2018年7月31日火曜日

温暖化で地球が壊れる前兆か

今月25日に発表された台風12号の進路予報を見てみよう。

今月25日発表の台風12号の進路予報図
 この時点で発表された進路予報は、過去の台風進路と全く異質な予報であった。
それが26日になって大幅に見直しとなり東海地方に上陸して中国地方に進むという、これまた過去に例のない進路予報となった。
 この原因は、上空にチベット高気圧が張り出して、その下部に太平洋高気圧が重なったためだという。台風は西から東に移動するという常識が覆ったのである。

昨日の予報図

昨日の発表:列島を西よりに縦断し、異例のコースをとっている台風12号は、明日(31日)にかけて九州の南、屋久島付近を一回転してから、東シナ海を西よりに進むでしょう。この海域の海水温は高く、再発達する可能性もあります。台風がなかなか日本から離れないため、影響が長引く見込みです。
今朝7時30分の予報図
今朝の発表: 台風第12号は、31日6時には屋久島の南南東約160kmにあって、東北東へ毎時20kmで進んでいます。中心気圧は994hPa、中心付近の最大風速は18m/sです。この台風は、31日18時には種子島付近に達する見込みです。1日6時には枕崎市の西南西約160kmに達するでしょう。2日3時には東シナ海に達し、その後は西進する見込みです。台風周辺海域および進路にあたる海域は、しけとなるため警戒が必要です。次回の台風情報は、31日10時30分の予定です

勢力の衰えた12号は再び強くなるともいう。このように12号の進路予報が1日違いで大幅に相違しており、いかに困難かを物語っている。

アメリカのトランプ大統領は、地球温暖化は根拠のない話だとして石油資源の使用制限を無視している。台風の異常な動きを彼に突きつけ、「これでもあんたは認めないのか」と問いただしたい気持ちである。
このつけが必ず彼の政治生命の終焉を早めることだろう。



2018年7月30日月曜日

金の卵は東南アジア?

先だって日銀北陸支店が景況の短観を発表した。「ゆっくり拡大している」だったのが、「拡大している」と1ランクアップした。
時を同じくして、金沢ハローワークでは有効求人倍率が急上昇していると発表した。

 

北陸の地域は、有効求人倍率が全国で最も高いなど、人手不足がきわめて深刻な地域の 1 つであるという。当地の有効求人倍率が高い背景には、北陸地域が域外需要を多く取り込んで いる「モノづくり」の拠点であるという需要面の要因と、女性や高齢者の就業率が既に高 く、追加的な労働参加余力が限られているという供給面の要因があるというのだ。 


こうした人手不足の問題に対処していくためには、労働者数を増やす施策及び生産性を 高める施策の双方が重要となる。女性や高齢者の労働参加率を高めるためには、育児中の 女性をサポートする仕組みの強化や、高齢者の更なる活躍を促すような雇用制度の拡充が 望まれる。また、現在は主に製造業に従事している外国人労働者の活躍の場を非製造業ま で拡げる施策も望まれる。一方、生産性の向上については、特に、相対的に改善が遅れて いる非製造業での生産性を高める必要がある。

人が集まらなくて倒産する企業も
昭和30年代、人は有り余っていた。が、中卒、高卒等の新卒者は「金の卵」ともてはやされた時代があった。


集団就職列車上野駅着
現代はどうか。高学歴社会となって中卒はほぼ皆無。高卒の就職率はほぼ100%。高専・大卒の就職率も極めて高い。要するに就職先はよりどりみどりなのだ。
ということで、昔は3Kといわれた企業は敬遠されたのだが、今では全業種が人手不足となっている。


IT関連を除きほとんど深刻な人手不足である
4月だったか、能登町小木漁業協同組合にベトナムから40人もの実習生が来たというニュースがあった。ということは、新たに漁業関係に就職する高卒者はいないということだろう。介護職も深刻な求人難である。日本語が話せない介護人が溢れるかもしれない。
温泉旅館等の従業員がフィリッピンから大挙して来日したことがあった。もう30年も前の話であるが、今は中国やインドネシアから来日している労働者が多いのだろう。
この人手不足は当分の間解消されることがないだろう。

2018年7月29日日曜日

大きな衝撃音で家を飛び出した

昨日午後6時30分頃、夕食中に家の外で大きな衝撃音が発生したので外に飛び出した。
またもや交差点で衝突事故が発生したのだ。
白い乗用車の前部が大破しており、黒色の乗用車が横転していた。
白色の車には子供一人を含め3人が乗車、運転していたと思われる40代前後の男性が救急車の手配をしていた。

横転した車
その時、黒色の車の窓が開き、「救急車は呼ばんでいいよ」と伝えた。いつもより大きな衝撃音だったにも関わらず、誰一人として負傷者がいないのである。これは奇跡に近い衝突事故だった。

この車はほぼ真正面から衝突した
運転手が窓を開け事情聴取を受けている
しばらくして全面通行規制を敷いた
1時間後にレッカー車が到着して横転した車両を元の状態に戻した。そして驚くなかれ、その車が自走して道路の方隅に移動したのである。

この交差点はほぼ年1回くらいは衝突事故が発生している。もう4,5年前の話になるが、隣町の年配女性が軽四で交差点に差し掛かったところ、百坂町方面から走行してきた車と衝突事故が発生した。警察がきて調査していたところ、百坂町方面から走行してきた運転手が一方的に軽4の運転者が無理に走行して事故が発生したと主張していた。
ところがである、たまたまその車の後続車を運転していた人が自分の知り合いだった人で、自分が道に立っていると手を振って国道方向に向かった。

その軽4を運転していた女性が町内の女性と話をしていたのだが、軽4運転の女性が相手の車の運転手が警察にでたらめを云っているので、後続車を運転していた人に連絡できないかと相談された。そこで携帯で事情を話したところ快く用事が済み次第、現場に戻ると約束してくれた。で、後続車の証言で相手の車が信号無視していたことが立証されたのである。

去年は交差点角にある建物に衝突して建物が破損する事故があった。

平成24年の事故
余りにも事故が頻発するので、停止ラインを交差点から相当離れた位置に設置したのだが、信号が変わって数秒後に猛スピードで通過する車が多いため、このような事故が頻発するのである。
昨日の事故はどの車がどの方向から走行してきて衝突したのかは不明である。安全パトロールで立哨している場合があるので、身の安全を図る必要性を痛感した事故であった。



2018年7月28日土曜日

長寿の秘訣

新聞のおくやみ欄を見て最近、自分より若い人が亡くなられた方がちらほら見受けられるようになった。だが、圧倒的に90歳代が大半を占めている。
さすが長寿国日本だなぁと思うのだが、昨日の記事で
【祝113歳】世界最高齢男性・北海道の野中正造さんが誕生日を迎える
という見出しが目に入った。
ギネスに認定された1人の男性が記念すべき日を迎えたという。北海道在住の「野中正造(のなか まさぞう)」さんがそうだ。

野中さんは “存命中の男性最長寿” としてギネス世界記録に認定されており、なんと2018年7月25日で113歳になったとのことである。
1905年7月25日に北海道足寄町(あしょろちょう)で産声を上げた野中さん。ギネスのホームページによると、農業や林業を営み、その後親が営んでいた野中温泉で働くようになったそうだ。 

113歳の誕生日を迎えた野中正造さん
ギネスの公式インスタグラムでは、野中さんの笑顔の写真とともに113歳を祝うメッセージがアップされている。すでに1万4000を超える “いいね!” がついており、海外からも「Happy birthday」といったお祝いのコメントが寄せられているという。
野中さん自身が語る長寿の秘訣は「温泉とあまいもの、こだわらないこと」とのこと。ちなみに日頃の楽しみは、新聞を読んだりテレビを見ることだそうだ。
 


110歳以上生きるとスーパーセンテナリアンに変身する⁉
大還暦(60×2=120)の一歩手前、110歳以上生きた方のことはスーパーセンテナリアンといい、泉重千代さんは105歳だったとされているのでこちらには含まれていない。
が、今もスーパーセンテナリアンの男性世界記録保持者は日本人だとか。
木村次郎右衛門(じろえもん)という人で、明治三十年(1897年)生まれで平成25年(2013年)に亡くなった人。

ちなみに女性の最高齢記録者はジャンヌ・カルマンというフランスの方だという。確かな記録がある中では史上唯一の大還暦を達成した人でもある。亡くなったときは122歳だったという。
さすがにこの記録はまだまだ抜かれそうにないが、3年前まで生存されていた大川ミサヲさんという方で、117歳まで生きられた。

ハフポストは2015年2月、大川さんを紹介する記事を掲載。大川さんは、毎日十分な食事を3度食べ、特に寿司を好み、月に一度は食べることにしていると伝えた。
さらに、「しかし食生活よりも大切なことは、3つの信条である。『食べて寝れば、長生きできます』と彼女は116歳の誕生日にイギリスの新聞『テレグラフ』に語った。『リラックスすることを覚えないといけません』。彼女はまた毎晩8時間眠ると言われている。正しいグッドアドバイスだ」と報じていた。


ということで国内最高齢者となった115歳の田中カ子さんが27日、入居している福岡市東区の有料老人ホームで取材に応じ「びっくりしている。みんなのおかげです。どうもありがとう」と感謝を述べ、何度も頭を下げた。
田中さんは1903(明治36)年1月2日生まれ。市内の米屋に嫁ぎ、子宝にも恵まれた。孫やひ孫は「数えられん」。現在は耳が遠く補聴器を付けているが、歩行を補助するシルバーカーを押しながら、自分で食堂やトイレにも行く。

115歳の田中力子さん
スタッフによると、田中さんは食欲旺盛で、甘い物が好き。缶入りカフェオレを毎日3、4本飲む。朝食後のオセロ風ゲームが日課で、負けると機嫌が悪くなる。
趣味は習字や計算。結婚した職員に、筆で力強く「幸福」と書いた色紙を贈り、足し算や割り算の問題を粘り強く解く。
「おいしい物を食べて勉強して、これ以上ありません。あと5年は頑張りたい」と笑顔で話した。 

国鉄の機関士だった人が退職してからたったの5年が平均寿命だったという。55歳で退職だった時代だから平均寿命は60歳ということになる。過酷な環境で仕事をしたために平均寿命が短かったのだろうけども、昭和50年代頃から日本人の平均寿命が年々伸びた。男性で81歳だが、香港、ノルウェーは人口が比較にならないので「日本は世界一の長寿国」なのである。

野中さん自身が語る長寿の秘訣は「温泉とあまいもの、こだわらないこと」
「おいしい物を食べて勉強して」という田中さん、二人の生き方を参考にすれば長生きできるかなぁ。

2018年7月27日金曜日

台風12号の進路修正

昨日午前中の台風12号の進路予想は、従来のどの台風の進路よりも異色なものであった。父島付近から急に進路変更し、東京湾を縦断、そして金沢を目指して北北西に進み、日本海から西にコースを変えるという予想図が示された。
それは台風は西からやってきて北東に進むという常識と全く違った天気図なのだ。
それが今朝になって東京湾ではなく伊勢地方に上陸し韓国方向に進路をとる予報図に変更された。

明日開催されるという隅田川の花火大会、昨日は開催見送りの見込みであったが、コースがズレたので雨の心配も薄れたのではないだろうか。
家族が金沢直撃とする天気図を見て、「また白山が守ってくれるだろうね」と楽観視していた。「金沢は災害がないからいいね」という声がまた聞こえてきそうである。
だが、いつ何時起きるかわからない地震の心配だけは常に頭に残しておくべきである。


森本・富樫活断層帯は当団地の南側約400m、千坂校下内はほぼ北陸本線に並行している。この活断層を調査した写真があった。
約1mの段差が発見された
当団地付近は極めて緩い軟弱の地層であるため、震度6強の地震が発生した場合、基礎が沈下し家屋倒壊の被害が発生すると想定できる。
それと同時に道路は液状化し噴泥が発生する。
昭和39年6月新潟地震で液状化によるアパート倒壊
液状化した生活道路
液状化でマンホールが飛び出る
マンホールの液状化対策は2,3年前に旧8号線沿線は対策済みである。
しかし生活道路のマンホールまでは手が回らないだろう。
起震車で体験した人も多い
車の燃料計が半分になったら満タンに、飲料水は大丈夫?避難袋はすぐ取り出せる?
土砂災害、洪水の被害はこの辺では心配ないだろうが、地震は今日発生するかもしれないのである。

2018年7月26日木曜日

無敵艦隊の艦砲射撃

長年、県大会決勝戦の結果を眺めてきたが、昨日の星稜と金沢学院の決勝戦は過去の試合とかけ離れた展開があった。あの松井を上回る竹谷の1試合4本塁打や、最多安打数ほか数々の新記録が樹立された。
2回を除き毎回得点を重ね、22得点、全員で打ちまくって28安打。

竹谷理央(3年)は1試合4本塁打を記録した。一回に右翼席場外へソロを放つと、四回には右中間へ3ラン、七回は右越えに、八回には右中間にソロ本塁打を放ち、6打点の活躍を見せた。4番南保良太郎(3年)も3本塁打を放ち、一回、七回、八回と3度、2者連続本塁打を記録した。
 

今大会の星稜は初戦となった2回戦からエンジンが全開した。金沢辰巳丘・金沢向陽・内灘合同チームを10―0(5回コールド)で下して好スタートを切ると、3回戦は小松市立に9―0(7回コールド)、準々決勝は小松大谷に5―0、準決勝は金沢商に7―0(7回コールド)で勝利した。

28イニング連続無失点で決勝に進出すると、この日も今大会初先発のエース・奥川恭伸投手(2年)が被安打3で金沢学院に1点も許さず。結局、県大会37イニング無失点、計53得点の圧倒的な強さで“完全優勝”を果たし、甲子園への切符を手に入れた。

新記録を示すスコアボード

観客の声を聞いてみよう。


昨年の夏は航空石川に優勝をさらわれた。その悔しさをバネに猛練習した成果なのだろう。応援席のプラカードにリベンジ、「捲土重来」が多く掲げられた。
お見事でした星稜高校。甲子園での活躍が楽しみです。


2018年7月25日水曜日

予想大外れ

昨日は高校野球県大会の準決勝戦があった。NHKで全試合を放送するというのでTVの前にどっしりと腰を据えた。
この準決勝戦までの経過を辿ると、「何で?」とか「本当に?」という信じられない結果がかなりあった。
最も意外だった試合は甲子園ベスト8まで勝ち進んだ航空石川が、金市工に敗れたことだろう。航空石川に勝った金市工はきっと優勝戦まで行けると誰もが予想しただろうに、小松に敗れた。その小松は金沢学院に4:2で敗れた。

それに今回は金商の大活躍が注目された。あの強豪遊学館を1:0で退けたのだ。
だが、その金商が昨日の準決勝星稜戦で7:0のコールド負けを喫した。
今朝の新聞記事に金商松本竜馬主将のエピソードが掲載された。

「野獣」に憧れた闘志 金沢商・松本竜馬主将 

金商 坂本龍馬主将
昨秋、松本は心身ともにどん底にいた。秋の県大会で初戦敗退。「いかにチームをつくるか」。悩みの日々を過ごした。11月下旬、腹痛を我慢しきれなくなり病院にいくと、腹膜炎で緊急手術。「あと1日遅かったら危なかった」と医者に言われた。約2週間入院し、体重は約10キロ減った。

病室で考えたのは「野球部、どうしてるかな」。硬式球をベッドに持ち込み、握り続けた。退院2週間後には淡路島でのキャンプに参加。3日間で砂浜100キロを走破し、復活した。
「我慢強さは自信がある」。その源は柔道だ。野球と並行し、中学まで金沢市出身のロンドン五輪金メダリストで「野獣」と呼ばれた松本薫(30)を輩出した岩井柔道塾(2015年閉塾)に通った。厳しい指導で知られ「何回もやめようと思った」が、黒帯を取得するまで励んだ。

野球部の方向性を思案した時、12年夏にロンドン五輪帰りの松本薫に稽古をつけてもらった時を思い出した。「自信というか闘志というか。内面からあふれるオーラに憧れた」。守備でも打席でも、相手に恐れられるオーラを出すチームを作り、「石川県の歴史を変える」。以来、声でプレーでチームを引っ張った。

最後の打席は、回ってこなかった。歯を食いしばって整列し、3位の表彰状を受けとった。金沢商では39年ぶりの快挙だったが、「チームを勝たせる主将になれなかった」。本気で頂点を目指したからこそ、悔し涙は苦かった。

今日午後1時、星稜対金沢学院の決勝戦が行われる。
今回は100回記念大会だという。
昭和35年夏、自分は第42回甲子園大会3塁側応援席でリーダーとして活動していた時から58年も経過した。光陰矢の如しである。

対京都平安戦の前日 応援リーダー一同
自分の「雄姿」


2018年7月24日火曜日

福岡から札幌3千5百キロを歩いたお医者さん

今朝の朝刊二面に「ひと」という記事に目が行った。読み進むごとに、エッ、エッ、と驚いた。今年2月5日に福岡を出発し、全国各地の病院を徒歩で巡り歩いて、昨日、札幌にゴールしたという。
御年77歳、自分より年上の人ではないか、それに比べ今の自分は・・・・。
その人は癌の専門医。

朝日新聞朝刊

報告会が開催される

この旗を持って全国行脚を終えた

1941年大阪府生まれ。日本対がん協会長。東京大学医学部卒。泌尿器科医として膀胱(ぼうこう)がんや前立腺がんなどの治療に携わる。2002~07年国立がんセンター(現・国立がん研究センター)総長。著書に「妻を看取(みと)る日」(新潮社)。

癌専門医でありながら大腸がんと腎臓がんを患ったほか、奥さんを肺がんで失ったという。15年夏から17年夏にかけては、奥さんを失った悲しみを癒やすため、四国の八十八カ所霊場を歩いて回り、奥さんと一緒に歩いている感じがして気持ちを一新することができたそうである。 

福岡市にある九州がんセンターを最初に訪問し、全国がんセンター協議会に加盟する病院32カ所を歩いて回られた。ゴールは札幌市にある北海道がんセンターで、総移動距離は約3500キロ。体調や日程が許す限り歩くことを基本とされた。そして昨日、無事3千5百キロを自分の足で歩かれたのである。

わが国で初めて腎臓移植に成功した人でもある。

物事をやり抜く精神力に脱帽するしか能がない自分が情けなく思う。

2018年7月23日月曜日

架空請求詐欺が急増中

最近、全国的に架空請求詐欺が急増しているという。

『法務省管轄支局 国民訴訟お客様管理センター』や『訴訟最終告知通知センター』といった組織を名乗る差出人から届いたというハガキが話題となっている。
ハガキの内容を簡単に要約すると「あなたは訴訟を起こされました。訴訟取り下げなどの相談については下記番号に電話するように」というものである。文面はいかにも役所から届きそうな感じで実にそれっぽく、真に受けてしまってもおかしくない見た目になっている。
この種のハガキを数年前に自宅に配達されたことがあった。詐欺だとはわかっていても気になるハガキなのだ。


消費生活センターがハガキに記載された相談窓口に連絡すると、弁護士や弁護士会へ連絡するようにと電話番号を教えられ、電話をかけると、コンビニでプリペイドカードを数十万買って番号を教えるようにと指示されるという。

消費生活センターでは、このような架空請求は無視して、絶対に相手に連絡しないことと指導がなされている。
ある弁護士のブログがとても参考になり面白いので紹介しよう。
妻宛にまたまた来ました
妻が利用していたサイトから訴状が出たらしい
でも 訴状が出たのに 原告が契約会社なのか運営会社なのかが判らないなんて不思議


管理番号(って事件番号のこと?)の符号が (わ) これって地裁の刑事事件ですよね
刑事事件だけど起訴したのは 契約会社または運営会社  検察の民営化か?
連絡しないと原告側の主張が全面的に受理されるらしい
訴状は出せば受理されるよねえ

訴状が受理されただけで 差押がされる
しかも 給与差押に執行官が行くのか?
「差押を強制的に執行」って すごい強制的な感じ
「強制執行を強制的に執行します」 という感じだよね
「執行証書の交付をご承諾いただきますよう」って
意味がわからん
承諾しないと強制執行ができないのか?
これって弁護士が内容証明等で
「法的手続を取らせていただきますことご承知おきください」と書いたりするのをパクッテる感じ?
でも変過ぎないかなあ
裁判取下げは原告がすると思っていたが 当局(法務省)がするんだ
プライバシー保護のために本人から連絡しなければいけないのは何故?

役所のわりには遅くまで受け付けしてるね
ありがとう
ちなみに霞ヶ関2丁目6番は存在しないようだね
霞ヶ関2丁目は 1番地に警視庁・国交省・国家公安委員会等が
2番地に外務省があるようだよ(google map調べ)
ちなみに法務省は霞ヶ関1-1-1みたい
でも消印によると ハガキ出したのは豊島郵便局のようだけど
わざわざ遠くまで出しに行ったんだね
絶対に連絡なんてしないから 62円無駄にしたね
ご愁傷様
 
また、こんなはがきにも振り回されて、県内でも数十万円の被害者があったという。

こんなハガキがくれば、ドキッとする心当たりの方も多いことだろう。
連絡無用、一切関わらないことである。

2018年7月22日日曜日

こころ旅 長良川遊泳場

一昨日(20日)はこころ旅春版の最終日、訪ねた場所が長良川遊泳場だった。先だっての洪水で長良川橋付近にある水門が18年ぶりに閉じられたというニュースも聞いた。
火野正平一行は自転車を連ねて金華山ふもとの長良川遊泳場を目指してペダルを踏んだ。

長良川橋に到着
遊泳場といっても40年ほど前には無くなってしまったので、市民に聞き込みしながら現地に向かった。

橋をくぐり上流側へ
このあたり左側に遊泳場があった
先の洪水で復旧工事をしていた
工事中のためやむを得ず上流で手紙を読んだ
この番組で独身時代が走馬灯のように思い出が巡った。
勤務先の役所は7月中旬から8月末までの6週間、1週間に2回の夏季休暇として「半休」があった。福利厚生としてこの期間に「麻雀荘割引券」「敦賀松原海岸浜茶屋割引券」「林間テント村割引券」や「長良川遊泳場川の家割引券」が交付された。

で、この遊泳場に何度も訪れた。今では考えられないほど遊泳を楽しむ人間が溢れていた。
この写真の対面の河原が遊泳場で賑わった
ここに川の家が立ち並び川遊びの人々が所狭しといたなんて・・・
最近では川どころか海も行く人が少なくなったという。泳いだ後、体がぬるぬるするので海水浴はいやだという。その代わりプールが大人気なのだとか。
だけど昭和の人間はやはり「海水浴」がいいなぁ。



2018年7月21日土曜日

トンネル工事の変革

関越道の大泉JCT~東名高速の東名JCT(仮称)間では、地下40mの位置で約16kmにわたりトンネル建設が進行中だという。
その工事で活躍しているのがシールド式TBM(トンネルボーリングマシン)という機械である。
地下約40mの地点で行われている日本最大のトンネル工事であるが、規格外の工事だけに、使用する重機も並大抵なものではない。今回のトンネル掘削に使用しているのは、日本最大級の“シールドマシン”。放射線状に配置されたビット(歯)が回転し土を堀削。削られた土を内部に取り込み後方へと運び出す。さらに土を削ったところにセグメントと呼ばれるパネルを組み合わせてトンネルの壁を作りながら、トンネルの壁に反力をとり、マシンを前へと推し進めていくというものだ。

なにせ断面がでかい。先端にシールドマシン
これがシールドマシン
トンネル現場がこのように整然としていること自体、トンネル工事経験者として隔世の感がある。45年前に自分は山陽新幹線トンネル工事の監理業務に明け暮れていた。

ジャンボによる導坑掘削

破砕帯にぶち当たったこともあったが導坑貫通式を迎えた
施主・請負者入り混じって酒樽から汲んだ酒を酌み交わした
貫通点で担当した3人が記念写真
トンネル工事の悪戦苦闘の数々、その苦労した分だけ、この貫通式の喜びは大きかった。

ボーリングマシンで掘削を終えた時、貫通式というセレモニーはないのだろうなぁ。
山陽新幹線でもボーリングマシンを導入して試験施工した現場があった。当時、ビッグジョンと称していたのだが、故障が頻発して工事費がかさみ、「ビックリジョン」と揶揄された。昭和50年代、青函トンネルでもボーリングマシンが導入された。

青函トンネルで使用されたTBM
初期TBMはアメリカで開発されたのだが、今では日本のTBMが世界各国で活躍している。ドーバー海峡を掘削したのも日本製。
四十数年でトンネル掘削技術は大きく変わった。