2022年6月30日木曜日

これも町内のボランティア活動

町内に「おたすけ隊」という組織がある。有志数人が雑談していて、一人暮らしの高齢者を支援しょうと提案、合議一決し立ち上げた。数ヶ月ほど経って、よその町内にも設置すればどうかという意見があって、校下数カ所の町会がまとまって1本化した。それが金沢市全域で立ち上げする機運が高まっているという。しかし、この組織を「しもべ」扱いする一人暮らしのおばあさんが剪定を依頼してきたという。仕事を終えたボランティアは「腹が立ってきた」と。

町内には他にもボランティア活動をしている組織がある。昨日は午後1時半から集会所で「スマホ教室」があった。これで3回目、昨日はLINEの友達の増やし方についてと、スマホでインターネット検索等について指導が行なわれた。

対面指導も行なわれた

この組織だが、元はと言えば町会が主催した町内高齢者のパソコン教室の受講者で、ネットサークルという組織を立ち上げた。この組織が今日に至り月2回、集会所で定例会を開催している。

町会がパソコン教室を開催した

今から16年前のことだった。その活動が今なお続いているが、時代はパソコンからスマホに変わった。ところが、この取り扱い方について、いろいろ聞きたいことがあるが、スマホショップに出向かなければならない。ということで、スマホ教室は当分継続する必要がありそうだ。

2022年6月29日水曜日

頂上に一人しか立てない標高3千m弱の山

青春時代だが、岐阜県と長野県の県境の町だった中津川市で中央線複線化の仕事をしていた。梅雨明けと聞けば、どこかに登山しようと1年先輩と相談した。先輩は近くで日帰りできる中央アルプスの木曽駒に行こうと提案したのでそれに従うことにした。今では伊那谷からロープウエーで気軽に登山できるが、当時は木曽谷か伊那谷から歩くしかなかった。

千畳敷カール全景が素晴らしい

木曽谷から登山すると先ず千畳敷カールの稜線に到着する。この景観は圧巻だった。いよいよ本格的な登山が始まる。先ず、宝剣岳を目指すことにした。この山の頂上は一人しか立てないのである。

千畳敷カールの頂部で
これが宝剣岳 定員1名だけが頂上に立つことが可能

カメラの位置が難しい

カメラの位置を変更して「パチリ」と
ガスってきたなぁ

この後、木曽駒に登ったのだが、ガスが上がってきて辺り一面真っ白になって頂上からの眺めは一切不可能となってしまった。

木曽駒頂上は広かった

先輩に「おんぶに抱っこ」の登山だった

ここから上松方面に下山することになったが、バス停まではかなりの距離の下山だったため、膝が「笑う」症状が発生したことから、最終バスに間に合うかどうかの瀬戸際で必死に歩いたことが思い出される。御年22才の登山でした。

2022年6月28日火曜日

梅雨入りしていたんだっけ?もう梅雨明けなんて!

梅雨らしい梅雨がないのに、昨日(27日)、関東・東海・九州南部で梅雨明け宣言が出た。北陸地方にも間もなく出されると予想されている。
梅雨入りや梅雨明けは毎年9月に見直されているという。統計を取り始めた昭和26年以降、関東甲信のこれまでで最も早い梅雨明けは4年前2018年の6月29日で、このまま確定すれば過去最も早い梅雨明けとなり、東海と九州南部では過去2番目に早い梅雨明けとなる。


梅雨の長さ 過去最も短い
また梅雨の長さも東海が13日間、九州南部で16日間、関東甲信が21日間と、いずれもこのまま確定すれば過去最も短い梅雨となる。
北陸地方でも今年は「カラ梅雨」になるかも知れない。何時までも続く梅雨はうっとうしくて気分までジメジメしてくるが、これから心配なのは水不足である。

梅雨明けとは無関係ではないのが、東電のギリギリ発電である。何せ、梅雨明けで太陽が容赦なく降り注げば、屋内外に気温急上昇をもたらす。一斉にエアコンスイッチオンとなれば即一斉ダウンが予想される。
何で今年になってこんなことが発生するのだろうか。梅雨明けでダムの貯水量が予想外に少なくなったか?  な、わけないなぁ。
政府も東電もしっかりして頂戴!


2022年6月27日月曜日

お盆までには墓石復旧工事がとても間に合わない

震度6弱に続いて震度5強に見舞われた珠洲市では、墓石が転倒したり破損したりする被害が続出しているという。珠洲市内の石屋関係業者2社がてんてこ舞いの忙しさと報じている。
墓参りの季節を前に「先祖に申し訳が立たん」「盆までに直してほしい」と、応急処置の要請はすでに100件超。地元石材店は連日作業に励むが、人手が限られ復旧のめどは立っていない。地震の影響は信仰にあつい最果ての地で暮らす住民たちのよりどころにも及んでいる。


墓石を建てたり、修復したりする件数は年間40~50基ほどで、この数日で年間取扱件数の2倍以上の注文が入った格好だ。ある石材店には「いつまでにできそうかね」「なんとかならんもんけ」などと切実な連絡が連日入るが、社長は「いくつもあって、いつとは言えんもんで。順番にやっとっさけ堪忍して」と心苦しい状況を説明するしかないという。

修復作業に精出す石材業者
市内の石材店は2店のみで、人手も少なく、殺到する依頼をすぐにこなすのは難しい。全ての注文に応えるのにどれほどの時間がかかるか見通せていないのが実情だと。

そういえば、広島で一緒に仕事をした仲間で、阪神淡路大地震で明石市在住の友人が嘆いていたことがあった。「屋根の修繕を業者に頼んでいるが、3年目にようやく着工になった・・・と。

ブルーシートがなくなるまで3年を要した阪神淡路大地震

さて、他人事のように思ってはいるが、森本・富樫活断層帯上に住む我々も、いつ大地震に遭遇するかという不安を常に抱えて生活している。先日の緊急地震情報のスマホの音声や振動で固まってしまっていてはとっさの避難が不可。緊急持ち出し品の整備、避難要領をしっかり頭に叩き込まなければならない。

2022年6月26日日曜日

北大構内クラーク博士の銅像

平成10年3月、初めて北海道に旅行した。3月末に34年間勤務した組織から退職することになっていたので、女房殿の恩返しの意味と、今の函館の繁栄を築く礎を作った高田屋嘉兵衛の功績を辿る旅行だった。司馬遼太郎の「菜の花の沖」で描かれた北海道を体験したかった旅だった。
網走の流氷を堪能して特急列車で数時間、札幌からすぐ小樽に向かった。その日遅く札幌に戻って1泊。翌日行ったのが北大構内にあるというクラーク博士像。6年生の担任の先生が話してくれた「Boys, be ambitious.(青年よ、大志を抱け)」のクラーク博士のことが妙に印象が残っていたので銅像を見に行った。

11歳で知ったクラーク博士だが、44年後に銅像の前に立つことができた
銅像前は東京オリンピックマラソンコースにもなった

宗谷岬には間宮林蔵の銅像があった。しかし、写真撮影した覚えがないので写真ゼロ。
宗谷岬に心が奪われて間宮林蔵の銅像をパスしたようだ。樺太が大陸と繋がっていないことを確認したというすごい人なのだ。

岬と至近距離にあった間宮林蔵の銅像

また、函館の高田屋嘉兵衛の銅像の写真もない。

函館市内を散策したが銅像には出会うことがなかった

話が元に戻るがクラーク博士は、明治9年7月、北海道開拓使長官黒田清隆に、将来の北海道開拓の指導者を養成するため「札幌農学校(現北海道大学)」の初代教頭として招かれた。1期生16名に、動物、植物学のほか、キリスト教の教えによる道徳を英語で教えるなど、大きな影響を与えた。

羊ケ丘展望台にも銅像が
来道してわずか8カ月余の札幌滞在だったが、翌年明治10年4月16日、クラーク博士は教え子たちと島松(北広島市)で、馬上から、有名なことば「Boys, be ambitious.(青年よ、大志を抱け)」と別れのことばを叫んだ、と伝えられ、まさに北海道開拓精神を代表することばとして、後世に伝えられていった。
北海道にそんなに短い期間しかいなかったことは初めて聞いて驚いた。

2022年6月25日土曜日

カメへんカメへん・・・とはならないのだ

昨年の9月、成田空港の滑走路が2時間に渡って閉鎖された。原因は滑走路にカメがいたからだった。航空機が離着陸する際に、滑走路にカメがいると大事故発生の恐れがあるという。
成田国際空港会社は、4月から進めている空港内のカメ捕獲作戦により、144匹を捕らえることに成功したと発表した。空港内には数百匹が生息していると推定されており、10月下旬まで作業を続ける。

捕獲されたミシシッピアカミミガメ

捕獲作戦は、2021年9月に滑走路にカメが迷い込み、ウミガメを模した全日本空輸の超大型旅客機の出発が遅れる事態となったことを受け、再発防止のために始まった。

調整池にはまだまだカメがいるという

4月20日以降、空港内の調整池や敷地外に排水する放水路などに144個のわなを設置。ミシシッピアカミミガメ(通称ミドリガメ)133匹とクサガメ11匹を捕獲したと6月9日に発表した。いずれも殺処分した。

ワナを仕掛けた

外来種のカメなのだが、家で飼っていて大きくなったので捨てられたものだろう。
琵琶湖に限らず、あらゆる場所に外来種が繁殖して在来種が駆逐されつつあるという。密かにほくそ笑んでいる者に出会ったら、きつく説教すべきと思う。

これが仕掛けられたワナ

2022年6月24日金曜日

3年ぶりの町会対抗ソフトボール大会

先日、年数回発行される「町会だより」が配付された。そこには紙面トップを飾り「町会対抗ソフトボール大会」についてが報じられていた。コロナ禍以降、ピタリと各種町会対抗競技大会が中止され3年目を迎えた昨今、ようやく勢いが収まりつつあって、3年ぶりにソフトボール大会が開催されたという。

町会だより抜粋

結果は1回戦敗退だったようであった。しかし、結果はともあれ、各種競技の出場選手の選考や会場までの輸送等、町会の仕事が多くあるが、試合そのものよりこうした準備等の打ち合せや実施までにしなければならない町会側の仕事は多々あるが、そのための打ち合せ等々こそ、コミュニティの向上には欠かせないプロセスである。試合後に町会役員と出場選手の皆さんが、集会所で懇親会を開かれたという。これも今後の町会活動に+作用となるだろう。

次の行事は町会対抗バレーボール大会が控えている。3年前に開催された前回では、50年ぶりに優勝を果たしたという。町内では新築住宅の建設が急増中であり、また素晴らしい選手に巡り会うことを期待したい。
さて、町会主催「盆踊り大会」は如何に。

2022年6月23日木曜日

親父の履歴書

つい先日まで、親父の書類箱に何があるのか把握していなかった。箱を開けると、ちぎれそうな土地の売買契約書や登記簿関係書類の中に混じって、何だろうと手にした文書があった。広げてみると何と海軍勤務時の履歴書だった。楷書で書かれているが非常に読みづらい。

駆逐艦「刈萱」昭和19年9月10日ルソン島沖でアメリカ軍の攻撃で沈没

実はこの駆逐艦に親父が乗艦しているはずだったが、急性虫垂炎で台湾高雄病院に入院していたが、症状が重くなって乗艦する予定が変更になって、刈萱は予定通り高雄港を出港しルソン島付近に向かったのである。

楷書で記入されているが読みづらい文書である

虫垂炎の治癒中に乗艦する船はなくなったので、5月10日付けで入院中のまま舞鶴海兵団に勤務と記録されている。
岡崎に教官をしていたことがあると聞いていたが、6月23日付で岡崎海軍航空隊に転勤したとある。
自分の腎臓癌は胃カメラ検査でたまたまCT検査をして胃の異常が無いか確実な検査をしましょうと見つかったのが初期の癌だった。
親父の場合は盲腸炎が命拾いとなった。親父が盲腸炎を起こさなかった場合は、自分の人生も大幅に変わっていたことだろうと、不思議な「運」に感謝である。

2022年6月22日水曜日

孫の怪我 そいういえば自分も・・・

高3の孫を森本駅に迎えに行って車に乗せた。走り出してから手のひらを見ているので、運転中だったがチラッと見た。「その手、どうした?」と聞いたら、学校でスポーツ競技の大会で100m走に出場したが、途中で転倒して手のひらの皮がむけたという。家に到着して直ぐに皮膚科に連れて行った。手のひらはくぼんでいるので、包帯をするのが難しい。

包帯の固定が困難

そんな孫の手を見て、自分も手のひらの同じような所の皮がベロンと剥けてしまったことを思い出した。それは同僚と単車に乗って現場巡回中だった。現場は中央本線多治見~土岐津間の複線化工事現場。単車の後ろに乗せて貰って事務所に帰る途中の出来事だった。

事故現場を探してみたら「あった」のである

ダンプカーの後ろに走っていた。そのダンプカーが道路の中央に見える交差点を左折するため前部を振った。そうすると単車を運転していた同僚が一気にスピードを上げて追い抜こうとした途端、ダンプは急ハンドルで左折したのである。ということは、「激突」したのだった。3m程空を切って砂利道に落ちると同時に両手をついて顔面を無意識に防御姿勢となって、手をついたまま滑った。そのため、左手の手のひらの皮が殆どと言うくらい剥けてしまった。

その傷は中々治らなかった。しかし、警察には無届け、オートバイに過失があった。今から58年前の出来事だったが、まかり間違えば命を落とす事故だった。

2022年6月21日火曜日

児童下校時の安全誘導時にあった非常識駐車

先週木曜日午後2時半過ぎから児童の下校時安全誘導の当番だった。下校時間が14時20分なのだが、2時半前後にいつもトップに帰って来る一人の男の子がいる。その子は駆け足7に対して歩き3くらい。そしていつも「僕、何番目?」と聞くので、「1番や」と答えると「ヤッター」という。その子が通ってからは10分くらいブランクがあり、次に現れるのは5,6人の賑やかな男女混成グループがやってくる。その子達がもうすぐ来る頃、1台の軽四が交差点を渡って歩道の上に駐車した。まさかと思って注視していると、運転者は中年の女性。

選りに選ってこんな場所に駐車した!

この近所に用事でもあるのか、駐車してすぐ降りていなくなってしまった。児童は手前の停止線で信号が青になるのを待つので、向こう側に渡って注意したくてもそれが出来なかった。しかし、全く馬鹿げた場所に駐車したものである。社会的常識という感覚は全く持ち合わせていないようだ。横断歩道を渡ってどこへ通れというのか。通行する通路に”厚顔無恥”の悪質な違法駐車である。次回にこんなことがあるようだったら、直ぐ駆け寄って厳重注意することにしよう。

2022年6月20日月曜日

スマホの緊急地震速報で金縛り

昨日の午後3時過ぎ、PCをしていたら突然スマホが「緊急速報です!」と大音量で鳴動した。すぐ迅速的確に行動すべきなのだが、しばらく動けない金縛りの術に嵌まった。これが直下型地震だった場合、恐らく逃げ遅れて瓦礫の下敷きでもがいていたことだろう。

TVの緊急地震速報画面

能登半島地震では、集会所でPCをしていた時だった。集会所は老朽化した建物だったので、揺れ始めて即、外に飛び出した。昨日は震度2、能登半島地震の際は震度4、揺れは昨日より遙かに大だった。

今朝の新聞を見ると、鳥居が倒れて散乱している写真が掲載されていた。それでも、大怪我や死者がなかったのは何よりだった。目を引いたのは、見附島が土埃に煙っている写真だった。

肌落ちして土煙が上がった
見附島は新潟地震でも肌落ちがあった。もちろん能登半島地震でも表面が崩れ落ちて、島の形が変わった。小さな岩礁も消えてしまった。

59年前(昭和38年)の見附島が少しだけ見える
(AIでカラー化)

崩れないような保護工をすれば景観が台無しだし、なにか妙案は・・・

2022年6月19日日曜日

カラスにカエル、オタマジャクシも?

この頃、色が白いカラスや金色のオタマジャクシ、水色のカエルを見たというニュースが続出している。
高崎市内の岡田基さん(88)は先月21日夕、近所の畑で白と黒のカラスが一緒に餌をついばむ様子を目撃した。「白いハトだと思ったが、よく見たらカラスだった」と驚きを振り返る。

高崎市内で見つかった白いカラス

同じ高崎市内だが、上のカラスとちょっと違うように思えるが

数万羽に1羽の確率だという。
関西地方では金色のオタマが発見された。これも数万匹に1匹の確率だという。


このオタマが成長してかどうかは不明だが、金色のカエルも出現した。

黄金色にしては見惚れるほどではないかも 何だか魚のような・・・

こんな鮮やかな空色カエルは初めて見た

他にも色々と

どういうわけか、色々な色のカエルは関西地方で発見されている。
何かの前触れとしたら気色悪い。環境汚染か温暖化の影響か?
学者達に議論して貰いたいものである。

2022年6月18日土曜日

大名行列は市民のため、自己主張の場ではない

34万人の大観衆が百万石行列を楽しんでから2週間が過ぎた。しかし、写真撮影禁止騒動はまだ尾を引いている。
先日、こんな記事を目にした。
撮影禁止騒動については、13日配信の「週刊女性PRIME」が詳報している。それによれば、撮影禁止は栗山サイドの要請で、SNSに栗山の写真や動画がアップされた場合、24時間以内に削除要請しなければ1件につき100万円を求めるという条件を主催者側に提示したという。ただ、栗山の所属事務所は週刊女性PRIMEの取材に対し、100万円の要求については否定した。

本当は撮影禁止は「お松の方」だけだったのだ

「あの女優に出演依頼しなければ良かった」と主催者側関係者が思ったかどうかは知らないが、一市民としては、「とんでもない女優」だったと思う。
写真の件だけではない。伝統を誇る百万石祭りの行列だというのに、これはないだろう・・
と。
日傘が高すぎて暑かったのだろうか?
それにしても、大名行列にこうもり傘は無粋としか・・・

整然と傘をさしている姿からは、歴史のある大名行列の出演者という自覚意識が微塵も感じられないではないか。
こんな女優だから、違反者に100万円を徴収すると脅すことは何でも無いことなのだろう。主催者側の人選ミスかも知れないが、この女優の人間性が「こうもり傘」で隠すことなくさらけ出されている。

2022年6月17日金曜日

ふるさとに貢献できたのは偶然のできごとからだった

あと半年で80代に突入するが、アルバムをめくると、多くある写真が18才から21才までのおよそ3年間にわたる仕事関係のモノクロ写真である。宇出津~珠洲間の能登線建設に関わる写真が多くある。この能登線建設に関わる業務に携わることになったきっかけは、奇跡的な出来事だった。小木工事区という建設事務所の助役だった人が、宇出津の宿舎に住んでいて、奥さんが自転車修理店に行ったとき、「ウチの甥っ子が今年岐阜工事局に就職して岐阜で仕事をしている」と店主の叔父が話したという。

折しも、宇出津~松波間の軌道敷設工事が着工されようとしており、その担当者が必要だったという。奥さんからそんな話しを聞いた助役は、早速本局幹部に電話して、「新卒の能登出身者を是非一人回して欲しい」と訴えた。・・・という話しから、小木工事区勤務を命じられた経緯がある。奥さんが自転車店に行かなかったと想定すると、能登線勤務のチャンスは永遠に存在しなかったことになる。

勤続1.5年19才 宇出津田ノ浦付近で
建設工事が進捗し、宇出津~松波間の開業前に実施される踏み固め試運転が行なわれた。
その試運転機関車の前部に乗車し、工事側代表として現場安全を確認せよと命ぜられた。

執務中の貴重な写真 建設関係者では制帽は仕事中には被らなかった

松波開業前から軌道延伸工事は続行していたが、竹中川鉄桁架設関係の写真があったのでご紹介しよう。

ここに桁を架設する準備作業中
谷崎トンネル出口付近で桁を組み立て、ディーゼル機関車で竹中川まで運搬した。
この頃は漁師の奥さん方が作業員となって大活躍された

川の中央付近まで桁が伸びてきた
これらの写真はモノクロだったが、AIソフトで自然に近い色がついた。やはり迫力があるねぇ。

2022年6月16日木曜日

梅雨入りと梅の収穫

去る14日、気象台が北陸地方が梅雨入りしたとみられると発表した。兼六園では毎年恒例の梅の実の収穫があった。わが家の梅もまだ青々としていたが、14日に収穫した。去年に続いて今年も不作だった。女房殿はそれをシロップ漬けにした。

去年より1日、平年より3日遅い梅雨入りだという。
こうした中、兼六園では美しいウメの実がなり収穫の日を迎えている。兼六園には約20種類200本のウメが植えられているんだとか。


14日は庭師など33人がウメの実を丁寧にもぎ取っていた。収穫されたウメの実は県内の
特別支援学校や福祉施設などに配布されジュースやジャムなどに活用されるということです。
ちなみに梅雨入りについては、気象台によると「くもりや雨の日が多くなると予想される」時に発表するとのこと。必ずしも雨が降っていなくてはならないと言うことはないようだ。
 

梅雨は6月中は前線が九州の南岸に停滞する見込みで、大雨が降るというより雨が降ったりやんだりが続くとみられている。
梅雨の後半、まとまった雨が降りやすくなり注意が必要だという。

昨日からわが家で採れたアンズのジャムをパンに付けて食べている。これがまた甘酸っぱいアンズの味がパンの味をグンとアップさせてくれる。収穫前に、後ろの家の敷地に毎日十数個のアンズが落下して、迷惑をおかけしたお詫びにジャムをあげた。ウメとアンズ騒動は14日を持って終わりを告げた。

2022年6月15日水曜日

航空プラザ400万人達成の記事に、そういえば孫と行ったなぁ・・と

小松空港の近くに県航空プラザがあるのだが、来館者が四百万人を達成し、12日に同館で記念セレモニーがあったという。そんな記事を見て、18年前に3才になったばかりの孫を連れて行ったことを思い出した。開館したのが1995年というので、9年目に訪れたことになる。
400万人目になったのは、三重県桑名市の小学四年、松井澄冬(すみと)君(9つ)。両親と祖父の四人で訪れた。宮橋勝栄市長から記念品を受け取った松井君は「フライトシミュレーターが面白かった」と笑顔で話した。前後の二家族の子どもたちにも記念品が贈られた。


ニッコリ笑って・・というとこんな顔をするようになった

かなりの航空機が展示されている

プラザ入り口に置いてあった大型ヘリ

今年で27年目 かなりの入場者数である

この航空プラザ入り口の反対側に海外旅行者用の駐車場がある。その駐車場は自衛隊員家族用の宿舎群がある場所であった。県外郭団体組織の一員だった時、その宿舎跡地に駐車場設置の計画が持ち上がったり、調査測量や駐車場設計調査に何度か訪れたことがあったので、航空プラザにも行ったことがあったことから、孫を連れて行けば喜ぶかなと思い行くことにした。
その孫はもう21才。まだ覚えているだろうか?

2022年6月14日火曜日

真偽不明の怪情報

ネットサーフィンしていたらこんな衝撃的な見出しのニュースがあった。
「プーチンは影武者を使っている」死亡説を報じる欧米メディア
病状悪化が囁ささやかれるロシアのプーチン大統領について、すでにボディ・ダブル(影武者)を使っているとの大胆な分析が出始めた。英デイリー・スター紙は、イギリスの諜報ちょうほう機関「MI6」の複数の役職者の証言として、
プーチンは影武者を使っており、すでに死亡している可能性すら否定できないという分析を報じた。


そんな馬鹿な・・・と思われるニュースである。この手のニュースは昨年もあった。金正恩も既に死亡しており、替え玉だという記事があった。今となればフェイクだが、亡くしたいグループ、亡くなっては困るグループの熱い戦いが透けて見える。


そういえば、三方ケ原の武田方の圧勝の後に武田信玄が病死したのを長く伏せていた。政局に大きな影響を及ぼす「大将の死」ということだろう。