2021年9月30日木曜日

金沢マラソン2年ぶり開催決定

去年コロナ禍で中止された金沢マラソンが2年ぶりに開催されるという。
金沢マラソン組織委員会は29日、第7回大会を10月31日に予定通り開催する方針を固めた。本大会の開催は2年ぶりとなる。全国的に新型コロナの感染が落ち着き、石川県内でもまん延防止等重点措置の適用が30日に解除されることを受け、感染防止策を徹底した上で開催可能と判断した。

町会連合会指定応援場所の千木町交差点付近で選手達とハイタッチで触れ合った
今年は当然応援禁止となるだろう

第7回大会の定員は1万人で、アテネ五輪女子マラソン金メダリストの野口みずきさんが特別ゲストを務めるという。
沿道に設けられる各種アトラクションも取りやめになるだろう。

千坂校下町会連合会の応援テントは例年、小坂校下町連、夕日寺校下町連、森本校下等の応援テントと共に小坂町交差点(東金沢駅方面との分岐点)に設置される。今年はこれも中止になるものと思われる。
今年はコロナ禍途上な中、各町会ごとの応援団は招集されないだろう。今年は十数年ぶりに割り当てられる町内の班長なのだが、コロナ禍で例年の町会行事は一切開催されていないので、楽といえば楽なのだが、コミュニティが希薄になることが懸念される。

2021年9月29日水曜日

新幹線小松駅の工事状況見学会

2024年春開業に向け、建築工事が進む北陸新幹線小松駅の見学会が25日にあったという。
新幹線開業を身近に感じてもらおうと、小松、能美両市、小松商工会議所、能美市商工会でつくる小松・能美鉄道利用連携会議が主催した。参加者は工事の説明を聞いた後、待合室などが入る1階や、2階の全長310mのホームを歩いた。

工事中のホームで、線路を眺める親子連れ=小松駅

工事を担当する鉄道建設・運輸施設整備支援機構北陸新幹線建設局によると、外観工事は終盤。足場を解体し、11月初旬には外壁の駅名が見える予定。コンコース、ホームを仕上げ、22年8月上旬には建築工事が終わるという。その後は改札機や電気設備などの工事に入る。 能美市福岡小学校五年の西歩美さん(10)は「つくりかけのエスカレーターやエレベーターを見られておもしろかった。ホームは大きくて眺めがよかった」と話した。


来年8月には建築工事が終わると外観が姿を現す
このような見学会を企画した小松市・商工会議所等の計らいにより見学した参加者にとっては生涯の思い出になるに違いない。

今から13年前に、新幹線高架橋を歩こう会という企画があったので孫と参加した。これも忘れることのない感動を味わった。

時計駐車場付近の高架橋で
小学2年生だった孫は大学生になった。孫にとってもその体験は生涯の財産になったに違いない。

2021年9月28日火曜日

松波城庭園発掘調査その2

先日、松波城庭園跡発掘調査に関する投稿をしたのだが、この度、発掘調査の成果について現地説明会があったという。

解説は町教委の新出直典さん
五年にわたる発掘調査を終えた室町時代の遺跡「松波城庭園跡」(能登町松波)で25日、町教委による発掘成果についての現地説明会があった。
2016年度からの調査では、庭園が15世紀前半から存在する可能性が高く、能登地方の庭園跡としては最も古いことが分かった。説明会では、発掘に携わった町教委の新出直典さん(47)が、参加した専門家や地元住民に「規格性のある建物や門の配置がされていると分かった」「武家の庭園では、15世紀前半の発掘事例はあまりない」などと遺跡を前に解説した。  参加した金沢市埋蔵文化財センター職員の鏡百恵さん(24)は「当時の人々が生活を楽しむ様子が、遺構を通して見えるのはすごいことだと思う。想像力を膨らませると情景が浮かぶ」と話した。

ということで、松波城について調べて見た。

旧松波駅が表示されているので位置関係が理解できる
能登線はここから図の下部に向かうルートになっていた
松波城は文明六年(1474)に能登守護・畠山義統の三男・義智により築かれた。子孫は代々松波城主を務め、五代目の義龍のときに松波氏を称した。
天正五年(1577)上杉謙信の能登侵攻の際、当主であった義龍の子・義親は救援のために七尾城に向かうが、落城の免れがたいのをみて松波城に戻って守りを固めた。まもなく、上杉家臣・長沢光国が兵を率いて松波城を攻撃した。義親は奮戦したものの、最後は自刃した。光国が城内に踏み入ったところ、城明け渡しのように掃き清められていたため感嘆したという。この後、城は焼き払われたが、焼け残った搦手門は万福寺の山門に移築されたと伝わる。
この部分は鉄道のため掘り割りされた

大手門跡

本丸跡
松波城から海岸道路で6kmほど穴水寄りに能登町の遠島山公園があるが、そこは棚木城跡なのである。ここも上杉謙信来襲により落城した。棚木城の子孫は現在、その付近にある神社の神主さんをされている。この公園内に能登線建設に多大な功績を残された宇出津出身の衆議院議長まで務められた益谷秀次先生の記念碑が建立されている。


輪島や曽々木あたりには城跡はない。やはり富山湾からやってくる敵襲に備える城が必要だったと考えられる。穴水城の有無については全く知識が無い。

2021年9月27日月曜日

印象に残った千枚田からくっきり見えた七ツ島と中島駅のオユ

25日(土)は町内老人会の旅行会が、昨年に続いて今年も開催された。前回は富山市のガラス美術館、薬問屋、岩富運河等を巡ったが、今回は総持寺、千枚田、輪島市内、穴水から和倉間ののと里山里海号に乗車した。

今回は秋晴れの好天に恵まれた。千枚田では20km遠方の七ツ島がくっきり見えていたので、初めて写真に収めることが出来た。

千枚田から七ツ島を見た
小さい頃は曽々木海岸から見た七ツ島
穴水駅からは数十年ぶりに七尾線(今はのと鉄道線というべきか)に乗ったのだが、普通列車ではない「のと里山里海号」という観光列車にに乗って、沿線風景を楽しんだ。あの頃、西岸や笠師保で蛎殻が山になっていくつも見えたが、今では肥料に利用するようになり廃棄しなくなったという。
途中に中島駅に停車し郵便車を見学した。
保線車両の引き込み線に1両の車両が保存展示されている。

全国に2両保存の1両が中島駅にある
旧郵政省の鉄道郵便車「オユ10」である。1986年に鉄道郵便が廃止されるまで、主に東京~北海道間を走っていた。
車内には専用の丸ポストがあり、はがきや手紙を入れると記念日付印を押して届けてくれる。「思い出ゆうびん」と題したこのサービスは、のと鉄道が中島郵便局と2015年7月から行っている。観光列車「のと里山里海号」の中で記念はがきを買い、沿線の景色を眺めながら旅の思い出を記し、能登中島駅での停車中に投函する。これまで投函された手紙は5000通近くになる。

まるで現役車両の雰囲気
しかし、今回はこのような案内はなかったのが残念に思う。
2017年8月からは新企画がスタート。未来の自分や家族、友人、恋人などに宛てた手紙を1年または3年の間預かるもので、名付けて「未来郵便」。「オユ10」は今も日本中に思い出を運び続けていると謳っているのだ。

最後は七尾食彩市場で買い物を楽しんだ
輪島では食べたことがなかった「フグ丼」が旨かった。
コロナ禍も収まりが見えてきたような今日この頃ではあるが、観光列車内の飲食禁止取り締まりは「まめ」に行なわれていたのには感心した。

2021年9月24日金曜日

たこ釣り?で賑わう和倉港岸壁

岸壁にならんでたこ釣りをしている写真に驚いた。そんな所でたこが釣れるとは初めて聞いた
七尾市和倉町の和倉港で昨日(23日)朝、タコ釣り大会があった。風光明媚(めいび)な七尾湾を生かし、和倉温泉の魅力創出を目指す「ウオーターフロント事業」の一環として、和倉温泉観光協会が初めて企画。雷雨に見舞われ、一時中断する場面もあったが、親子連れら60人が釣りざおでイイダコ釣りに挑戦した。

岸壁でたこが釣れるなんて!

協会によると、和倉港はイイダコの釣りスポットとして知られ、シーズンの秋には愛好家らでにぎわっている。岸から釣りざおでタコが釣れるのは全国的にも珍しいといい、コロナ禍で各種イベントが中止となる中、密を避けられる屋外で親子らに安心して楽しんでもらおうと企画した。

年中組5才の子どもも釣った!
仕掛けは疑似餌を使用。参加者は岸壁から糸を垂らし、静かに当たりが来るのを待った。能美市緑が丘の年中、坂上陽向(ひなた)ちゃん(5つ)は、イイダコがかかった釣りざおを手に「ちょっと小さい」と笑顔。「たこ焼きにしたい」と語った。

疑似針だから餌不要。竿さえ有ればいつでも釣れるが、まさか漁業鑑札はいらないんだろうなぁ。写真から岸壁のホテル街よりの方に立って釣ればOKのようだ。5匹くらい釣れれば金沢から行った甲斐があると思うが。

2021年9月23日木曜日

埋蔵文化財を断ち割った能登線

新聞記事によると、5年間に及ぶ旧松波城の発掘調査で、能登地域の武家庭園としては最も古い15世紀前半に存在した庭園で、敷地の門近くから建物入り口につながる礫(れき)を敷いた道の遺構は、他にほとんど例がない珍しい遺構とみられることが分かったという。庭園跡の調査例は少なく、15世紀前半の遺構がそのままの状態で保存されていたのは大変貴重と関係者は意義を語る。
礫を敷いた道の遺構(手前)など貴重な成果が確認された松波城の庭園跡の発掘現場

実はこの松波城跡は能登線建設で分断されてしまったのである。能登線建設は昭和33年ころから着工されたが、当時は松波城跡とはわかってはいたが、埋蔵文化財の保護という観点が全く重要視されていなかった。鉄道の線形を重視してぶち割ったものである。

文化財を断ち割って建設された形跡が残っている

位置図
昭和37年に、建設されるルートを確認するため現場に行った。既に掘割の上には橋が架かっていた。
しかし、1577年に上杉謙信の能登進攻で落城して以来から放置されたが、その中にある旧松波城庭園跡は、1962年に発見され、断続的に一部が調査されてきた。2012年1月に国指定名勝となり、16年度から全体的な発掘調査が始まった。

発掘調査では土師(はじ)器や珠洲焼、越前焼が見つかり、庭園が作られた時代は十五世紀前半と判明した。敷地内で客人をもてなすための施設だった建物の全容も判明。門近くから建物の入り口につながる礫を帯状に敷き詰めた道の遺構は似た遺構の例がほとんどなく、保存状態も良いため、当時の庭園文化を解明する手掛かりになる貴重なものだという。


昭和37年、レールは松波城跡の真下に伸びた
もし、当時このような埋蔵文化財があるとわかっていたら、線路は大きく山の手前から海側に移動していただろう。(タラの話は北海道か)

こんな写真を見るとまだ列車が走っていると錯覚する

2021年9月22日水曜日

何と吾が町内の地価上昇率が県一!

 昨夜のTVニュースで、いきなり吾が町の名前が表示されて「石川県ナンバーワン」だと報じたので、注目してニュースを見ていたら住宅地の地価上昇率がトップだという。二番手が隣の金市町、高柳町、4番手が神谷内町なんだそうだ。近く海環が開通するのが上昇の一因らしい。今日の朝刊に荒屋町と称する写真が掲載された。

「荒屋町」とする写真
で、今朝はグランドゴルフ定例会だったので、休憩タイムに雑談していて写真の話題になった。「あの写真、何処の写真や?」とか、こんな田んぼが広がっている場所はウチの町内と違うなぁ・・・と。右端にディーダスの三角屋根が写っているから、福久町と推定される。

3D写真で改めて荒屋町を見てみた


地価上昇率は8.0%とあった。ここ2,3年は旧家屋の跡地に新築住宅があちこちに完成し、住民が増えつつある。しかし、不動産税が見直しとなれば住民にとってはデメリットでしかない。

さて、夕べは8年ぶりの中秋の名月と満月が一致したという。
8時過ぎ、ようやくわが家の窓越しで名月を楽しむことが出来た。

スマホ撮影の満月 旨く撮れなかった

facebookに載っていた写真は素晴らしかった。

中秋の名月!
グラウンドゴルフのゲーム中、小雨がぱらつく程度だったが、終わってかなりの強い雨になってしばらく雨宿りした。天気予報は午後から雨だったのにと・・・ま、それでもゲームを楽しむことが出来た。今日の参加者は13人。来週は晴れますように。

2021年9月21日火曜日

ツアーパンフが来るようになったが・・・

 15日だった敬老の日が20日になって、シルバーウイークと称されるようになった。二日おいて秋分の日だからこの日の前後も休みをとって旅行に出かける人もあるのだろう。金沢でも兼六園や茶屋街等の観光地に人の波ができたという。(家に閉じこもっているので実際見たわけではない)

こんな人出は久しぶりの風景
総持寺前の商店街もかなりの人波ができたという
全国の観光地にも久々に人の群れができたという。
原宿もかくのごとし
外出自粛にご協力をと呼びかけられているのだが、
規制期間が長すぎて・・・と云う人

ワクチン接種を2回打ったから・・・という人
前週より3倍前後の人出
屋外コンサートも開催されたようである。
この夏は天候不順が長かったが、シルバーウイークは好天に恵まれたので、「久しぶりに出かけたいなぁ」と考えた人が多かったということだろう。
旅行会社からツアーのパンフが途絶えていたが、先週辺りからまたボチボチ送られてくるようになった。だが、密集を避けるツアーということで代金がべらぼうに高くなっている。
もうちょっと様子を見ることにしようかなぁ。

2021年9月20日月曜日

46年ぶりの枠旗が日の目

 今日9月20日は七尾中島町の久麻加夫都阿良加志比古(くまかぶとあらかしひこ)神社で国重要無形民俗文化財「お熊甲祭(くまかぶとまつり)」の神事が行なわれる。神事に続いて例年は神輿を先頭に枠旗が勢揃いして町を練り歩くのだが、去年に続いて今年も枠旗練り歩きは中止となった。

昨日は、地元の熊野社で壮年団員やOB約30人が倉庫から枠旗を運び出して虫干しし、中島の伝統行事を彩る準備を整えた。

熊野壮年団による虫干し

上部には金色の刺しゅうがあり「和気兆豊年 梅守謹書」の文字が記されている。熊野町会元会長の嶽武次さん(75)によると、記されている文字は江戸後期~明治期の地元の有力者、大野二三(ふみ)氏の筆で「梅守」は大野氏の雅号だという。この枠旗は46年前に役割を終え、輪島市のキリコ会館に貸し出しされたりした。

コロナがなかった例年の祭りの賑わい
豪華な見たことがない衣装を纏った獅子舞


熱気が充満するクライマックス

最大の見せ場「枠旗倒し」

能登一円の祭りといえばキリコ祭りだが、このお熊兜祭りは中島町のみの祭りである。
40名ほどの担ぎ手が、高さ20メートルを超えるる深紅の美しい旗を「イヤサカサー」という掛け声とともに上げ、練りまわる祭りである。
秋に行われるため、青い空の色、深紅の旗、そして神輿が立ち並ぶ風景はとても美しい景色なのだ。
猿田彦の舞
祭りの中で一番規模が大きいのが「お熊甲祭(おくまかぶとまつり)」だ。毎年9月20日に実施される本祭では、神様の使いといわれている猿田彦に先導されて数十人からなるそれぞれの末社の行列が本社に向かう。
太鼓と鉦のリズムに合わせて躍る猿田彦がこの祭りの特徴の一つと言われています。
また「お熊甲祭」は「熊甲二十日祭の枠旗行事」として、昭和56年に国の重要無形民俗文化財(風俗習慣)に指定されている。

コロナが収束したらまだ見たことがない祭りに行ってみたいものだ。

2021年9月19日日曜日

一人暮らしの安否確認に強い味方が登場

町内の高齢者が30%を上回ったのは随分前のことである。そのうち、一人暮らしの人も年を追って増えつつある。そこで問題になるのは安否確認である。いつの間にか自宅で亡くなっていたという人も増えつつある。基本的には民生委員が一人暮らしの状況を把握しているのだが、民生委員協議会では「個人宅の玄関の敷居はまたがないこと」と指導しているようだ。これでは確認ができないのではないか。

しかし、孤独死は町内でも増えつつある。何年か前、付近の住民が〇〇さんの姿が最近見かけなくなったので家に入り確認したいので立ち会いをお願いしますと依頼されたことがあった。鍵がかかっていたので窓を総点検して、何とか入れる場所があったので中から玄関の鍵を開けてくれた。で、家の中で倒れているのを発見して救急車で入院させた。

そんな体験をしたことがあったので、新聞に「電球で安否確認」という記事に注目した。

   1人暮らしの高齢者の安否を確認するため、試験的に導入した見守り電球。長時間、
   点灯や消灯が続くとスマートフォンなどに警告が通知される=金沢市野町で

「高齢者見守る電球 ON 長時間の点灯・消灯 町会長らに通知」
1人暮らしの高齢者の安否をすばやく確認するため、金沢市野町社会福祉協議会は、通信機器を内蔵した「見守り電球」の活用を試験的に始めた。対象者の自宅に設けた電球が長時間ついたままか、消えた状態が続くと、遠くに住む家族や町会長らに自動で連絡が届く。新型コロナウイルスの感染拡大で地域の見守り活動も制限される中、デジタル技術を使って暮らしの安全安心の確保を模索する。

導入したのはIoT(モノのインターネット)電球で、市内のソフトウエア会社「シーピーユー」が開発した自治会支援アプリ「結(ゆい)ネット」と連動し、NTT西日本が管理。八時間連続の点灯か、二十四時間連続の消灯が続くと、事前に登録した家族や町会長、民生委員のスマートフォンやタブレット端末に警告が通知される。通知を受けた人たちは短文で会話するアプリのチャット機能を使って連絡を取り、高齢者の自宅に駆けつける。来春まで試験的に運用し、実効性を確かめる。

背景には、高齢化に加え、コロナ禍で地域行事が開けず互いに顔を見る機会も減った事情がある。協議会によると民生委員が高齢者の自宅を訪問して安否を確認する見守り活動をしようにも、一定の距離を取るなど接触を避ける必要があり、難しいのが現状。昨年夏には、野町地区に住む八十代の女性が自宅で倒れているところを発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。「民生委員は大きなショックを受けていた」。協議会の杉岡利正会長(79)は振り返る。来年三月末までは、無料で電球を設置でき、それ以降は定額制となるという。

そんなに費用がかからず合理的に安否確認が可能なので、町内にも導入すれば良いと考えるので、町会や民生委員に提案したいと思う。

2021年9月18日土曜日

奥能登群発地震は南海トラフ巨大地震の前触れ?

もう2日前の出来事になってしまったが、当日午後6時10分からNHK「かがのとイブニング」というTVを見ていた。6時42分、いきなり画面が「緊急地震速報」に切り替わり、奥能登地方に地震が発生するので緊急避難してください・・・と。30秒くらい経って珠洲市にM5.2震度5弱の地震が発生したと伝えた。金沢は震度2と表示されたが、全く揺れは感じなかった。ただ、2階にいた孫は揺れと窓ガラスががたがたしたと話した。

TV画面
震度分布図
震度分布図を見て不思議に思うのだが、珠洲と至近距離の輪島が震度3、志賀震度2なのに新潟上越、長岡等の震度3がいくつかあることだ。この傾向は前回も同じだった。フォッサマグナの延長で珠洲市は東部のプレートになるのだろうか。

震度4の能登町の親戚に電話して聞いてみた。「ドカンと縦に揺れた。その後横揺れだったが、物が倒れたり壁にクラックが入ったりはしていない」と聞いた。耐雪設計の家屋のためか、家屋の損壊はゼロだという。

金大平松教授
金大地球社会基盤学系の平松良浩教授(地震学)は「本震の見られない群発型であり、だらだらと活動が続く可能性がある」と指摘する。
平松教授によると、地殻変動のデータから、珠洲市飯田町周辺の地下10数キロの深い場所を中心に何らかの動きがあり、奥能登で地震活動が活発化していると考えられる。一連の地震は18年5月ごろを起点に続く動きで、能登半島地震とは直接関係がないという。

また、富山大学 竹内昭名誉教授は、
「切羽詰まっているというふうに考えられている南海トラフの地震、こういう地震の前後に内陸での地震活動が活発になるということが知られていますので、今回の能登半島の活動も2007年(能登半島地震)も含めまして、一連の活動だと考えるとですね。今、南海トラフの準備段階で活発になっているわけですので、いつかは分かりませんけれども近々、南海トラフ地震が起きることによって収束していくと、そんなふうに考えられるんじゃないかと思います」

南海トラフ巨大地震が発生したら収束するという。何だか不安だなぁ。

2021年9月17日金曜日

ドローン聖地を目指す珠洲

いつ見ても懐かしく思う見附島の写真が新聞に掲載されていた。

ドローンで撮影された見附島周辺。コンテストでは珠洲の絶景を捉えた映像作品を募る

珠洲市の里山里海の魅力を上空から捉えてもらおうと、ドローン業務全般を手掛ける同市飯田町の「ドローン・パートナーズ」などは、ドローンで撮影した映像作品を募るコンテストを開くという。対象はプロのドローン映像作家などを目指す全国の人などで、優秀者には各種企業と提携した商業映像を制作する権利を贈る。同社の浦達也社長(48)は「多くの人に参加してもらい、珠洲をドローンの聖地にしていきたい」と話している。


そして今月4日から奥能登国際芸術祭2020+が開催されている。珠洲市へは一部上場企業が本社を珠洲市に移転して営業を開始したという話しも聞いた。
かつて仕事の関係で昭和37年10月から約1年間、珠洲市宝立町鵜飼に住んだことがある身として、珠洲市の中でも見附島は特に懐かしい場所である。

59年前、現在のキャンプ地付近で見附島の佇まいを眺めた



この島の真正面1kmの場所に能登線建設の事務所に併設された寮に起居していたが、ある日曜日に海水浴に訪れた。島の周囲は遠浅で沖の方で膝までの水位の場所で立っていたら、泳いでいた小魚がすぐ前で停止した。そっと片足を上げ踏み降ろしたら激痛が走った。小魚はオコゼだった。2週間くらい痛みは治まらず酷い目にあったことが昨日のように思う。

2021年9月16日木曜日

1ヶ月も天候不順で休みだったが

8月中旬から天候不順のため、野菜の値段が急騰している。町内のサークル活動であるグラウンドゴルフも毎週水曜日が雨のため休止していたが、昨日はメンバー14人が1ヶ月ぶりに再会しゲームを楽しんだ。

メンバー14人のうち男5人、女9人とだいたい女が男の倍。1チーム5人が2組、4人が1組の編成で8ホールを4巡した。サークル創設は平成23年4月だから今年で11年目を迎えた。メンバーは全員高齢者なので、引退された方も2,3人おられる。

写真では草が伸びているが、このゲームの後、刈り払い機で除草を終えた。除草剤は使用禁止だという。この公園は隣町なので隣町の町会長に使用の可否を問い許可を貰った。正規の管理者は金沢市だが心情として隣町にも話しをすべきと考え、同好会々長が町会長のOKをもらっている。用具を保管する格納庫も設置されたので非常に便利になった。

昨日、その隣町では稲の取り入れでどの家も乾燥機が稼働していた。5日前のウォーキングではまだ取り入れの終わっていない田が散在していたが、昨日はほとんど取り入れは終了していた。

5日前の田んぼは「まだら」状態だった
5日前のウオーキングは土曜日だったが、ちょっと気になることがあった。土曜日はどこのパチンコ屋も営業しているのが当たり前なのだが、休業の店があった。

ただの1台の駐車もない
これに近いコンビニも時間帯のせいだと思いたいが、来客数が少ないように思うが心配しすぎだろうか。


次の店舗も少なかった。

コロナの影響だろうか
まん防が延長になっが、正常に戻る日が1日でも早く来るように心を込めて祈ろう。