2016年9月24日土曜日

樽酒の鏡わりで貫通の喜びが頂点に

昭和47年は物価高騰の助走段階であった。
ガソリン55円が80円台に急騰し、土地価格の上昇率も高くなってきた。
前年、現場に転勤する前、私は広島から金沢に私用で出かけた。目的は土地の購入。共済組合から100万円借入して63坪余りの土地を180万円台で購入したが、坪単価は3万円であった。ちなみに私の給料は3万円弱であった。
場所は山王1丁目。250区画余の住宅団地であったが、分譲開始して間もないためか、住宅は数えるほどしか建っていなかった。しかし、この地に住宅を建てるには10年を要した。

9月上旬、隣接する工区である廿日市トンネルの導坑が貫通するというので貫通式に臨席した。
最後の発破をかけるのは広島新幹線工事局次長堀内義明氏であった。貫通のシーンは何度も体験したが、何時の貫通式でも感動である。

バンザーイ!の歓喜

カンパーイ!

トンネル屋の強者一同(私もその端くれに加わった)

導坑前で

君を離さないぞ!

美酒に酔う
 11月には廿日市高架橋の起工式が執り行われた。私の担当工区はこれより1年後であった。

会場全景

お祓いの儀

関係者一同

事務所で二次会

今では2名の方が他界された
 大野トンネル掘削は順調に進捗し、日進18mの記録を作った。

現場巡回はオートバイ
かくして昭和47年が過ぎた。



2016年9月8日木曜日

新幹線工事監理業務(その3):線路中心を1m移動せよ!

トンネル掘削工事着手以降、断面積14㎡の導坑掘削は順調に進んだ。坑口から200mに達したとき、導坑天井部に穴を開け上部判断面の掘削に取りかかった。
上半掘削が200m進むと上半アーチコンクリートの施工、それが100m進むと側壁部分の掘削、側壁コンクリート打設と順序を踏んでトンネル工事が進められる。
現場は毎日この作業工程で進めるので、毎日同じ単調作業の繰り返しとなるが、現場までの距離が確実に長くなる。
底設導坑掘削先端部(切羽という)

上半覆工(アーチコンクリート)

側壁コンクリート工①

側壁コンクリート工②
3月頃、一人の老人が事務所にやってきてお願いしたいことがあると申し出た。事務助役が区長に対応をどうするか尋ねたところ、私に対応するよう指示があったというので、何で私が?と思いながら一応話を聞くことにした。みすぼらしく見えるその老人は耳が遠く筆談となった。
「私の家が線路に近い位置関係になるので、1mほど全体に移動せよ」という主張であった。馬鹿げた話と決めつけ、そんなことはできるはずはないと突き放した。ところが、「そんなことはない。曲線半径を小さくすれば簡単にできる。」と図面を書きだした。このことは、高等数学の知識を持ち合わせていないと主張できないことである。これには脱帽せざるを得ず、何の仕事をしておられたのか尋ねた。老人曰く、「昔、ここの村長をやっていた」と。
で、新幹線の曲線は高速走行が可能となる半径に決定している。数学的に移動が可能でもそれは無理であるということを丁寧に説明して引き取ってもらった。
人は見掛けで判断してはいけない・・・と思った次第である。
事務所内

当時の事務所は冷房なしがあたりまえ



2016年9月6日火曜日

新幹線工事監理業務(その2):広島県から工事中止命令

昭和47年、29歳の新たな年が明けた。大野トンネルの起工式が終わり、現場は町道から現場内トンネル坑口まで200mの工事用道路の築造を開始した。
毛保川に工事用橋りょう架設、坑口までの通路築造と進め坑外設備が急ピッチで建設された。

坑外設備が整った
導坑々口が完成
この坑口施工のため、付近の樹木を伐採して2週間ほど経過した頃、突然、広島県農林事務所の担当者が現場に訪れ、「本工事の中止を宣告する。速やかに原形復旧せよ!」と命令された。
この命令を受け、直ちに本局に飛び幹部に報告した。
中止命令の根拠は保安林指定の樹木を伐採したためであった。

本局工事発注担当者の調査ミスのため現場担当者である私がきつく叱られた。
そして、本来なら用地課担当の仕事なのだが、保安林解除申請の一切の業務を私にやってくれと、とんだお鉢が回ってくることとなった。膨大な添付資料の多さに気が遠くなりそうであった。

今でも理解に苦しむところであるが、樹木伐採の面積調査は当然だが、トンネル全掘削数量の処理の明細書を作成せよという。400,000㎥の掘削土をどこで処分するか。大野町内には適切な土捨場はないため、付近住民と協議し、田んぼにズリ70cm厚を敷き、その上に50cm厚の良質土を載せるという話がまとまったが、面積は膨大なものになった。耕作地という名目ではあったが、実質は大規模な宅地造成であった。この申請が終わるまで工事中止処分なので、約1か月間寝る時間を割いて土捨て位置図。地主の承諾書等の資料作成に没頭しなければならなかった。
4月になり担当助役と部下1人が着任した。
宮島の「紅葉谷公園」で花見
単身赴任なので一刻も早く住まいとする借り上げ宿舎を探し歩いた。が、どこも古い物件ばかり。新築している建物があったので建て主に是非貸してほしいと頼んだが、養子縁組がまとまりそうなのでその向きに建てているので・・・と断られた。
結局、1年半程、事務所1階の宿直部屋住まいを余儀なくされた。