2019年9月30日月曜日

勉強しないとあんな仕事に・・・

電柱に登って作業している様子を見上げていた親子。近くを通りかかった人が思わず「エエツ」と驚いた。
母親曰く、「勉強しないとあんな仕事に就くことになる」と子供に言ったのだとか。


そんな投稿を見た人が、言っている母親本人の勉強不足を嘆くコメントが多く寄せられたそうである。実際に電気工事士の資格は簡単ではないようで、東京理科大院卒の優秀な友人が大手電力会社の正社員として電柱登ってますよ、当方電気工事士の資格所有者です。その方、可哀想な方ですね。

という関係者からの指摘も。そもそも生き方や職業において「勉強」がすべてではないはずです。「電気工事士」という資格に対する知識だけでなく、せまい視野でしか物事を見られない母親に同情が集まりました。

「あの仕事するにはたくさん電気の事を知らなきゃいけないのよ」
「すごーい!あんな高い所登ってるね!怖くないのかな?」
「毎日電気を使えるのはあの人達のおかげなんだよ!」
これが子供に言うべき模範解答なのではないでしょうか?

これとよく似た話を聞いたことがある。ある駅のホームで列車を待っていた時、保線作業をしているグループがいたので、やはり母親が子供に、「勉強しないとあんな仕事をすることになる」と言ったという。
昭和30年代前期までは、数人が声を揃えて「仕事の歌」を歌いながらツルハシのような「ビーター」という道具で線路を搗き固めた。たぶんその頃の話であろう。
この場合、母親が子供に言うべき模範解答はどんな言葉が適切なんだろう?

だいたいこんな風景だったのだろう
やはり職員一人一人がプライドを持って仕事をしていたのは間違いない。
満州事変が始まった頃、伝統ある「道床搗き固め音頭」にあった笑いはなくなり「我等の鉄道 命とたからの 守りぞ打ち込め 保線の魂 雨風凍りに 雪にも打ち込め 保線の魂」と変わっていく。しかし敗戦でも冷静に安全に運行することだけに全精力を傾けた。父親の辿った線路工手の歴史を丁寧に掘り起こした橋本ノンフィクションというものが残っているという。


ネット上では、「勉強しないとあんな仕事に就くことになる」と言っている母親本人の勉強不足を嘆くコメントが多く寄せられたという。その方、可哀想な方ですね。 という関係者からの指摘も。そもそも生き方や職業において「勉強」がすべてではないはずです。

全く同感!

2019年9月29日日曜日

「ラグビーワールドカップの歴史の中で最も衝撃的な試合」と英BBC

昨日は4時からTVにくぎ付けとなった。日本対アイルランド戦である。ロシア戦をものにした日本だったが、相手は優勝候補のアイルランドなのだ。
試合が開始されるとアイルランドの攻勢が続いた。早々にトライを許したので、この試合の先行きに大差で敗戦という嫌な予感を覚える展開だった。

前半戦は殆どアイルランドに押しまくられて、日本は防戦するのにめいっぱいというところだった。前半終了の何分前だったか、頼もしい男が前線に出てきた!
精神的支柱が流れを変えた。前戦の先発から、リザーブスタートとなったリーチ主将。アイルランドに2トライを許し、3-12とリードを許した前半31分に負傷したナンバー8マフィに代わってピッチに入ると、チームに安定をもたらしたのだ。
 
この男が流れを変えた
「いつでも出る準備はしていた。入った時にインパクトを起こすと意識して入った」。緊急出場にも冷静さを失わず、肩を押さえながらもん絶する場面もあったが、体を張ったディフェンスでチームをけん引。逆転の番狂わせを呼び寄せた。
ジョセフHCから一対一で、「どストレートに言われた。今週は出ないって」という先発落ち。「全部説明してもらって、『うん』となった」と受け入れた。

史上初の8強入りを狙う日本が、4万7813人の大観衆を集めた1次リーグA組の第2戦で優勝候補のアイルランドを19-12の逆転で破る大金星を挙げた。日本はアイルランドとは10度目の対戦で初勝利となった。フッカーの堀江翔太(33)=パナソニック、途中出場したフランカーのリーチ・マイケル主将(30)=東芝=らが体を張った守りで相手の反撃を封じた。日本は10月5日にサモアと戦い、13日にスコットランドと対戦する。

昨日のイギリスBBCは、歴史の中で最も衝撃的な試合だったと報じた。

BBCの放映画面
トライに向かって1mmでも前進しようと全力でぶつかる肉弾戦が興奮を呼ぶ。
ルールがたくさんあって殆ど理解できないが、ボールを抱えて力と力がぶつかる様は、他にない手に汗握る場面に熱くなってしまう。
次の試合が待ち遠しいなぁ。



2019年9月28日土曜日

「しばしも休まず村の鍛冶屋」ではないのだ

昨日、偶然にFacebookでこんな投稿を眼にした。

ふくべ鍛冶さんはふくべ鍛冶にいます。
9月25日 18:00 · 石川県石川県 鳳珠郡 ·
【かじやの窓口の秘密】9/25
チラシをよーく見て下さい。実は、かじやの窓口プランとして、料金は一律ポッキリとなっています。


全国の鍛冶屋さんや刃物屋さんを見てみて下さい。刃渡りが長かったり、刃がカケていたらプラス料金が発生します。いったいいくらになるの??と思うことありませんか?
ふくべ鍛冶は、そんな不安を一律料金で取り除きます。なので、窓口プランには、高価な刃物、状態のよろしくない刃物を持ってこられた方がお得(秘密)となります^ ^

どうしてこんな事ができるのか?それは年間数千〜数万点の修理品を取り扱っている実績から平均値をとっているからです。スケールメリットを能登のお客様に還元したいと思っています☆ 以下略

素晴らしい経営ポリシーで店を運営している干場夫妻
実はもう10年ほど前になるが、産展で買い求めた長火鉢の五徳を探しまわっていた時に、宇出津のスーパーで買い物をしてついでに新町通りのスーパーの向かい側に金物屋があったのでそこにあるかも・・・と思い店に入った。おやじさんが要望を聞いて、「これはどうか」と勧められた。建設資材の棒鋼を加工した五徳だった。大小いくつか並んでいたので「今どきこんな需要はあるのか」と聞いたら、お寺さんから時々注文が入るのだとか。
宇出津新町通り ふくべ鍛冶
今の当主は息子さんの 干場健太朗さんである。
1980年生まれ。能登町宇出津出身。高校卒業後、京都の大学に進学。経営学を専攻する。卒業後Uターンし、能登町役場に就職。現在は明治41年創業の老舗『ふくべ鍛冶』の4代目として、包丁や農具、漁師の道具などの金物を製造販売。その一方で、商工会青年部の中心人物として、地域活性や地場産業の振興にも取り組んでいる。

公務員から鍛冶職人へと転職。  県外の大学を卒業後、地元の能登町役場に就職。退職するまでの12年間、まちづくりや地域活性に取り組んできました。鍛冶職人を目指したのは2015年。母が病気で他界したのをきっかけに「これからは家業の野鍛冶で地域を盛り上げていこう」と心に決め、町職員として働きながら早朝と深夜に修行をするようになりました。師匠でもある父は「見て覚えろ」の昔ながらの職人気質。同僚や近所の人たちに包丁を借りては、納得がいくまで何千本も研ぎ続けました。役場を退職後は、妻と一緒に会社を切り盛り。

転職してまだ5年目だが、その経営戦略が異色なのだ。
HPを拝見すると次のような文章が飛び込んでくる。

能登の野鍛冶屋
ふくべ鍛冶

私たちの仕事は
刃物を作ることではありません。
その土地の営みを守り、
皆様の「こまった」を「よかった」に変える。
日々の当たり前の生活にあるものを支え、
大切なパートナーであること、
私たちは野鍛冶という仕事を、
そう考えています。
道具には魂が宿り、
文化を伝える力を持っている。
そう信じ、私たちは皆さまとともに
日本の大切な文化を、
守り、発展させるため、
今日も鉄を叩き、刃を研いでいます。


うれしいねぇ。今どき奥能登の鍛冶屋さんがこんなコンセプトで鍛冶屋を営んでいくとは!テレビで巡回して注文を聞いて回る干場さんを取材していた。

奥さんと二人で近郷の農家を回っている
ただ回るだけではなく、新商品の開発も行っている。
もうすぐ売り出す「サザエの身抜き器」のビデオも作成した。

サザエの身抜き器
PR用のビデオはyoutubeで見られる
写真は生のサザエの身を、誰でも簡単に取り出すことができる「サザエ開け」です。
これまでにない独特な形状で、素早く簡単にサザエの身を取り出せます。また、貝柱まで丸ごときれいに取れるので、新鮮なサザエがさらに美味しくいただけます。地元鮮魚店と共に研究を重ね、「この角度が1度狂っても使い勝手が悪くなる」という独特なカーブに到達、現在特許を出願中です。



明治41年創業、石川県・能登半島の野鍛冶「ふくべ鍛冶」は、能登を中心に農漁業、土建業、一般家庭をお客様として、金物の製造販売・修理をおこなっています。
初代「勇作」から2代目「政治」、3代目「勝治」と身代が受け継がれ、現在は4代目となる「健太朗」が新たに移動販売業を開始。地域に愛される鉄の便利屋として奮闘しています。

2011年、能登半島は佐渡とともに日本初の世界農業遺産登録地となりました。その選定キーワードは「里山里海」。ふくべ鍛冶が地域の人々のために作り続ける道具は、今も「里山里海」の暮らしを支えています。


店舗の他、離れた場所に作業所がある。現在、8人の社員で奮闘中だという。
宇出津に縁がある人間として応援(と云っても見守る程度だが)していきたい。

2019年9月27日金曜日

未解決事件多発

茨木県で23日発生した一家殺傷事件は今だ手掛かりがないという。1階には目もくれずダイレクトに2階へ上がり凶行に及んだ。父親は肺に達する深い刺し傷があり、強い殺意があるという。何せ樹木が生い茂って家がどこにあるか分からないほどなんだとか。
犯人は恐らく親戚関係者だろうと素人的判断をしているのだが、一刻も早く犯人検挙をしてもらいたいものである。

また、21日からキャンプ中に行方不明になっている小1女児の捜索が続いているが未だ不明のままとなっている。


警察、消防、自衛隊のほかボランティアが加わって300人余が懸命な捜索を行っている。
思い出されるのは2歳の男の子を僅か2時間足らずで救出したプロボランティアの尾畠さんである。

尾畠春雄さん
九州に住んでおられるのですぐ来てくださいとは言えないかもしれないが、やがて1週間が過ぎる。尾畠さんは年金暮らしだというから、旅費等の経費捻出が容易ではないのかもしれない。経費を負担する前提でご協力を要請してみては如何だろう。

しかし、これだけ広範囲に亘って捜索しているにも関わらず発見できないということは、「連れ去り」も考えなければならないと思う。

そして去年7月、フランスの女性が日光周辺を散策していて行方不明となっている事件が未解決である。
何だか神隠し事件のように思える。

2019年9月26日木曜日

松任駅前の旧吉田家と俳句館は行ってみるべし

今日の朝刊に千代女の里俳句館でアメリカから持ってきた朝顔の花が咲いたという記事があった。そういえば12年前にそこへバスツアーで行ったことがあった。
この施設は白山市ふるさと館に隣接しているので、松任駅前にある松任ふるさと館(旧吉田家)を先に見学して俳句館に回った。

松任駅のド真前だというのに、平成19年にそこへ訪れるまで全くそんな邸宅があるとは知らなかった。吉田家は、明治・大正・昭和初期に金融・米穀・倉庫業等で活躍した大富豪、吉田茂平(よしだ もへい)の私邸で、安吉町にあったものを、大正元年に交通の要衝である現在のJR松任駅前に移築したもので、今は母屋と庭園部分が残っている。



昭和57年(1982)10月に市が譲り受け、「ふるさと館」として開館した。また、向かいの松任中川一政記念美術館と一体的に活用ができるよう、敷地内に美術館別館も建設されている。平成13年(2001)10月には、国登録有形文化財に登録された。


大富豪吉田家の居間
庭園も広大で滝まで作られている
農業(大庄屋)・酒造・海運・倉庫で財をなしたが、戦時中に所有していた商船が潜水艦に撃沈されたり、農地改革で丸裸になってとうとう維持管理が困難になり市に寄付したものなのだ。所有地は能美郡から小松市の一部までに及んでいたという。

この邸宅から隣接している千代女の里俳句館に移動した。
この俳句館も想像していたものより立派な建物だった。


朝刊に掲載された朝顔の写真
休息所
訪問者には学芸員が解説してくれる
平成19年に福寿会(老人会)が訪れた
以下、新聞記事
白山市千代女の里俳句館の千代女像前で25日までに、米国生まれの種から育ったアサガオが咲き、青紫やピンク色の花が来館者を楽しませている。

種は、米ニューヨーク在住の美術品収集家ミヨコ・ウンノ・デイビーさんが自宅やセントラルパークで栽培している2種類のアサガオ。デイビーさんが4月、加賀の千代女の俳句を題材にした19世紀末のフランス製陶器「井戸に朝顔」を俳句館に寄贈した際、持参した。

同館は5月に9鉢で栽培を始め、8月末ごろから咲き始めた。花は一般的なアサガオより小さい直径約4、5センチ、葉は丸みを帯びたハート形をしている。同館担当者は「なかなか大きくならず心配したが、ようやく咲き、ほっとした。多くの人に見に来てほしい」と話した。

この記事で12年前のバスツアーを思い出したのであった。


2019年9月25日水曜日

三方岩駐車場付近の紅葉が始まった!


今朝の朝刊にもう紅葉が始まったという記事が掲載された。場所はホワイトロード三方岩駐車場付近。
白山白川郷ホワイトロードは24日、強風による通行止めが解除され、県内外の人がドライブを楽しんだ。標高1450メートルの最高地点・三方岩(さんぽういわ)駐車場付近ではウルシの葉が一足早く色づき始め、行楽客は紅葉の季節の足音を感じ取った。


色づくウルシ、紅葉の足音 白山白川郷ホワイトロード
ホワイトロードを管理する石川県林業公社によると、今年の紅葉の見頃は10月半ばから11月初旬までと見込まれる。
もう15年前になるが、10月中旬に三方岩駐車場から三方岩と野谷荘司山に登山したことがあった。駐車場から僅か40分で三方岩に到着する。それが結構登山したという気分に浸れるのだ。
三方岩駐車場は岐阜県なのだ

駐車場付近の紅葉

三方岩
三方岩に早く到着したので、さらに2kmほど先の野谷荘司山に向かうことにした。

野谷荘司山付近の眺望
この山の頂上で岐阜県からきたという4,5人のグループが頂上で休憩していた。そして、「コーヒーどうですか」と勧められた。ラディウスで沸かしたコーヒーは格別にうまかった。

帰り道の途中に姥が滝を見に行った。すぐそばに親谷の湯という露天風呂があったが、風呂の準備はしていなかったので入浴は断念した。

親谷の湯のすぐ目の先に姥が滝
その10年後の平成26年、町内老人会のバスツアーで白山スーパー林道(当時の呼称)へ紅葉狩りに行った。







 参加者が35名と今までに最も多い人数で紅葉と中宮温泉で昼食と入浴を楽しんだ。



昔の話になるが、岐阜市に在住の頃、11月初旬に京都の紅葉を見に行ったことがあった。目的地は高尾山神護寺の紅葉であった。ところが現地到着してあたりを見渡しても紅葉している木はどこにも見当たらなかった。何と1か月先が見ごろなんだって。これにはまいった。それに女房殿が免許取り立てで運転して行ったのだが冷や汗3斗だった。

2019年9月24日火曜日

梅沢冨美男の修行の地


去年だったと記憶しているのだが、バラエティ番組で常連の梅沢冨美男が卯辰山でインタビューしているテレビを見た。その番組で初めて知ったのだが、今ではスーパースターとなっている梅沢冨美男がまだ無名だったころ、金沢ヘルスセンターで毎年1か月余り公演していたという。番組では梅沢氏も「金沢は第二の故郷」と話していたのだ。

50年ほど前に梅沢劇団が毎年公演を行っていた演芸場があった「金沢ヘルスセンター」の跡地へ行って思い出話をしたのだ。
「ここが役者の原点だ」と当時を振り返った梅沢の前に現れたのは、御供田幸子さん。金沢で劇団を主宰し、相方の千秋さんと共に“お婆ちゃんコント”で人気を博している彼女は、梅沢に感謝の思いを伝えるためにやってきたという。 

大広間の舞台
入場すると大広間では自分の居場所を作った
28年前、「夢芝居」でスターの仲間入りをした梅沢が金沢で凱旋公演を行った時のこと。御供田さんは、カツラや刀などの荷物を自ら率先して運んでいる梅沢の姿を目撃したという。 
そんな梅沢の実直な姿勢から演劇とは何かを学んだという御供田さんは、「団員の人達と一緒に荷物を運んでいた、あの姿が焼き付いて、頑張ってこられた」と梅沢に感謝を伝えた。

ヘルスセンターの跡地では、御供田幸子さんが素顔で登場していた。御供田さんと相方の浪花千秋さんは石川県で有名なお笑いコンビで、石川ローカルのテレビCMにも出演している。脳梗塞に倒れた相方の千秋さんに梅沢さんがメッセージを書いてくれた場面があった。

梅沢氏が毎年公演していた頃のヘルスセンターの状況をネットで調べた。

入り口
山の上にある水族館としては希少的な存在だった
動物園では触れ合うことができた
兼六園の見晴らし台から見える風景だった
水族館とヘルスセンターを結ぶロープウエー
ヘルスセンターのシンボル
新川二郎もここの舞台で歌っていたところを見出され、「東京の灯よいつまでも」が大ヒットした。4月に整備された見晴台に行ってきたが、建物の位置関係がさっぱり分からなかった。
大広間とか大浴場や動物園はどこにあったのだろか
1958(昭和33)年11月1日、松本観光株式会社が「金沢ヘルスセンター」として開業。同時に「金沢動物園」を開園した。1963(昭和38)年8月、隣接地に「金沢水族館」を開業した。

同地周辺にはほかに演劇場・映画館・小遊園地、大浴場や宿泊施設も開設され、一大行楽施設となった。水族館と金沢ヘルスセンター間にはロープウェーが設置されていたが、後に老朽化のために廃止された。

1982(昭和57)年「金沢サニーランド」と改称される。
1993(平成5)年8月31日、利用者減少・施設老朽化により閉業。
石川県が施設全体を買収し、1994(平成6)年に公営施設「県立いしかわ動物園」として再出発した。しかし老朽化がひどく、また拡張する土地の確保が難しいことから、1998(平成10)年に閉園した。




2019年9月22日日曜日

今年は雨で中止になった社会体育大会

2,3日前の予報は台風17号の影響で今日の天候は雨だったため、千坂校下社会体育大会は中止する旨の連絡があった。町会は本大会のために、1か月前から出場選手の選考や本人の承諾を得る作業が始まる。応援の人数も調べて弁当の注文をする等、大変な作業量をこなさなければならない。中止となれば、悔しいがそんな作業が無駄となる。

吾が町会が初優勝をしたのが平成16年、今は亡き町会長が選手選考に頭をひねった成果であった。

綱引きで1位獲得
初優勝!
平成21年、2度目の総合優勝。翌年も連続優勝に輝いた。このころ綱引きは6連勝と荒屋団地の意地を示すことができた。その陰には、消防職員だった人から綱を引く姿勢の指導を受けた。また、選手選考は20人のうち10名が女性であることから、奥様方は重量級を優先して選手とした。

そして平成26年、3回目の総合優勝に輝いた。だが、綱引きは当町会の要領を密かに研究した横枕・千木親和合同チームに優勝をさらわれてしまった。それ以降、横枕・千木親和の右に出るチームはまだ表れていない。

千木・千木親和合同チームに王座を奪われて現在に至っている
お得意競技はむかで競争となってダントツの強さ
小学生から大人までのリレーも勝敗が左右される
3度の優勝を果たしてから5年が過ぎた
この社会体育大会は町内の老若男女100名余りが参加する一大行事である。弁当代や飲み物の費用が嵩むが、コミュニティ増進にまたとない機会となっている。
そんなことで、中止が悔やまれてならない。