2018年1月31日水曜日

断水復旧見込み立たず

1週間以上も低温が続いている。雪かきも体力の限界にある。昨日は千坂地域安全パトロール隊に登録している町内の13人の皆さんに、2月分の当番表を配り歩いた。
歩道は人がすれ違うのが困難な1本道、それに圧雪状態でよちよち歩き。普段は自転車で配達するのだが、昨日は歩くしかなかった。

歩いてみると同じ町内であっても、路上の雪の状態は場所によって大きく異なる。
4軒連続して路上の隅々まで見事に除雪してあるところ、除雪に全く無関心な家の前は長靴の中に雪が入りそうになるところ、ガレージ付近や玄関周りのみならず、道路は路面が見えるまで完璧に除雪してある場所などいろいろである。

除雪は重労働だが、日ごろの運動不足解消のためと自分に言い聞かせて、昨日は歩道部分まで除雪に励んだ。

零度以下の日が連続するため、能登地方では給水管破裂による断水被害が拡大して、とうとう自衛隊まで出動したという。

能登断水、1万世帯超 空き家で漏水、気付かず被害拡大か (北國新聞より)
能登各地で29日、水道管の凍結、破裂による断水被害が広がった。石川県と各市町のまとめによると同日午後10時現在、9市町の約1万1千世帯で断水したり、水が出にくい状態となり、各市町は給水車を出すなど対応に追われた。27日までの寒波で能登は冷え込みが特に厳しかったことに加え、空き家が多いことから水道管の破裂に気付かずに漏水が続き、配水池の供給が追いつかなくなったことで被害が拡大したとみられる。


量水器までは行政の管理だが、それからは個人の水道管であるため当然個人が責任を負うことになる。個人の配管は塩ビ管であり、殆どむき出し状態なので凍結し破損する。
空き家は施錠してあるのが一般的であり、漏水確認は容易ではない。そんなことから、貯水池の水位が急激に低下したのだろう。

そんな低温続きは全国的なのだが、六甲山中腹にある七曲滝が氷結したという。


新聞記事引用
連日の冷え込みで、神戸市北区六甲山中腹にある七曲(ななまがり)滝(高さ約25メートル)が凍っている。30日朝、現地を訪ねると、無数のつららが「氷のシャンデリア」のように連なっていた。  長年観測を続けている兵庫県西宮市の国際山岳プロガイド、舟橋健さん(64)によると、ここ十数年で最も大規模な氷瀑(ひょうばく)になっているという。「見に来るだけでも、アイゼンやヘルメットを装着するなど、安全対策をしてほしい」と話している。

幸いにして自分の所有する能登の空き家は町営水道の元栓を閉じてあるため心配はない。
町営水道ができるまで、在所の10世帯くらいで500mくらい離れた山の中腹の岩盤をくりぬいて貯水槽を設け簡易水道を引いた。それがまだ機能している。

2018年1月30日火曜日

今年は能登立国1300年なんだとか

平成時代も30年となって終わりを告げる。小渕総理が平成と記したボードを掲げたシーンが思い出される。平成になっても6カ月の通勤パス有効期限は昭和64年4月となっていた。今年は明治150年にあたるという。私はその半分75年間生きてきた。そう考えると江戸時代から明治になったのはそんな昔ではなかったのだなと思う。

去年は白山開山や那谷寺開闢1300年だった。その記念事業がいろいろと行われたが、今年は能登立国1300年だという。710年(和銅3年)に元明天皇によって平城京に遷都し、いわゆる奈良時代になった。それから7,8年後になるのだが、政治的にも安定期に入って地方にも文化が花開いた時代になったということだろうか。

1月4日の年頭知事会見では、谷本知事は次のように語った。
今年は、奈良時代の養老2年、西暦718年に、当時の越前の国から羽咋、能登、鳳至、珠洲の4郡を分けて、能登国が立国してから1300年という大きな節目の年にあたるわけであります。
地元では、この節目の年を、能登を全国にアピールする絶好の機会と捉えまして、現在、能登の4市5町や観光協会、民間事業者等で組織する能登半島広域観光協会を中心に、県も参画しまして、これまで実施をしております、「能登ふるさと博」の充実など、具体の検討がなされとるところであります。
さて、歴史はその後、741年(天平13)に能登国は越中国に含まれてしまう。 大伴家持が越中の国主に赴任したのはその頃である。
再び能登国として立国するのは、16年後の757年(天平勝宝9)となる。
能登の政治を行った国府は、七尾市内に所在したとされているが、その所在地は現在も不明である。


能登国分寺復元
能登国分寺は843年(承和10)に能登臣氏の氏寺とみられる定額大興寺を転用して創建されたという。それは、聖武天皇が741年に国分寺建立の詔を出してから100年余りが経過していた。
全国的には国府の近辺に国分寺が設置されることが多く、能登国府もこの周辺に所在した可能性が高いと考えられている。 
上杉謙信に攻め滅ぼされるまで、畠山時代200年間の功績を見つめなおす機運も盛り上がってきた。

そんなこんなで、今年はこんな行事も予定されているので参加してみては如何でしょうか。
「平成30年能登立国1300年」能登和倉万葉の里マラソン2018
平成30年3月11日(日曜日)午前10時スタート

2018年1月29日月曜日

網走から流氷の便り


昨日28日、網走沖のオホーツク海に白い帯状の流氷が見られ、網走地方気象台は「流氷初日」と発表したという。氷の使者は平年より7日遅い「流氷初日」となった。それでも昨年よりは3日早いのだとか。

やがて接岸か(動画より)
 去年20年ぶりに北海道を旅したのだが、流氷だよりを見て思い出が蘇った。平成10年3月9日、網走港から砕氷船に乗り、「エーッ、ここが日本か」と感動的体験をしたことを思い出した。

去年11月に行った知床半島の島影
アムール川の氷が解けて流れ出したものがオホーツク海に漂うのだと聞いたことがある。金沢は厳寒たけなわといったところだが、ロシア東海岸はもう春の兆しなのだろうか。
それにしても砕氷船は豪快だった
ここ数年は流氷が接岸することは稀となったようで、流氷見物ツアーの旅行会社では流氷が見られなかった場合は返金するのだとか。
3月中旬だというのに気温はー13°だった。昨日までびっしり港を埋め尽くしていた流氷が、翌日朝には跡形もないこともあるそうだ。強風の風向きでそうなるという。
流氷見学してから旧網走刑務所を見物した。



この刑務所から十数回も脱獄した人間がいたと聞いて、「たいしたものだ」と驚いたものである。

流氷だよりを聞いてなつかしい思い出が蘇った。

県から2校が甲子園に


去る26日、第90回記念選抜高校野球大会の出場校が発表され、県内から航空石川と星稜の2校が出場することになった。近年は福井勢に出場権を奪われていただけに、2校の出場は快挙といえる。

関係行政長のコメント
谷本正憲知事
日本航空石川ナイン、星稜ナインのみなさん、春の選抜甲子園大会への出場おめでとう。県勢としては7年ぶりの出場であり、さらに、2校同時出場は、1994年以来24年ぶりの快挙です。これまで鍛えあげた技と精神力を思う存分発揮し、春の甲子園に石川旋風を巻き起こしてください。声高らかに響く校歌を県民の皆さんとともに期待しております。

山野之義・金沢市長
星稜野球部が第90回という記念大会の出場校に選抜されたことは、たいへんうれしい限りです。ここ数年、選抜大会には県からの出場がなかったこともあり、多くの市民、県民が祝福し期待に胸を膨らませていることと思います。活躍を祈念するとともに、関係者の皆様に心からお祝い申し上げます。

梶文秋・輪島市長
日本航空石川の皆さん、本当におめでとうございます。厳しい能登の冬に、暖かい春の話題が訪れました。昨年夏の甲子園大会での逆転劇は、輪島市民にたくさんの元気と感動を与えてくれました。選抜大会でも、力いっぱい戦い、“航空石川旋風”を巻き起こすことを期待しています。

日本一を目指す 日本航空石川・中村隆監督
身が引き締まる思い。出場校は強豪ぞろいで、この中のチームを倒して優勝する、という目標が明確になった。雪で大変なのは北海道や東北の皆さんも同じ。言い訳にせず、日本一を目指す。

打撃で圧倒する 日本航空石川・小坂敏輝主将
センバツはあこがれの舞台で、出るのが夢だった。春夏連続出場はうれしいの一言。持ち味の打撃で対戦相手を圧倒したい。できれば決勝で星稜とあたり、全国制覇の目標を達成したい。


星稜の選手たちは金沢市小坂町南の同校室内練習場で練習を再開。喜びをかみしめながらも、気を緩めずに練習に励んだ。  練習は同日午前8時半から始まり、ティーバッティングやキャッチボール、実戦さながらのバントや走塁練習などに汗を流した。部員のうち8人は前日、午後4時まで授業があったため鍋谷正二校長による出場決定報告の場に間に合わなかったといい、「最終授業はそわそわして集中できなかった」と苦笑い。埴生(はにゅう)竜聖部員(2年)は「メンバー入りするかどうかに関係なく、それぞれの役割を果たして、チーム全員で甲子園に挑みたい」と表情を引き締めた。

2校の大活躍で甲子園と地元が沸き立つことを期待したい。

2018年1月28日日曜日

インフルエンザ蔓延 B型がヤバイ

小1の孫がインフルに罹り休校、中1の孫は15人が罹患して授業打ち切り。
今年のインフルの特徴は、余り熱が上がらないためインフルだと気づかないので普段と変わらない動きとなるため、他人に移るのだという。
だが油断大敵、肺炎を起こして命に係わるようになる場合があるという。


今月に入って患者が急増し国内200万人を超えたという。
先月あたりからワクチンが不足し予防接種が出来ない人も増えた。


A型に罹って治ったと思って間もない日に、B型に罹ったという人も近所におられた。


現在、九州地方が最も患者が多い。何故か石川、秋田、北海道が警報レベル30人を超えていないらしい。
インフルエンザの種類は?
インフルエンザの原因となるインフルエンザウイルスは、A型、B型、C型に大きく分類される。
このうち、大きな流行の原因となるのはA型とB型である。
新型インフルエンザと呼ばれるものは基本的にA型とのこと。 A型はソ連型や香港型などがあり、今年流行しているインフルエンザもこのA型が多いようだ。

インフルエンザの検査は?
インフルエンザウイルスが体内に侵入し、症状を発症するまでのいわゆる潜伏期間は、通常1~2日程度と言われている。
インフルエンザの症状が出てからいわゆる検査を行うが、実はあまり早すぎると本当は、インフルエンザであっても陰性になるなど正しい結果が出ないことがある。


一般的には、発熱などの症状が出た翌日の早い段階(12時間以降~48時間以内)が良いらしいが、検査タイミングを合わせるのも少々やっかいである
実際の検査は、鼻に長い綿棒を挿入し粘膜を採取して判定する方法だ。 判定結果は10-15分程度で分かる。

以前、タミフルを服用した子供が異常行動を起こすとして問題になったことがあった。
厚生労働省は、下記の注意の内容とともに「緊急安全性情報」を医療機関に配布した。
[1]10歳以上の未成年の患者においては、因果関係は不明であるものの、本剤の服用後に異常行動を発現し、転落等の事故に至った例が報告されている。このため、この年代の患者には、合併症、既往歴等からハイリスク患者と判断される場合を除いては、原則として本剤の使用を差し控えること。

[2]小児・未成年者については、万が一の事故を防止するための予防的な対応として、本剤による治療が開始された後は、
(1)異常行動の発現のおそれがあること
(2)自宅において療養を行う場合、少なくとも2日間、保護者等は小児・未成年者が一人にならないよう配慮することについて患者・家族に対し説明を行うこと。

ちなみに、小学校などに通う子供がインフルエンザにかかった場合「発症した後5日を経過し、かつ解熱した後2日を経過するまで」の期間が出席停止となる。

出来る限り人混みの場所には出向かないこと、これが予防の基本です。


2018年1月27日土曜日

「墓じまい」という社会現象

最近になって、墓じまいという言葉をよく聞くようになった。墓を建てるのではなく撤去したり処分したりすることを”墓じまい”という。
厚生労働省の調べでは無縁墳墓を改葬した数は2013年度で5,044件あったという。
この社会現象は少子高齢化が顕在化したということであろう。
「団塊の世代」の人たちがリタイアする時期を迎えた。そして、墓に対してこれまでと違う考え方が出てきているようである。
”墓は代々、同じ家が継ぐもの” という考え方だけではなくなっているのだ。
お墓を守るっていう時代より墓を含めた人間関係でつながっていくような時代になってきているのだという。
時代の持つ価値観の変化が、お墓のお墓という現実からすけて見えてくる。


大乗寺山付近や金沢近郊に墓地分譲地が沢山あるが、新しく墓を造る人よりも墓じまいする人が上回ったという。
子や孫に墓守の苦労を強いたくないと、墓じまいやこれまでと違う埋葬方法を選択する人が増えている。
墓を造って納骨せずに海に散骨したり、なかには成層圏まで遺灰を風船で飛ばす散骨方法まであるという。
 

墓参りをするのが困難、墓参りをする人がいなくなるといった場合に、墓の管理者(近親者など)が行っているが、少子高齢化の進展により、墓参りをする人がいなくなるケースが増えている。
人口減少によって墓守がいなくなっていることや、都市部への人口一極集中が無縁墓問題の主な要因とされており、管理者が現れない場合にはお墓を撤去する「墓じまい」が行われる。2004年度から2013年度までの10年間で行われた無縁墓の墓じまい数は、全国の自治体や寺院が自主的に行ったものだけで累計45,235基(※)に上り、まだ管理者がいないという判断ができない無縁墓予備群はこれ以上の数になると考えらる。そのような現状の中で、お墓が無縁化し、管理ができなくなる前に自主的に墓じまいを行う人が増えているという。

その墓じまいに関する今回の調査結果では、墓じまい経験者の35.0%は何らかのトラブルに遭遇していたという。そのトラブルの中で最も回答を集めたものは「親族間のトラブル」で、17.0%が経験していたのである。また、「離檀料が予想を超える金額だった」(25.0%)や、「墓石解体費が予想を超える金額だった」(20.0%)など、多くの人が金額面でギャップを感じたこともわかったという。

さらに、心境を尋ねた質問では、墓じまいを決心した当時は58.0%が「お墓管理からの解放に期待していた」という一方で、墓じまい後、新しいお墓を建立しなかった人(n=53)の49.1%が「墓石がないわびしさ」を感じたという実施者の心情が窺える調査結果も判明したという
お墓の墓場
埼玉県川越市にある70代の夫婦の例であるが、
奥さん方の墓地を墓じまいすることになった。
理由は歳を取ってお墓を管理する事が難しくなったためだ。
墓じまいの手順は、住職がお経を唱えて魂を墓石から抜いた後にクレーンで墓石を撤去して、遺骨を別の場所に移せば完了である。

墓石は産業廃棄物として処理される。
墓石を産業廃棄物として処理するのは忍びないという人も多く、広島県にあるような墓石供養場に送られているばあいもある。

墓じまいした家族が向かうところが合葬式慰霊所である。
このような施設が大人気になっているという。


こんなご時世、あなたはどうされますか? 

2018年1月26日金曜日

日本列島氷漬け

積雪はそんなに多くはないが、何せ寒い!
今朝も中1の孫を学校まで送った。路面はカチカチで急ブレーキは厳禁だ。
東京は48年ぶりの低温で、日比谷公園の噴水が凍って白鳥のつららが見事だった。


金沢市内でもめったに見られない風景が昨日の夕刊に掲載された。


気象庁によると、日本列島の上空約5千メートルには、今季一番の強い寒気が流れ込んでいる。本州付近の偏西風が大きく南に蛇行して深い気圧の谷となり、本州の南岸付近まで寒気が流れ込みやすい状態になっているという。

24日午後9時の観測で、石川県輪島市の上空1500メートルで零下16・5度を観測。同時刻の気温としては観測開始以来、最も低い気温となった。西日本から東日本の上空にも、25日朝にかけて平年より10度前後低い零下15度前後の寒気が流れ込んだ。

強い冬型の気圧配置の影響で今後、北日本から西日本で27日ごろにかけて日本海側を中心に大雪となり、太平洋側でも大雪となる地域がある。26日午前6時までの24時間に降る雪の量は、いずれも多い所で、北陸80センチ!、東北、関東甲信50センチ、北海道、中国40センチ、東海、近畿30センチの予想。


南米ペルー沖の海域で海面水温が低くなる「ラニーニャ現象」とみられる傾向も起きており、気温が低くなりやすい状況はしばらく続く見通し。同庁によると、2~3月も全国的に気温が低いとの予想になっている 。

草津白根山スキー場では、台湾のスキー客が噴火に見舞われ、その一部終始がカメラに収め公開された。噴火口から200mという至近距離だったが、奇跡的に難を逃れたという。



自衛隊員一人が亡くなられ、11人が負傷したというが、御岳山の二の舞にならなくて本当に良かった。3000年ぶりの噴火は誰も予知できない。地元草津温泉では来客減を心配していたが、本当に大丈夫なのか誰もわからない。地元には気の毒だが、君子危うきに近寄らずか。

あと2,3日の辛抱?
1日も早く「春よ来い」だ。


2018年1月25日木曜日

金沢で発明された融けないアイス

総務省の家計調査によると、金沢市は1世帯あたりのアイスクリームの年間支出額が全国1位。なんと金沢市民は、自宅に専用の冷蔵庫も常備するほどのアイス好きなのだとか。アイスにもいろいろなアイスがあるが、気温40度の状態で3時間置いても形を崩さない「溶けない」アイスクリームを使ったぜんざい(税込み700円)が、金沢市のひがし茶屋街の「金座和(かなざわ)アイス金沢東山店」で人気を呼んでいる。冷たいアイスと、ぜんざいの熱さが口の中で共存し、不思議な感覚。店を訪れた客には「こんなの初めて食べたわ」と好評だという

熱いぜんざいにアイスが入っている!
冬季のホットメニューの一つとして開発され、昨年十一月ごろから販売が開始された。同店の舟田卓見さんは「溶けにくいアイスだからこそできる商品。ホットメニューの中でも人気がある」と自信を見せる。最近では多い日で二百人ほどの客が訪れているという。

舟田さんは「石川県には寒い時期にアイスを食べる習慣がある。暖かい店内で冷たいアイスや、アイスを使ったぜんざいを楽しんでほしい」と来店を呼び掛けていた。 
この店舗は築150年の町家を改修し、健康食品や医薬品開発に取り組む金沢大学初のベンチャー「バイオセラピー開発研究センター」が初出店したもの。この製造方法は14年に特許を取得し、町のにぎわいづくりに貢献することを目指したという。
太田教授は過去20年間で、食品製造や環境保全技術などに関する約40の特許を取得し、うち金時草パウダーなど10種類の研究成果を商品化した。
東山の店舗
 以下、教授による解説
アイスクリームは3つの要素からできています。牛乳やクリームの油脂分、空気の泡、氷の粒(氷晶)ですね。この3つがうまく混ざった状態でアイスクリームのおいしさは作られています。ところが、温度が上がると氷の結晶が溶けて水になり、そのために空気の泡もつぶれ、脂肪分も一緒に溶けてしまうんです。これが、アイスクリームが溶けてしまう理由です。

こうした溶け方を防ぐために、金座和アイスにはイチゴのエキスを入れています。氷の結晶が作られる前に加えることで、イチゴエキスに含まれるイチゴポリフェノールが、アイスの材料の中に含まれる水分と油脂分とを橋渡しして、水分と空気の細かな泡を油脂が膜状に取り囲む状態になります。この状態で凍らせると、温度が上がっても水は油脂分に取り囲まれているので溶け出してこず、「溶けないアイス」が実現されるのです。



現在『金座和アイス』が食べれるのは、
金沢市『金座和アイス』本店と、大阪梅田支店、東京原宿支店と、水木しげるロード内『もののけ本舗』2Fと米子薫製バー『ibushi』だけとなっているらしい。

熱いぜんざいをフーフーしながらアイスを食べるのもおつなものかも。


2018年1月24日水曜日

朝ドラ「まれ」の話題


朝ドラは前期と後期の年間2回放送されている。番組が終わりに近づくと、半年間がアッという間に過ぎ去った感じがする。
石川県が舞台になった朝ドラといえば、「まれ」である。のと里山海道を走ると、路面舗装に細工が施され、走行するとまれのテーマソングが今も流れる。

その番組は平成27年3月末から同年9月末まで放送された。町内のシニアクラブでは「まれのロケ地」を訪ねるツアーも行い好評であった。
塩田、朝市、いろは橋、千枚田、上大沢のまれの住んだ家等々を見学した。

そのまれの相手役であった山崎賢人君がこの度、千枚田オーナー制度の特別名誉会員に就任したというニュースに接した。
男子高校生役を好演したが、特に高校生姿でいろは橋の上で会話していたシーンが目に焼き付いている。

いろは橋で高校生時代の二人

山崎賢人君


新聞記事引用
輪島市の「白米千枚田」(国指定名勝)をPRするため、同市を舞台にしたNHK連続テレビ小説「まれ」に出演した俳優の山崎賢人さん(23)=写真=が十日、白米千枚田オーナー制度の特別名誉会員に就任した。任期は二〇二一年三月末まで。千枚田の一角に山崎さんの表札が立つ。

NHK「まれ」出演
山崎さんは東京都出身。まれでは、土屋太鳳(たお)さん(22)が演じた主役の同級生で夫役として出演し、それ以後も数々のドラマや映画で活躍する。写真共有アプリ「インスタグラム」のフォロワーは二百三十万人を超え、若者を中心に支持を集めている。

輪島市の観光客数は、まれの放送があった一五年は前年比三十万人増の百四十二万人だったが、一七年は百二十万人まで減少した。市観光課は「依然として、まれの効果は大きい。山崎さんの知名度と情報発信力に期待したい」と話している。


山崎さんが多忙のため、市は委嘱状交付式などは予定していないが、今後は白米千枚田を訪問してもらえるように働き掛ける。
白米千枚田オーナー制度は、耕作者不足を補って景観を保持するために〇七年に導入。著名人に千枚田の魅力を発信してもらう特別名誉会員も同時に始めており、一六年には土屋さんも就任している。 

元治が海水を塩田に撒く場所は、家から20km以上も離れているのだが、朝ドラでは家のすぐ隣の設定であった。千枚田にしても輪島市内から10kmはあるだろう。
あれからもう3年たった。月日の過ぎ去る速さが身に沁みるこの頃である。


2018年1月23日火曜日

外国人観光客が増えている

この頃、兼六園や東山茶屋街に外国人観光客が最近増えてきななぁと実感する。
比較的好調になりつつある北陸3県のインバウンド観光だが、石川県には前年138.6%の訪日客が訪問したという。
富山県には2017年4月、47,030人の訪日外国人観光客が訪れた。この人数は前年同月比+29.5%にあたる。

石川県では133,280人(+38.6%)、福井県では8,440人(+0.7%)を記録。2015年3月14日に金沢まで開通した北陸新幹線の経済波及効果は678億円ともいわれ、北陸地域の観光産業は盛りあがりを見せており、それに沿って同エリアを訪れる訪日外国人観光客が増えていることがわかる。

兼六園の欧米系観光客
ここ2,3年で訪日観光客が爆発的に増えていることが表で見れば一目瞭然である。

2017 年の訪日外客数は前年比19.3%増の2,869万1千人で、JNTO が統計を取り始めた1964 年 以降、最多となった。
航空路線の拡充やクルーズ船寄港数の増加、査証要件の緩和に加え、これまでの継続的な訪 日旅行プロモーションなど、様々な要因が訪日外客数の増加を後押ししたと考えられる。

市場別では、主要 20 市場全てで過去最高を記録。中でも、韓国(714 万人)と中国(735 万 6 千 人)は全市場で初めて700万人台に達したほか、これに台湾と香港を加えた東アジア4市場は、 前年比 21.9%増の 2,129 万 2 千人となり、訪日外客数全体の 70%以上を占めた。また、ロシア では年初の査証要件緩和の効果が大きく、前年比 40.8%増と高い伸びを示した。

訪日外国人観光客が増えているとはいえ、北陸はまだまだ知名度は乏しい模様だ。
日本政策投資銀行が発表した「北陸地域における観光マーケティングの必要性~DBJ/JTBF アジア・欧米豪 訪日外国人旅行者の意向調査~」によると、訪日旅行をしたことがある訪日外国人観光客うち、北陸地域を訪れたと回答した人は、10%にとどまった。

北陸新幹線が金沢まで開通したことなどを理由に、訪日外国人観光客は増加したが、実態と今回の調査の結果にはやや乖離が見られる。
特に興味深い点は、香港人・台湾人の間で北陸地域に対する認知度が高いという点。 台湾人の41%が立山/黒部を認知している。また、金沢・富山も台湾人にとって聞き覚えのある地名となっているという。

浅野川大橋付近
香港人に目を移すと、4人に1人が金沢・富山を知っていると回答。こちらでもやはり立山/黒部は有名で、香港人の32%が認知していると答えた。

中国人の間では、富山県の認知度が高い結果になった。残念ながら欧米圏では、北陸地域の知名度はほぼ皆無という結果になったという。 全訪日観光客の10%が北陸を訪れたというが、実感として金沢の外国人観光客が増えたと思うが、たったの10%だとは、如何に全体の数が増えたか驚異的に感ずる。


台湾・香港・中国・韓国、顔を見ても区別はつかない。どうしても理解できないのが、反日運動が盛んな韓国人がなぜ日本にくるのか?と。
その増加率は半端ないのである。

2018年1月22日月曜日

日本一の回転寿司店舗数(人口一人当たり)


金沢の人間にとって回転寿司は手軽なファストフードである。1000円前後のランチメューがあるので、週2、週3の頻度で通っているビジネスパーソンもいるという。自宅や会社の近くに行きつけのお店を持っている者も多く、職人さんと顔なじみになるなんてこともしばしばなのだ。私が住んでいる地域のもりもり寿司福久店や、はま寿司神谷内店などが連日多くの客で賑わっている。

新鮮なネタが豊富に手に入る
金沢市は周辺自治体と合わせると50軒以上がひしめく“回転寿司激戦区”なのだそうだ。人口に対する店数(集積度)では日本一だとか。石川県の寿司(外食)への年間支出も1人当たり約2万円と全国平均の1万4000円を大きく上回り、全国トップ3に名を連ねる(総務省「家計調査2016年」による)。

金沢でチェーンと言えば“日本一”の回転寿司なのだ。
金沢が“回転寿司日本一”の理由 は?
あるオーナー曰く、「数が多いからこそ、それぞれのお店が内装やメニュー、価格などで違いを出そうと常にしのぎを削っています。結果として個性的なお店が多くなり、次々と新しいメニューを工夫して進化し続けている。1000円前後のランチメニューがあるので、週2、週3の頻度で通っているビジネスパーソンもいます。自宅や会社の近くに行きつけのお店を持っている人も多く、ローカルだけに職人さんと顔なじみになるなんてこともしばしばです」 と。

なぜ、全国チェーンが少ないのか ?
金沢周辺の回転寿司店は大半が地元チェーンか個人経営で、全国チェーンは数えるほどしかない。2013年に東京の人気チェーン「すしざんまい」が鳴り物入りで出店したが、3年と経たずに撤退した。あるオーナーは、「地場の回転寿司店はあくまで寿司そのものの味や値段で勝負しています。食べる側も寿司への思い入れが強い。これに対し、最新機器で楽しませたりラーメンやうどんが置いてあったりする全国チェーンは、良い悪いは別にして、金沢っ子には“やはり、地元の回転寿司とは別物”という認識ではないでしょうか」と推測する。その通り!

近年は金沢で“御三家”と称される大手の「金沢まいもん寿司」や「もりもり寿し」が首都圏、名古屋圏、関西圏に進出して着々とファンを増やしており、今や金沢ブランドの回転寿司は全国区の人気を確立しつつあるのだとか。

地元の金沢港をはじめ、七尾港、隣県・富山の氷見港など良港を擁す金沢の寿司がおいしいのはもちろんだが、金沢周辺に回転寿司が飛躍的に普及した背景には、市内に本社を置く石野製作所の存在があるのだ。同社は回転寿司コンベア機のトップメーカー。回転寿司店でよく見られる「自動給茶装置付き寿司コンベア」の開発などで知られ、業界シェアは60%に上る。 直営店「くるくる寿司」のオーナーでもあった。

名古屋から出張してきた同僚は、昼食は必ず回転ずしに行こうと懇願したものである。名古屋にも回転ずしはあるのだが、「まずくて値段が高い!」。金沢の回転寿司は旨くて安いと好評だった。
こんなことを書いていたらブリすしが食べたくなった。

2018年1月21日日曜日

漁師町の文化

輪島市の海女は九州松浦がルーツだという話を聞いたことがある。1000年以上の伝統を受け継ぎ現在に至っているのだが、神事なども独特な文化を承継している。
〇起舟祭
一年の漁の始まりを告げる神事「起舟(きしゅう)祭」が十一日早朝、漁師町の輪島市輪島崎町と海士町であり、漁師らが豊漁と安全操業を祈願した。

輪島崎町の輪島前神社では午前四時半ごろから、かみしも姿の漁師が続々と参拝。お初穂(玉串料)を供えた後、地元の中学生から、輪島塗の朱塗り棒についた幣(ぬさ)でおはらいを受け、小学生からのお神酒と御供米(おくま)の振る舞いで身を清めた。

参拝した漁師たちは、雪が降り積もる中、家紋付きのちょうちんで足元を照らしながら、神社近くの輪島港へ。係留する持ち船や漁場の方向を向いて、かしわ手を打ち、一年間の海上安全を願った。


両地区では起舟祭を終えるまで漁に出ないことから、この日は漁師の「元日」ともいわれている。漁師歴四十年以上の二木利勝さん(68)は「雪と一緒につきものも落ちて、今年は無事に漁に出られる日が続くといいね」と話した。
〇面様
輪島崎町に古くから伝わる新年の行事。1月14日(おいで面様)と1月20日(お帰り面様)の2回行なわれる。これは、輪島前神社の氏子の各家々の厄除けの神事である。


男面と女面をつけてペアを組んだ小学校6年生が、無言で各家々を回る。各家では丁寧に迎えられ、神棚の前に座り、主人から年賀の挨拶を受ける。
この面様年頭は、「アマメハギ」や東北の「ナマハゲ」に似ていますが、趣が異なるものである。
午前8時30分頃から神社において神事が行われ、その後面様が神社を出発する。見学する場合、少し早めの午前8時頃より神社へ行くと良いだろう。


〇恵比寿講
海の神として信仰される恵比須様に今年の漁の無事と豊漁を感謝する神事「恵比須講祭(えびすこうまつり)」が20日、漁師町の同市輪島崎町で行われた。氏子から選ばれた裃(かみしも)姿の「講番」が木彫りの恵比須像を抱えて町内を練り歩き、来年の豊漁も願った。 


講番の11人は、輪島前(さき)神社でおはらいを受けて出発し、約200軒を海側から順番に回った。合図の太鼓の音が聞こえると、住民は玄関先で出迎え、講番が抱える恵比須像にかしわ手を打って頭を下げた。

巻き網漁などを行う輪島漁業生産組合の坂岸静男組合長(82)は「今年は順調に漁ができた。これからもみんなが無事に操業できるようお願いした」と話した。
恵比須講祭は江戸時代から伝わる年2回の神事で、市無形民俗文化財に指定されている。1月10日の「おでまし恵比須」と、11月20日の「おかえり恵比須」がある。

御神体の持ち回りという文化は、仏教でも御本尊を持ちまわる風習があるが、面様にしても恵比寿講にしても200軒にものぼる家々を回る文化は輪島独特といえる。
それに面様は小学6年と4年生が交代で面を付けて回るという不思議な文化ではある。

〇もっそう祭り
この祭りは輪島であっても漁師ではなく農民の祭りである。
年に一度の贅沢
昔々、年貢の取り立てで苦しんでいた農民が、密かに集まって隠し田で収穫した米を年に一度だけ腹いっぱい白い米を食べたのが始まりとされている。
「もっそう」と呼ばれる木枠を使って輪島塗の朱色の椀に5合の白米を高さ18cmに盛り付ける。

みんなで食べるおかずは、大根・人参・胡麻の酢和え、ごぼうの南蛮味噌和え、わらびの辛子味噌和え、豆腐とメギスの団子汁など。
昔は、一杯8合のご飯を盛っていた時もあった。現在は、5合くらいだがほとんどの人が食べきれずに持ち帰る。
年々、地区の世帯は減少し、現在は15世帯が持ち回りで当番の家を決め、伝統を守っている。

輪島は能登にあるのだが、方言にしても独特のイントネーションがあって、あっ、この人は輪島の人とすぐわかる。
海女の文化遺産登録の動きもあって、輪島の文化は奥深い。

2018年1月20日土曜日

それでも死刑廃止?


今から23年前に発生したオウム真理教による地下鉄サリン事件では、940人が倒れ6人が死亡したという。



1995年3月の地下鉄サリン事件で実行犯を車で送迎し、殺人罪などに問われた元オウム真理教信者高橋克也被告(59)の上告審で、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は19日までに、被告の上告を棄却する決定をした。18日付。一、二審の無期懲役判決が確定する。異議申し立てはできるが結論が覆った例はなく、教団を巡る刑事裁判は95年3月の強制捜査から約23年を経て、事実上全て終結した。

一連の事件では、教団幹部ら約190人が起訴された。松本智津夫死刑囚(62)=教祖名麻原彰晃=ら13人の死刑、5人の無期懲役判決が既に確定。今後は執行の検討が本格化するとみられる。

弁護士一家殺害、松本サリン事件等を含め、オウムとは何の関わりのない人たちが殺され亡くなった。23年も経過しているのに犯人の死刑執行された者は誰もいないというから驚きである。
昨年10月6日、日弁連(日本弁護士連合会)が死刑の廃止を目指す宣言を採択した。世界的に死刑は廃止の流れになっていることが背景にあるとみられ、確かに世界各国のうち約50%は死刑を廃止しており、更に残りの約半数が事実上死刑を過去10年間行っていないのだとか。日弁連は、弁護士が活動をする上で必ず属さなければいけない法律上の組織である。所属必須の組織である日弁連がこうした宣言をして良いかどうかの議論もある。

10月6日、日弁連のシンポジウムで流された瀬戸内寂聴さんのビデオメッセージ では、
「殺したがるバカどもと戦ってください」と語ったという。「人間が人間の罪を決めることは恥ずかしい」とした上で「人間が人間を殺す事は一番野蛮な事」、「みなさん頑張って『殺さない』って事を大きな声で唱えて下さい」、「殺したがるバカどもと戦ってください」といった発言したという。

それまで尊敬の念を持っていた瀬戸内寂聴さんであったが、こんなことを語ったのだという。
被害者の家族はどんな思いでそんな話を聞いただろうか。
今までのイメージが「どうしょうもないばばあ」に成り下がってしまった。

2018年1月19日金曜日

172ℓの灯油購入

年末年始で家族6人が常時家にいたこともあって、灯油の買いだめが底をついたので、昨日は20ℓ缶5個、18ℓ缶4個の灯油を買いに行った。
購入先は高柳のスーパーセンタームサシである。いつも購入者で混雑している。女房が自販機でチケットを買う間に車からカート車に缶を満載して給油場所で並んで待つ。


写真では84円の表示だが、去年の価格だろう。昨日は75円だった。
1カ月ごとに買いに来るのだが、ここ数カ月間は来るたびに値上がりしている。原油価格が上昇しているらしい。家の近くにカナショクがあるが、ムサシより3円ほど高い。200ℓ前後の購入となると1円でも安い場所に流れるのが自然というもの。

資源エネルギー庁が1月11日に発表した「石油製品価格調査」によると、レギュラーガソリンの全国平均価格(1月9日時点)は1リットル当たりで前週比0.2円高の141.9円となった。これで3週連続の上昇となる。昨年の7月3日時点の130.3円をボトムに過去半年で累計11.6円(8.9%)の値上がりになった計算だ。これは2015年7月27日以来となる、約29カ月(2年5ヵ月)ぶりの高値を更新していることを意味する。

国際原油価格の上昇が続く中、日本の原油調達コストは着実に値上がりしており、それがそのまま国内ガソリン相場にも波及した格好である。国際原油相場が急落する以前となる14年前半から中盤にかけての160円台後半は大きく下回っているが、16年3月7日の112.0円を最安値としたガソリン価格上昇のトレンドは維持されており、安いガソリン価格時代の終わりが強く印象付けられる状況になっている。 

シェール原油のパイプラインが破損したことも一因となっているという噂もあるが、30年ほど前、市内のスタンドで200円近い価格のガソリンを入れたこともあったが、そうならないように祈るのみである。

2018年1月18日木曜日

年金受給は何歳からがベターか


15年前、鳴和の社会保険事務所へ年金受給の手続きに行った。「奥様が65才になられるまでは加給年金が付加されます」と説明があった。60才で定年となって、嘱託で仕事を続けることにしたのだが、給与所得があるということで年金受給額は8万円前後。3万円の加給金が付加されてその金額なのだ。

一方、給与は1/3未満に減額された。業務内容は全く変更がないのにだ。
助かったのは、高齢者雇用促進給付金の3万円があったこと。
63才を過ぎるころ、パソコンから視線をそらすと電柱が3本に見えたり、焦点が合わなかったりするようになったので、この仕事をこれ以上続けることはもう無理と考え、64歳で退職することにした。
67才になり加給金給付資格喪失で3万円が減額になりこれがこたえた。

政府が中長期的な高齢者施策の指針とする「高齢社会対策大綱」の改定案で、公的年金の支給開始年齢を70歳を超えても選べる制度を盛り込んだことが17日、分かった。高齢者の就業を促すとともに、年金財政の安定につなげることが狙いだという。


大綱の改定は約5年ぶりで、政府は月内に大綱を閣議決定する方針。その後、厚生労働省で年金の具体的な制度設計を検討し、2020年までに関連法改正案の国会提出を目指す。
大綱改定案は、65歳以上を一律に「高齢者」として扱うことはもはや現実的ではないと指摘。全ての人が意欲や能力に応じて活躍できる社会を目指すとした。
現行の年金の受給開始年齢は原則65歳で、60~70歳の範囲で選べるようになっている。年金受給を早めると受取額が減る一方、遅らせた場合は、受取額が65歳よりも最大4割以上増えるメリットがある。



改定案はこれを見直し、70歳を超えた年齢での受け取り開始も選択できる制度改革を盛り込む。70歳超を選んだ場合は、受取額をさらに上乗せする方針だ。



あなたは何歳まで生きますかと問われても返答に窮する。この表を見ると遅くもらうほどたくさんもらえる数字を見て驚く。
だが、「よいよい」になってたくさんもらっても、ベッドに伏しているようでは全く多くもらう意味がない。

あるアンケート

70~74歳の人であっても過半数が「私は高齢者ではない」と思っているのだ。75才を回るとようやく7割ちかい人が「はい」となっている。
こんなことから、政府の高齢社会対策大綱でいう70歳を超えても選べる制度は、ニーズに合致したものだと云えるのかもしれない。