2024年3月31日日曜日

国民の意思を無視:静岡県に何のメリットもないリニア断固反対?

あの川勝知事が、これまでリニア中央新幹線建設工事の妨害を続けた結果、JR東海は27年に予定していた品川名古屋間の開業を断念したという。

JR東海 丹羽俊介社長:
「残念ながら品川―名古屋間2027年の開業は、実現できないと考えているところでございます」
当初目指していたリニア中央新幹線の「2027年の開業」の断念することを発表。いつ開業するのか「未定」となってしまった。
リニア中央新幹線を巡っては、これまで静岡工区の掘削工事について「自然環境への影響が考えられる」などとして静岡県が着工を認めず、去年12月には、開業時期を「2027年以降」に変更。
その後も、着手の見込みが立たないことから、今回2027年の開業を断念することを決めたという。


私は現役時代、山陽新幹線建設や金沢高架化プロジェクト等の業務を担当していたので、この川勝知事の執拗な反対運動に怒りを感じている。

掘削で湧き出す水は県民の「命の水」だとか、すべて大井川に帰せとか、東京電力のダムの水は大井川に合わないとか、ああいえばこういう・・・と反対、反対なのだ。それもルートはほんのちょっぴりだけの静岡県である。


なぜ執拗に反対するのか理由について、静岡にリニアの駅が設置されないことや、新幹線のぞみの停車をさせろとかがあるという。
このほかにもまだまだ反対理由があるという。
そんな知事を支持している県民性が不思議に思うのは自分だけだろうか。

2024年3月30日土曜日

能登商船七尾・宇出津航路があった頃

昭和30年3月、宇出津港から初めて能登商船に乗って七尾港へ行った。これが能登商船との最初の出会いだったが、実家に帰るときに必ずこれを利用したわけではない。船はそんなに大きいものではなかった。客室は畳敷となっており、だいたい寝ころんでいる人が多かった。自分はほとんど2階の椅子席に座った。所要時間は約3時間ほどだった。

就航していた「くれない丸」

この頃、宇出津港には杉の丸太がうず高く積まれており、木炭も山積みされていた。冬場は宇出津~穴水間の省営バスが不通の場合も利用していた。高校1年の時、夏休みに入ったので金沢から実家まで自転車で行くことにした。ところが、国道は砂利道で轍のへこみがそこら中連続しているため、思うように進まないので、七尾港から宇出津港まで能登商船に乗ることに変更した。宇出津から実家まで約10kmを自転車で行った。

能登商船発着場(現在の食祭市場付近)

この商船航路は穴水・蛸島間の鉄道開業や、道路網整備が進み、昭和57年その役割を終えた。そんな経験をしてからもはや70年を過ぎようとしている。
ポンポン船の音があちこちで響いていた光景がなつかしい。

2024年3月29日金曜日

戸田投手が投打で光った

昨日の第一試合は準々決勝戦、星稜対阿南光は星稜が5:0と勝利したが、終始安心してみておれた。今日は休み、明日準決勝戦が行われる。
昨秋の明治神宮大会を制した星稜が5―0で阿南光(徳島)に零封勝ちし、準決勝に進んだ。背番号「18」の戸田慶星投手が完封したことが光る。


星稜は過去に準々決勝を4度戦ったが、いずれも敗れており、初の4強入りを果たした。石川県勢の春ベスト4入りも初めてなのだ。
阿南光は春夏通じて初の準決勝進出はならなかった。
星稜は第10日(明日30日)第1試合の準決勝で健大高崎と対戦する。

投打で大活躍した戸田投手

星稜の戸田が2安打無四球で完封した。ストライク先行でテンポ良くアウトを重ねた。打線は一回に萩原の適時打で1点を先取。二回は長短打4本を集めて3点を加えた。阿南光は先発の大坂が二回途中4失点。吉岡は好救援したが、打線が援護できなかった。

※ちょっといい話
●能登の思い託され、「被災地代表」原動力に被災地への思いを原動力に、石川県勢初の春4強入りを果たした。28日、阿南光を破り、準決勝進出を決めた星稜。試合前、主将・芦硲(あしさこ)晃太選手のもとには1回戦で敗れた航空石川主将・寳田(ほうだ)一慧(いっけい)選手からメッセージが届いていた。「絶対に優勝してくれ」。思いを託されたナインは「石川は負けない」と奮起し、快勝で新たな歴史を刻んだ。

芦硲選手のLINE(ライン)に寳田選手からメッセージが届いたのは、航空石川が敗れ、星稜が8強に進んだ25日夜だった。芦硲選手は宿舎でスマホを確認し、「任せとけ」と返信。さらに、夏の甲子園を見据え「これからは同じ県のライバル。お互いに頑張っていこう」と伝えた。

2024年3月28日木曜日

春がそこまで来てるよ

昨日も好天だったが風が強よかった。ウォーキングに出かけようとドアを開けると、家の前の鉢植えに目が止まった。姫こぶしの蕾が膨らんで少しだけはじけていた。

青空と開花し始めた姫こぶし

これより先に梅に続いてアンズが満開になった。しばらく南に歩くと公園にさしかかった。ここでは週末に町内の花見が開催される。

満開はあと数日くらいか

町内の花見は数年前から実施されるようになったが、参加者の多いのには驚きである。テント数張りを設置して老いも子供も大いに楽しんでいる。

平成30年3月開催の町内花見

これだけ参加者が多ければ町会のもくろみは十分果たされる。しかし町会役員や班長総出で準備後片付けをしなければならない。それを束ねる人は町会長に他ならない。
今回も町会役員のみなさんにお世話になりますが、よろしくお願いします。

2024年3月27日水曜日

カメラの写真データ騒動

 今日は朝から青空が晴れ渡った。12月から今月末までグラウンドゴルフは休止することになっていたが、3月に入って天候が良ければ開催することに変更されたが、昨日、クラス会から帰ってきて写真の整理をし、データを出席者の皆さんに送信するため、パソコンに保存したものの、送信メール欄に不都合が発生したため、とうとうグラウンドゴルフは欠席となってしまった。

それと、LINEを使っている者が一人いて、写真を送ってくれと要望があった。先ず、パソコンにカメラのカードからデータを取り込み、スマホにデータを貼り付ける作業を始めてみたものの、あれこれ試行錯誤しながらようやくLINEに取り込むことに成功した。早速添付し送信したら、すぐにお礼のLINEがあった、本当に便利なツールができたものである。

これは便利だ

幹事あてにPCメールしたが、送信用ファイルが表示されなくなりこれには往生した。試行錯誤を繰り返して、どうにかデータを送信することができたのは先ほどである。幹事によると、クラスメイトのアドレスが変わっている者もあるためお手上げだという。そんなに急ぐことでもないので、ゆっくりやろうということにした。

2024年3月26日火曜日

中3のクラス会

 昭和30年3月までクラスが一緒だった仲間が、昨日、湯涌温泉やましたに8人が集合し、クラス会を開催した。湯涌温泉での開催は初めてだった。旅館は湯涌街道のどんずまりで、対面に総湯がある。やましたは、竹久夢二が逗留した宿として有名。

夢二の記録も展示されている

風呂も満足(露天風呂も楽しんだ)

前回は4年半ほど前に山代温泉山下屋で開催した。この時は12名が参加したが今回は8名になった。

開催後、間もなく亡くなった者も

はるばる高槻からかけつけた人は欠席ゼロの実績
東京近郊からも毎回参加者あり

宴会終了後は残りの料理をついばみながら、11時頃まで8人全員が大笑いしながら楽しい時を過ごした。
次回もやるぞとの声に幹事の顔が一瞬ゆがんだように見えたが、「よしやるぞ!」と声を合わせた。昭和30年にばらばらになったが、それから69年を経た今でも旧交を温めるパワーは我ながら凄いと思った。

2024年3月24日日曜日

まだ優勝の可能性が

昨日の大の里だが、実に堂々として大相撲経験10年目のようにふるまっているように見えた。
大の里が小結阿炎を破って11勝目を挙げ、逆転優勝に望みをつないだのである。今日の千秋楽は大関豊昇龍と対戦する。1差で首位に立つ尊富士は朝乃山に敗れ、右足を負傷。大卒1年目、デビュー6場所目の23歳は「優勝」の2文字を意識しない無欲の相撲を貫く姿勢で「目の前に置かれた明日の一番を全力でやるだけ」と力を込めた。

突進してきた阿炎をはたき込み

目の前で尊富士が朝乃山に敗れるのを見届けても心は揺れなかった。阿炎の突き、押しに後退したものの、冷静にはたき込んだ。これで今場所4人目の三役撃破
千秋楽は先に土俵に上がる尊富士が敗れた場合、優勝のチャンスが残る。対する豊昇龍には0勝1敗。雪辱を果たせば、優勝決定戦が控える。
「12勝するか、11勝で終わるかは自分次第」。大の里は自らに言い聞かせるように語り、支度部屋を後にした。

今日の千秋楽、大の里の優勝が成りますように・・・と祈ろう。

2024年3月23日土曜日

小松駅~空港間自動運転バス就航

社会インフラであるバス業界の運転手不足が深刻化しているという。業界団体の日本バス協会が2023年9月に発表した試算によると、2030年に約3万6000人の運転手が足りなくなるという。人手不足解消の切り札として期待されるのが自動運転技術である。ただ足元では実証実験中の事故が相次いでおり、実用化までの道のりは遠い。社会インフラの維持のためにも、実用化レベルに耐え得る技術の開発が急務である。

こうした中、小松市では空港まで自動運転に踏み切った。


JR小松駅と小松空港を結ぶ新たな交通手段として、2020年度から整備されてきた自動運転バスのお披露目式と試乗会が今月3日、小松市の科学館「サイエンスヒルズこまつ」で開かれた。市は陸と空の玄関口の利用を促進し、バス運転手不足の解消にもつながると期待している。


東京オリンピックでも、選手村と会場間の無人バスが運行していたが、接触事故やバスのトラブルが続発した。しかし、これらの問題もクリアーしたとみなして正規運行するに至った。その後、問題が発生したという話はない。当分の間は運転手を座らせて運行状態を見極め、安全が確認出来たら運転手は乗務しなくなる。

2024年3月22日金曜日

雪がちらつく日だが・・・

彼岸も過ぎて春だとはいえ、昨日は、日本列島が寒気に包まれた。金沢でも雪がちらほら舞っていたが、兼六園では1週間まえから雪吊りの撤去作業が始まっている。そんなニュースに触れると、あぁ、もうすぐ春だな・・・という気持ちになる。

重そうだ

兼六園では21日、園内随一の枝ぶりを誇る銘木の雪吊りを外す作業が行われた。
兼六園では1週間前から園内およそ800か所の樹木の枝に冬の間施されていた雪吊りの取り外し作業が行われている。最終日の21日は専属の庭師や造園業者らが園のシンボルとなっている「唐崎松(からさきのまつ)」と「玩月松(がんげつのまつ)」にくくられていた縄を外していった。


昨日で作業終了

兼六園管理事務所によると、兼六園来訪者は最近減少傾向にあるという。風評被害で観光を取りやめている人がかなりありそうだが、徐々に回復に向かうことだろう。

2024年3月21日木曜日

ザンバラに宇宙遊泳させられた大関

昨日の大相撲結びの一番、大の里・貴景勝戦で、郷土出身力士の大の里が大関を降したのだ。土俵際で突き放した瞬間、あの貴景勝が宇宙遊泳するかのように空中をさまよったのである。何と小気味のいい勝ちっぷりだろう。さすが大の里、大器の片鱗を見せつけてくれた。

勢いよく突き放した

で、何と、めったに見られない力士の宇宙遊泳があったのである。

宇宙遊泳の貴景勝「下にか、観客が・・・」

観客と衝突しそうになったが、幸いなことにぶつかることはなかった。
それにしても大の里のこの勝ちっぷりはそんなにあるものではないだろう。いい相撲を拝見することができた。今日も楽しみだ。頑張れ大の里!

2024年3月20日水曜日

町内の根性よし「おたすけ隊」

町内の「おたすけ隊」が広域のおたすけ隊になって8年目になるが、先だって北國朝刊に大きく記事が掲載された。隊長の中山さんは町会長歴7年のベテランだが、現在も1月から副会長として活躍されている。

その記事をコピーしA4印画紙にプリントして本人にお渡しするために手元にあるが、天候が回復次第お渡ししようと思っている。

この記事で隊長と副隊長のかけあいが面白く紹介されているが、この二人はどこへ行っても掛け合い漫才的にやりあっている仲間である。

そして昨日の夕刊に再び中山さんの記事が掲載された。


中山さんと一緒に校下町連発足50周年記念誌を編纂する作業をしたことがあるが、校下内の一般企業の調査を依頼した際に400社を2,3日で訪問された。これには驚いたのだが、町会長をやられている際には、盆踊り大会の寄付金募集を一人で200か所を回られたという。そのパワーに驚くばかりである。

おたすけ隊は校下内を活動範囲としているが、隊員は殆ど吾が町内の住民である。正に根性よしの住民たちである。

2024年3月19日火曜日

金沢イオン裏手の住宅で火事

 昨日の午後、国道8号線からやたらと消防者のサイレン音が鳴っていた。どこが火事なのかは見当がつかなかった。が、今朝の新聞で、隣町の福久だということが分かった。そして今朝、通院している外科クリニックへ向かう途中、金沢イオンの裏手付近に写真に掲載されていた家がチラッと見えた。なんでも、87歳の女性が一人暮らしをしていたようだ。

消火作業中の住宅

18日午後0時半ごろ、金沢市福久町の大﨑静子さん(87)方から出火、木造平屋建ての天井や壁などを燃やし、約1時間後に消し止めた。焼け跡から1人の遺体が見つかり、金沢東署は連絡が取れていない大﨑さんの可能性があるとみて身元の確認を急ぐ。

署と市消防局によると、大﨑さんは1人暮らし。隣家の外壁に延焼しており、署などは19日に実況見分して出火原因を調べる。119番通報した付近の70代男性は「煙が見え、家の中から火が出ていた。呼び掛けたが誰の返事もなかった」と話した。

福久町はわが家の隣町に位置する。どうしたら緊急的な情報が得られるのか不安を覚えた。


2024年3月18日月曜日

今朝の外科クリニックも混んでいた

今朝8時半過ぎに外科医に向かった。実は一昨日の深夜に、トイレに行こうと起き上がろうとしたときに事件が起きた。足が滑って転倒し、後頭部を何かにぶつけてしまった。夜明けを待って外科医に行った。後頭部を打ち付けた際に浅い穴が開き、出血もしていたが間もなくして止まり、かつ痛みもなかった。

早く治してウオーキングしたい

土、日を過ごし今朝また診てもらった。ガーゼを取って手当の後に再びガーゼを当てて「明日また来なさい」と指示を受けた。これくらいの傷でちょっと大げさ・・・と思うのだが、そうではないようだ。いつものパターンと違うことは、診察後に薬局で藥を貰う必要がなかったこと。

それにしても最近は医者通いが増えた。今週中に再び医科大へ薬を貰いに行かねばならない。いっこうに全身の痒みがなくならない。白内障の手術も1か月後に両眼とも受けなければならない。ま、それなりの「年」になっているので「シャーナイ」か。

2024年3月17日日曜日

各県応援職員用の宿泊施設が能登空港に

能登半島地震の各都道府県の応援派遣職員が県内各市町村の復旧業務に当たっているが、旅館やホテルが全壊となっているため、宿泊用の施設を能登空港に設置するという。これは素晴らしいアイディアだと思われる。
広い駐車場もあり、遠方の職員には羽田まで直通の交通手段も利用できるので好条件である。

能登空港で、復旧作業にあたる人たちの宿泊場所を確保しようと県が、宿泊施設の建設を進めている。 能登半島では多くのホテルや旅館が被災し、復旧や復興を支援する全国の自治体職員らの宿泊場所が不足している。今回、設けられる仮設の宿泊施設は、プレハブとコンテナの2つのタイプで、合わせて16棟に134人が宿泊できるようになるという。

敷地は有り余るほど十分だ

平成15年5月 孫を連れて能登空港の見学に行った思い出の場所である

各市町職員は多忙を極めており、応援職員におんぶにだっこの状態である。応援の職員の皆さんに職務の疲労回復を少しでも早く快適に過ごしていただく場所として、早期完成を願うばかりだ。

2024年3月16日土曜日

「しらさぎ」と「サンダーバード」のラストラン

 泣いても笑っても昨日限りの、サンダーバードとしらさぎの写真を撮影しに、金沢駅に行ってきた。森本駅から金沢駅まで電車で往復した。今日からはJRの駅員がいなくなるという話だったが、実際はどうなのか確認していない。

さて、話を本題に戻そう。昨日はホームで写真を撮る人が非常に多かった。この案内板もこの日を以て大幅変更となる。

いつも見慣れた改札口 今日から表示板が大幅に変更された

平日なのにコンコースでは人の波

米原行きしらさぎ号間もなく発車

ホームは写真マニアの群れ

しらさぎが行っちゃった

続いてサンダーバード入線

やがて発車していった

和倉温泉駅ではサンダーバードのお別れ出発式が行われた。

新幹線開通で関西方面の客には不便になった例だろう

しかし、福井では観光客が3割増だという。まぁ、よしとするか。

2024年3月15日金曜日

今日で見納めのため金沢駅に

明日から金沢・敦賀間の新幹線開通に伴い、金沢発着のサンダーバードやしらさぎが本日をもって廃止となる。そんなことから、ラストランの記録写真を残そうと思い立ち、午後からカメラを下げて金沢駅に行くことにした。先日発売されたサンダーバードとしらさぎの特急券はあっという間に完売となった。

本日の特急券を手にしたマニア

しらさぎについては先日ブログで思いを綴ったが、サンダーバードは七尾線に乗り入れ和倉温泉まで運転する列車が1本あった。敦賀で乗り降りして金沢で乗り換えとなる客にとっては不便が増す。新幹線が大阪まで開通すればそんな問題はあくなるのだが、果たして全通はいつのことやら・・・・


午後から金沢駅へ行くことにした。
いつの日か撮った写真を眺め、「あの時は便利だったなぁ」と思うだろう。

2024年3月14日木曜日

今年の花見は町内会主催の近くの公園で

昭和30年、中1の頃だが、近所のおばさんに夜桜見物に連れて行ってもらった。行先は兼六公園だった。当時は霞が池南側の曲水の桜が最盛期だったのか、樹勢の良い桜並木の眺めが最高に美しい夜桜だった。

あれから六十数年後の現在、樹勢が衰え枝ぶりも小さくなった

昭和39年からの花見は職場の課で毎年行われた岐阜公園での花見だった。もちろん兼六園には到底比較にならない花見だったが、平成初期に金沢の職場に転勤したことがあって、1度だけ金沢城石川門の石垣下で場所取りで苦労したが、そこでも花見をしたことがあった。
平成に入ると職場が名古屋市に移り、花見も鶴舞公園に変わった。

岐阜公園の花見

町内会の花見

退職してウン十年、町内会の花見で楽しもう。

2024年3月13日水曜日

郷土出身力士4人全員勝ち名乗り!

大相撲3日目の昨日、郷土出身の4力士全員が勝ち名乗りを受けた。久しぶりにスカッとした。
遠藤は最近不調が続いたため、とうとう幕尻まで落ち込んでいる。初日から2連敗だったが、昨日ようやく勝ち星となった。しかし、かつての遠藤の姿とは程遠い。もう一度前頭筆頭くらいまで勝ち星を重ねて欲しい。

一方の大の里は随分上位に昇進したが、抜群の強さは衰えることがない。髷が結える髪がまだ伸びない大出世のスピードである。今日もきっと抜群の強さを発揮してくれることだろう。

輝は十両に陥落して3場所。土俵際の粘りが殆ど見られなくなったのが残念。しかし昨日は往時の輝だった。

十両もう一人の欧勝海も勝ち名乗り。昨日の晩飯が旨かった。これからも応援しているから頑張って欲しいものだ。

2024年3月12日火曜日

スマホ機種変更はややこしい

スマホを長年(5年間)使用していたが、ドコモから機種変更を勧められ、昨日は津幡まで出向いた。長年直ぐ近くのイオン金沢店を利用していたが、どういう都合なのかよくわからないが、津幡店で取り扱うことになったと連絡がきた。現在の機種のメンテ期間が終了するのだという。そういえば直ぐ電池残量が無くなり充電回数が増えていた。

2月末を以て閉店になった金沢イオンにあった店舗

津幡店に入ってすぐ機種選定をした。機能的に同じものにすることを基本に選定したが、機種は極めて少ないのですぐに決まった。それからが事務的手続きになるのだが、これが実に長くなる。あれやこれやで2時間余、紙バックにどっさりと書類が入れられた。
本当は妻のスマホも同時に買い替えするつもりだったが、シーズン的に在庫がないのだという。入荷までまたざるを得ない。

女性の店員が対応してくれたが、丁寧にわかりやすく説明してもらった。だが、受信料が若干安くなるというWI-FI受信機の購入を勧められたが、ケーブルTVにどうなっているのか聞いてみないと分からないので後日に判断すると伝えた。
かくして機種変更が終わった。やれやれだ。

2024年3月11日月曜日

金大合格発表の思い出

9日、金大入試の合格発表があった。そんな記事を見て、もう三十数年前となるが、娘の合格発表を城内キャンパスまで、娘をマイカーに乗せて見に行ったことを思い出した。
娘としては東京のある女子大を本命としていた。なので受験の際は東京まで同伴したが、幸か不幸か「不合格」だった。
原因は富士山にある。列車から富士山が見えると不合格というジンクスがあるという。それが実にくっきりと見えたのだ。すぐ指を折るとジンクスは消えるともいう。
そして、もう後がない金大の合格発表だった。

金大場内キャンパス

このころ城郭全域を大学のキャンパスにするのは大変珍しく、金沢大学以外ではドイツのハイデルベルク大学ぐらいであったという。
歴史を辿ると、昭和24年(1949)に金沢大学の丸の内キャンパスとなり、「お城の大学」として親しまれていた。その後金沢大学は、丸の内のほか、小立野地区に点在してい学部等と併せて角間地区に総合移転することが決定し、平成元年(1989)の法学部・経済学部・文学部の移転を皮切りに、1995年には「お城のキャンパス」は完全に姿を消した。

さて、本題に戻ろう。恐る々々掲示板を覗き込んだ。すると娘の番号が目に入った。幸か不幸か合格したのだ。
それから時は流れて、受験した本人は教員として多忙な毎日を送っている。

2024年3月10日日曜日

「特急しらさぎ号」廃止カウントダウン

あと5日で特急しらさぎが金沢まで来なくなる。このしらさぎは独身時代を含めて実によく利用したものだった。それだけに、思い入れも深いものがある。
この列車が誕生したのは昭和39年12月。このころ21歳独身時代だった。当時、中央本線名古屋・塩尻間の複線化が鋭意進められており、長野県境に近い中津川でこの業務に加わっていた。
特急列車ができたので、この年の正月休みにわくわくしながら名古屋駅から金沢駅まで乗車した。準急こがねよりも乗り心地もよく、ぐんと早くなった。

初期の特急しらさぎ号

その数年後だったが、このしらさぎで大失敗をしてしまった。岐阜駅から乗車し、米原駅で進行方向が変わった。金沢駅で下車して七尾線に乗り換え宇出津まで。そしてバスで30分ゆられて家に着いた。正月になり写真を撮ろうとしてカメラがないことに気づいた。原因はしらさぎにあった。米原駅で進行方向が変わった際に、吊り具にカメラを下げていたのを忘れていたためだった。
あわてて宇出津駅に行って駅員に事情を話して見つけて欲しいとお願いした。翌日、宇出津駅に到着したから受け取りに来いと連絡があり一件落着した思い出が蘇った。
そのしらさぎ号は数日後に廃止される。なんだか寂しい思いがする。

2024年3月9日土曜日

現役最後の日

17年前(平成19年)になるが、あと1年勤めてもらえませんかと打診されたが、パソコンを睨む業務は目の疲労が激しくなり64歳で退職した。今では70歳を超える勤続者はめずらしくないが、当時は60歳定年が一般的だった。職場で記念の花束をもらったので、バスや電車の中で持っているのは面はゆい思いをした。

現役最後の日
孫たちが出迎えてくれた

家に着くと二人の孫が迎えてくれた。上が6歳、下が3歳だった。その孫たちも今では大4と大1だが間もなく院1と大2になる。

退職してからは町会長を数年、公民館長を3年勤めた。何もしなくなってやがて9年になろうとしている。就職したのは昭和36年だったが、その頃の退職前の人は55歳前だというのにかなりの高齢者に見えた。

今年からグラウンドゴルフ同好会では3月からプレーすることにしたが、今週は雨でなしだった。来週は晴れることを祈ろう。

2024年3月8日金曜日

柳田の8番らーめん昨日から再開

2年前までは柳田の実家へ年2回ほど、家の玄関口と裏の庭の除草やⅠ,2階の掃除に行っていた。ところがコロナ過で部外者の往来が禁止された年が1回だけあって、翌年に行ったところ、水道栓がすべて破損していたり、トイレの天井塗装が落ちていたり、家の損傷がやたら目立つようになった。そんな時、在所の区長から電話があって、今後の家の保持についてどうするのかヒヤリングを受けた。空き家が崩れてけが人が出たりしているので持ち主の意向を聞いているのだという。そして能登町に空き家情報があるので、そちらに登録されては・・・という話を聞いて登録することにした。

階段まわり

そんなことで登録して2カ月過ぎた頃、能登町の空き家情報の関係者から家を見たい人があるということで立ち合いして売却が決まった。そんなことで柳田へ往復することが何回かあったのだが、昼は天坂の8番らーめんを何回か食べに行った。その店が震災後ようやくオープンしたというニュースに接した。 

8番らーめん柳田店7日オープン

能登半島地震の発生から休業していた「8番らーめん」能登柳田店が7日、営業を再開した。訪れた被災者らは、この日に限り1杯100円で提供されたラーメンを笑顔ですすっていた。店の前には午前11時の営業前から行列ができ、開店時間を30分早めた。メニューは塩、しょうゆ、みそ味の「野菜らーめん」のみ。午後3時頃には約300杯が完売した。能登町在住の70代の夫婦は「ソウルフードで、久しぶりに心も体も温まった」と笑みを浮かべた。

いつかまた、この店で食べたい。

2024年3月7日木曜日

昨日投稿の心配事が発生、輪島で窃盗犯人グループ逮捕

倒壊した家屋へ盗人が入るのを心配していたが、輪島の倒壊家屋に窃盗グループが入り、逮捕されたというニュースがあった。
地震で被災した輪島市の住宅に侵入し、高級な酒や指輪などを盗んだとして、名古屋市などに住む少年少女4人のグループが摘発された。

二十歳前後の国際的犯人グループ

このグループは余罪がまだまだあるようだ。この連中は車で移動していると推定できるので、見慣れない車を見たら要注意である。


箱に入ったウイスキ-に…指輪などのアクセサリー…これは能登半島地震で被災した輪島市の住宅から盗まれた品々。
愛知県警は6日、窃盗などの疑いで名古屋市に住む19歳の無職の男らいずれも10代の男女3人を逮捕した。
3人は17歳の少年と4人で地震発生4日後の1月5日、輪島市で被災した住宅2軒に侵入しウイスキーや指輪などあわせて6万5000円相当を盗んだ疑いが持たれている。
盗みに入られた家の住人はいずれも被災し、避難していたという。
警察によると見知らぬ男女4人が乗った車を現場近くの住人が不審に思い警察に通報、警察官が職務質問すると意外な事実が発覚した。

何と悪い連中であることか。現場近くにいた住民が不審に思って警察に通報して逮捕された。しかし油断禁物、まだまだ発生するだろう。