2019年5月31日金曜日

モバイルハウスのブーム到来

定年になったら何をしようかあれこれ考えたことがあった。
ヨーロッパでは日本人と違って、早く定年にならないか待ち遠しくてしょうがないというサラリーマンが多いのだそうだ。
で、その人たちは何をするかといえば長期的旅行をするのだという。パリから運河でオランダまで奥さんと一緒に長期クルージングしている番組を見たことがある。もちろん自分で操舵手となっていた。本当に楽しい時間を過ごしているなぁと羨ましく見ていたものである。

不動寺小学校の校長だった人が早期退職された。もう15年ほど前の話だが、何故定年まで勤めないのか不思議に思い、その理由を同小学校で一緒だった教員から聞いた。話によるとキャンピングカーで日本一周するのだという。この校長はヨーロッパ人的な発想力を有する人だった。数年して退職された校長と再会した教員が生活状況を尋ねたら、夢だったキャンピングカーを購入して奥さんと北海道から沖縄まで旅行されたそうである。実に羨ましい限りではないか。

今日の新聞に  動く個室 行った場所が庭 宿泊型移動車「モバイルハウス」と題した記事が掲載された。以下記事引用
金沢の赤井さん、穴水で魅力伝える
宿泊型移動車「モバイルハウス」で一風変わった旅をしている赤井成彰さん(30)=金沢市=が二十九、三十の両日、穴水町川尻に宿泊し、なじみの薄いモバイルハウスの面白さを町民らに伝えた。

中川生馬さん(右)と会話を弾ませて交流を深める赤井成彰さん=穴水町川尻で
赤井さんは昨年春、営業社員だった大手玩具メーカーを退社。ハワイでの暮らしを夢見て、貯金するため家賃を節約しようとさまざまな生活の仕方を模索。家を持たないで車内や荷台で寝泊まりしながら生活するモバイルハウスと出合った。

中古の一トントラックを購入し、昨年十月から荷台で部屋作りを開始。長さ二・五メートル、幅一・六メートル、高さ一・九メートルの木製による落ち着きある空間を手掛けた。壁を開閉して楽しめる縁側や、天窓、折り畳み式机といった工夫を凝らした家具を設置。外壁はオレンジ色と茶色の細長い板千枚以上を組み合わせ、魚のうろこを表した。製作は今年一月に終了。車の購入と製作の総額約九十万円の大部分は資金を募るクラウドファンディングで集めた

モバイルハウスの可能性だけでなく、全国の魅力ある人や場所を探そうと、今月二十七日に金沢市を出発。車中泊可能な場所を検索できるサイト「カーステイ」で、中川生馬さん(40)=同町岩車=が運営する場所を見つけ訪れた。
赤井さんは中川さんや通り掛かった住民に「まさに動く個室。行った場所がどこでも庭になる」と熱く語った。バックパッカーとして国内を旅した経験がある中川さんとはうまが合い、縁側でいつまでも会話を弾ませていた。


キャンピングカーは最低でも一千万円以上はする。このモバイルハウスは手作りなので低価格で完成できる。なので、最近は急速に愛好者が増加の一途にあるのだという。

SNSで呼びかければすぐ同好者が集まる

ホテル並みの装備を誇る車も
軽トラのモバイルハウス ベッドがスライド式

昨年、あるメーカーがモバイルハウスを売り出した。確か600万円くらいだったとおもう。自分で造ればその半額以下で済むだろう。
そんな車で全国を放浪してみたいなぁ。

2019年5月30日木曜日

川崎事件は8050問題の顕在化

やり場のない憤りが収まらない。小学生18人、外務省職員1人が変質者に襲われた事件である。十数分間で19人も死傷させたという。そして犯人は自殺。
一昨日から今朝までのTV各局は同時間帯に競ってこの事件について報じている。



ニュースの記事では、川崎殺傷、新品の包丁で襲撃か 空き箱押収、購入先や時期捜査
川崎市多摩区で私立カリタス小の児童ら19人が殺傷された事件で、自殺した岩崎隆一容疑者(51)の自宅の家宅捜索で、神奈川県警が包丁の空き箱4個を押収したことが30日、県警への取材で分かった。現場で見つかった包丁4本のものとみられ、県警は岩崎容疑者が箱から出した新品の包丁を襲撃に使った可能性があるとみて、購入先や時期を調べている。

犯人岩崎隆一が自殺したことで、動機が何なのか捜査が困難になるが、80代の伯父伯母と同居していて「引きこもり」だったという。小学生時代に両親が離婚したので、祖父の取り計らいで伯父伯母に預けられた。犯人と同級生だった人のインタビューでは、普段おとなしかったが突然切れることがあって、鉛筆を力いっぱい同級生の手に突き刺して芯が残る傷を与えたこともあったという。


なぜカリタス小学校をターゲットにしたかについて、同居していた従兄二人がカリタス小学校に通学していて、自分は公立小学校だったという。この差別感をずっと抱いていて、引きこもりの清算にカリタス小襲撃を思い立って憂さ晴らししたと考えられる。

以前このブログで8050問題を取り上げたことがあったが、犯人は正に8050問題の当事者の一人だった。伯父伯母と会話なしの生活。小遣い銭や食事も作ってやっていたという典型的なパターンである。
厄介者がいなくなったので伯父伯母は内心ホッとされていることだろう。

中学生の頃の写真しかないのだろうが、写真を見る限り凶悪事件を引き起こす人相ではない。しかし見かけによらず、鬱屈した人生の清算で殺傷事件を選択した犯人に罵詈雑言を浴びせたい気持ちだがもうこの世にいない。なおさら腹立たしい。
当分の間、この怒りは収まらないだろう。


2019年5月29日水曜日

いしかわの神々

「門外不出の神像が1000年の扉をひらく」という新聞見出しがあったので、何のことだろうと記事を読んでみた。平安時代に造像されてから一度も外に出たことのない神像が、この先、少子高齢化時代がますます進んで行くなかで、神社関係者の危惧が高まって一般公開されることになったという。
七尾市の神社にそんな神像があったことに驚きを持った。そしてその神像が歴史博物館に展示されるというので是非見たいと思っていたのだが、昨日、その思いが叶った。


入場料は800円のところ、60歳以上は団体料金の640円だった。メインの神像があって、それに関わる資料があると想定して展示室に入ったが、思惑は実際と大きくかけ離れたものだった。二つの広い展示室に所狭しと県内のあらゆる神像がずらりと並べてあったのである。ただ、残念なことに写真撮影が禁止されていることだった。

展示室
本展の趣旨として、これまで人目に触れることなく大切に守り伝えられてきた神像や、神と一体視された仏像などの選りすぐりの遺宝を展観し、神と仏を等しく崇めてきた信仰の歴史と美の世界をみつめることとしたという。 
里山・里海そして奥山の恵みにあずかる私たちのふるさとでは、古来よりさまざまな神々と寄り添う暮らしがあった。その信仰は、明治の神仏分離まで仏教と互いに影響し合い融合しながら育まれてきた。

説明書きを食い入るように読む来訪者
1000年の時を経てようやく人目に触れた神像
正式な名称は木造 久麻加夫都阿良加志比古神坐像という。 
平安後期 久麻加夫都阿良加志比古神社蔵 重要文化財 である。うかつにも、ここへ来るまで気付かなかったのだが、この神像の所有する神社が中島町のお熊甲祭りで有名な神社だった。神像はかなりの大きさがあり、目にはメノーらしきものが入れられ、唇には朱色の顔料が1000年の時に耐えていた。

お熊甲祭り
県内の著名な神社と云えば白山比咩神社と気多大社だが、その神社からの神像や掛け軸等が多く出品されていた。


              絹本著色 白山三社神像(部分)
鎌倉時代 白山比咩神社蔵 重要文化財(展示期間 4/27~5/17)
白山比咩神社が所蔵する、白山の女神像(重要文化財)を期間限定で公開。

今まで名前すら知らなかった「かけ仏」も数点展示されていた。


              日本最大級の懸仏(かけぼとけ)

懸仏とは、神鏡に顕れた仏を表現したものである。かつて氣多大社に祀られていた前田家ゆかりの懸仏は、なんと1メートル超えの大きさで、そのスケール感を間近に見ることが出来た。
明治初期まで神仏混交が一般的だった神社が、廃仏毀釈で大改革された。あの気多大社の後方に複数の寺院があったという。

くまかぶとあらかしひこ像の公開にあわせて、県内各地のほか福井県からも神像等の出品があり、よくぞこれだけ集めたなぁというスケールの大きな催しだった。
まだ見ていない方、あと4日間だけとなりました。この期間内に是非鑑賞されますことをお勧めします。




2019年5月28日火曜日

宮中晩さん会トランプ大統領のスピーチ

来日3日目となる昨日の夕方、国賓として招かれたトランプ大統領は宮中晩さん会に皇居に入った。
午后7時からニュースでその模様を見ていた。

皇居前広場を通過
天皇皇后陛下がお出迎え
天皇陛下のおことば
天皇陛下のおことばが6分間にわたり述べられたが、とても分かりやすい言葉で過去の出来事等について詳しく話された。
次にトランプ大統領のスピーチが行われた。



何と、大統領の口から大伴旅人や山上憶良が飛び出したのである。
スピーチの一部を紹介しよう。

日本の新しい元号は令和で、美しい調和を意味します。
この言葉は、万葉集と呼ばれる日本古来の和歌集に由来していると伺っています。
令和は、日本国民の一体性と美しさを祝福するものです。

そして、それはまた、変わりゆく時間の中でも、我々が受け継いできた伝統の中に我々が安らぎを得られることを思い起こさせます。

令和がその由来をもつ万葉集の第5巻には、2人の歌人によって書かれた文章の中に、この瞬間に関する重要な洞察を与える記述があります。
その歌人の一人は、大伴旅人ですが、春がもつ潜在的な可能性について書いています。
もう一人の歌人は山上憶良で、1人目の歌人の良き友人であり、家族や将来の世代に対する私たちの厳粛なる責任を想起させます。

これらはいずれも古来の叡知から受け継がれてきた美しい教えです。
そして今、私たちは目の前に広がる無限の可能性を喜ばしく思います。
それは、技術、宇宙、インフラ、防衛、商業、外交、その他はるかに多くの分野での新たなフロンティアにおける協力です。

そして、万葉集の古い和歌を日本の子供たちが受け継いできたように、私たちの同盟も受け継がれてきた豊かな財産であり、子供たちに受け継いでいかなければならないものであることを心にとどめています。


日本人の自分でさえ、こんな知識は皆無なのによく研究されたことが窺い知ることができた。

乾杯したあと食事会へと移行した
就任以来、やることなすこと全てでたらめに思えた大統領だが、このスピーチで大統領のイメージが一変した。なんだかトランプフアンになってしまいそうだ。

2019年5月27日月曜日

時国家の対面2kmに佇む美術館

確かその名を南惣集古館と称していた二十数年前になるが、家族で時国家を観光した際にその近くに大野地区の名主を何代も続いた家に、国宝級の美術骨董品があると聞いたので初めてそこに行ってみることにした。
そんなに期待して行った訳ではなかったが、物置を改装した展示場所に陳列してある品々は国内でも稀な美術品ばかりで、「エェーッ、何でここにこんなものがあるんか?」と驚いた。

それは数々の素晴らしい展示物に対して、美術館の知名度が極端に低いことにあった。
集古館を南惣美術館と改称して今に至っているが、それ以降の知名度は着実に向上している。

南惣美術館入口
南惣(なんそう)」はかつての奧能登大野村の天領庄屋だった。歴代当主が惣右衛門、または宗右衛門と名乗ったことから南惣と呼ばれてきた。南惣家は、鎌倉期以前より今日まで続いている。地主としてアテの木(能登ヒバ)を産出する山林を所有していたので、徳川幕府の天領として、地の利を得ることが出来た。

能登には天領があちこちに散在している。旧柳田村黒川や門前町黒島も天領だった。外様大大名の監視が厳しかったことが伺われる。
南惣の田畑、山林は、米、材木、木炭を多く産し、山林から出る間伐材は燃料として、製塩や製茶、養蚕も手掛けてきたという。
南惣はそれらの産物を、天然の良港である曽々木、名舟、輪島の港から北前船に積んで商い、越中越後の米、会津蝋、小麦などを商っていた。(曽々木が天然の良港とは・・・・ ?)

白壁の建物が美術館 隣りが母屋(おみやげ等が売っている)
南惣の歴代の当主は敬神崇祖の念に厚く、文化の移入を尊び、美術、茶道を愛好したことから、日本、中国、朝鮮を主とする絵画、書、漆芸、金工などの美術品を収集してた。
その中には、宮中に新殻を献上し拝領したものや、東本願寺阿弥陀堂再建(明治28年)にケヤキ材を献納し、その見返りとして受領したものもあった。

南惣家の美術品は散逸することなく今日まで大切に保存され、昭和46年に米蔵を改装して、「能登集古館 南惣」を開館、収蔵品200余点を公開。平成12年「南惣美術館」と改称して現在に至っている。


美術や骨董に興味のある方に、是非一度は足を運んでいただきたい。南惣(なんそう)美術館は、およそ400年にわたって収集された絵画や骨董品などが約250点展示されている。
収蔵品は、雪舟に俵屋宗達(たわらやそうたつ)、野々村仁清(ののむらにんせい)など美術史に名を残す作家ばかり。南惣美術館は作家の息づかいが間近で感じられ、美術愛好家にはたまらない場所なのだ!

絵画では俵屋宗達が描くみずみずしいたらし込み技法を用いた屏風に、長谷川等伯や雪舟が描く繊細な水墨画、円山応挙(まるやまおうきょ)が得意とした迫力ある虎之図。初代柿右衛門(しょだいかきえもん)、野々村仁清が残した陶器、また『開運!なんでも鑑定団』でも知られている中島誠之助さんも絶賛する古九谷も展示されている。書では、東郷平八郎や西郷隆盛が書いたとされるものが残っており、どれも筆跡の息づかいがぞくぞくと伝わってくる。そのほか、縄文・弥生時代の土器なども展示されている。

このように、有名たる美術品を所蔵し、驚きばかりが詰まっている南惣美術館。 「奥能登の米蔵」はまるで美術史を覗いているかのようなのだ!
まだ行ったことがない「あなた」、きっと満足して帰って来られるでしょう。




2019年5月26日日曜日

ワックス剥がし

新築して21年たった自宅の床は、ワックスが徐々に黒く汚れ見るに堪えられなくなって、汚れたワックスを剥がして塗り直ししようと、パワー津幡でワックス剥がし剤を購入した。台所の冷蔵庫の付近から始めた女房が「ワックス剥がし剤がすぐ無くなりそう」というので、ネット通販で探して10倍に希釈して使う剥がし剤を購入した。

ところがその剥がし剤を使ってみたところ、全く効能書きと相違していてワックスが融けないのである。定価1000円のものが送料込みで2000円。通販の能書きは全く信用できないことを知った。しょうがないのでムサシに買いに行ったところ、パワー津幡より2割ほど割高の値段がついていた。しかし、それを買って再びワックス剥がし作業をした。

床の上にその液剤を撒いて2,3分後から剥がし作業となる。付属していたスポンジでかなり力を入れて擦るときれいになるのだが、手が疲れ息があがる重労働である。
2日間、ダイニングや玄関付近、居間の一部を懸命に剥がした。

床本来の輝きを取り戻した
玄関周りの床も見違えるようになった。

スッキリ!
階段や脱衣所、二階の床、1階奥の廊下とまだまだ手間暇がかかりそうである。全部仕上げるとなると、パワー津幡で剥離剤を4本ほど買わなければならない。
ま、ボチボチそんなに急かずにやるしかない。
ムサシに行ったついでにシシドの苗を2株購入した。裏の猫の額より小さい畑にキュウリ、トマト、パセリ、モロヘイヤを植えたのだが、2株のモロヘイヤが枯れたのでシシドに植え変えた。
トマトやキュウリに花が咲いた
どういう訳かこの畑はトマトとキュウリの生育が良い。ナスはいつも生育が悪い。どの野菜にも同じ肥料を施すためだと思うのだが、今年はナスを植えなかった。たった1条の畝に植える野菜だが、これはこれで楽しい。
今日も暑いから今すぐ水をやりに行こうか。

2019年5月25日土曜日

5月の真夏日が北海道にも

昨日の気象情報を見ていたら、何と21日に北海道の北見が33度だったという。これは日本一の高温である。北見といえば網走のさらに北側である。そんなところがこんな気温になるなんて何でや?

高温の塊が東北地方の日本海上にある

一方、石川県内は24日も高気圧に覆われ、輪島で今年最高の28・6度など8観測地点で25度を超える「夏日」を観測した。金沢地方気象台によると、北陸地方は25~27日にかけて気温が急上昇し、最高気温が30度を超える「真夏日」が続く可能性もある。県内では5月に2日連続で真夏日を観測した例がなく、同気象台は熱中症に注意を求めている。

木陰で水分を補給する親子=金沢市のいしかわ四高記念公園
同気象台によると、大陸で発達した低気圧に南から暖かい空気が入り、上空約1500メートルは18度を超える真夏並みの高温域となっており、26日を中心に日本付近に流れ込むとみられる。25日以降の金沢の最高気温は30度を超える予想となっている。
石川県内の消防局・消防本部によると、24日、金沢市で畑仕事をしていた80代男性と、小松市で屋外作業をしていた50代男性の計2人が熱中症の疑いで搬送された。それぞれ中等症、軽症とみられる。

気温のピークは明日だという。そして気象庁は異常気象の警戒情報を発表した。






この予報図には載っていないが、帯広が35度の予想となっているという。地球温暖化なんて何の根拠もないとパリ協定から脱退したトランプ大統領がやがて日本に到着するが、この異常気象を味わってもらえる良い機会である。
今日の金沢は30度と予想している。だから今日のウオーキングは熱中症予防のため中止としよう。


2019年5月24日金曜日

高齢者は「自信過剰」か?

昨日、ホームセンターへ行った際、付けようと思いながら何日も経過していたので「シルバーマーク」を購入してマイカーに貼りつけた。
「俺もそんな歳になったんだなぁ」と改めて自分の「歳」の認識を新たにした。
そして、いつまでできるかなぁ・・・と、今問題になっている免許返納が頭をよぎった。


池袋の事故が起きた翌週、東京都内では、免許返納者が前の週から2割以上も増え、1,200人以上にのぼっていたことがわかった。
さらに、ゴールデンウイーク明けの3日間だけでも、1,200人以上が免許を返納している。


81歳で免許返納した人は、「若い時は『アッ!』と思ってもなんとかなったけど、年を取ったら無理だと思う。80歳過ぎたら、やめた方がいい」と話した。
妻は、「『パパもうやめて』って、孫たちもみんな。加害者になってもいけないし、被害者になってもいけない」と話した。


友人の車で認知機能検査を受けに来た女性(85)は「運転はまだまだできる」と話した。
道路交通法の改正で、2017年3月から75歳以上の高齢者に対する認知機能検査が強化された。「認知症の恐れあり」と判定され、医師が認知症と診断した場合、免許取り消しの対象となる。沖縄県内では17年3月から18年末までに計4件の取り消しがあった。

だが、運転操作の実技見分で脱輪しようがポールにあたろうが免許取り消しとはならない。
第2分類とされた人は、ドライブレコーダーを使った実技講習が義務付けられる。女性は現在自家用車を持ってはいるものの、事故を心配する息子から「運転はしないでほしい」と説得され、ここ半年は運転を控えているという。

 ■「車がないと…」
しかし女性には「車がないと好きな場所に出掛けることもできない。運転自体は怖くもないし問題はない」と不満が残る。運転はせずとも免許更新するのは「いつか運転するときのため、ボケ防止のため」。高齢ドライバーの事故をニュースで見るが「自分が起こすとは思わない」と言う。

同教習所によると、認知機能検査受検者の約2割が「認知症のおそれ」「認知機能の低下」の第1~2分類に入る。49点未満の第1分類の人は医師の診断書提出が義務付けられ、認知症と判断されれば免許停止か取り消しとなる。

受検者の中には第1分類に近い第2分類に入る高齢ドライバーもいるが、担当官は「点数が1点でもクリアしていれば運転するなとは言えない」。その上で「家族が危ないと判断すれば認知検査に関係なく免許証返納を促してほしい」と話した。


 
運転免許を自主返納した金沢市窪の乙村董(ただす)さん(89)が二十三日、金沢市押野公民館で講演した。乙村さんは返納後に感じた暮らしの変化を紹介。参加した地域住民約八十人が自主返納に理解を深めた。 



乙村さんは友人と高齢ドライバーによる事故が話題になったのがきっかけで、二〇一五年秋に運転免許を自主返納した。
初めは賛成していた妻も、不自由に感じて繰り返しチクリと言われた」。乙村さんは返納後をそう振り返り、「はっきり言って不便」と説明した。

一方で、車を使わなくなったことによるメリットも挙げた。家からバス停、バス停から公民館へと、これまで車で移動していた距離を歩くようにした。一日に二~四キロほど。「季節の移ろいを感じられるし、健康になった」。バス停で地域住民と会話するようになり「地域のつながりも生まれた」と語った。 


運転免許を自主返納した経験を話す乙村董さん=金沢市押野公民館で

講演会場となった押野地区は山間部と異なり、公共交通機関の利便がいい地域。乙村さんは「便利なところですから返納も考えてみては」と提案した。「身をもって不便さを感じたから、絶対に、とは言えません」と断った上で「でも、事故は取り返しがつきません」と強調した。

講演は六十歳以上の地域住民が参加する「そよ風学級」の一環。
県警によると、運転免許の自主返納は増加傾向にあり、昨年は過去最多の三千五百八十二人(うち六十五歳以上は三千四百九十九人)に上った。 

高速を使って富山に行くとき娘が女房に、「お父さん危ないぞいね。やめるように言ったら」と云ったという。娘から見ると親は余程高齢に見えるらしい。
「あほぬかせ。おれはまだばんばんや、娘にそういうとけ」と女房に言った。
女房は「高齢者ほど自信過剰になるそうや。あんたも自信過剰や」
そんなふうに見られる年になったということだが、少しでも「あれ?」と思うようなことがあれば躊躇せずさっさと返上しよう。

だけど不便になるなぁ。



2019年5月23日木曜日

「能登ゆめてらす」という施設

先日、のと里山海道を往復したのだが、事故が多発したせいか70kmから60kmの制限区間が長くなったように思った。
復路を走った時間帯は午後7時過ぎだったから、辺りは薄暗くなってきていた。穴水を過ぎ暫く走ると別所岳PAになるのだが何気なく通過した。

そして昨日、検索した資料の中に「あれっ、何だろう」とある写真が目に入った。
よく見ると「能登ゆめてらす」という施設が別所岳SAにできたという。
聞いたことがない名前の施設が、それも半端じゃないグレードなのである。

風が心配なくらい高い!
立って景色を一望してみたい展望台である
自分としたことが新聞記事を見落としたのか、初めて凄い施設を見ることが出来た。


検索資料によるとこの展望台は、能登半島地震からの復興や能登の発展が「夢」のように大きく膨らむようにとの願いを込めて、別所岳スカイデッキ「能登ゆめてらす」と命名された。
「能登ゆめてらす」からは、七尾湾に浮かぶの能登島や和倉温泉のほか、晴れた日には立山連峰まで見ることができる。
上下線どちらのサービスエリアからも「能登ゆめてらす」に行くことができますので、のと里山海道をご利用の際には、ぜひ、お立ち寄り下さい・・・とあった。


能登島に手が届きそう
4月25日の完成セレモニー この横断幕に今はない「能登有料道路」と表示、責任者を呼べと言いたい

展望台のある一帯は、2007年(平成19年)に発生した能登半島地震の際、能登有料道路の復旧工事に一帯の土砂を採取した採取場の跡地であった。この一帯を復旧し、かつ地震で受けた被害と復旧への足跡を遺す目的で遊歩道と展望台のついた広場が整備された。

展望台は高さ13m。スロープと階段のついた“空中回廊”と、エレベーターで頂部へ上ることができる。期間によって開場時間が異なり、毎年12月16日から翌年3月14日までは閉鎖される。入場無料。 


広場内には、地震前の緑を再生すべくコナラやヤマモミジなどが植えられている。また、能登半島地震で受けた当エリアを含めた能登有料道路内の被害状況と復旧の経過を示す看板が立てられている。


みやげもののお店やレストランもあるのだという。是非行って見たい!何時いけるかなぁ。

2019年5月22日水曜日

もし、こんなことがあったら

今場所は新入幕ほやほやの炎鵬の活躍が光っている。敢闘賞候補にあがっているという話もあるそうだ。
今場所千秋楽は26日なのだが、かねてよりトランプ大統領が千秋楽の表彰式で土俵に上がり優勝カップを手渡したいと強い要望があるという。
問題は治安。不測の事態は何としても起こしてはならないのである。

エェ-ッ、なにこれ
  大相撲夏場所8日目結びの一番、鶴竜-玉鷲の取組。玉鷲が立ち合いから一気の押しで、横綱鶴竜を土俵外へ押し出し「令和初金星」を挙げた。
平幕力士が横綱に勝つとよく見られるのは、座布団が舞うシーンだ。この時、場内アナウンスで必ず聞く言葉がある。「座布団は投げないでください!危険ですから座布団は投げないでください!」。横綱が負けると興奮し、投げたくなるファンの気持ちがそうさせた。

その1枚が立行司の式守伊之助を直撃した。頭にまともに当たってるではないか…。しかし、伊之助は表情ひとつ変えず懸賞の束を渡したと記者が述べている。

鶴竜ー玉鷲戦で鶴竜に土がついた そして例の如く座布団が飛び交った
だが、もしトランプ大統領がこんなことになると日本国のペナルティとして大騒動になるだろう。
トランプ米大統領(72)が26日の大相撲夏場所千秋楽(東京・両国国技館)を観戦する予定に合わせて、日本相撲協会が正面升席をすべて確保していることが16日、分かった。

トランプ夫妻のほか、警備などのために席を用意する必要があるため、現時点では千秋楽の正面升席は販売されていない。夏場所10日目ごろまでに必要な席数が決まり、余りが出た場合の扱いは未定。

多くの常連客を抱える相撲案内所(通称・お茶屋)の、ある番頭は「今場所の千秋楽の正面升は、協会が1枚も下ろしてくれなかった。いつも来ている人からは苦情も出ています」と困惑気味。なじみの客に他の席を用意するなど協会から代替案が出る可能性もあるが、現時点で詳細は伝えられていないという。

トランプ氏側は幕内の後半数番だけを観戦し、優勝者に「トランプ杯(仮称)」を授与する予定。そのため、幕内前半ごろまでは正面升席の一角だけが、空席のまま進行するという前代未聞の千秋楽になる。
15日には大統領を警護するシークレットサービスとみられる米国人10人以上が国技館を視察。16日も取組中から出入りし、準備を進めた。相撲協会関係者によると、中日以降は国技館内の夜通し警備が増員されるという。
通常より売り上げが落ちる案内所関係者は「来てくれなくてもいいのに…」とぼやく一方、「国賓が見に来てくれてありがたい」と歓迎する声もある。 

何をするにしても意表を突くやり方でごり押しするトランプ大統領。日本で予測できないハプニングがおきないよう祈るしかない。



2019年5月21日火曜日

花嫁道中と縄張り

昭和30年代まで、奥能登地方では道路に縄を張って花嫁一行を待ち構えていて、祝儀を貰うまで縄を解かなかった。これを花嫁道中の縄張りといい、青年団員が仕切っていた。
花嫁が在所を出るとき、在所のみんなが、嫁に行ってしまうのか、寂しいよ、行くな、行くな、と通せんぼした。

縄を張って通せんぼ
一方、嫁ぎ先の在所でも、縄を張って待っていた。花嫁の身内の者が、先を歩き、どうぞ、これから仲間に入れて、可愛がって下さいね、嫁様をどうぞよろしくお願いします、そう言って、通せんぼしている人たちに、ご祝儀を「撒いて」縄を緩めて通らせてもらった。

これあげるから通してねと子供にご祝儀を
先日、そんな光景が思い出される新聞記事に接した。
「縄張り」結ばれる2人 能登町で花嫁道中
旧柳田村五郎左エ門分で十八日、婚礼の儀式「花嫁道中」があり、地域住民が縄を張って通せんぼする能登地方の風習「縄張り」が行われた。新郎新婦は伝統的な手荒い祝福を受け、より一層幸せをかみしめた。

ご祝儀が出るまで緩めないわよ
新郎は地元出身の佐小田(さこだ)孝一さん(29)、新婦は東京都八王子市出身の智子さん(25)。二人とも日本体育大(東京)陸上部で棒高跳びに取り組んだ。孝一さんがコーチとして智子さんと関わり、付き合いが始まった。昨年十一月に結婚し、金沢市で暮らしている。

智子さんは佐小田家近くの道路で住民が仕掛けた紅白の縄をまたいでゆっくり前へ。沿道から届く「おめでとう」の声に会釈し応えた。途中で赤色の和傘を持った孝一さんと合流し一緒に家まで向かった。

無事通過
智子さんは「祝福されてうれしかったけど、見聞きしたことがなかった風習に恥ずかしさや驚きもあった」と振り返った。孝一さんは「いろんなことに挑戦し、笑顔の絶えない家庭を築きたい」と話した。家で先祖や親族に結婚を報告した後、町内で式を挙げた。 

そういえば10年ほど前だったか、柳田村長を長く務められたYさんから、「松波から婿さんが来られるとき縄張りが何か所もあって、その都度ご祝儀を弾んだ」と話されたのを思い出した。

子供の頃、お嫁さんを迎える家に行って到着を待ったが、なるべく縄張りの人がいなくなる深夜にようやく花嫁さんが着くような調整が行われたので、待ちきれず帰宅したことがあった。
当時の縄張りは、県道であっても堂々と縄張りは行われた。タクシーの助手席に乗った人がその都度ご祝儀を「撒いて」縄を撤去してもらった。今時そんなことをしたら逮捕されるだろうなぁ。

2019年5月20日月曜日

3年ぶりの実家は荒れていた

昨日は3年ぶりに能登の実家へ行った。
数年前までは墓があったので年に2,3回は空き家となっている実家に行っていたが、墓をかほく市の墓地公園に移転してからは、5月連休頃に1回だけ掃除しに行くようになった。が、一昨年4月に肺炎球菌を発病し2週間ほど入院、去年は腎臓がん切除のため5月に2週間ほど入院と、2年続けて行けなくて掃除をしていないのでどうなっているのか気にかかっていた。

試しにストリートビューを見てみたら、撮影が去年7月という実家の様子を見ることが出来た。その映像には障子が破れて荒れ果てた家という印象で写し出されて心が痛んだ。
そんなことから、意を決して昨日8時半に家を出発した。

玄関の戸を開けようとしたところ、少ししか空かないので戸の下を見たら、砂が溜ってコケが生えていたので取り除いて入った。2年も放置していたので家の傷みが目立つようになった。町の水道は契約を止めてから十年以上経過しているが、在所で運営している山の水道があるので何不自由なかったのだが、水道栓をひねっても水はでなかった。近所の人に聞くと、もう誰も山の水を使わなくなったので維持管理していないから給水されないということだった。

しかたないので、家の横に流れている用水から水を汲んできて使った。
床や階段、廊下をモップがけしてトイレの部屋に入って「何だこれ!」と驚いた。手洗い器が床に落ちて破損しているではないか。そしてタイル張りの床一面に何かが散乱している。何だろうと天井を見て原因が分かった。塗装材が剥離して落下したのだ。男用、和式、洋式の各トイレの床も同様な状態だった。

箒で天井の浮いた塗装物を落とした。その始末に相当時間を要した。
昼になって作業を中断して弁当を食べることにした。向かいの人がポット付きのコーヒーセットを持ってきてくれた。こんな時の嬉しい差し入れだった。

昼食をそそくさと終え、障子の張替え作業を始めたのだが、その前処理がかなりの時間を要した。破れた障子紙を剥がす作業が大仕事。そのあとに桟の残った紙の除去が大変なのだ。そして6本の障子紙を貼り終えた。真っ白の障子戸になって見違えるようになった。

最後は後ろの庭の除草作業。終わる頃はくたくたになった。
「夕飯はどうする」と女房が聞くので、前回行った宇出津の寿司屋にしようと決めた。
その寿司屋は3年前にできたばかりの「もりもり寿司能登総本店」。

オーナーが宇出津出身なので総本店なのだとか
右側の列に案内された
宇出津店のネタが新鮮な地元産なので飛びっきり美味い!のである。
くじらの寿司を初めて食べた。これも絶品。赤いかのゲソと胴体としっぽの3点もり、バイガイもうまかった。それに「タラ汁」は大きなどんぶりに汁や身が一杯。
疲れが吹っ飛んでしまった。
8時半過ぎ、目的を終え無事帰着することができ一安心である。でも、実家をいつまでも持っているわけにもいかんなぁという気持ちも湧いてきた。


2019年5月18日土曜日

ちょっとじゃなくて凄くいい話

那覇市のモノレールがやがて那覇空港に到着する頃、男子高校生が困り切った態度をしていたのを見て、「君、どうしたんだ」とある老人が声をかけた。
「伯父の葬儀で与那国島へ行くのですけど、財布が見当たらなくて」
「いくら入っていた?」
「6万円です」

「そんならこれ使えよ」と財布から6万円取りだして高校生に渡した。

飛行機の出発時間が迫っていたので急いでモノレールを降りて空港に向かった。
飛行時に乗って落ち着いた高校生が、あれっ、6万円を貸してくれた人の名を聞くのを忘れた!と気付いた。

沖縄工業高校2年崎元颯馬君
「借りたお金を返しお礼したい」という思いが強く、どうにかして親切を受けた男性を探したいと、地元紙に投稿した。
「親しかったおじの納骨に立ち会えた。本当に感謝している」と。
奥さんが沖縄出身なので埼玉県在住の男性がたまたま沖縄に行った際、この新聞投稿を眼にして新聞社に連絡したという。
男性は埼玉県の医師、猪野屋博さんで、地元紙の報道などを通じて崎元さんが探しているのを知り、10日、高校に連絡したという。



猪野屋医師はRBCの取材に対し次のように話した。
「探していたと聞いて涙が出ました。本当に沖縄の人はやさしい・・・・・」と。
猪野屋さんは今月、沖縄を訪れる予定で、崎元さんはその際に借りた6万円を返却したいという。この話、高校生も立派だが困った姿を見て6万円をポンと渡した男気に魅了された。
自分がもしこのモノレールに乗り合わせていたら、猪野屋医師のように6万円を高校生に渡したか?最も、財布の中身は旅行中でも2万円位しかないのだが。それを全部取りだして「これ使って」と渡せるか。恐らく見て見んふりをしただろう。

探そうと努力した高校生も立派、6万円も名前も聞かずにポンと渡した気前良さの猪野屋さん、本当に素晴らしい人たちがいるということを知って心が温まった。