間に無事松山空港に着陸した。

そしてそれから50年の去年3月、金婚式を娘達夫婦が企画して招待してくれた。感謝感激雨あられだった。

みんなありがとう!

2020年3月29日日曜日

若者曰く、「俺は大丈夫」

都知事に続いて夕べは安倍首相が記者会見した。それだけ深刻だということだろう。
東京都の感染者が4日前から40人台に急増し、昨日は一気に63人になった。そして不要不急の外出は控えるよう要請があった。

上野公園の満開になった桜並木道は通行止めにした。「こんな風景は一生に一度しかない」とコメントした人がいたが、正にそうに違いない。
今朝のニュースでは渋谷交差点、新宿歌舞伎町界隈、銀座服部時計店付近を映していたが
どこもガラガラだった。

トランプ大統領は「これは戦争だ」と演説した。トランプは武漢ウイルスと何度もアピールした。その武漢だが、SNSで当局発表の数字はデタラメという書き込みが多くなっているという。当局はSNSの写真を次々と削除しているという。中国は本当に信用できない。


今月に入ってイタリア北部の感染者が増え始め、アッと云う間もなく中国を抜いて記録を更新し続けている。際立つのはアメリカである。とうとう二番手になったではないか。
日本もそうならないという保証はない。アメリカの若者は、「コロナウイルスなんて俺たちには関係ない。行きたいところは行くし、したいことはする」と云っていたし、日本の若者も同じようなことを云っていた。

ヨーロッパやインドで、警棒で力任せに若者の尻を叩いているシーンもあった。逮捕して牢屋にぶち込める法律を整備しないと簡単にはなおらないだろう。
金沢も8人を維持していたが9人になった。それにしてもお隣富山はゼロ。福井も頑張っていたが一昨日あたりから増え始め、ついに石川県を抜いたではないか。

運動不足になるが、家に「じっと」していた方がいいなぁ。

2020年3月28日土曜日

孫の旅立ち

今朝5時30分、吾が家で生まれ育った孫が名古屋に向かって旅立った。
娘夫婦と孫と下の孫も一緒に行った。まだそれほど時間は経っていないのだが、今までいた部屋が住人を失いがらんと空いて、一抹のさみしさがこみ上げてきた。

出発直前に撮った
どういうわけか父や祖父に似合わず身長が180cmを軽々と越し、とっくに追い抜かれていたのである。そんな孫の成長過程を振り返ってみよう。
2歳未満だというのにマウスを操作する指が本格的なのだ
幼いときからパソコン大好き。そんなこともあってか、大学は3年前に新設されたという情報学部を選んだ。

幼稚園には年少から通った
金沢港に寄港したドゥルス号で(小学1年)
もうすぐ中学生(お台場)
孫が成長したということは自分が年取ったということだ。下の孫は高校生になった。最近、娘達が「じいじ、元気でいてね」と励ましてくれる機会が増えるようになった。
自分では昔から体調は変わらないと思っているのだが、一昨日のタイヤ交換でちょっと一服時間が何回もあった。今までこんなことはなかったのにと、やっぱり老化しているのだろうなぁと思った。

孫がいなくなって、ちょっと感傷的になったか。



2020年3月27日金曜日

10万円貰えなくなった!?

1ヶ月ほど前だったか、香港で全国民に14万円支給するというニュースがあった。羨ましいなぁと思っていたら1週間ほど前にこんなニュースが流れ、「いい話だ!」と口元がほころんだ。


だが折角楽しみにしていたのに期待は裏切られぽしゃったようだ。
新型コロナウイルスの感染拡大を受けた緊急経済対策として、政府・与党で検討されてきた国民に対する一律の現金給付が見送られる方向で最終調整に入ったことが分かったというのだ。

政府・与党では感染拡大を受けた緊急経済対策として、国民一人一人に10万円の現金給付を行うことなどを検討してきた。しかし、「富裕層にも配るのは国民の理解が得られない」など反発が根強く、複数の与党幹部らによると、所得制限をつけたうえで現金給付することで最終調整に入ったということらしい。
そーか、反対者がいるんかぁ。孫にも10万円あたるぞと云ったばかりなのにだ。

25日PM8時記者会見
一昨日の夜、小池都知事の記者会見があった。1日の感染者が41人に急増したことを受け、緊急に実施された。この会見を聞いていたが、やたらカタカナの用語が多用された。
これは専門家会議の記録から・・・
「もしオーバーシュートが起きると、欧州でも見られるように、その地域では医療提供体制 が崩壊状態に陥り、この感染症のみならず、通常であれば救済できる生命を救済できなくなるという事態に至りかねません」

専門家会議は、感染に気づかない人たちによるクラスター(患者集団)が大規模化、連鎖することでオーバーシュート(偶発的患者急増)が発生。その結果、イタリアやスペイン、フランスでは数週間の都市封鎖、外出禁止、店舗閉鎖といった「ロックダウン」を取らざるを得なくなっていると指摘している。

河野外相は疑問符を付けた。

これに疑問を投げかけ、新型コロナに関する言葉の和訳を提案したという。大賛成である。専門家はニュアンスがちがうのだという。しかし、国民の大多数が和訳に異議は申さないはずだ。

もう一つ、海外渡航禁止等の措置で留学生の奨学金が凍結されているという。


留学中にも関わらず全面ストップという取り扱いには理解できないのである。チャランポランじゃないか!直ちに再検討することを求めたい。


2020年3月26日木曜日

姫コブシ満開!

昨日に続いて今日も快晴。今日は気温が上昇して20℃を超えるという。昨日はウオーキングで6千歩、今日も歩けば「棒に当たる」かも。そして、早い人に遅れること2週間、午後からタイヤ交換を予定。

先日、ウオーキングの途中で森本駅前の通路の写真を撮った。この間紹介した駅前整備状況の続編である。通路は出来ているものの、歩道部分が未完成であった。
森本駅1Fトイレ入り口付近から津幡駅方
金沢駅方
ステンレス製の通路となっており、こうした構造物にステンレスは珍しい。年度内の予算を使い切ったのか無舗装のままとなっている。こんな進捗状況を見ていると「はがゆい」思いがするのである。何せ現職の頃は全て尻を叩かれながらの工事現場だった。

町会の集会所隣の家が壊され更地になった。壊されてしまうと「さて、どんな建物だったか」と思い出せなくなる場合が多い。壊す前の姿ではなく、壊し中の記録写真を撮った。

まだ建てて60年未満の家だったろうに
2年前までここに住んでいたおばあさんの姿が目に浮かぶ
殆どとり壊し作業が終わりそう
さて、吾が家の前にある「姫コブシ」が満開になった。この姫コブシは樹齢25年前後。実は家を新築して間もなく、この大きめの鉢に紫色の花が咲くコブシを植えたのだが、2年目に枯れてしまったので、姫コブシに植え替えしたものである。

薄紫の色合いがお気に入り
大雪で枝が折れた時もあった
梅や杏の花はもう散ってしまった。今年も杏の花が少なくてしょぼい。一昨年にめちゃくちゃ大量の杏が収穫できたので、その反動が続いているようだ。お礼の肥料を忘れた結果かも知れない。


2020年3月25日水曜日

医王山も300名山だった!

昨日、何気なくTVを見ていたら番組の予告があって、「あれっ、医王山も?」と驚いた。例のグレートトラバース3だった。で、今朝、番組を見て感動するとともに、中学時代の遠足や高1のハイキングで医王山に登ったことが懐かしく思い出された。

中学3年(S32)の遠足で登山したことを思い出した
高校生のとき再び登山した以降、行ったことがない
当時はビジターセンターは存在していなかった
トンビ岩真下に大沼がある

この大沼(オオイケ)に人が5,6人乗っても沈まない浮島がある。この浮島は植物が密生していて浮いているのが不思議。
大沼で 高1で近所の友達と登山したこともあった
この大沼から10分ほど歩くとサンショウウオが生息する谷川と滝がある。中学の遠足はここで休憩した。
去年、このクラス会をやった
滝壺の傍で(ちょっと暗いなぁ)
休憩時間が終わり、少し歩いてロッククライミングをした。田中陽希が登ったルートは険しいルートでチェーンを手にしながら登山した。

本格的なロッククライミングが堪能できるルートで人気がある
てっぺんはトンビ岩
吾々も遠足でこのてっぺんに登ったのだ。ちょっと怖い思いもあったが眺望絶佳だった。
陽希もてっぺんまで登った
40分ほど歩いてシラハゲに到着
吾々もシラハゲで休憩した
奥医王山到着
砺波平野を眼下に望む
シラハゲからは金沢市が一望できたし、医王山頂上からは広大な砺波平野が望めた。
何せ、富山の平野が見えた時は感動したものである。医王山の裏は富山なんだという思いを新たにした。
医王山はドライブウエーができているというので、車で行ってみたいと思う。
300名山の医王山バンザーイ!

2020年3月24日火曜日

三週間ぶりの登校!

先月29日から休校が開始され昨日(23日)、久しぶりに登校が始まった。
子ども達にとっては本来休みは嬉しいはずなのだが、公園に行くな、遊園地もダメなどで家に閉じこもるしかなかったので我慢も限界に近づいていた。ニュースを見ていると登校した児童はみんな嬉しそうだった。

一人一人検温(大徳小学校)NHKニュースより
北國新聞23日夕刊

NHKニュースより
だが学校は始まったが、コロナウイルスの猛威は納まったわけではない。
とうとうオリンピックが延期されそうな雲行きになってきた。こうなることは素人の吾々レベルでもそんな予感がしていた。恐らく1年以上の延期になるだろうと想像されるが・・・。

昨日から学校が始まるので、一昨日、町内ボランティアの4人の学童見守り隊員に連絡した。ボランティアの皆さんは快く応諾された。

昨日から大相撲放送がなくなった。毎日4時から6時まで放送を楽しんだので、楽しみが一つ無くなった。だけど朝乃山が大関確実という。羽咋出身の深井も5勝2敗でこれからが楽しみだ。遠藤、炎鵬は健闘むなしく負け越しとなったが、炎鵬の「八艘飛び」は見事だった。来場所の活躍を期待しよう。




2020年3月23日月曜日

ある高校生の投書


今日の朝刊の「地鳴り」という投書欄に、ある高校生の投書に注目した。それは町会に関する投書だった。若いのに頼もしいと感心したのである。
高校生の投書
その前になるのだが、「定年退職した人が地域の世話をするという、かつての町会像は成り立たない」という記事があった。自分は十年間ほど町会連合会で副会長等の業務を担当したことがあったのだが、23の町会が集合する組織の中で過半数の町会は任期1年であった。
しかし任期1年では、前任者からたった2,3時間程度で業務を引き継いで、行事が近づいた段階で段ボール箱の資料を引っ張り出して何をどうするのかを勉強する、こんなことで1年が過ぎ次の新任者に引き継ぐことになる。

こうした新町会長は、町会をいくつかの班の集合体であるブロックによる輪番制なので、
「ま、1年だから何とかやらなくてはしょうがないか」というスタンスなのだ。
300世帯を要する町会でも、町会長は輪番制で選出すると制度を変更した町会も出てきた。住みよい地域づくりに尽力しようと自負心溢れる町会長が急速に減少している。

何が原因なんだろう。これは住民の高齢化に加え、業務量の増加が背景にあるようだ。「昔はなかった問題が次々と出てきている」のである。
1人暮らし高齢者が増え、孤立防止や安否確認が課題になった。災害が多発する近年、いかに円滑に避難誘導するか・・・。時代の変化に対応するため、町会の役割も責任も増している。

そのため、役員にのしかかる負担感は、町会の存続をも脅かすことになる。「役員を引き受けたくない」という理由で退会したり、引っ越したりするケースが少なくないという。実際、町会の加入率は年々目減りしている。ある市内では2017年度、59・4%。10年前に比べて7ポイント以上減った。中には、解散を検討する町会も出てきているという。
町会について調査・研究する近畿大の竹本康彦准教授(応用統計)は「1人暮らし高齢者や生涯未婚者が増えるなど、家族のかたちは小さく、弱くなるばかり。その分、地域のサポート力が問われるがこちらも弱体化が進む。この『共倒れ』現象を食い止めるため、行政はもっと危機感を持ち、町会へのサポートの在り方を模索すべきだ」と指摘している。

町会のある組織の懇親会
しかしそうだろうか。新聞に投書した女子高校生は町会の原点を的確に捉えているのである。「町会はコミュニケーションの大切な場である」ことを理解しているではないか!。
住みよい地域は住民自らの意思で作り上げられるものであることを信じたい。

2020年3月22日日曜日

金沢と能登の「俺がやらなきゃ誰がやる」

このブログで火野正平が能登に訪れた模様を既に記したのだが、寺分出身の女性が手紙に書いた「宝暦義民の碑」と宝暦杉を見てその手紙を読んだ。旧柳田村出身者としてそんな村の歴史があることを知らなかったのが恥ずかしいと思ったものだ。



歴史を調べてみると、宝暦5年(1755)、加賀藩では正銀に代えて藩札を発行して領内に流通させたため、インフレが起こり、領内百姓らは物価高騰による生活苦にあえいでいたところ、翌年の宝暦6年(1756)には、能登で大洪水と飢饉が発生、多くの死者を出す被害に見舞われた。

このため、千人ともいわれる農民が、加賀藩の十村役であった宇出津の源五宅を襲撃する、いわゆる「宝暦一揆」が起こり、藩の追及に対して、中斉村甚左衛門はじめ7人が罪を一身に被って家財没収や入牢となり、ついには獄死した。
例年の凶作の中、宝暦8年(1758)にも宇出津組で年貢米の不足が摘発され、このときにも寺分村勘十郎らが責任を負って入牢、獄死しており、地元には彼ら「宝暦義民」を称えるさまざまな石碑などが建てられている。

金沢でもこれと似た一揆が二件発生している。
宝暦の一揆が起きる80年前の天保9年(1838年)、いわゆる天保の大飢饉は言語に絶するものであったと言う。当時、西念新保村・北安江村・南新保村の村役15人は、28ヶ村を代表して凶作に苦しむ農民を救う為、加賀藩に年貢米の減免を願い出たが、藩は、この減租運動を弾圧し、彼等の家族123人共々9年間越中五箇山に流刑に処した。後に明治30年(1897年)勝海舟は事件の真相を知り、天保義民とたたえ記念碑の碑文を大書きされ、当時の関係町村有志と遺族の手により今の立派な石碑が建立された。

天保義民の碑(駅西中央公園内)

勝海舟は粋な取り計らいをしたものである。

勝海舟直筆という
そしてもう一つは天保義民一揆から20年後の 安政5年(1858)、米価高騰に苦しんだ町民たちが、金沢城下を見下ろす卯辰山に登り、金沢城に向かって「ひもじいわいやぁ」などと大声で泣き叫ぶ「安政の泣き一揆」が起こった。
これは暴力行為を伴わない方法で、加賀藩でも御蔵米500俵を放出し、米価の上限を設けるなどして事態は沈静化するが、首謀者として髪結いの能美屋佐吉ら7人が捕らえられ、牢死を除く5名が刎首の上、梟首されたという。

のちにこの7人を供養するため、卯辰茶屋町の侠客・綿津屋政右衛門が「七稲地蔵」を観音坂に建立し、今でも見ることができる。

七稲地蔵

寿経寺では毎年鎮魂の祭礼を行なっている
銭屋五兵衛も無実の罪を着せられ牢死した。五箇山観光のついでに橋を渡って直ぐの場所に天保義民の牢屋が今も残されていた。

加賀藩が悪者に違いないのだが、江戸時代の一揆は全国全て似たような処分が行なわれている。
それにしても村役の皆さんは、農民の窮状を憂い行動を起こした。その勇気を称えたい。
自分が村役の立場だったら逃げただろうなぁ。