2023年8月31日木曜日

なぜか知らないが、61年前の市ノ瀬の出来事が思い浮かんだ

昭和37年3月、宇出津から蛸島に向かって軌道敷設工事が開始された。この2年前には穴水・宇出津間が開通していた。当時、珠洲道路はまだまだ先の話で、国道は未舗装、飯田から金沢に向かう場合は国鉄バスに乗って小木経由で宇出津まで1時間半ほど時間がかかった。

そんな状況の中、昭和37年秋には市ノ瀬付近にバラストを運搬して本格的な軌道工事が進められた。私は36年7月に岐阜から小木工事区に赴任して工事管理業務の任務に就いていた。

小木駅まで約400mの市ノ瀬地内バラスト取り卸し

バラスト取り卸し後は軌道整形作業となる

明治時代から当時まで、軌道工事はどの路線でもこのような原始的な工法で進められた。
路線中心測量、レール、枕木、犬釘等の支給材料の確認、軌道突き固め整備の確認等が主な業務だった。

鵜島付近竹中川橋梁鉄桁運搬架設作業

この作業を以て、私の業務は転勤命令で宇出津・松波間の開業を終え岐阜へ転勤となった。金沢転勤になるまで20年を要した。3年ほどで再び岐阜に戻った。

2023年8月30日水曜日

そういえば「まれの里・おけさく」にも行ったことがあった!

先日、まれの主役を務めた土屋太鳳が、撮影でお世話になった輪島市の皆さんにご挨拶に行ったという。調べてみると、まれが放送されたのは2015(平成27年)だった。もう8年も経っている。当時、太鳳ちゃんは大学3年生だったという。

この写真を見たら当時のことがありありと思い浮かんできた

がんじさんはお元気だろうか。太鳳ちゃんはつい最近結婚したという。大泉洋は中々の役者になった。

つい最近、弟たちと大沢へ行ったという

美人になったなぁ

数年前にシニアクラブの旅行会で大沢、曽々木の塩田等へ行ったことがあった。

まれが住んでいた「おけさく」健在!

別所岳SAを過ぎて間もなく朝ドラのテーマ音楽が流れてくる。いつまでもつのだろうと気になる今日この頃である。

2023年8月29日火曜日

概念崩壊:こうも続くと晴天は決していい日ではない

一雨欲しいところだが、その気配が全くない。週間天気予報は週末まで晴天。もういい加減にしなはれ・・・と天に向かって叫びたい。先日、パラっと雨があった。しかし、路面が濡れるまでには至らなかった。1kmも離れていない森本地区では20分ほど降ったという。うらやましい限りではないか!

わが家の植木の葉が黄色く変色し始めた。ヤマボウシやハナミズキ、レッドロビン等々の葉が黄色く縮れてきた。

大事に育ててきたのにノトキリシマが枯れた!
毎朝水やりは欠かさずだったのに・・・

ノムラモミジも枯れた枝が

ヤマボウシもやられてきた!

梅やアンズが枯れないか心配である。降るときには線状降水帯、本当にけしからん日が続いている。姫こぶしは何とか緑を保っているが・・・


2023年8月28日月曜日

落雷による火災

落雷による火事があったが、防止策としては避雷針の設置である。しかし、一般家庭で避雷針を設けたという話は聞いたことがない。
昨日(27日)未明、宝達志水町で住宅の一部を焼いた火事は落雷が原因であることが分かった。
この火事は27日午前0時45分ごろ、石川県宝達志水町杉野屋の木造2階建て住宅で、屋根や2階の天井裏など住宅の一部を焼き、およそ30分後に消し止められたという。


警察と消防が実況見分を行ったところ、火元は2階の天井裏で、火事の原因は落雷によるものだった事が分かった。幸いなことに、火事は2㎡と小規模で消火された。

昨年12月には志賀町でも落雷による火事があり、全焼してしまった。
当時の記事によると、12月7日午前0時半ごろ、志賀町川尻の志賀生コンクリート工業の事務所から出火、木造一部鉄骨造瓦葺(ぶ)き2階建ての建物を全焼し、約1時間50分後に消し止めた。事務所は無人で、けが人はいなかった。実況見分の結果、羽咋郡市広域圏事務組合消防本部は落雷による出火と特定した。

志賀町で発生した落雷による火事

自分の家の周りを調べてみよう。家より高い位置に電柱やほかに構造物等があれば一安心できる。心配な方は避雷針の設置が最も安心できる。ちなみに自分の家は、すぐ近い位置に電柱があるのでひとまず安心である。 

2023年8月27日日曜日

北口榛花(はるか)の金メダル

東京オリンピックで女子やり投げ銅メダリストの北口榛花が、チェコで開催中の世界陸上選手権で金メダル獲得という快挙を果たした。一昨日未明の実況を見ていたが、6投目に2位の選手に1.2mの差をつけ優勝した。

6回目の挑戦で1位に浮上

陸上の世界選手権は25日、ブダペストで女子やり投げ決勝が行われ、北口 榛花はるか (25)(JAL)が66メートル73をマークして初優勝した。投てき種目での日本女子の金メダルは五輪、世界選手権を通じて初。男子を含めると、2004年アテネ五輪ハンマー投げ金メダリストの室伏広治が11年世界選手権 大邱テグ 大会を制して以来12年ぶり2人目。職場の環境の良さも優勝の後押しをした。JAL社員でありながら、チェコで強化合宿を続けていた。

性格は「ネアカ」

パリ五輪出場権も得た。インタビューを聞いていてもネアカの性分がありありと見えた。
底抜けに明るいのだ。
これからも頑張ってネと応援したくなった。

2023年8月26日土曜日

中国にホリエモンが激おこ

福島原発の処理水放出が開始されたが、中国が科学的根拠なしで「絶対反対」と大声で叫び、とうとう日本の水産品を全面的に輸入禁止処分を発令しストップをかけた。国内でも反対を声高に叫ぶ政党や団体があるが、それに対してあのホリエモンが激おこなのである。


ホリエモン曰く、
「十分に放射性物質を薄めた上で海へ排出するということが、一部のマスコミと左翼の活動家みたいなアホが大騒ぎしてるんで。コイツら頭が悪すぎて『薄める』の概念が理解できないみたい」と苦笑。処理水の水質は「本当に微量だけトリチウム、それ以外の汚染物質等はできる限り除去して海洋放出する。環境にほぼ影響ない状態で排出をしている」と力説した。

さすが東大出のホリエモンの解説は説得性がある

また、処理水の水質は「本当に微量だけトリチウム、それ以外の汚染物質等はできる限り除去して海洋放出する。環境にほぼ影響ない状態で排出をしている」と解説した。


国内で反対を騒ぐ輩は中国のおもう壺だと指摘。反対論者は根拠を示すべき。さすがホリエモン。これからもどんどん無害であることを発信してほしいものである。
中国のスーパーから食塩があっという間に売り切れ。中国政府の宣伝を真に受け、国民を煽った結果なのだ。中国政府のやりように腹がたって収まらない。

2023年8月25日金曜日

今日の天気予報も午後から雨 あまり期待しない方が

昨日の天気予報で午後から雨マークがついて「干天の慈雨」を期待したのだが、パラパラッときて10分も降ったか、期待に反して「はいそれまでよー」となって期待外れした。で、犀川ダムの貯水率も毎日グングン下がり続け、ついに20%台に低下した。

これは酷い!

左 現況 右 満水時

市内を流れる犀川も殆ど流れがなくなった。

流れの中央にサギが魚を待ち構えている

金沢市の山間部にある犀川ダムでは、平年の8月1か月間に411ミリの雨が降るのに対し、今年は24日までにわずか30ミリにとどまっていて、雨が少ない状態が続いているという。
23日に撮影された写真では、満水時と比べて、岩肌がむき出しになっているのが分かります。ダムの貯水率は24日朝の時点で24.2パーセントで、このまま雨が降らなければ、9月中旬にも水が底をつく見通し。

県庁で開かれた犀川水系渇水調整連絡会には犀川の流域で水力発電を行っている事業者や、農業の関係者など、およそ30人が出席し、今後の対策を協議した。
今後1週間程度で、雨の少ない状態が解消される可能性は小さく、気象台は、農作物や水の管理に注意するよう呼び掛けている。







2023年8月24日木曜日

いきなり先頭打者がホームラン!

昨日は高校野球決勝戦仙台育英:慶応義塾戦が行われた。恐らく仙台育英が優勝だろうと思っていたが、それは大きな見込み違いだった。先行慶應義塾で1番バッターがホームラン!こんなことは今まで見たことがなかった。

これにはたまげた!

次の回で逆転だろうと毎回そう思っていた。ところが終わってみれば8:2と大差の勝利だった。清原の次男坊がいつ出るか注目していたが、監督の配慮だと思うが最終回に出た。

9回表 代打清原勝児

四球を選んで1塁に。ここで代走となり交代し出番はこれまでだった。

父ちゃんも応援に

次男坊は1年生でレギュラーだったが、2年生では補欠となった。それでも親父は大満足の様子だった。
それにしても会場を沸かせたのは慶応の大応援団だろう。

系列校も応援に加わったという
沖縄尚学は大応援団にやられたともっぱらの噂

さて、高校野球が終わって今日から淋しい思いをしなければならない。

2023年8月23日水曜日

いつ起きても不思議じゃない熱中症

やがて9月になろうとしているが、7月上旬以降、雨が降った日がほんの2時間くらい。例年と違うのは夜中もエアコンを入れないと安眠は不可。県内でも熱中症による死者が増えた。

体温を下げる手っ取り早い方法

津幡でも60代の男性が畑で所業中倒れ死亡されたという。
もし、家族が外で倒れていた場合の応急処置は万全にできる人は少ないだろう。


自分の周りの人が倒れた場合、まず冷やすことだという。もっとも効果的な冷却方法は「氷の水風呂に患者を浸す」という治療法だという。水温15℃以下の水風呂に入れると、3~5分ごとに体温が1℃下がるので、それでも患者を10~15分間浸す必要があるという。
実は、アメリカでも米疾病予防管理センターが熱中症患者に対して、冷水や氷風呂(ice bath)で可能な限り早く冷やすことを推奨している。
日本では、具合が悪くなっている人を氷水の中に入れるという対処方法は考えつきにくいし、仮にそれができる環境であったとしても、受け入れられ難いが、今後、熱中症の被害を軽減させていくためには、こうした方法も含め、どのような応急処置をどの程度続けることで、どの程度の効果があるのか、論的根拠を示していくことが必要だろう。

4,5分もあれば救急車が来てくれる。それが最良の方法だろう。
80をまわる歳になれば、外に出るのを極力控えるようにしているが、それでもやむを得ない事情で外出する場合があるが、帽子や日傘で直射日光を避け、水分補給を心掛けねばならないと自戒のこの頃である。


2023年8月22日火曜日

五郎島金時と加賀しずく

サツマイモには色々な品種があるが、いつ頃だったのか覚えがないのだが、五郎島や粟ヶ崎等で収穫するようになったのが五郎島金時である。初めて食べたときは、ほくほくで適度な甘さに何と旨いイモだろうと感激したものだった。それはふかしたてのクリのような甘さがある。甘くてもべちゃべちゃ感がぬぐえないサツマイモもある。

収穫は機械化されている

「五郎島金時」は、江戸の元禄時代、加賀の男性が薩摩から種芋を持ち帰ったのがはじまりとされていて、金沢市北部の砂丘地を中心に34軒の農家が栽培している。
昨日(21日)から今シーズンの出荷がはじまり、金沢市五郎島町の畑では、生産者たちが土を掘り起こし、五郎島金時を1つひとつ手作業で箱に入れ収穫作業にあたる姿が見られた。

JA金沢市などによると、ことしは適度な雨と日差しがあったため、ホクホクした食感と強い甘みを持つサツマイモに育ったということで、例年並みの1900トン程度の出荷を見込んでいる。

今日から店頭に並ぶ

また、石川県が開発した新品種の梨「加賀しずく」の出荷が、21日から始まったという。
「加賀しずく」は、県が16年かけて開発した梨の新品種なのだ。
一般的な梨に比べ、大玉で酸味を抑えた上品な甘さとなめらかな口あたりが特徴で、ことしで市場に出荷され7年目を迎えた。
韓国での品種登録は必要ないのだろうか。ルビーロマンの二の舞は起きないのか気がかりだ。

五郎島金時にしろ、加賀しずくにしろ、おいしければすぐ真似されるので、その対策は怠ってはならない。

2023年8月21日月曜日

中国の観光地で国内観光客があふれ乱闘頻発!急遽日本旅行解禁か?

今朝のワイドショーによると、中国国内各観光地では連休のため国内の観光客がひしめきあい、あちこちで乱闘騒ぎが頻発しているという。乱闘する動画を見たが、それは暴動にも見える。中国政府が先日、日本旅行を解禁したが、そんな影響があるとするコメンテーターがいた。観光地の混雑の模様を見ると「さもあらん」と思った。

どの観光地でもこの様な込み様である

日本の観光地検索数が急上昇中

コロナ前には1千万人の中国人が日本で2兆円の買い物!
またこんだけ来るのか?

中国に旅行した時だが、中国人は待合室にしろ機内にしろ、どこでも大声で会話する。我々からすると大喧嘩しているように見える。それにあらゆるマナーがよくない。羽田で不要になったトランクが待合室に山積み。新しく買い替えてそれを待合室に捨てていく輩が多すぎる。旅行随行員は見て見ぬふりするのだろう。
それに、国内のホテルでは人手不足が顕著となっている。実際、6月の山陰旅行では布団の上げ下げを自前でやらざるを得なかった。そんな深刻なホテルが現存する。

さぁ、これからどうなるか注視していかねばならない。

2023年8月20日日曜日

地元民が意外と知らない超一流の美術品の数々が収蔵されている奥能登の美術館!

能登に生まれ育った自分もそうだったが、能登に素晴らしい美術品が揃った美術館があることを全く知らなかった。名称は南惣美術館という。幕府の直轄領庄屋だった家主が代々美術品のコレクションに努めてきたのだが、それらを一般公開したのは、まだ歴史は浅い。初めて訪れたのは時国家を訪れたついでに、そこから2kmほど西方に位置する南惣に行った。昭和60年頃だったか。初めてそこに行って見て、目を疑った。俵屋宗達、長谷川等伯、雪舟等々見事な作品群に心を奪われた。なんでここにこのような作品が揃っているのか不思議だった。

この正門に入るとお土産品が並んでいる

お土産品売り場

この本宅横に美術館が新しく建てられた

北前船の収益もあったというから、金に糸目をつけずに買い求めたと推定できる。

黒川の中谷家も天領庄屋だが、ここは武家屋敷となんら引けを取らない。天領庄屋というポストが羨ましい。

2023年8月19日土曜日

山より街のほうが・・・

クマにイノシシ、シカにサル、どうしてこんなに人里に出てくるようになったのだろう。山の手入れがされなくなったとか、エサが不作だとか色々と原因が語られるのだが、その解消策はといえば「皆無」に等しい。昨日もサル出没の記事があった。

場所は金沢市内のほぼ中心街的な住宅地。


17日午前7時ごろ、金沢市小立野4丁目にある小立野小学校の前で、ランニング中の人が1匹のサルを目撃。サルは近くの住宅街に姿を消した。
その3時間半後、今度は小立野3丁目の善光寺坂付近で再び目撃され、その4時間後付近をパトロール中だった警察官も住宅の塀に登るサルを目撃した。

逃げ足は極めて素早い

そして午後6時過ぎ、今度は三口新町の公園に現れたサル。隣の神社の中へと逃げていった。目撃したのは、公園の目の前にあるこども園の保護者だという。

何といっても人里はいたるところにエサが豊富だから、一旦味を覚えたサルは山には帰らなくなる。そういえば、昨年は競馬場にも表れた。

競馬場に現れたサル

クマも金腐川を行ったり来たりしていたことがあった。森本駅付近の民家に潜んでいて大騒ぎしたこともあった。法律で殺しさずに森に帰すのが決まりとは言うが、里の味を覚えたサルにしろクマにしろ、また必ずやってくる。かわいそうだが、射殺が最も良策だと思われるが・・・

2023年8月18日金曜日

同期の桜

昭和36年3月の、卒業式が9日だというのに1日、採用先から2日に出頭せよとの通知を受け、循環急行しろがね号に乗車して岐阜市にあった就職先に向かった。翌日、勤務先に出頭して、採用者が20名だと分かった。7月、その20人の中で最も早い転勤者になり、市ノ瀬にあった小木工事区へ転勤命令が出たので、市内のすし屋で送別会をやってもらった。そしてこれを機に「同期会」が発足した。

そして平成28年、久しぶりに同期会が岐阜市長良川で開催され、鵜飼見物しながら歓談した。

鵜飼舟予約者が押し寄せた

長良川の向こう側に球場が見えるが、ここで課対抗のソフトボール大会が開催された。また、毎年7月4週土曜日には岐阜日日、次週には中日花火大会が開催された。そんな思い出がいっぱい詰まった同期会だった。

20名だったメンバーが8名に減少した

そしてまた、今年5月に1名が亡くなったと連絡があった。幹事からは電話でもう一度同期会を開催すると連絡があった。富山在住のメンバーが体調を崩して入院中だという。淋しい同期会になるかもしれないが、それまで元気にいなければ!

2023年8月17日木曜日

名舟、沖波・・・在所の祭りの思い出がよぎる

7月31日~8月1日名舟、8月14~15日沖波の祭りが新聞記事にあった。能登一円の祭りはあばれ祭りで幕が切って落とされ、4カ月に渡り各地で開催される。

名舟大祭 キリコが4基も出されることに驚いた

実家のあった石井の祭りは7月26~27日に開催された。そのころは梅雨が明けいつも好天続きだった。キリコは在所の坂を上った付近から2軒目と、そこから400mくらい離れたところがスタート地点。そこから諏訪神社に向かって担いでいき、2台のキリコが並んで諏訪神社神主の祝詞奏上後に神輿を先頭に火の宮まで巡行する。この神社で五穀豊穣の祝詞をあげるのだが、その間、一升瓶が担ぎ手に次々とわたっていく。そのうち酔っ払いが騒動を起こす・・・というのがいつものパターンだった。それでも、二人が組んで太鼓を打ち鳴らす見事な共演には、いつか自分もあんな太鼓を打ちたいと思った。

沖波大漁祭り
海の中を担ぎまわるのはここだけか?
祭りを執行するためには、キリコの胴張り、組立、終わってからの分解片付けがある。祭りには大変な労力がいるため、最近では担ぎ手不足となっているところが多い。青壮年団員が少なくなってやむを得ず省力化でキリコは担がないで、タイヤを付けて引っ張る在所も増えているようだ。
能登のキリコ祭りも開催そのものが危ぶまれている。

2023年8月16日水曜日

ファミリーヒストリー番組制作スタッフの執念が実を結んだ

一昨日になるが、NHKファミリーヒストリーを見て、番組制作の強い執念と草刈正雄の生い立ちを知り、また、母から父親は米軍兵士で朝鮮動乱で亡くなったと教えられたという経緯を知った。
日本人の女を孕ませ知らんぷりで帰国する兵士は沢山いたことだろう。戦勝国の軍人だから当然だという考えなのかも知れない。

草刈正雄

草刈正雄の母も捨てられて父は米国へ帰国した。NHKは草刈正雄に番組制作を何度か打診したが断られていたという。そのうち本人の承諾を得て制作に着手したが、父の名前と出身地の州名、兵士の父親の職業が郵便配達員という極めて少ない情報だけを頼りに、NHKスタッフはアメリカに行って調査を始めたが、当然ながら難航を極めたという。しかし、NHKの執念が身を結ぶ。生家と一族が探り当てられたのである。父親の実の姉が97歳だが、弟が日本で健在だと知り、急に元気が回復したという。

父の写真も手に入れることができた

そうした記録VTRを草刈正雄は時々目を閉じ涙ぐんで見ていた。アメリカに住む姉や甥たちも喜び、取材に協力的になった。97歳の姉がズーっと気にかけていたが、調査ヒヤリングに訪れたスタッフに会うことができて大喜びしたという。

そんないきさつを眺めていた草刈は時々目にハンカチを当てた。そして本人が家族と会いに渡米した。97歳の叔母と抱き合って喜んだ。極貧だった母子家庭の母の努力が実った!

ファミリーヒストリーの中で最も感動した番組だった。

2023年8月15日火曜日

御年92歳美声変わらず!

先月のことだが、BSのチャンネルを回していたら、エエッ!と思った。引退してもう10年以上も過ぎて「二葉百合子ショー」だと?
現在92歳だという二葉百合子は、10年前の現役時代とちっとも変わらない姿に目を瞠った。そして、あの「岸壁の母」を歌った。少しも変わらない張りのある声だった。

現役時代と何ら変わらない美声だった

引退は80歳だったという。引退して、「ちょっと早かったかな」と思ったという。
6月にシニアクラブの旅行で富来に行った。その時、岸壁の母記念碑を見てきた。

増穂が浦に建立された記念碑

この記念碑は町の尽力で立派な記念碑が建てられた。流行歌、映画「岸壁の母」のモデルとなったのは、富来の出身者端野いせさん(1899年9月15日 - 1981年7月1日)である。
もう亡くなって12年ほど経ったウチの母は、旧盆で方々から集まった子や孫20人余りで宴会をすると、必ずこの岸壁の母を歌った。母の子を思う気持ちを表したかったのだろう。

舞鶴市引上げ記念公園にある「岸壁の母」記念碑

端野いせさんの経歴
明治32年(1899年)9月15日、石川県羽咋郡富来町(現在の志賀町)に生まれ、函館に青函連絡船乗組みの夫、端野清松と一人娘とともに居住していたが、昭和5年(1930年)頃に夫と娘を相次いで亡くし、家主で函館の資産家であった橋本家から新二を養子にもらい昭和6年(1931年)に上京する。新二は立教大学を中退し、高等商船学校を目指すが、軍人を志し昭和19年(1944年)満洲国に渡り関東軍石頭予備士官学校に入学、同年ソ連軍の攻撃を受けて中国牡丹江にて行方不明となる。

終戦後、いせは東京都大森に居住しながら新二の生存と復員を信じて昭和25年(1950年)1月の引揚船初入港から以後6年間、ソ連ナホトカ港からの引揚船が入港する度に舞鶴の岸壁に立つ。昭和29年(1954年)9月には厚生省の死亡理由認定書が発行され、昭和31年には東京都知事が昭和20年(1945年)8月15日牡丹江にて戦死との戦死告知書(舞鶴引揚記念館に保存)を発行。
しかしながら、帰還を待たれていた子・新二(1926年 - )は戦後も生存していたとされる。それが明らかになったのは、母の没後、平成12年(2000年)8月のことであった。


2023年8月14日月曜日

おじいちゃんの愛した孫の名前が刻まれた墓石

昨日はかほく市にある墓地と卯辰山墓地公園にある墓へお盆の墓参りをした。かほく市にある墓地は10年ほど前に能登の実家の墓を、かほく市が造成した墓地公園の一角を購入して移転した。兄弟姉妹が木津、鶴来に居住しているので移転したので、近くなったと喜んでもらえた。卯辰山墓地公園の墓は戦死した女房殿の親父の墓も能登にあったことから、分譲時に申し込みして当選したので、そこに墓を設けた。道路網が完備して随分便利になった。

今日は朝5時半に家を出発、金石と美川の墓参をした。金石は娘婿の実家の墓、美川の墓は去年亡くなられた娘婿殿の父親の墓。今年建立された墓は美川IC出口にある町営墓地なのだが、LINEの写真を頼りにたどり着いた。その墓は一般的な墓とかけ離れた感覚で建立された。

後列の「仁」と書かれた墓 

その墓石には、「仁」と一文字が掘られていた。孫は中学1年だが、幼稚園年少の頃から亡くなられる数カ月前まで、毎週木曜日に美川から瑞樹団地まで顔を見に奥さんと二人で通われていた。おじいちゃんの孫のかわいがり方が素晴らしかった。孫もそんなおじいちゃんによくなついていた。
葬儀の日、お坊さんが在りし日のおじいちゃんの思い出話を語り始められたのだが、途中、大声で泣き始めた。よほど悲しかったのだろう。

そんな思い出をかみしめながら今日の墓参を終えた。


2023年8月13日日曜日

町内の活気が戻った!

昨日は4年ぶりの町内盆踊り大会だった。高齢化のため調理ができないことから、外注したり、キッチンカーで補うことになった。

焼きそばに行列

よく売れている!

来賓の方々も続々と

勲さんに元気が戻った

今回は子供たちが円陣に加わってくれた

特に今回の盆踊り大会には小学生男児の踊りに目を見張った。踊り指導の中山元町会長の話によれば、3日間の踊りの練習に参加して熱心に練習していたという。今後の盆踊り大会が非常に楽しみになった。

隣町婦人部の踊り手さんに応援参加していただいた

老いも若きも大いに楽しんだ

4年ぶりの盆踊り大会は盛況のうちに午後9時、その幕を降ろした。御芳志の大看板には例年を上回る方々の名前が掲示されていた。元町会長が徒歩で40件の御芳志をいただいてきたという話を本人から聞いて、そのパワーに圧倒された。このイベント開催には班長さんや町会役員さんの並々ならない努力があった。うちの町会は今日からまた結束がより強化された。盆踊り大会バンザーイ!!