2021年10月31日日曜日

8分間の花火大会 ラストはスターマインで観衆から拍手喝采

家の近くで昨夜7時30分から花火が打ち上げられた。主催者は森本商工会青年部。新聞に折り込みが入っていたが、密集を避けるため打ち上げ場所は非公開だった。だが、娘のつてで場所は森本中学校付近の田園地帯だということが判明した。

森本商工会の折り込みチラシ

森本中学校付近だったら、郵便局手前の県道と市道の分岐点に保育所の駐車場があるので、花火見物にもってこいの場所と考えそこへ向かった。「花火の打ち上げはどこかしら?」と通りかかりの人に尋ねられたので森中付近だよと教えた。

7時半丁度に一発目が上がった。駐車場に到着すると既に子ども連れの家族が何組も来ていた。空にはドローンとおぼしき発光体が二機認められた。

朝刊記事
5分は短すぎると思っていたが、実際は8分前後で、最後の締めくくりとしてスターマインが打ち上げられた。このような近くで花火を見るのは何十年ぶりかの出来事で、短い時間だったが十分満足することが出来た。

商工会青年部のfacebook動画より
打ち上げられる度に、子供たちから歓声と拍手が湧き起こった。
寄付集めに奔走された関係者に感謝したい。ありがとうございました。

2021年10月30日土曜日

近所の異変

晴れた日はウォーキングに出かけるのだが、最近になってある異変に気づいた。場所は8号線に沿ったパチンコ銀座の一角である。300m位の区間に4店舗のパチンコ屋が連担しており、昨年のコロナ禍で一時すべての店舗が休業をしていた。今年に入ってからは休業店舗は無かったのだが、最近になって「あれっ?」と思った。ある店舗の駐車場に一台も駐車していないのに気づいた。

広大な駐車場に駐車ゼロ
道路を挟んで隣の敷地もパチンコ店の駐車場
店舗の入り口に案内があると思い、そこに回ってみたが貼り紙一つなかった。
4,5年前の話しだが、そのころも閉店云々の話題があった店舗である。地元の人の話だと、店舗が閉鎖するとある地主さんが2千万円前後の借地料が入らなくなるのだという。3年ほど前に開店したローソンも広大な駐車場に取り囲まれている。一方、4階建ての駐車場があるパチンコ店は駐車場はうんと狭い。

この店舗の駐車場は広大である

コロナ感染者は久しぶりに県内ゼロという。急激に収束してきたという感じがする。東京は二桁台となった。が、大阪は東京の何倍も感染者が多い。なぜなのだろうか。しかし、油断は禁物。まだまだマスクは外せない。

2021年10月29日金曜日

小坂以北9つの町連合同応援スポットの紹介

金沢マラソンが二日後に迫ってきた。今回は衆議院選挙とダブって実施されるので投票所に向かう人のマラソンルートの道路横断がOKになったという。ランナーと横断者の調整方法はどうなのか?

金沢マラソンは切れ目のない沿道応援が参加者に好評だという。本来は吾が町会も指定場所に行く筈なのだが、今回も町会から動員等の案内はない。この各町会の応援指定場所のほかに、小坂町以北の町会連合会の合同応援スポットがあるのをご存じだろうか。場所は小坂町交差点となっている。東金沢駅方向は全面通行止めとなることから、交差点の路上に6張りのテントを設置して北鳴中学や三谷地区の太鼓競演が繰り広げられている。

道路のど真ん中にテントが設置される
第一回のマラソンの応援体制について町連と市担当部局とが協議した。当初の市の提案は神谷内交差点付近が指定されていた。ここにはパチンコ屋の駐車場はあるがテントの設置場所はない。トイレもないので、小坂交差点に変更するよう要請して了承された経緯がある。小坂小学校がすぐ近くなのでトイレの心配もなくなった。

二段構えに設置できた

北鳴中のブラバン

大編成

太鼓隊A
太鼓隊B
歩道橋から見た状況

神谷内交差点付近
テントの設営は一つの町連が担当している。
千坂校下から離れた場所なので行ったことのある人は町連の役員さんくらいだろう。
さて、今年のテント設営はどうなっているのだろう?

2021年10月28日木曜日

これが趣味とは!

世の中には常識では考えられないことが出来る人がいる
今日の新聞にそんな人が紹介された。写真には完成したカナディアンカヌーと一緒に制作者が写っている。とても素人が製作した物とは信じられない出来映えなのだ。

能登のアテを使用し、微妙で複雑な曲線で仕上げられている

金沢市泉野町5丁目の和食店「酒菜 TERA寛(かん)」の店先に、巨大なカナディアンカヌーが登場し、住民を楽しませている。約10年前から木工を趣味にしている店主の寺内吉國さん(55)がコロナ禍の休業期間中に独学で手掛けた自信作で、「こだわりの曲線美をぜひ見てほしい」と呼び掛けている。

カヌーは全長4メートル、幅90センチ。寺内さんは新型コロナのまん延防止等重点措置が適用中だった8月、「難しい作品に挑戦してみよう」と製作を始め、約2カ月半掛けて完成させたという。

私見だが構造物の設計経験者として評価すれば、このような複雑な設計製図だけでもプロとして十分通用できる技量であることに驚きを禁じ得ない。
それに型枠作り、製材、木材の張り合わせまで全て一人で行ったというではないか。側面には水抜きの穴を備え、表面は本物の船と同様にガラス繊維でコーティングした。水に浮かべることもでき、寺内さんは機会があれば、進水式を行いたいとしている。

小料理店の親父にしておくのはもったいなさ過ぎ!ただただ脱帽しかない!

2021年10月27日水曜日

屋久島から利尻島までの日本300名山を徒歩で走破した「きょうの人」

先日の新聞「きょうの人」の欄に田中陽希氏が掲載された。18年の1月1日に屋久島の登山をしてからカヤックで指宿を目指した。それ以降、骨折やらコロナ等で伸び々々になっていたが、今年8月に最終の利尻山登山を成し遂げた、スーパープロアドベンチャーレーサーである。百名山(県出身深田久弥氏選定)は霊峰白山が当然に登録されているが、200名山のほか300名山が選定されて、白山のほか、三方岩岳に医王山の3つの山が三百名山に入っており、田中陽希は3つとも登頂した。

県内のこの三つの山を登山したことがあったので、NHKの番組放映を楽しむことが出来た。特に、中学3年生の遠足で600余名が医王山に登山したことがあったので、とても懐かしい思いで食い入るようにTVを見た。

トンビ岩頂上でも腰を降ろした

トンビ岩の真下は大沼
この大沼には真ん中あたりに島があるのだが、実は島ではなく浮き草なのである。吾々が行ったときは浮島の上に乗ってみた。

この大沼付近から絶壁がそそり立っている
この岩場に男子・女子の区別なし600人全てが素手(鎖場は当時なかった)で登頂した。





無事、利尻山にゴールされたよし、心からお祝いしたい。

2021年10月26日火曜日

期日前投票所が今までにない込みようだった

昨日、衆院選の期日前投票に行って来た。投票所は今までに無い込みようだったので驚いた。森本支所の奥まった場所に投票所があるのだが、狭い所に案内係一人、受付係二人、投票券配付係、立会人二人がズラリと投票箱を取り囲むように並んでいた。記入ボックスが二人分しかないのが混み合う原因かもしれない。

森本市民センター

本来の投票所は千坂小学校なのだが、ここは駐車場が狭いので入れない場合がある。しかし、投票所は体育館なので広々としている。期日前投票期間は長いので込まないはずなのだが昨日の込みようは尋常でなかった。この傾向は全国的だという。

総務省は25日、衆院選の期日前投票(小選挙区)について、公示翌日の20日から24日までの5日間の中間状況を発表した。投票者は567万519人で、有権者(18日時点)の5・37%にあたる。投票者、割合ともに、衆院選で期日前投票が導入された2005年以降で最も高かった。

すべての都道府県で投票者が増えたという。増加率が最も大きかったのは静岡県の2・90倍で、山口県でも2倍を超えた。静岡、山口両県は、7日告示、24日投開票で参院補選が開かれていた。同省は「静岡、山口で多いのは参院補選があった影響があるのかもしれない。制度として定着してきたので今回も過去最高を記録する可能性はある」とみている。

投票を済ませてから初めて選挙カーが町内を巡回していた。他の三人は果たしてここまでやってくるのだろうか。

2021年10月25日月曜日

日本第二位の規模を誇った金沢製糸場の栄枯盛衰

 昨日の「晴天を衝け」で、富岡製糸場が開設されたのが明治5年、この年に3年務めた大蔵省を辞めた人間渋沢栄一を活写していた。横浜焼き討ち→幕府転覆を目論んだ渋沢だったが、平岡円四郎の眼力で一橋家仕官に取り立てられ、即、栄一の能力が全開、パリ万博派遣団の一員になった。パリ在住の一年半は渋沢栄一の才覚が遺憾なく発揮、帰国して役人に取り立てられた。このあたりは脚色もあるだろうが、大隈、西郷などの重鎮と堂々と渡り合い、民で生きる覚悟を決めた経緯が面白い。そんな歴史に触れたのがこの異色の大河ドラマである。実に切り口が面白く展開するではないか。

さて、ドラマに出てきた富岡製糸場を見学したことがあった。

明治5年完成の建物は現在も新築したなりのようだった

入り口頂部に明治5年と刻まれたレンガがある

案内人の説明に熱がこもっていた
近代化を急ぐ日本がここに凝縮されていた。
この製糸産業で富岡に次ぐ規模の製糸場が金沢にあったという。富岡開設の2年後だから急いで設置したのだろう。運営ノウハウも富岡で学んだという。

明治7年、長谷川準也(後の2代目金沢市長)らが設立した金沢製糸会社によってそれは開設された。官営模範工場の富岡製糸場を範としており、当時は富岡製糸場に次ぐ全国第二の規模であったという。だが、典型的な武士の商法だったといわれ、金沢製糸会社は経営の失敗もありわずか数年で解散したが、石川県の殖産興業の先駆けとなったのは間違いない。
設置された場所は中央小学校の敷地。

玉川公園・三谷産業付近にある中央小学校
学校敷地だから工場のスケールが推察できる。

工場規模は富岡製糸場に次ぐ
養蚕や繭の知識がいまいち、それと武士の商法のお手本的経営により行き詰まり閉鎖されたという。
それでも、津田駒のご先祖が設立に参画しており、現在も繊維関係の業務が展開されている。加賀藩には渋沢栄一のように華々しく生きた人間はいなかった。が、そろばんサムライ
の子孫は陸軍の会計長までしたというではないか。

2021年10月24日日曜日

記録映画のカラー化という作業

先日、NHKで1940年(昭和15年)から1952年(昭和27年)にかけての「日本ニュース」という記録映画をカラー化した番組を見た。このフィルムは500巻前後も保管されているようだが、その記録映画の中から何本か放映された。そして、AIでどのようにカラー化されるのかも解説された。

終戦直後の記録だから、がれきの中で青空のもと、皆で本を読んでいる映像があった。疎開から帰って来る記録もあった。

これに続いて浮浪児の収容模様の記録だった。浮浪児は東京駅や上野公園、破壊されたビルや瓦礫の山が彼らの住まいであり、遊び場だった。

収容された浮浪児たち

年齢的には自分と変わらない子供たちが戦争で孤児になった

戦争による被害者だから、もっと国が面倒を見るべきだったが国も余裕がなかったのだろう。ろくに学校も行かなかっただろうから、以後の人生においても苦労されたに違いない。
映画の解説は元アナウンサーの加賀美さんだった。


加賀美さんは終戦の時は5才だったという。ということは、自分より2才年上ということが分かった。
カラー化はどのようにして進められるかも解説された。現代の映画をモノクロにしたものとカラーのものを大量にAIに比較して学習させるという。人工頭脳とは凄いことがやれるということを改めて知り、AIという賢さを知ることが出来た。

このフィルムは100年以上前の映像をカラー化した
ヨーロッパでは一次世界大戦の記録映画がカラー化された。場所は西部戦線だという。


無声映画だから音声は想像で録音したらしい。ま、凄い時代になったものである。

2021年10月23日土曜日

「この世の果て」と銘打った動画は自分が行った場所だった

you tubeには様々な動画がアップされている。先日、「この世の果て」と題した動画が目に付いたのだが、おやっ!と思った。風景は4年ほど前に道東に行った場所だった。

標津からバスで30分くらい走った野付半島である。ここはタイトルのごとく、他の場所にはないここだけの風景が広がっていた。そもそも半島といっても幅20~30m位の細長くてお化けのような形状をした地形なのである。

幽霊の手を連想する野付半島

バスの終点野付半島ネーチャーセンター

センターの直ぐ横に碑が立てられている
このセンターから馬車で2kmくらい揺られて先端方面に行くのだが、現在は馬に引かせるのではなくトラクターに引かせている。

帰りは左側の細い小道を歩いて帰った

こんな風景からこの世の果てと称するのだろう

木道全てを歩くのは困難

長いので途中から引き返した

そういえば、観光用の木道といえば知床五湖の高架木道のスケールには驚いた。

幅といい高さといい、圧倒的スケールの高架木道だった

早くマスクなしで旅行したいなぁ。

2021年10月22日金曜日

勝手に現場調査(5)

前回の進捗状況を見に行ったのは8月20日過ぎだったから、丁度2ヶ月ぶりとなる現場を歩いた。家から5分、8号線福久南交差点に至った。前回と様子が違った。電線に防護工が施されていた。

この区間まで取り付け関係の工事が施工されるということだろう

位置を確認しよう。海環は福久南交差点から金沢東IC方向200mの位置にどん突きとなる。


当然歩道も設置されるだろうから、その擦り付けが福久南交差点まで必要なのだろう。
既存の農道と海環とが交差するため地下道が設けられた

8号線と取り付け部の擁壁も完成したようだ

地下道付近から千木町方向の状況

東金沢IC方向のガソリンスタンド付近までの取り付け状況

この付近の8号線擦り付け部の擁壁は完成している。

千木町方向の工事状況
コンクリート構造物はほぼ完成しているように見える。この農道と海環交差はどうなるのだろう。立体交差するには農道を切り下げしなければ・・・と思えるが。
ま、地元には事前に説明されていると推察する。

この周辺に重機が何台も投入されている

この地下道を潜って帰り道となる

もう暫くすれば舗装工事が開始されるだろう。後一年半、令和5年春の完成と考えられる。
二週間前、能登から内灘を経由して鶴来まで行ったのだが、県庁付近から西側のすでに供用開始されている海環を経由した。夕方だったので渋滞が激しく、イオンモールやコストコから合流する交差点付近は渋滞で長時間停滞を余儀なくされた。
福久から分岐するこの道路も渋滞するとなると面倒なことになるなぁ・・・とため息が出るのだが考えすぎか?