同じく津幡町出身の大の里の1学年後輩にあたり同じ相撲教室に通ったほか、大の里の勧めで同じ新潟・海洋高校に相撲留学した。
欧勝海は、29日、福岡市で会見に臨み「ケガをしないように体をつくってみんなに応援されるような力士になりたいです。気持ちを新たに一から頑張っていきたい」と意気込みを語った。
今日は腎臓がんの手術から5年半経過したので、半年ぶりに検診に行ってきた。再来受付をして先ず行くところは採血、半年前まで5本採取されたが、今回は2本になった。終わると採尿コップをもらって採尿。これで前段の処置が終わり、泌尿器科受付へ。保険証を提示してから待合室へ。今日は主治医だった宮沢教授の診察がある日なので椅子の空いている場所がない。
2階ソファからの眺め 河北潟と金沢市内が望める |
暫くすると受診番号表示盤の6番目に名前が表示されたので、30分ほど院内散歩することにした。正面玄関の2階のソファには誰もいないのでゆっくり寛げた。20分ほど休んで診察待合室に戻った。そのうち名前が呼ばれ、残尿検査室に入って超音波で残尿量を測定され、再び待合室へ戻った。20分くらい待っていると診察表示板に自分の番号が点灯して受診室に入った。
先ず、残尿量の写真を見ながら、「ま、普通でしょう」と。血液検査と尿検査結果の表を見ながら、「異常はありませんね」と。次の診察は5月28日となりますがよろしいですかと聞かれ承諾した。そして先生が、「実は3月に実家に帰ることにしているので次回から人が変わります」と告げられたので「色々と本当にお世話になりありがとうございました」とお礼を述べた。ほんとうに優しくて親切にしたいただいた先生だったので、これが最後かと思うと淋しく思った。
お陰様で偶然にガンステージ1で発見できたので命拾いできた。こうして元気にいられるのも医科大様々と感謝せずにはいられない。
大の里が10勝目を挙げ、いよいよ幕内昇進が現実味を帯びてきた。改めて略歴を調べてみた。
津幡出身ながら中学、高校は糸魚川の能生中学、県立海洋高校と進み、日体大に進学した。新潟の中学を選んだのは親御さんのツテでそうしたのだろう。それが見事功を奏した。大学時代は学生横綱、アマチュア横綱、学生相撲選手権大会個人戦優勝、アマチュア横綱2連覇等々、華々しい戦績を残した。今年の4月6日に母校の海洋高校で入門記者会見を行い、四股名は大正時代の大関の大ノ里萬助や師匠の二所ノ関親方が出世したときに案に上がった四股名である「大の里」となることが発表された。中村本人は二所ノ関部屋を選んだ理由として、部屋の所在地が茨城県阿見町であり誘惑や娯楽の無い環境で相撲に集中できることを挙げている。師匠の二所ノ関はスピード出世に拘らず大相撲の十両以上で年90番取れる体を作ることに主眼を置くコメントをしている。
大奄美戦 |
難なく寄り切った |
新十両会見で大の里は「チヤホヤされるかもしれないけど、まだ新弟子。常に『おかげさま』の気持ちでやっていきたい」と、自身の未熟さを強調し、謙虚に話した。関取となって初めて手にする給料の使い道を問われると、高校時代の田海監督の妻に出世した時に購入すると約束した牛一頭の調達をいつか実現したいと語った。目標は「誰からも愛される関取になりたいし、小さい子に憧れを持たれるような力士になりたい」と、堂々と話した。
炎鵬は故障で休場中、遠藤は不調ながら5勝目を挙げた。輝は昨日久しぶりに勝ち名乗りの4勝9敗。そんな中、大の里の活躍が光り輝いている。来場所の活躍が益々の楽しみとなった。
居間 |
全国旅館の「おもてなしの心」が毎年トップを維持している加賀屋だが、ホテル屋上に庭園を整備し昨日(22日)オープンした。
今朝8時40分、GG会場の八幡公園に行ったのだが、いつもこの時間には2,3人が準備をしているのに、今日に限って誰もまだ来場者はなかった。用具が仕舞ってある物置の鍵も持っていないのでどうすることもできずしばらく待った。それにしても抜けるような青空、それも無風で寒くない日。この時期にこんな日があるなんて何と幸せなことか。
そのうち鍵を持った人が来られたので、用具を出して所定の位置にセットした。いつもは14,5人だが、今日は10人と少なかった。
コースは短いが結構楽しめる |
全8ホールを4ラウンドして終わりとしている。今日はホールインワンが出た。前回も出たがそれ以前は半年以上もホールインは無かった。中々上達はしないから面白いのかもしれない。
約半分ほど回った時、体調が良くない状態になってやむを得ず急いで帰宅した。来週の天気予報は曇り時々雨なので、11月のプレイは今日で終わりかもしれない。12月から3月まではお休みなのだが、天候を見て暖かい日であればやろうかという話もある。運動不足解消にはなるべくやったほうがベターなのだが・・・
優勝の瞬間 |
能登町在住の親戚のご主人が亡くなられ、金沢で昨日と一昨日にかけて葬儀が行われた。死因は誤嚥性肺炎だった。能登町の病院で治療を受けられ退院してから、また再発したので金沢の病院で療養されていた。
葬儀もコロナ禍より随分普遍化されて安堵した。享年76歳、自分より5歳も若い世代なのに亡くなられ残念に思う。4人の子供さんは金沢に住んでおられるので、金沢で葬儀が執り行われることになった。故人は名古屋近郊の酒屋で長い間杜氏をされていた。帰郷される際には必ずわが家に立ち寄られてお土産を沢山戴いた。
奥さんの体調が悪化して杜氏をやめられ実家に戻られていた。実家では畑をしておられ野菜を山のようにもらった。米の収穫時にはドカンと袋詰めの米を玄関に置いて行かれた。
通夜にしろ葬儀にしろ、沢山の弔問客が来られた。高校生のお孫さんが数人もおられた。お人柄が偲ばれる。ご冥福を祈りたい。
クロホシマンジュウダイ |
キンチャクダイ |
はやいもので、勤めを辞めて16年目を迎えた。就職は昭和36年(1961)3月、岐阜駅から徒歩10分ほどの東海道線の線路沿いに勤務先の事務所があった。当時の退職年齢は55歳。現代では考えられない若さだが、当時の50歳前後となる男性はよぼよぼだったように感じる。戦後の食糧不足が影響しているのだろう。
土木課第6係(能登線担当)勤務を命じられた 係長は泰緬鉄道建設体験者だった |
平成19年3月30日退職記念の花束を持って家に帰ったら 孫たちが出迎えてくれた。46年のサラリーマン生活だった |
震度6強の地震で見付島の姿がとても変わった。特に島の先端部が形を崩した。先日、何気なく昔のアルバムを開いたところ、60年前に写した2枚の写真があった。昭和38年8月のある日曜日、小学校の付近にあった国鉄岐阜工事局鵜飼工事区の独身寮に住んでいたのだが、日曜日だったので海水浴に出かけた。
見付島の先端部は殆ど垂直状態に近いではないか! |
貧弱な肉体が邪魔になる写真だが、ご容赦のほど 正面から見る見付島はまだまだ端正な姿だが、少し先端 下部が荒れている |
この惨状はいかんともしがたい・・・というが |
昨日1日は起床してから寝るまでの間、居間に据え付けてある石油ストーブは付けっぱなしだった。2,3日前から急に冷え込むようになった。しかし、今日はもう11月中旬、例年だと10月下旬からストーブは付いていた。例年より2週間遅いストーブ点火だった。
今年は暖冬かと喜んでいたのだが急激に冷え込んだ。今朝は寒さのため何度も目が覚めたので、今晩からは布団を1枚プラスすることにした。
昨日朝の冷え込み状況のニュース |
一昨年の冬は暖冬で除雪は1度たりともしなかった。こんな冬は金沢で初めて経験した。去年の積雪でいらいらしたのは、バス通りの除雪を市はなかなかやってくれなかったこと。町内のバス通りといえば、道路が狭く対向車は必ず停車して、雪があろうがなかろうが通過するまで待っていることである。積雪5cmから市道は除雪するというのだが、それがなかなか着工してくれないのがいらただしく思う。それでも、町内の各道路は建設関係の企業に勤める従業員が、率先して機械を運転して除雪している。ありがたいことである。町会はこころばかりのお礼はしているが・・・
先日、町会機関紙の「町会だより」を見て、ヘェー、優勝!と目を瞠った。荒屋会館に優勝旗が飾ってあった。2カ月前に開催された千坂校下社会体育大会で、6年ぶりに23町会のトップに立ったのである。20年前に遡るが、町会副会長の立場だったことから、青年部長と対策を練った。団体競技の綱引きの優勝を目指そうということで、市役所が全国制覇を続けていたころだったので、消防署職員の指導を仰ぐことにした。
初めての優勝旗(h15) |
この綱引き競技で指導を仰いだ結果、見事優勝を飾り総合成績トップとなって、堂々と優勝を獲得した。それ以降数年間トップの座を守ったが、猛特訓した町会が現れ、2番手に甘んじるようになった。
決勝戦勝利でトップに立った! |
それでも今年は6年ぶりに総合優勝したという。懐かしい思い出が蘇った。
今から41年前に遡るが、家族4人で乗鞍岳畳平にある宿泊所で1泊して乗鞍岳頂上に登ってから車で下山、梓川に沿った沿道のバス停からバスに乗り換え上高地に向かった。マイカー禁止は現在も続いている。トンネルを抜けると間もなく大正池バス停で下車し、大正池に向かった。
景色は広大な池が広がって立ち枯れした木がポツンポツンと並んでいた。
そして先日、25年前に写したという大正池の写真を見た。イメージとかけ離れた写真だったが、現在の写真を見てさらに驚いた。
25年前の大正池 |
そして現在:大正池が川筋になっている! |
こんなところに帝国ホテルがあるなんて!と |
帝国ホテルのレストラン |
何と東京からカニを食べにやってきた4人家族に提供された |
うまそう! |
何とも羨ましい家族だこと! |
まさか300万円のカニだとは考えもしなかった! |
それにしても肝っ玉のでかい百楽荘だ |