2016年7月31日日曜日

地域住民の防災訓練で200人が参加

本日(7月31日)午前7時、M7.2震度6強の地震が発生し、地域住民に多数の被災者が発生したとの想定のもと、町内の自主防災会の避難訓練が行われた。
吾が町内の避難場所が金市町地内の「やすらぎ公園」に指定されているため、「ひなん済みカード」に所定事項を記入し玄関先に張り付けて避難場所に向かった。
途中に見えるハス畑に白い花が満開だった。
金市町会館横の蓮田の大輪の白い花
やすらぎ公園には既に数名の避難者が待機されていた。
続々と避難者が集まってきた
今回は町会長が校下自主防災会の役員に就任したため不在なので、段取りに不備が多少見受けられた。
7時45分、ようやく安否確認を終えた班長が揃った。
訓練といえども、いざというときに備える班長の業務は一軒々々の家を回って調書に所定事項を記入するという基本動作は最も重要である。これにより避難状況を把握して、救助の依頼、食事の配布作業のデータベースとなる。
総務担当副会長が町会長代理として一切を取り仕切った
200名余が班ごとに整列
ハンドマイクが用意されていなかったので行動所作にメリハリがいまいち。
8時過ぎに解散したが、町会役員、各班長のほか、防災訓練カード配布者数名が千坂校下防災訓練会場である千坂小学校へと向かった。

昨年までは本部詰めであったたため、久しぶりに「まちなか訓練」に参加した記録でした。


2016年7月5日火曜日

新幹線建設反対運動

昭和46年、広島県内はほぼ全域で新幹線建設の槌音が響き渡っていた。が、ただ1地域のみ建設反対を叫び、調査のためであっても立ち入り禁止の強硬策を貫いていた。
当時、広島県佐伯郡大野町(現廿日市市大野町)は社会党の町長のもと、全町民一丸となって反対運動を繰り広げていた。
大野町地内
新幹線ルートは帯状に広がる平地を縦断するルートであったため、農地保護、振動騒音公害を危惧し、山間部トンネルとするよう要求した。
反対運動の旗頭は国鉄労組の組合員だった。
だが、廿日市トンネルと大野トンネル西工区(出口)は既に着工しており変更要望を認めることはできなかった。
従って私の業務は、この地域に影響のない大野トンネル西工区と大竹トンネル東工区、その間の恵川橋りょうの計画設計積算に没頭した。

11月に入って大野町と折衝した結果、ようやく和解の方向に向かった。
 11月の半ば、課長から事前通知書が渡された。協議がまとまったので大野トンネルの着工が来月中旬に決まった。で、君に大野トンネルをやってもらいたい。12月1日付で発令すると告げられた。
昭和44年10月着任以降、2年余り本局業務に邁進したが、ひょっとしたら現場業務に従事することなく終わってしまうのではないかと少々あせりの気持ちがあった。
それで、課長の頭越しに総括次長に現場に出してくれと依頼していたのである。
12月1日、大野工事区に赴任した。