2024年2月29日木曜日

大学生の孫二人を連れて婿殿がアメリカ旅行に

勤務先から金一封と特別休暇を貰った婿殿が、二人の孫にアメリカ行くか?と聞いたところ、行きたいと返答した彼らは、現在シアトルに滞在している。LINEという便利なツールで、行ったところの写真等を送信してくれた。このシアトルには婿殿の従姉が国際結婚して暮らしているので、そこを頼って行った。ただし、婿殿の女房である娘は仕事の関係で旅行を辞退した。

シアトル

大学4年の孫から、昨日はマイクロソフトとアマゾンを見学する予定だという知らせがあった。シアトルに本拠地を構えるアマゾンの他、世界最大のコンピューター・ソフトウェア会社のマイクロソフトとニンテンドー・オブ・アメリカがシアトル近郊のレドモンドに本拠地を置いていることもあり、シアトルを含めた一帯ではIT関連産業の成長が著しいという。きっといい勉強になるだろう。

会社見学

3月1日に帰国して、上の孫は大学院に進学することが決まってから、すぐ教授から事前にある研究をしろと指示があったというので、2日ほど滞在して名古屋に向かうという。現在1年生の孫も何かと忙しいので同じ日に京都に帰るという。

マイクロソフト本社見学

ということで、もうじいじの相手はしてくれなくなった。幼かった頃は、いろんな所へ連れて行くととても喜んだのになぁ・・・と。

2024年2月28日水曜日

被災漁船の引き揚げ開始飯田港、航路確保で

飯田港で昨日(27日)から、能登半島地震の津波被害で沈没、転覆するなどした漁船の引き揚げ作業が始まった。北陸地方整備局によると、支援物資や復旧工事の資材の搬入、災害廃棄物の搬出に必要な航路の確保が目的。4月中に完了させる方針だ。

みぞれが降り、作業員のかけ声が飛び交う中、漁船「力丸」がクレーン船でつり上げられると、船主の浜野慶弘さん(66)がじっと見つめた。20年以上前に購入し、タラやタイなどの刺し網漁で苦楽を共にしてきた。エンジンに海水がかかり動かなくなっていた。所有する別の船で、3月から漁を再開したいと考えるが、見通しは立っていない。

被災状況

復旧作業

最大4mも隆起したという外浦海岸だが、輪島港でも漁船の移動作業が始まった。しかし、岸壁は海底隆起のため大規模な改築が必要である。漁船が使えなくなり漁師を廃業せざるを得ないという人もあるようだ。生活がかかっているので、漁船を壊すことがないように港外に移動する必要がある。

2024年2月27日火曜日

慈善活動63年、炊き出し数万食の杉良太郎が能登島で炊き出し

先月19日と20日、金沢の1.5次避難所では、俳優で歌手の杉良太郎さんがキッチンカーで炊き出しを行った。昨日は能登島で夫婦そろって炊き出しをしたという。
杉良太郎は慈善活動63年、炊き出し数万食…「売名」批判もまだやまない。だが、いくらなんでも売名目的で40億円は使わないだろう。


昨日は能登島のえの目漁港を訪れた。
1月、金沢市内の1.5次避難所でも炊き出しを行っていた杉さん。今回、地震後初めて能登地方を訪れ、被災者の言葉に真剣に耳を傾け激励の言葉を送っていたという。

杉良太郎さん
「希望を捨てちゃダメだ。諦めるのは半年先、1年先とかでいい。今から諦めるのはないよね」
2月26日は妻で歌手の伍代夏子さんも一緒に参加し、写真撮影に応じるなど被災地のファンと触れ合った。
伍代夏子さん
「はい、お待たせしました!肉うどんの方!」

フアンサービスも満点
女性
「おいしい。出汁もよく出てるし、あったかいし。感謝です。こんな田舎まで来てくださってね。」
「手作りの料理ってあんまり食べてなかったので、おいしい。暗い気持ちになってたんですけど、笑顔になれました。」
伍代夏子さん
「同じもの一緒に食べるとき、ちょっと会話したりとか気分転換があった方が良いと思う。笑い声を聞くと、ちょっとはお役に立てているのかなと、来たかいがあったなと思う」
今日27日は伍代さんが珠洲市で炊き出しを行うということです。

杉さんは東日本大震災でもボランティアに駆け付けた。海外の子供たちにも多大な支援をしている。その爪の垢ほどもない自分が恥ずかしい。

2024年2月26日月曜日

千坂ドッジファイヤーズが6年ぶり優勝!

春の小学生ドッジボール大会で、我等の校下である千坂ドッジファイヤーズが優勝し、全国大会出場権を獲得しました。6年ぶり2回目の快挙となりました。(名称に誤りがありましたのでお詫びし訂正させていただきます)


全国大会は3月31日福岡市で開催されます。是非優勝旗を持ち帰ってほしいと願っています。千坂ドッジファイヤーズは成瀬章宏監督の下、毎週欠かさず千坂小や北鳴中学の体育館で強化練習に励んでいます。

優勝記念写真
成瀬監督
元旦に発生した能登半島地震の影響で予選会場が1.5避難場所に石川県ドッジボール協会の尽力により川北町の体育館で開催する事ができ被災された小木クラブ、鳳至ドッジボールクラブも参戦しての大会
戦う前にうるっと😢しちゃいました。
能登気持ち石川の気持ちを背負って福岡へ行きたいと思います。
地元の学童野球「千坂ファイターズ」も応援に来てくれてとても励みになりました。
今日は千坂のお米で作ったお酒で祝杯をあげます。

優勝おめでとうございました。
校下の皆さん、応援をよろしくお願いします。

2024年2月25日日曜日

たまたま投稿された動画で元実家付近(旧柳田村石井)の被害状況を確認

昨日、youtubeを見ていたら、あれっと思うタイトルが目についた。タイトルは柳田~町野だった。ひょっとしたらと思い見てみることにした。動画の出発点は元柳田郵便局あたりだった。投稿は23日、撮影日は不明だが最近のものだと判断できた。

石井橋から石井坂方面

左手白い建物は本間百貨店。子供の頃は文房具をよく買いに行ったが、薬局も併設されていた。この橋の上からハヤ釣りを楽しんだ。

そして元実家(令和4年12月売却)が見えてきた。玄関回りの引き戸が破損したのかシートが張ってあった。外見しかわからないが、そんなに破損することはなかったようで一安心した。向かいの酒屋さんもたいしたことがないように見えるが、「要注意」の張り紙を張られたという。

坂の上部付近に石垣が崩れているようだ

この石垣左手は諏訪神社の広場がある。三角ベースの野球や鬼ごっこをした場所でもある。

市姫神社前のバス停付近

ここでも外見上は被害がなかったように見える。ストリートビューでは地震の被害状況は分からない。投稿者に感謝である。

2024年2月24日土曜日

校舎が残ったのが奇跡的

 金沢北陵高校の玄関前付近の校舎際ぎりぎりから、斜面が崩壊して1カ月半ほど経過したが、改めて崩落した状況の写真を見た。ここはウオーキングルートで何回も通った場所でもある。その際に確か写真を写したと思い探したところ、2枚ほど見つけることができた。

道路崩落前の北陵高校

この道路左端から急斜面の崖に森本駅直近となる急な階段の通路があった。

通路登り口から斜面の頂上部に校舎が位置する

ここが地震で崩落したのである。

広範囲に崩落した

これだけの大規模崩落なので、復旧工事は長期間に亙る。応急処置として校舎入り口をグラウンド側に設け通学が可能となる策を考え出さなければならない。本当に危機一髪というところで校舎崩壊を免れた。

2024年2月23日金曜日

「まんぷく」と「ブギウギ」

毎朝BSで7時15分から始まる「まんぷく」と、続いて「ブギウギ」が放送されるのを欠かさず見ている。まんぷくは再放送だが、毎日新鮮でたのしく見ている。この番組で特に好演しているのが松坂慶子だ。「私は武士の娘」というセリフが何度もでてくる。現在71歳だが、どんな役柄でも役者になりきった好演を発揮している。


その松坂慶子が、ある対談で番組について次のように語ったという。
 いつもそうなのですが、実は今回も鈴さんという役をどう演じたらいいのか、手も足も出ないと思ったものです。でも、監督から「鈴さんはお母さんだけど、時には娘たちと四姉妹のような感じでもいい」、「振り幅は大きく」「自分がこう思う。ちがう? あそう?と、いろんなものが混在してていいと思いますよ」などとヒントをいただき、鈴さんが出来上がっていったように思います。

 また、鈴さんを演じるにあたって心に浮かんだのは、90歳を超えた私自身の母でした。戦争を体験したこの時代の方は生命力が強く、生きる直感を持っていると思うんですよね。自分の足で生きていかなくてはという前向きさもある。まるで私の母は鈴さんで、私は福ちゃんみたいだと重なる部分がありました。私は福子と同じように「またお母さんあんなこと言って」と思うのですが、思えば母は母で自分の経験値から思ったことを言っているだけなんです。世代が違うからビックリすることもあるけれど、実は一貫して自分の考えを言っている。鈴さんの場合は自分の考えを言うだけで、人の話をあまり聞いていないキャラクターですけど…(笑)。だけど何よりも子どもたちのことを心配しているお母さんでもあります。そんな鈴さんに意見を言わせてくれる娘たちやお婿さんたちも偉いなと感じます。

この番組もそうだが、「ブギウギ」にしても3月でおしまいとなる。おしん以来の朝ドラフアンここにありだ。

2024年2月22日木曜日

家が12mも移動!

地震で12mも家が移動したという。こんな話は聞いたことがなかった。移動したという家の写真を見る限り損壊は免れたようである。移動した場所は河北潟の岸辺に建った住宅である。

住宅の損壊は見当たらないが床は水平ではないように見える

能登半島地震で液状化による甚大な被害が出た内灘町では水平距離で12メートル程度ずれ動いた住宅があることが専門家の調査でわかった。
地盤が大きくずれ動く「側方流動」が起きたためで専門家は「実態の把握にはさらに調査が必要だが、復興には広域的な地盤改良などが必要だ」と指摘している。

地盤基礎工学が専門の金沢大学の松本樹典名誉教授は液状化の被害が出た内灘町の状況を調査していて、20日もメキシコの研究者とともに現地を訪れた。
松本教授によると、これまでの調査で町北部の室地区では水平距離で12メートル程度ずれ動いた住宅が確認されたほか、大量の土砂が流れ込み、地区にある水路を塞いでいる場所もあるという。


松本名誉教授は「液状化の被害でここまで動いたケースを見るのは自分の経験上初めてでショックを受けた。復興に向けては1軒ごとの対策ではなく大規模な地盤改良など広域的な対策をとる必要がある」と指摘している。

液状化の被害を受けた内灘町は被災地の再建には大規模な地盤の整備が必要となるとして、一時的な住民の集団移転を検討している。
対象となる可能性があるのは宮坂、西荒屋、室の3つの地区のあわせて700世帯あまりだという。

今朝は内灘にある金沢医科大病院へ行ってきた。このあたりでは地震の被害は見られない。わが家から数百m以内にある北陵高校の地山が崩壊し、建物が使用できなくなっている。地震の被害地は不思議に思う。わが家の棚の上から転げ落ちたのはスプレー缶1個のみだった。地盤の揺れは摩訶不思議である。

2024年2月21日水曜日

やがて終列車が到着する頃

能登線日和という写真集が手元にある。この写真集は能登線が廃止された平成17年3月に発行された(著者湯浅啓)。その中で思い出がいっぱい詰まった1枚がある。トンネルに入った終列車がやがて白丸駅に到着という場面である。


昭和37年、国鉄は宇出津・松波間の開業を目指して鋭意この付近で軌道工事を進めていた。その工事の監督員を務めていた時だった。

白丸駅付近レール敷設工事

昭和38年10月開業前日に白丸駅にも国旗を掲げた。


湯浅啓氏の写真集を眺めているとなぜか涙が滲む。

2024年2月20日火曜日

えっ、「垂水の滝」が海底隆起で一変だと?

新聞記事(朝日)の見出しでえっ、そんな馬鹿なと思った。あの垂水の滝が海底隆起で風景が一変し、あたりは異臭が立ちこめているという。
山から注ぐ滝が直接海に流れる珍しい光景で知られる落差約35メートルの「垂水の滝」。能登半島地震の影響で、滝が流れる先の曽々木海岸の海底が隆起し、風景が一変した。

地震前の風景

この海岸付近で泳いだ後はこの滝に打たれ体を洗ったものだった。海岸は、海藻などが乾燥し、隆起した海底の岩場が真っ白に変色したという。岩の間などにたまった海水からは、魚が腐ったような異様な臭いが立ちこめているようだ。
滝のそばで飲食店「滝見亭」を営む女性(67)によると、滝を見るために整備された遊歩道も、土砂崩れでほとんど壊れてしまったという。遊歩道は土砂でぬかるみ、歩くのもやっとの状態だった。

地震後、海岸が隆起し異臭が

付近では、冬の訪れとともに強風で海岸に打ち付けられた波が泡立つ「波の花」も見られた。女性は隆起の影響を受けた海岸を見て、「海も波の花も遠くなってしまったね」とため息をもらす。
垂水の滝は、強風であおられると、滝の流れが上空に吹き上げられる「逆さ滝」としても人気を集めていた。女性は「滝も海岸も見る影もない。店の再開も見通せず、どうなるのか……」と肩を落とした。

下時国家がぺしゃんこに潰れ、窓岩が消えた。そして垂水の滝も・・・
そんなこころの風景が消滅してしまうとは・・・

2024年2月19日月曜日

金沢スタジアムこけら落とし

昨日は金沢新サッカー場のこけら落としとして、ツエーゲンとJ3のカターレ富山富山チームが対戦した。試合はどうしたことか1:4と大敗したが、初陣に8566人が大いに沸いた。


ツエーゲン金沢の新たな本拠地、金沢ゴーゴーカレースタジアムでこけら落としとなるオープニングマッチが開催された。
今シーズンからツエーゲン金沢の新たな本拠地となる「金沢ゴーゴーカレースタジアム」は北陸初のJリーグ規格のスタジアムである。


サポーター
「眠れないぐらい楽しみにしてました。復興の灯火的な存在になることを自分としては願いたいと思います」
「暗い気持ちで応援してもしょうがないので気持ち切り替えて全力で応援したい」
また、スタジアムには能登半島地震で被災した珠洲市や能登町の子供たちも試合観戦に訪れたほか、試合前には選手による募金活動が行われた。

会場は素晴らしい

ツエーゲンは2月25日にリーグ戦初戦を迎え、本拠地最初の公式戦は3月3日。昨日はTV観戦だったが、そのうち新スタジアムで応援したいと思っている。
テレビで紹介されたスタンド客席のほか、ガラスで仕切られた内部の応援席や、各種施設の充実ぶりに目を瞠った。実際そこに入って見学したいと思っている。


2024年2月18日日曜日

光陰矢のごとし

娘たちが還暦のお祝いをしてくれたのは、もう21年も前の出来事になった。和倉のあるホテル最上階の半分を貸し切りにしてくれて お祝いをしてくれた。

孫1号は1歳半だった

赤いチャンチャンコに赤い帽子を身に着けるとき、何だか抵抗感が湧いた。60歳になったとはいえ、気はまだまだ若かったのである。還暦という言葉は年寄りというイメージが強かった。

それから孫が二人に増え、11年前の70歳の時に孫たちを連れて東京へ旅行した。孫たちはお台場やスカイツリーではとても喜んでくれた。

お台場で

ホテルは思い切って一流ホテルに泊まることにした。ホテルでは孫たちがバイキングで自分で選んで皿に盛ってきた。料理の選別眼が何と素晴らしい!と思った。

あれから10年が過ぎ、孫たちは上が22歳、下が19歳の大学生になった。二人の孫たちはもう自分の意のままに動くことはなくなってしまった。そういえば、金婚式のお祝いをしてもらってもう5年が過ぎた。まさに光陰矢のごとしだなぁと。

2024年2月17日土曜日

53年前の新日本紀行御陣乗太鼓に痺れた

NHK昭和46年「新日本紀行」で御陣乗太鼓の模様が放送された。53年前になるが、見ていた場所は広島だった。筋骨隆々とした北岡周治さんのお父さんの太鼓を打つ姿に魅了された。昨年まで保存会長をされていた北岡周治さんはまだ13歳前後だったことになる。翌年、職場の者2人を連れて奥能登旅行をしたのだが、名舟に寄り急な崖の上にある集会所で御陣太鼓の実演を見た。

その北岡さんは能登半島地震で金沢に避難されているという新聞記事を見た。記事には太鼓は町内の者しか打つことができないという厳しい掟が今も継承されている。

御陣乗太鼓

太鼓や400年以上受け継がれてきた面など一式は浅野太鼓楽器店(白山市)に「避難」。同店の好意でスタジオも稽古場として利用できることになった。7日、保存会のメンバーが久々に集まった。熱のこもった練習を終え「本当に気持ちいい。これやからやめられん」と北岡さん。その隣で弟の江尻浩幸さん(63)は「体力が落ちとるなあ。でも新たな一歩や」と汗を拭った。

門外不出の伝統芸能
世帯数が70を割り込んだ小さな名舟町で、男衆だけに伝わる門外不出の伝統芸能。行儀が悪いとちゃぶ台をひっくり返して怒った父でさえ、箸で茶わんをたたく太鼓のまね事は許したという。「名舟の誇り」はこうして受け継がれてきた。

北岡さんは輪島市内の妻の実家で20人以上の親族と正月を迎えた。午後4時過ぎの地震は、まさに乾杯の直後に起きた。避難先を転々とする中でも、太鼓のことが心配だった。御陣乗太鼓会館に収められた一式に損傷がないと分かった時はほっとしたという。

久しぶりに兄弟で練習した北岡さん

北陸新幹線が県内全線開業する3月16日は金沢で祝い太鼓を披露したいと願う。名舟大祭の舞台は土砂で流され、開催できるかどうかは分からないが、「やはり祭りで海に向かって奉納したい。一人でも行ってたたきたいわ」と北岡さん。故郷で御陣乗太鼓を響かせることが、被災地を元気づけることだと信じている。

北岡さんの子供さんも御陣乗太鼓を打つようになられたという。親子そろっての熱演が是非見たいと思っている。

2024年2月16日金曜日

網走流氷の危険行為頻発

中国から日本へやってきた中国人旅行客がドッと増えたという。今年は網走に流氷が接岸するのが随分と早かったようだ。昨日、ニュースを見た中で「流氷シーズン到来 観光客の危険行為相次ぐ」とタイトルを打ったニュースに見入った。

一面の流氷の中を進む観光船。船の上から間近に流氷を楽しめることから人気を集めていまる。
観光客:「
こうやって目の前で見ると流氷のダイナミックさというか、壮大な光景を目にできて、すごく感動しています」。

網走では先月22日に、平年より13日早く流氷が接岸し、本格的な流氷シーズンを迎えた。来月上旬まで見頃の流氷。しかし、こんな危険な行為が見られた。中国からの団体客とみられる集団が姿があった。

撮影者「こんなにもたくさんの人が乗っているのは、初めて見たので。ちょっとびっくりして。(ドライ)スーツではなくて。危ないっていうのを知らない状態で、乗っているんだろうなと」

撮影者が大きな声で注意すると、流氷から降り、岸へ戻ったという。
■危険性知らず…海に落ちたら“15分で絶命”
海上保安署は警察と協力し、ポスターなどで注意喚起しているが、危険性を知らずに流氷に乗る人が後を絶たないという。
網走海上保安署 梅本哲也次長
「一見、動いていないように見えても、常に流氷は動いております。この流氷の上に乗って、そのまま沖に流されるということもあれば、そこから落ちるということもございます。(海に落ちて)15分経つと、低体温症を起こして意識が遠くなって、死に至る可能性があります。大変危険な行為ですので、決してなさらないように」 

この記事を見て、26年前、網走港から砕氷船に乗り知床半島までびっしり流氷で覆われた景色を堪能したことが蘇った。

網走市内方面の陸地
平成10年3月の旅行では知床半島まで流氷の平原が続いていた

懐かしい思い出を連れてきてくれたニュースだった。

2024年2月15日木曜日

早く上下水道復旧をと言われても

地震発生から今日で6週間余が経過したが、上下水道復旧の見込みが立たないという。上下水道管は道路に埋設されており、各家庭に分岐されて上水道では元栓が設置されている。ここまでが公共の事業である。輪島市では、現在もおよそ1万戸で断水が続き不自由な暮らしを余儀なくされているという。

水道管復旧工事

現地の水道復旧を支援するため、全国各地から行政区域ごとに応援部隊が派遣されている。高崎市は、市の水道局の職員や地元の水道工事業者、合わせて9人を派遣することになり、13日に出発式を開いた。この中で、高崎市の富岡賢治市長が「現地では生活に欠かせない水道が止まった状況が続いている。地震が続く中、十分注意して支援にあたってほしい」と激励した。

各家庭の止水栓等は倒壊家屋の撤去が済まないと着手
できない。
しかし、幹線道路に埋設されている上下水道管の復旧工事は問題なく着工できるが、幹線以外の道路は倒壊家屋の始末が終わらないと止水栓設置は困難である。このことから、まだまだ水道復旧は長引きそうだ。

2024年2月14日水曜日

MRO力作「あばれ祭り」が準グランプリ賞受賞!

MROが制作した「あばれ祭り」の番組が全国35番組中の準グランプリに輝いたという。昨年にこの番組を視聴したことがあったが、全国各地35か所の行事を放送局が意地をかけて制作した中の作品だとは知らなかった。取材能力の高さが証明された。おめでとうございます!

みこしを火に投げ入れるクライマックス

大炎の中で暴れの限りを尽くす“あばれ祭” 被災地・能登町の伝統祭礼に密着した番組が全国35番組中 準グランプリを受賞!全国各地の祭りの魅力を映像として発信し、地域の活性化をはかる活動「日本の祭り」で、MROが制作した能登町宇出津の「あばれ祭」を取材した番組が準グランプリを受賞した。

 
川の中で神輿を担ぐ能登の男たち
2003年に始まった「ダイドーグループ日本の祭り」では、全国の民間放送局が、各地の祭りをテーマにした独自のドキュメンタリー番組を制作・放送している。今年度の35番組のうち、MROが制作した能登町宇出津のあばれ祭を取材した「暴炎(ぼうえん)の祭り」が準グランプリを受賞した。

審査員からは「ハードな祭りに命を懸ける青年のロマンと迫力がダイナミックに表現されている」「手に汗握る力作」などと評価された。

MROの取材能力の高さが証明された。今後の益々の活動に期待したい。

2024年2月13日火曜日

千枚田復活に強い味方が支援の名乗り出

千枚田の被害は深刻な状況である。急傾斜地にある田んぼの2000枚前後が海岸線まで続く景観は多くの観光客で賑わってきた。

至る所に大規模な亀裂が発生した

能登半島地震で大きな被害を受けた千枚田などの世界農業遺産「能登の里山里海」や伝統文化の復旧・復興について、宮城県大崎市の伊藤康志市長が2日、支援に協力する考えを明らかにしたという。

復旧工事は難航必至

同じ世界農業遺産で地元に広がる水田農業地帯「大崎耕土」を活用するための関連会議で示した。能登の里山里海は2011年、国内で初めて同遺産に認定された。大崎市などは、能登を「兄貴分」(伊藤市長)として参考にしながら、東北地方初の認定を目指し、17年に念願を果たした経緯がある。

大きな亀裂

伊藤市長はこの日、市役所で開かれた会議で両地域のつながりに触れ、「一日も早く復旧の手伝いを行い、里山・里海が復元されることを望む」と力を込めた。会議メンバーの郷古雅春・宮城大教授は、宮城県内の酒造会社が今回の地震を受け、現地の酒蔵に残ったもろみを搬出して代理で造るようになった実際の支援を例示。「農業遺産では能登は大先輩。仲間としてできることを少しでもやっていきたい」と述べた。

何とも心強い名乗りである。これが引き金となり支援の輪が広がることを期待したい。
また、地元ではクラファン募集で資金を募っている。支援の輪が急速に拡大している。いいねぇ!

2024年2月12日月曜日

伊吹山3合目

アルバムを見ていたら伊吹山の三合目で青年部活動の写真があった。伊吹山三合目の広場でフォークダンスをしていた場面だった。伊吹山は岐阜県と滋賀県にまたがっているが、岐阜市からそんなに遠くはない。三合目は意外と広く緩い傾斜地の広場がある。

マイマイマイ 前行って横ちょん・・というリズム

組合青年部の活動だった。独身時代を謳歌した当年とって23歳の頃。ここから琵琶湖の眺めが素晴らしい。

参加者はザっと100名前後か(大勢いたもんだ!)

3合目から琵琶湖の眺め

伊吹山は家族4人車で頂上まで行ったことがあったが、風が強くて雨が降る悪天候に見舞われ車から降りずに下山した。あの時からやがて60年が過ぎようとしている。トホホだ。

2024年2月11日日曜日

間垣の里大沢町住民の苦悩

ヘリで孤立した住民が救出されるニュースを見たが、ある新聞記事でそれは間垣の里大沢町の住民だったことを知った。
その二次避難先は約160キロ離れた加賀市のホテルだという。
谷内さん夫婦など集落の一部の人は、自宅から約160キロ離れた県南部の加賀市にあるホテルが二次避難先となった。谷内さん夫婦より高齢で、これまで集落の外で生活したことがない人も多いという。

朝ドラ「まれ」の家があった間垣の里大沢町

ある避難民は、「ホテルにいられることは本当にありがたい。でもみんな帰りたがってる。(集落では)畑もあり海もあり家もあり、それで生活できていたけれど、今はそれもない。高齢だと避難先で働くこともできないし、気持ち的にも金銭的にも問題が出てくると思う」
期限は「3月上旬」と決められており、次の行き先をどうするか決断迫られるという。
このホテルでの二次避難者の受け入れは3月上旬まで。県からは、公営住宅を含むみなし仮設住宅などへ移る提案がされた。

国道は寸断された

避難民のある女性は、「仮設住宅への移動については若い家族の判断に任せる」としながら、こう胸の内を話した。
「立派なホテルにいても、自分の生まれたところに帰ることばっかり考えて今まで過ごしてきました。なんとかしてでも自宅に戻って、また畑でも行けば気も晴れるかなと」「人口が少ないので(道路の復旧は)一番最後でないとダメじゃないかなと、それが不安」

住民全員ヘリで避難

大沢町は依然道が塞がったままで、住民は困惑している。
「みなし仮設に移るとしても、バッグ1つで避難してきたので身の回りのものが何もない。今後私たちの集落でも、物や車を取りに帰ることができるようになるのか、全く情報がない。せめて帰省していた子供たちの車だけでも外に出してやりたいけれど…」


孤立した集落に何もかも置いて避難した住民にとって、今最も知りたい情報は「いつ帰ることができるのか」ということである。簡易的な復旧であっても「どのくらい進められているのか」「いつ頃であれば集落に出入りできる可能性が出てくるのか」といった情報があれば、先行きが見えない不安が軽減され、将来を考える道筋にもなるかもしれない。

一日も早い道路復旧が望まれる。