2023年6月30日金曜日

今日のこころ旅で仰天!

今朝の火野正平のこころ旅朝版を見ていて「ワッ!」と驚いた。今日は輪島版だったので録画予約がしていなかっただけに、悔しい思いをした。冒頭は手紙を読むシーンなのだが、何となんと、読んでいた場所は宇出津駅跡地の公園だった。俄然、画面にかぶりつきとなった。

ここで手紙を読んだ

読み終えるといつものパターンではすぐ自転車に乗るのだが、そうではなくて、この写真の正面の山の下にあるトンネルまで歩き始めたではないか!自分にとっては、かつて能登線建設宇出津~松波間の工事始点だったので、非常に懐かしい場所。第二宇出津トンネル入り口なのである。

能登線乗り納め会で列車先頭部から撮影した宇出津第二トンネル付近

当然ながら当時(平成16年6月)はイカキングはまだ無かった

晩の番組が楽しみである。「時国家のバス停」が心に残る風景だという。これも必見である。

2023年6月29日木曜日

昨日、とうとうエアコンを買いに

一昨日になるが、あまりにも蒸し暑いので自分の部屋のエアコンのスイッチを入れた。が、電源が何回やっても入らない。とうとう寿命尽きたか・・・と。しかし、電池をチェックすると残量がないようなので新品に取り換えた。それでも電源は入らなかった。そして25年前後も付き合ったこのエアコンと決別することにした。

このエアコンは10年ほど前に部品交換して可動していた。それも購入して13年ほどして動かなくなったので、電気屋に見てもらったところ、ある部品がダメになっているという。メーカーに部品を頼もうとしたが、製造中止となったようで、もうその部品はないという。よく似た部品を探すが、もしそれに取り換えて動かなかったら部品代が飛ぶことになるが・・・というので、2万円がパー、だめもとで取り付けするよう依頼した。部品を取り寄せ付け替えてスイッチオンしたら、「稼働した」のだった。

そして昨日、ヤマダ電機へ。

エアコン売り場へ直行

機種を決定し店員と購買手続きとなった。実際に支払う代金は旧機の取り外し処分等の費用が加算され、「ちょっと高いなぁ」と感じた。ま、仕方がないと諦めることにした。
今日11時に取り付けに来る予定。土日でなかったので店内は閑散としていた。購入時期が7月ちょっと前だったので、取り付けも早く来てもらえるようだ。

2023年6月28日水曜日

今はどこにもないジャングル風呂の思い出

昭和42年の春、2年半の2か所の現場事務所勤務を終え岐阜市にあった本課(土木課)へ転勤になった。これ幸いとして、課の若い衆3人で九州方面の旅行を計画した。当時、新婚旅行のメッカといわれた宮崎日南海岸、池田湖、指宿温泉を観光することにした。

青島・日南こどもの国は新婚カップルで溢れていた

池田湖では初めてコーラを飲んだ。「これはあんまりうまくないなぁ」といいながら何とか飲みほした。池田湖から指宿温泉に移動した。宿泊場所は国鉄共済組合の保養所だった。到着してから「ジャングル風呂に行ってみよう」と話が決まり、指宿観光ホテルに向かった。このホテルは今はないというが、大規模なホテルで大いに賑わっていた。入浴料金はすっかり忘れたが、それはそれは想像をはるかに超えた大規模な浴場だった。ヤシやバナナ等の樹木が茂り、なん十か所もあるとてつもない大規模なシャングル風呂だった。男女フリーなので、木陰の浴場に身を潜め、女性客が来るのをニヤニヤしながら待った。足がふやけるくらい待ったが、2,3人のおばあちゃん方しか来ることは無かった。そんな思い出が残るジャングル風呂だが、現在は団体客が殆どなくなり温泉宿は見る影もない。平成10年、県内に転職したが、課の旅行で積み立てはしていたものの、若い衆は温泉旅行は行きたくないというので、市内の高級料理店巡りに変更した。自分の若いころとは全く別の世界となってしまった。

2023年6月27日火曜日

取り返しのつかない失敗

25日は町内シニアクラブの旅行で能登巌門や和倉の青林寺等を訪れた。昨日は町会のブログにその模様をアップするため、前日整理した写真データを探したら、写真フォルダが空っぽだった。ほかのホルダーにあるかも・・・と思い、必死に探したが見当たらなかった。恐らく、誤ってデータを削除してしまったようだ。カメラの記録カードも取り出してチェックしたが、いつもPCにコピーしたら削除しているので、やはりデータは残っていなかった。その作業プロセスの中で、PCデータも削除したとしか考えられない。ごみ箱にも残っていないのが不思議に思う。

で、元シニアクラブ会長に、写真データが皆無の事態になったことを話し、ブログ作成を依頼してアップしていただいた。

能登金剛遊覧船は特別に福浦港から乗船

この福浦港も何枚か写したが、削除してしまったらしい。
この福浦港だが、奈良時代には渤海航路の渡航地であり、遣渤海使や遣唐使が出航しており、徳川時代以来の海運界では重要な位置を占め、能登文化の中心地でもあった。
慶長13年(1608年)には日本最初の洋式灯台が築造されたという。近年、天然の良港も内航船舶の大型化による利用船舶の減少が懸念されてきたが、好漁場まで至近距離にある立地を生かして、漁業の根拠港として、また小型船舶の避難港としての役割を果たしているようだ。この港には初めて訪れた。そんな訳でシャッターを多数切ったのだがデータは皆無。はがゆいが自分がやったこと。諦めよう。


2023年6月26日月曜日

人気急上昇中の和倉の観光スポット

SNSの効果というか、最近になって100年以上も前に建てられた皇室の休憩所が、人気急上昇中だという。そんな建物が和倉の青林寺に現存している。町内のシニアクラブの旅行会で昨日、そこに行ってきた。

時は遡ること明治42年(1909年)9月、大正天皇が皇太子であった際の北陸行啓の時、休憩に使われた本殿(御座所)が、昭和51年(1976年)に移築された。御便殿は総檜造り、折上げ格天井と格式高い建物で、一見の価値がある。平成29年(2017年)に、国指定登録有形文化財として登録された。裏山には、竹林に囲まれた参道「和みの丘公園」が整備されており、展望台から七尾湾を一望することができる。坐禅体験や写経体験も行っている。

青林寺御便殿

100年以上も時が経過したのにも関わらず、今なお格式の高い建築物が現存していることは驚異的である。この寺のすぐ近くに、この御便殿の付属施設が残されているという。
町内シニアクラブの旅行で初めて知ったことだった。

2023年6月24日土曜日

被災地を荒らす極悪非道の人でなし

珠洲地震の被災地で、真昼間に堂々と全壊に近い家屋に入り込んで新品同様のエアコンを取り外して去って行ったろくでなしがいるという。こんなニュースを見て唖然とした。被害にあった人は、さぞご立腹され、腸が煮えくり返る思いに違いないだろう。


5月、震度6強の地震を観測した珠洲市でエアコンやタイヤが盗まれる被害が相次いでいるというではないか。被害が発生したのは5月5日の最大震度6強の地震で大きな被害を受けた、珠洲市正院町にある全壊の住宅。
解体作業を始めるため家の中を確認したところ、エアコンが無くなっていることがわかったという。
正院町に住む浦秀一市議:「去年の春に購入されて新しいエアコンだったので、新しい家に持って行こうと思って中に入ったらもうなかった」
また、この住宅からおよそ100メートル離れた別の住宅では、倉庫に置いてあったアルミホイール付きスタッドレスタイヤ12本が無くなっていたという。

2件の被害については、すでに警察に被害届を提出したということで、警察はパトロールを行っている。それにしても、このようなことを思いついて実行に移す人間は、血も涙もない冷血人間である。目撃者がおられたらしいのだが、あまりにも堂々として家の中で作業をしているので、家主から依頼のあった業者だと思ったという。被災地を荒らす常習者に違いない。市中引き回しの上、磔獄門の極刑に処さねばならない。

2023年6月23日金曜日

火の粉舞い散る中、キリコ乱舞・・・もうすぐだ

東京、大阪、金沢、どこにいようと「あばれ祭り」には必ず駆けつける若者が多い。勤め先の都合でokがとれなければ、「やめさせていただきます」と。いつからなのか分からないが、最近では7月1週の金・土に開催されるようになった。ひと月を切り、これから準備に忙しくなる。
今年は7月7、8両日に開催される能登町宇出津地区のあばれ祭を盛り上げようと、町役場に高さ約6mのキリコが設置されたという。

祭りのクライマックス(旧役場前)

コロナ禍のため祭りは2020、21年は神事のみ。昨年はキリコ巡行が復活したが、新型コロナ対策で多くの制限があった。今年は制限がほぼな4年ぶりに通常開催するため、地元の八坂神社奉賛会が中心となり、祭りに関心を持ってもらおうと初めて役場にキリコを組立設置した。

まつりムードを高めよう・・・と

20人が参加。部材を運び入れて一階で組み立てた後、光る部分の「中腹(なかふく)」やちょうちんなど装飾品を取り付けた。そばには同町能登高校の書道部員が「あばれ祭」と大書した作品も展示されている。

子どもの頃キリコに乗って、「ワーイヤサカヤッセー」と叫んだ。なつかしいなぁ。何と75年前の思い出となった。

2023年6月22日木曜日

事故の背景はトラック運転手の労働環境悪化が疑われる!

今日のニュースに志賀町ののと里山海道で、乗用車とトラックの衝突事故があったという。
21日午前3時ごろ、志賀町上棚の「のと里山海道」で、輪島方面に向かっていた普通乗用車が、道路脇のガードロープに接触してバランスを崩したところに、後ろから来たトラックが衝突した。
警察によると、この事故で、乗用車の後部座席に乗っていた七尾市の曽根竜介さん(23)が、全身を強く打つなどして、意識不明の重体となっている。
また、乗用車の後部座席の19歳の男性が重傷、乗用車を運転していた18歳の男性と、トラックを運転していた54歳の男性が、それぞれ軽いけがをした。 現場は、柳田インターチェンジと、上棚矢駄インターチェンジの間の片側2車線の直線だという。

午前3時発生の事故だから、どちらも
居眠り運転だったと推定される

去る18日、北海道で発生したバスとトラックの衝突事故は、トラックにブレーキ痕がなかったという。

この事故はトラック運転手の居眠り運転が原因

北海道八雲町の国道で札幌発函館行きの長距離バスとトラックが衝突して5人が死亡、12人が負傷した事故で、トラック側の車線にはブレーキ痕が確認されなかったことが20日、道警への取材でわかった。また、バスが大破したのは斜めにぶつかることによって車体の一部に強い力が集中する「オフセット衝突」が原因とみられ、道警は事故の詳しい状況を調べている。

トラックによる同じような事故が発生したが、恐らく全国的にまだ同様の事故が多発するものと予測される。折からの人手不足により、トラック運送会社の労働環境悪化が生じており、実態調査を早期に実施すべき時期に来ていると思われる。直ぐ近くの8号線に、今日も大量のトラックが走行している。やばいなぁ。

2023年6月21日水曜日

今年も下の娘からプレゼント

3日前の18日は「父の日」。瑞樹に住んでいる娘から今年もプレゼントをもらった。毎年、コーヒー豆のプレゼントが大半なのだが、今年は「ブドウの木」のお菓子だった。独り占めではなく、家族4人で仲良く分けして賞味した。

この「父の日」だが、「母の日」に比べ影が薄いのだという。


お父さんに日頃の感謝の気持ちを伝える「父の日」。…と、言われても、「今年はいつだっけ?」と考える人も多い。調べてみると父の日は6月の第3日曜日なので、2023年は6月18日だった。母の日は覚えているのに、どうしても父の日は影が薄い。なぜなのだろう。
ある記事によると、「とくに何もしない」が約4分の1 忘れがちな「父の日」だという。


6月のイベントと言えば「父の日」。しかし、「父の日ギフトはどのくらいの頻度で贈っていますか?」というアンケート調査によると、「とくに何もしない」という人は24.3%で、全体の約4分の1を占めているようだ。同様の調査で母の日に「とくに何もしない」という人は約15%なので、父の日は母の日に比べて存在感が薄いことがわかる。

忘れやすい理由は“わかりにくさ”とお母さんの“存在感”だという。
父の日はクリスマスのように日付が決まってない。父の日を前に増える検索ワードは『父の日 いつ』なんだそう。母の日も日付は決まっていませんが、先に来るので印象に残りやすく、覚えやすい。そのせいか、母の日が5月の第2日曜日だから父の日も第2日曜日だと勘違いする人もいるようだ。
さらに、母の日の場合は直前にゴールデンウィークがあるので、里帰りする人は手土産として母の日ギフトを選ぶ人もいるようだ。そのため、母の日は思い出しやすいのに比べ、父の日はゴールデンウィークのようなリマインドがないので忘れやすいのかもしれません」だって。

2023年6月20日火曜日

能登線に断ち割られた城址

YouTubeで往時の能登線を走行するビデオを見た。松波駅を出て宇出津駅までの録画だった。このビデオで列車が駅を出発してすぐに松波城址公園の山の下部を走る光景になった。そこでビデオの映像から城址公園が鉄道で分断された箇所の写真を得ることができた。

ぶち抜かれた城址公園

能登線は昭和28年に着工され昭和39年に蛸島まで開業した。実は自分も建設工事に従事したのだが、当時は鉄道が城址をぶち抜くことに何の疑問も持たなかった。しかし、松波城の歴史を辿ると、今では断ち割って鉄道が敷設されることは許されないことである。

 
文明6年(1475年)、畠山3代目当主畠山義統の3男とされる畠山義智により築城されたと伝わっている。以後、6代に渡り松波畠山氏の居城として奥能登一帯を統治することとなる。5代当主・松波義龍の代に、この地の有力豪族松波氏の名跡を継ぎ、松波氏を称し、松波城は能登畠山氏の居城・七尾城の支城的役割を担った。
天正5年、上杉軍攻城により落城、6代目当主松波義親が自害落城したという。
のちに松波城は廃城となった。

城跡断ち切りに間接的だが関与した工事担当者としては胸の痛みを覚えるのである。

2023年6月19日月曜日

小林綾子の薬師岳登山「岳は五たび色を変える」を見た

先日、ボーッとしてTV画面を見ていたら、薬師岳「岳は五たび色を変える」という番組が始まった。かつて独身の頃登った山だったので画面を注視した。

まぎれもなく「おしん」の小林綾子だった

俺たちもここから登った

我々(3人)もバスで有峰湖の登山口まで行って登山開始した。


このコースを折立コースということを初めて知った。有峰湖はダム建設でできたので日本の最も山奥の集落といわれた十数軒が湖底に沈んだと知った。

薬師岳は

薬師岳という名から分かるように、古くから信仰の山であったという。和田川上流の隠れ里で、平家落人伝説のある有峰の人々が、薬師如来の山として山頂に祠を建て、毎年6月15日の祭りには登拝して剣を奉納したものである。赤錆びた剣型の板金は昭和30年ぐらいまで祠に見られたものである。

83歳の山小屋のご主人が小屋の鍵を開けて本尊の説明をされた

しかし、我々が登った時は当然ながら小屋の中は拝むことができなかった。

我々は頂上付近でテントを張った

頂上付近

テントはカールてっぺんの狭い平面の場所に据え付けた。夜空の満点の星の煌めきは今も忘れることは無い。
偶然の番組で大いに感動した。

2023年6月18日日曜日

山岳ルートのトロリーバスが廃止

昭和40年、黒部ダムが完成したというので、職場の一同で見学に行くことになった。信濃大町で電車を降り、バスに乗り換え扇沢からトロリーバスに乗ってダムまで行った。そのあと何十年も過ぎ去り立山黒部縦貫アルペンルートが完成した。平成18年9月、金沢駅からバスに乗り日帰り旅行した。3千m級の山々を縫いトロリーバス、ケーブルカー、ロープウェイに乗り継ぎ黒四ダムについた。よくもまぁこのような交通システムを造ったものだと感心した。

中間の駅で降り散策した

日本最長のロープウェイは圧巻の眺望

ところが、この交通システムでトロリーバスが廃止になるという。何でも部品が無くなったのだと云う。

位置図

やがて廃止となるトロリーバス

トロリーバスは架線から電力を得て走る車両で、法的には鉄道の一種「無軌条電車」に分類される。立山トンネルトロリーバスは1996年に登場し、観光客に親しまれてきたが、修理部品が調達しにくくなり、維持管理が難しくなっていた。
昭和40年頃に乗ったことのある、黒部ダム-扇沢間の「関電トンネルトロリーバス」は、2019年に電気バスへ切り替えたという。さて、新しく導入する電気バスだが、乗るチャンスはまだあるだろうか。

2023年6月17日土曜日

ようやくウオーキングができた!

少なくとも週に3回はしなければ・・・と思っていたウオーキング。天候不順が長く続いて中々できなかったのだが、昨日は曇天ながらようやくそれができる天候となった。
北回りルートを採り、しばらく国8沿いに歩いた。左手に金沢イオン、右手にパチンコ街を通り抜け、お菓子製造所横の細い路地を曲がった。いつも不思議に思うのだが、やがてタイの音楽が聞こえてくる。タイ様式の喫茶店か何かである。こんな場所にこんなお店があること自体不思議に思う。もう何年も経過したが、出入りする客の姿は見たことがない不思議な店舗である。

いつもは右折するのだが、気分転換に左折してすぐまた右折し大通りを歩いた。森本中学入り口と表示のある交差点で右折して直線道路をずーっと歩いた。右手に耕作地が広がった場所に出た。そして思ったことは何と耕作放棄地の広いことだ。年々広がっていく。

農業の担い手がいなくなるのだろうか

森本中学を過ぎ、県道に出た。やがて郵便局を過ぎて、その横の休耕地の写真を撮った。

ここで写真を撮っていたら、おばさんに声をかけられた。「今年も穂がでましたが、去年も出ていました」というので、「去年は耕作していませんでしたか」と聞くと、「去年から休耕ですよ」と云われた。いつもこのルートを歩いているのに自分の記憶力に情けなくなった。そして、左手に見える田はいつまでやるのかなぁと心配になった。

帰宅して歩数計を見ると5000歩にちょっと足りない。ま、そこそこでいいか・・・

2023年6月16日金曜日

波自加彌=ショウガとは知らなかった

森本駅の北東約2.5kmに波自加彌神社(はじかみじんじゃ)という珍しい名前の神社がある。家からそんなに遠くはないが、まだ行ったことがない。この神社の名称だが、「はじかみ」はしょうがなどの香辛料の古い呼び名だということを今日初めて知ることができた。
波自加彌神社は、料理の上達や無病息災を祈願する「はじかみ大祭」を毎年行っていて、昨日、しょうが農家や料理人などが集まった。

ショウガをお供えして「はじがみ大祭」が行われた

国内で唯一、ショウガなど香辛料の神をまつる波自加彌(はじかみ)神社で15日、はじかみ大祭が営まれた。生産者や加工品を扱う業者、地元住民ら約600人が参詣し、無病息災や商売繁盛を願った。


神事は、神職がすりおろしたしょうがを釜に入れてしょうが湯を作り、飲み干したあと、使った器を地面に打ち付けて厄をはらう。
神社ではしょうが湯がふるまわれ、集まった参拝者たちが口にしてこの1年の無病息災を願っていた。
「はじかみ大祭」は、奈良時代に干ばつに見舞われた地元の人が雨ごいをしたところ神社の近くから水が湧き出たため、枯れずに残っていたしょうがを供えて感謝したことが始まりとされている。

わざわざ内灘町から訪れた女性は「しょうが湯はピリッとしていてのどにすごくいいと思います。体に気をつけて健康に過ごしたいです」と話したという。

2023年6月15日木曜日

開港20年を迎える能登空港

能登空港が間もなく開港20年を迎える。2003年7月7日に開港された。この開港となる2カ月前に、もうすぐ2歳になる孫をつれて見学に行った。広大な駐車場に驚いたものだった。そこは珠洲道路面から随分高い場所に設置されていた。

駐車場で

この日は見学者が多かった

翌年、能登線が廃止されるということから、高校の同級生3組の夫婦で「能登線乗り納め会」を開催し、帰路に能登空港に寄った。

ここから1時間で羽田へ、もう鉄道の時代は終わりだと実感

町内のシニアクラブの旅行会でも行ったことがあった。

平成22年9月

この空港には在職中に公務でも何度か訪れた。

主に3階の会議室で技術講習会が開催された。今では懐かしい思い出となった。

2023年6月14日水曜日

不作でも収穫の喜び

早いもので、今年もアンズの収穫時期を迎えた。去年の晩秋に全ての庭木の剪定をしたので、今年の収穫はそんなに獲れないと踏んでいた。
アンズはどういう訳かまだ熟さない収穫1週間前くらいから落果が多くなる。毎年13日頃に収穫しているのだが、隣接地の庭や路上に毎日掃除しなければならないほど落下する。ということから、3日前に収穫した。

アンズの実とジャム加工

やはり収穫量はいつもの半分程度だった。このほか、梅干し風に漬ける小さめのアンズがバケツに1杯ほどある。数年前になるが、収穫しているときに高齢の女性がやってきて、少し売ってほしいというので、今獲り始めたので後で家に届けますと云ってその場を引き取ってもらった。家に持っていったらすごく喜ばれた。その人以外にも、「少し分けて貰えんけ」と来られたので毎年届けていたのだが、今年は収穫量が少なかったのでやむを得ず諦めてもらうしかない。このほか、毎年必ず届けるのが同級生の家。一昨日、その家に行ったらやはり凄く喜ばれた。

収穫してからが大変なのだ

数年前には大豊作のときがあった。この際は町内の知り合いに声をかけて引き取ってもらったことがあった。ウメの木もあるのだが、数年前から全く収穫が無くなってしまった。肥料不足かと思い撒いたが変わり映えがない。

2023年6月13日火曜日

借景の絶妙な技法

借景は、昔から日本庭園によく取り入れられてきた手法である。 その名の通り景色をちょっと借りることで、空間に開放感が生まれたり、部屋にいながらにして、四季の移ろいを感じられるようになる。先だって、足立美術館の庭園について投稿したが、この庭園で借景となった風景はどのような環境なのか調べたくなった。

足立美術館の庭園

庭園越しに見える山々は借景だという。館内から見える風景だが、全く不自然さはない。考え抜かれた造園技術に感嘆しかない。そこで庭園周辺の地形がどうなっているのか見て見たくなって、googl earth で探った。

庭園の裏手は田園が広がり美術館の庭園とは全く相違した景色だった

造園技術者の絶妙な手法にただただ感激するしかない。
「庭園は一枚の絵画」という美術館創設者の信念が素晴らしい。
庭園は借景の山を含め約16万5千平方メートルの広さがあり、「枯山水庭」や「白砂青松庭」などの庭園が整備されている。庭園には絶妙に配置された松やサツキ、ツツジ、モミジなどが広がり、まるで一枚の風景画のようだ。視界に入る山にも電線や電柱などの人工物はない。庭園美を壊さないようにと借景となる山の一部を同館が購入したという。景観維持のため、7人の庭師が懸命な努力を続けている。

2023年6月12日月曜日

古民家村の初めての住人となったカールさんは自分と同年齢だった!

何年前からなのか知らないが、NHKで新潟の山里(住民33人)に、古民家村で最初の住人となったドイツから移住してきたカールさん夫婦の暮らしを定期的に放送している。カールさんは建築デザイナーなのだが、日本の古民家の木材の軸組が世界一との評価をして、古民家を改造して住んでおられる。それが評判となって、移住者が増え古民家村といわれる集落を形成した。

カールさん夫妻
カールさんの古民家
カールさんの住宅は一流の建築デザイナーだけあって、内部は軸組をむき出しにして非常に上手く改装してある。

住宅とは別に町に建築デザイン事務所もある

何よりも素晴らしいのは、集落の人たちとの交流も素晴らしい。そんなことから、全国から古民家村に住みたいと希望者が増えている。このカールさんは、1942年生まれで自分と同年齢だった。東ドイツから西ドイツへ命からがら脱出したという。親父さんが日本の文化に興味があったのが移住のきっかけだという。

この軸組は世界一の技術だとべた褒め

このカールさんの後継者の候補者として移住者の40代の建築家が紹介された。
奥さんのティーナさんは元飛行機のアテンダントしておられた。料理の名人である。
二人の生活ぶりも紹介される番組は興味が尽きない。

2023年6月11日日曜日

ウメダはカオス?

昨日のブラタモが面白かった。ウメダといえば中学の修学旅行で、大阪駅の裏手にある小学校だったか中学だったか忘れたが、その体育館で休憩したことを思い出した。11クラス数百人の 修学旅行だったから体育館が一杯になった。

梅田という地名はどうして生まれた?という質問があったが、埋め田と聞いて「エッ」と思った。梅田周辺は地盤が悪いという。昨日のブラタモで初めて知った。

ブラタモリはこの場面から始まった(大阪駅付近)

地下街ではあちこちに階段が多くあるということも初めて知った。

大阪駅付近の地下街へ

この凹凸の原因は、昭和30年代のビル開発で地下水を汲み上げたことによるものだったという。
粘土層が軟弱であちこちに段差ができた
これを聞いてびっくりした
ウメダはカオスと云われる原因だった。
それにしてもタモリの地形や地質に関する知識は学者並み。毎回感心してみている。
来週のブラタモが楽しみだ。

2023年6月10日土曜日

ありがた迷惑?

先日、金沢~敦賀間の新幹線レール締結式が行われたことに関する投稿をしたところだが、その3カ月も前に、JR西日本は北陸本線の金沢~敦賀間130.7kmについて、廃止届を国土交通省北陸信越運輸局へ提出した。廃止日は2024年春ごろ、「北陸新幹線の延伸開業予定日」としている。北陸本線の金沢~敦賀間130.7kmについて、廃止届を国土交通省北陸信越運輸局へ提出したのである。廃止日は2024年春ごろ、「北陸新幹線の延伸開業予定日」としている。

自分は名古屋や岐阜市にあった勤務先だったので、長い間、名古屋や岐阜駅から米原経由で金沢まで列車に乗った。

名古屋発しらさぎ号富山行き

しかし、敦賀まで新幹線が営業開始となれば、金沢から名古屋へ行く場合は新幹線で敦賀まで行って、米原までか名古屋までの接続する列車に乗り換えなければならなくなる。何だか面倒だなぁ・・・という思いが強くなる。

敦賀駅での乗り換えがかなり大変になりそう

敦賀から京都・大阪方面まで開業するのは全く目途がたっていない。
それに気掛かりなことだが、七尾線や城端線、氷見線がJRのままだということ。北陸本線が敦賀までとなれば、メンテで手抜きされる恐れがあるのでは・・・という懸念が湧いてくる。ジレンマだねぇ。

2023年6月9日金曜日

ロボットが草取り?!

田植えが終わって約1カ月ほど経ったが、これから草取りが始まる。草取りと云えば細長い除草機を苗と苗の間の隙間を押しながらの作業だった。ところが、この草取り作業を、ロボットでできないか研究中だったが、ようやく完成し、今期からこのアイガモロボという機器を貸し出しするという。東京農工大学発のベンチャー企業「有機米デザイン」が、実用化に向けて開発を進めている水田の抑草ロボット「アイガモロボ」の実証実験が羽咋市のJAはくいで行われるという。

アイガモロボを利用する新田聡さん=羽咋市鹿島路町で

JA羽咋は除草に役立つロボット「アイガモロボ」5機を導入し、希望する農家に貸出する。田植え直後から約3週間、水田に浮かべ、スクリューで泥をかき混ぜて光をさえぎることで、雑草の発生を抑制できるという。「無人で動かせるのが一番の魅力」と期待を寄せている。アイガモロボの発売は来年の予定となっている。JAが農林水産省の補助を受け農機具会社から一台約五十万円で五台を購入。農家五戸に一シーズン二万円で貸し出した。

国内ではこんな除草機も実験中

田植え後三週間ほどの間に四、五回の除草が必要で、人力なら一回に一日かかるため、四、五日分の省力化が図れるという。水をかき回すと土中の微生物が活性化し稲の成長にもよく、増収も見込める。水深五センチほどで底を水平に保つのに一手間かかるが、「数日使って数日休むため、来季以降は二つの田んぼで交代に使えば効率よく活用できる」という。

1台二万円の貸出料という。2台併用すれば4万円だが、実際にこの機器を使用する農家は省力化で楽になるとしているようだ。
現在は日本全国慢性的人不足。これからどんどんこんな機器が活躍すると考えられる。