2018年9月30日日曜日

日本のてっぺん紀行②

9月25日午前8時30分、礼文島香深港(かふか港)に到着して、宗谷バスに乗車した。礼文島の人口は2,700人前後である。

利尻山から見た礼文島全景
礼文島の観光地
礼文島は利尻島の北方19kmの位置にあり、島全体が草花に覆われた丘陵地で樹木は殆どない不思議な島である。一方の利尻島は火山島でほぼ円錐形となっており、エゾ松やトドマツの大木もあったり、そのほか本土と変わらない森や山の景観が見られる。
バスは東海岸線に沿って北上、最初の観光地スカイ岬に向かった。
スカイ岬

スカイ岬 透きとおった海水の名所
かなりの段数の階段を登る 大勢の観光客が訪れていた
スカイ岬(澄海岬)から再びバスに乗車、最北端のスコトン岬に向かった。

この崖下に民宿がある
スコトン岬から樺太が見える時もあるとか
スコトン岬
スコトン岬を見て帰りの駐車場傍に土産物屋がある。観光客は必ずここに入るので狭い店舗は超満員となる。

賑わう店舗内
全島草で覆われている
利尻島は海岸に沿って1周できるが、礼文島は西海岸は遊歩道しかない。

島は想像していたよりはるかに広い 遠くの先端部も島の一部
北のカナリアパーク 向かい側は利尻島利尻富士
ここは礼文島の南にある、映画のロケのために作られたセットだが、高台にあり利尻富士が一望できる観光スポットになっている。
5年前にできた比較的新しい施設ではあるが、昔ながらの校舎を模したセットは本物のように見えて、離島の分校といった雰囲気を醸し出している。

映画「北のカナリア」分教場のセット
この教室の教壇に立つ「像」があるのだが、何時間かの間隔で吉永小百合が浮かび上がって「ようこそ北のカナリアにおいでくださいました・・・・」とリアルな姿で話しかける装置なのだ。
建物の内部は著作権等の問題もあり、ほぼ撮影禁止だが、たいしたものではないため、ここは風景を見るための場所という感じである。
バスはフェリーターミナルに戻り、ここで昼食となり、海鮮どんぶりを頂いた。
そして午後1時過ぎ、19km先の利尻島に向けフェリーに乗った。

2018年9月29日土曜日

日本のてっぺん紀行①

24日6時50分小松空港到着。7時から旅行社受付で小松から6名が参加することが分かった。荷物を預け搭乗待合室へ。乗り継ぎ空港羽田へ出発時刻は7時45分。7時15分過ぎに、「整備に時間がかかるため10分ほど遅れる見込み」との案内があった。7時30分、「整備終了に時間がかかるため1時間程度出発時間が送れる見込み」と。今まで何度となく飛行機に乗ったが、整備で遅れるなんていうことは全くなかったことである。
で、本来は羽田到着時刻である8時50分頃まで待った。

問題は10時15分発新千歳行きに乗れるかどうかである。羽田到着出口から出発入口まで実に遠い!到着出口の係員に千歳乗り継ぎを伝えたところ、搭乗口まで案内するとのこと、普段一般客は入らない通路の2か所のドアを案内女性は暗証番号を入力して入った。で、新千歳行きも遅れて出発したので何とか乗れた。遅れの理由は「国際線の遅れのため」と放送していた。そんな理由であればクレームがないのだろう。

12時、新千歳到着。バス発車時刻は14時30分なので、空港内をぶらぶらしたり弁当を食べたりで時間を潰した。

新千歳空港 旅行客で溢れていた
添乗員は30歳前後の女性。このツアーに小松から6人、富山12人、ほか、新潟、東京、大阪、岡山の各方面からの45名が参加したと知らされた。4日間の旅行となると、だいたいが70歳代の夫婦連れだ。
途中、砂川SA等で15分程度の休憩時間をとって、稚内に向かって西海岸沿いの国道をひた走った。稚内到着は20時30分を回っていた。所要時間は何と6時間。370kmもある移動だからそんなもんかも知れないが、何せ遠いなーと感じた。金沢から名古屋まで230kmくらいだから、いかに遠いかだ。

遅い夕食を済ませて、明日のフェリーの船酔い防止にすぐそばの薬局で酔い止め薬を買い求めた。自分用ではなく女房用。
さて、次の日フェリー出発時間が6時40分なので朝食は5時20分から。
そそくさと朝食を済ませてバスに乗り込んだ。港には10分程度で到着。フェリーは3,500t前後のかなり大型船である。行き先は礼文島香深港。距離59km、所要時間115分。今回の船旅は奮発して1等ラウンジとした。

フェリーターミナル
1等ラウンジ
稚内港
甲板
船内売店 右階段から1等ラウンジへ
2等客室への通路
利尻島が見えてきた
やがて礼文島香深港に到着
香深港に到着した。駐車場には沢山の車が並んでいた。これまでの礼文島のイメージが現実と随分かけ離れていたことに気付いた。想像以上に人が多く住んでいる。ホテル群もあった。だが、9月末で大半のホテルは来年5月まで休業するのだとか。
バスに乗り込み礼文島観光が始まった。


2018年9月28日金曜日

旅を終えて

24日早朝6時15分、車に女房を乗せて小松空港に向かった。6時50分空港着。
今回は駐車料金節約のため、B駐車場に置いた。
3回目の北海道、吾々の旅行先では地震の影響は新千歳空港内を除けば一切感じなかった。
最果ての地は小生にとって感動の連続であった。その詳細については、写真の整理が終わり次第このブログで紹介したいと思っている。

北の果てはきっと寒いに決まっているだろう、との思い込みは大きく外れた。宗谷岬では上着を脱ぎたくなるほど暖かかった。それに、雨に遭わなかったことも奇跡的に思う。
9月も残り少なくなった。安全パトロールの当番表の作成を急がねばならない。旅行の反動これありである。



2018年9月23日日曜日

明日、北海道へ

北海道南西部地方を震源として6日午前3時8分頃に発生した「平成30年北海道胆振(いぶり)東部地震」。最大震度7の揺れを観測し、死亡者は41人に上り(12日現在)、道内ほぼ全域の約295万戸が停電するなど大きな被害が発生した。

これによる道や観光関連団体などが15日公表したまとめによれば、宿泊キャンセルはのべ94万2千泊分に上り、影響額は117億円。道庁観光局は交通や飲食などを含めた影響額は292億円に達すると推計している。

やはり停電が大きな影響を与えたのだが、懸命の復旧作業で「すすきの」の照明も全面的に回復した。それでも旅行するなら安全な観光地が沢山あるから、北海道は次の機会にしようとキャンセルした人や北海道旅行を検討していた人たちは敬遠するのだろう。
当初は「そちらに行く交通手段がない」という「仕方がない理由」(粕谷さん)が大半だった。しかし、一時閉鎖されていた新千歳空港や高速道路などの回復が進んだ先週以降になっても客足は戻らなかった。外国人や、北海道以外の地域に住む日本人を中心に、余震への心配が根強いという。

7月中旬、実は旅行社から北海道旅行のパンフレットが送られてきて、去年に続いて北海道旅行の申し込みをした。旅行出発日が9月19日だと思い込んでいたのが、行程票を確認したところ明日24日だった。地震発生でキャンセルを検討したのだが、行き先が稚内・利尻・礼文島に大雪山の紅葉観光だったので影響は殆どなかったと考え、予定通り行くことに決定した。
利尻島オタトマリ沼
北海道は20年前の3月中旬、網走流氷、小樽札幌、函館方面に行ったのが1回目、2回目が去年の釧路・知床・摩周湖・阿寒湖等の道東地区であった。今回は日本で一番早い紅葉を見ようというキャッチフレーズに惑わされて決めた経緯がある。
旅行社からの連絡によると、新千歳空港1Fで通行不可の部分があるから2F経由で移動するよう案内があった.

それでは木曜日まで行って来まーす。

3億キロ彼方の出来事

3年と6カ月かけて、ようやく小惑星リュウグウに到達した「はやぶさ2」から、3個の探査ロボットが放出され、投下に成功したとJAXAが発表した。
探査ロボットはバネ仕掛けで移動ができるという。地球から3億キロ彼方の直径900mしかない小惑星にこんな細かな芸当ができるなんて、日本の宇宙航空技術は驚異的である。さらに「はやぶさ2」本体もリュウグウに着陸させるという。
探査ロボット投下成功に沸くJAXA
昭和32年10月、中3だった自分は友人と二人で北國新聞社前の掲示板を食い入るように眺めていた。それは、ソ連のスプートニクと命名された人工衛星打ち上げに成功したニュースだった。今から61年前の出来事だった。この頃の日本は糸川博士のペンシルロケットの開発に懸命だった時代だった。それが今、最先端の宇宙航空技術を駆使して小惑星の探査を実施しているのだ。
今朝の朝刊1面トップに関連記事が

JAXA発表
国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、小惑星探査機「はやぶさ2」から搭載ローバのMINERVA-II1を分離し、小惑星Ryugu(リュウグウ)に着陸させる運用を実施しました。
運用の結果、MINERVA-II1(ローバ-1A 、ローバ-1Bの2機)はリュウグウに着陸できたことが確認できました。各ローバの状態は正常で、リュウグウ表面での探査を開始しています。

「はやぶさ2」は、MINERVA-II1を分離後、リュウグウの中心から約20km上空のホームポジションへ平成30(2018)年9月22日15時(日本時間)に戻りました。「はやぶさ2」の状態は正常です。

■「はやぶさ2」の運用に関する情報については、JAXAウェブはやぶさ2特設サイト、はやぶさ2プロジェクトサイトにてお知らせします。

●日本時間9月21日13時7分頃に撮影。カラー画像。撮影はローバ-1Bから。右下にリュウグウが写っている。左上の薄くモヤがかかっている部分は撮影時の太陽光の写り込みによるもの。
 <ミネルバ2> はやぶさ2に搭載された探査用の小型ロボット。直径約18センチ、高さ約7センチの正十六角柱で重さは1キロ程度。カメラや温度計を備え、りゅうぐう地表で観測を行う。同じ型のロボットが計3台あり、今回は2台を放出し、残り1台は来年放出する。内部モーターの回転で発生させた力でジャンプしながら移動する。得たデータははやぶさ2を経由して地球まで送られる。


探査の最終段階に「はやぶさ2」が着陸し、地表の物質を採取して地球に帰還する予定である。
帰還が実現するまで、「日本、バンザーイ」をするのを待つことにしよう。


2018年9月22日土曜日

小よく大を制す

今場所の遠藤はどうしたのだろうか。いつもの元気さがまるで見られないのだ。ようやく昨日勝って2勝8敗となった。土俵際の粘りが全くないのが気がかりである。来場所の活躍を期待したい。
一方、金沢出身の炎鵬が好調である。十両に席を置いたが1場所で負け越しを喫して2場所幕下であったが、連続勝ち越しを決めて十両に復帰してきた。そして昨日、勝ち越しを決めたという。


大相撲秋場所(両国国技館)13日目の21日、7勝を挙げている西十両13枚目の炎鵬(金沢市出身、宮城野部屋、金沢学院大OB)は東十両7枚目の千代ノ皇(おう)(九重部屋)を突き落としで破り、関取として初めての勝ち越しを果たした。十両の壁に跳ね返された3月の春場所から心身の成長を見せた23歳の小兵は、「一発で決めたかった。うれしい半面、苦しかったな」と喜びをかみしめた

炎鵬は千代ノ皇に頭を付け、左からタイミングよく突き落とした。稽古で胸を合わせたことがある相手に「まわしを取らせないようにした。終盤で勝てて自信になる」と振り返った。
新十両だった春場所は4勝11敗と大きく負け越し、陥落した幕下で2場所連続の勝ち越しを経て十両に返り咲いた。炎鵬は「一日一日、やることを決めてするようにしてきた。心持ちが変わり、精神的に一回り大きくなったと思う」とプロとしての意識が強くなったと語る。 


焼き肉やプロテイン入りパンケーキを頻繁に食べるようにして体重を増やしたことも功を奏した。この日の取組を見た師匠の宮城野親方(元幕内竹葉山)は「いい相撲だった。先場所から7キロ太ったのが大きいね」と現在97キロの弟子の成長に感心した様子で語った。
今場所は残り2日。十両は4敗が3人、炎鵬ら5敗が4人と混戦になっている。日に日に大きくなる歓声を背に、炎鵬は「ひそかに優勝を狙ってます」と大胆な目標を掲げた
大の男が炎鵬に振り回されて豪快に倒される相撲は溜飲が下がる思い。

炎鵬の基本情報を調べてみた。 
本名 中村 友哉
愛称 ユウヤ、ふんどし王子(高校時代)、ひねり王子(入門後)[1]
生年月日 1994年10月18日(23歳)
出身 石川県金沢市
身長 169.0cm
体重 94.0kg
BMI  32.9
所属部屋 宮城野部屋
得意技 左四つ、下手投げ[1]
成績 現在の番付 西十両13枚目
最高位 西十両13枚目
生涯戦歴 44勝20敗(9場所)
優勝 三段目優勝1回  序二段優勝1回  序ノ口優勝1回
データ  初土俵  2017年3月場所
趣味 寝ること

初土俵が去年3月というのだが、もう10年くらい相撲を取っているような貫禄が出てきた。勝率7割強、益々の活躍を期待したい。

2018年9月21日金曜日

2025年問題について民生委員が勉強会

今日の朝刊に「2025年問題」地域で解決 金沢・諸江地区 超高齢化備え勉強会という見出しで記事が掲載された。金沢市内でこの問題について感心か高まってきたことは非常に評価できる出来事である。

金沢市の諸江地区民生委員児童委員協議会は19日、国民の5人に1人が75歳以上の後期高齢者になるとされる「2025年問題」について学ぶ研修会を始めた。医療費や社会保障費の増大に加え、地区運営の担い手不足など、高齢化により生じる諸問題について学び、自分たちが暮らす地域の課題発見と解決につなげる。今後、4年間にわたって勉強を重ね、来る2025年に備えるという。 

金沢市職員による講演会 諸江公民館
 19日夜に諸江公民館で開かれた「諸江地区2025年問題研修会」(北國新聞社後援)では、地区の民生・児童委員や町会役員など約60人が集まり、市長寿福祉課の樋掛健一さん、市社会福祉協議会の北脇宣和主査が講師を務めた。
研修会では高齢者が人口の多くを占める2025年をめどに、介護人口の増加や公的サービス、高齢者を支える世代の負担増といった課題が生じることが紹介された。また、過度な介護に期待せず、一人一人が健康寿命を延ばしたり、住民同士の連携が重要になったりすることなども指摘された。


松野茂夫会長(70)は「『2025年問題』にはどの地区も必ず直面する。いざという時にみんなで立ち向かえるよう、今から備えたい」と話した。
市によると、地域単位で2025年問題について学ぶ勉強会は初めて。現在、諸江地区の65歳以上の割合(高齢化率)は20・6%で、市平均の26・0%を下回るが、将来的な高齢化率の上昇は避けられないことから、今後のまちづくりのあり方を考えるヒントを探ろうと、研修会を企画した。 

このような書籍も売れている

衝撃的な出版物があふれているが、それだけ多くの問題が発生するということだろう。
25年は、団塊の世代が75歳以上の後期高齢者になる年である。日本は急増する高齢者が問題であった。しかし25年以降は、2200万人、4人に1人が75歳以上という超高齢社会が到来する。これまで国を支えてきた団塊の世代が給付を受ける側に回るため、医療、介護、福祉サービスへの需要が高まり、社会保障財政のバランスが崩れる、とも指摘されているのである。 

かくいう自分は75歳も半ばを過ぎた。73歳まで入院は一切しなかったのだが、去年2週間、今年2週間の入院を余儀なくされた。自己負担の医療費は1割なのでそれほど負担感はしなかった
でも、後期高齢者医療は月五千四百円から六千五百円へ上昇した。また、介護では月約五千円が八千二百円にもなった。介護保険料は月五千円が負担の限界ともいわれ、深刻な問題なのだ。

高齢世代だけでなく、現役世代の負担も重くなる。そこで、消費税率の引き上げのほか、高所得の高齢者への社会保障や税での負担増を進めているのである。
しかし、増税と給付削減は、若年世代ほど負担が重くなり、高齢者になったときには給付が十分ではないという結果にもなりかねない。 

生涯医療費の推移を見ると、七十五~七十九歳でピークを迎える。また、七十歳以降に生涯の医療費の約半分がかかることが分かるのである。
介護はどうだろう。要介護(要支援)になるリスクは七十五歳から上昇し、八十五~八十九歳では、半数が要介護の認定を受けているのだ。

また、認知症高齢者も二五年には四百七十万人になる、と推計されている。収容施設不足、介護士不足がどんどん深刻化するのである。

千坂校下の民生委員の皆さんも真剣にこの問題に向き合って貰いたいと思う。
個々にあっては健康寿命を伸ばすことこそ、この問題点を解決するものであろう。



2018年9月20日木曜日

宇宙旅行に行く前澤友作という人物像

月旅行第1号はZOZOTOWN前澤社長というタイトルに「なんの話?」と思わずクリックした。
宇宙開発を手掛けるアメリカの「スペースX」社は日本時間18日午前、月を周回する旅行の初めての乗客は、ファッション通販サイト「ZOZOTOWN」の前澤友作氏であると発表したのである。ZOZOTOWNなる名前は聞くのは初めてだし、前澤という社長も初めて聞く名前だった。

スペースXは、同社が開発する超大型ロケット「BFR」での月旅行の初の搭乗者として前澤氏と契約を結んだと発表したという。

旅行は5年後の2023年に催行される予定で、およそ1週間掛けて月と地球を周回飛行する。前澤氏は会見でマスク氏と固い握手を交わすと、「これは私の人生における夢だった。とてもうれしく、興奮している」と英語で語った。旅行の金額は明らかにされていない。 


スペースX社で記者会見の前澤友作氏
前澤氏は今回の月旅行を「#dearMoon」プロジェクトと命名し、画家や音楽家など最大8人の世界的なアーティストを招待すると公表。メンバーは選考を経た上で確定する。参加者には月旅行の経験で得たインスピレーションを元にした作品を創作してもらい、広く公開する計画だ。 できることなら「俺も連れて行って!」とお願いしてみたい。

ブースターを切り離し、いざ月へ
月旅行を発表したこの日、スタートトゥデイの社内でもどよめきが広がった。スペースXとの契約の守秘義務があり、社員の大多数は月旅行の計画を知らされていなかったからだ。同社は米国での記者発表と合わせ、「当社代表・前澤友作が民間人初となる月周回計画を発表」というプレスリリースを出したが、「本プロジェクト開始によって、前澤の当社事業への関与が薄まることはなく、当社事業への影響もない」としている。 

およそ1週間の宇宙旅行スケジュール
個人的な費用負担がどれだけかは企業秘密だとか。
過去にNASAがロシアからソユーズへの搭乗を購入した際には、1席あたり7470万ドル(約84億円)から8170万ドル(約92億円)の費用を支払っている。
少なくともこれが最低価格ではないだろうか。ここから推測すると、最大9人の搭乗者の費用総額は756億円以上となる。これを全額負担できる前澤氏とは一体何者なんだろう。

御年41歳、ファッション関係の通販事業会社のオーナー。通販でファッション関係を取り扱うのは無謀といわれた。が、 「前澤は右脳と左脳の両方を使う。アイデアマンだが、思いつきで事業はやらない。これは10年前から同じ。自分でアイデアを出しつつ、数字に強いからきちんと採算を考えて、『あ、これは儲からない』と即座にわかる。だから結構、石橋をたたいて“壊す”」(栁澤氏)という。 

ある模様のついた採寸用の服を着用してスマホで撮影、それを送信するとオーダーメイドと同等の洋服が仕立てられるというのだ。これが大ヒット。瞬く間に株の時価総額が1兆円をこえたのだとか。何せ平成の成金富豪なのだ。あと10年したらこの人はどうなっているのか注視していきたい。


2018年9月19日水曜日

あの高級料亭がなくなるとは

時は平成7年、清算事業団の出資会社へ出向して、土地の売却方式によるホテル建設業務に従事していた時の出来事である。駅西口のホテル建設が進捗し、やがて発注者に建物引き渡しとなるに先立ってそのオーナー関係者4人をある高級料亭に接待した。接待する関係者は4人、計8人の宴会が始まった。

そのホテル関係者とは、金沢駅西のほか大垣駅前のホテル建設に関わりがあった。いわゆる「上得意様」であった。
高級料亭とは高岡町に店を構えた「つる幸」である。部屋の左手に立派な庭園があった。


この店は、慶事などに使われてきたほか、歌手の松任谷由実さんや元横綱の千代の富士ら、金沢を訪れた著名人にも愛されたという。オーナーでかつ料理長でもある河田さんは料理番組「料理の鉄人」に出演したほか、2016年には、レストランの格付け本「ミシュランガイド」で二つ星を獲得した。


だが、日本庭園を眺めながら個室で食べる懐石料理は、時代に合わないとも感じるようになったのだという。政治家や企業幹部らの宴席は減少。週末や夜間の勤務もいとわない厳しい仕事に2、3か月で辞める若手板前も多い。ピーク時には30人いた従業員は20人ほどに減った。

「これを機に原点に立ち返り、楽しく料理をしたい」。そう思い立った河田さんは、老舗の暖簾のれんを下ろす決断をした。「せつ理」という名のカウンター数席の小さな店を近くに開き、懐石料理の枠を外し、お客さんを前に料理を振る舞うことにした。河田さんは「料理と真剣に向き合っている姿を見て楽しんでもらいたい」と料理人として新たに出発する。

ということで、加賀百万石伝統の懐石料理を受け継ぐ金沢市の料亭「つる幸」が11月いっぱいで50年ほどの歴史に幕を閉じることになったという。金沢を訪れた各界の著名人にも愛された名店だが、時代の変化に対応できなくなったのが理由だ。2代目主人の河田康雄さん(52)は「今まで親しんでくれた人には感謝しかない」と感慨深げに振り返る。 


さて、この店での宴会をした請求書は20万円余であった。一人約3万円。ここに芸子さんでもを呼べばドカンと上乗せされただろう。
そういえば、この後の5,6年後、再びこの「つる幸」にやってきた。

転職して転勤のない業務機関に勤務していたのだが、職員が毎月一定額(給料の2%)を積み立てて送別会や、忘年会、暑気払いのために備えていた。忘年会は1泊の温泉旅館で行っていたのだが、若手職員の大多数が温泉へは行きたくないということになり、意見交換した結果、金沢の著名な料亭を毎年1回づつ巡ろうということに決まった。

そして「つる幸」に行ったのである。しかし、「つば甚」は建物が古くなったなぁ。

2018年9月18日火曜日

金沢駅地下広場に「黒板アート」

最近、TVで黒板アートが紹介されるのだが、黒板にチョークだけで実に見事な絵を描いている。
そんな中、小学校で不要になった黒板に金沢美大生が絵を描き、金沢駅もてなしドーム地下広場に展示する金沢市の「みんなの思い出黒板アート事業」で、日本画専攻の学生による第2弾の作品が17日までに完成した。海中に見立てた黒板一面に、魚が生き生きと泳ぐ様子が描かれており、観光客らに石川の豊かな海の魅力を伝えている。


旧金沢市材木町小の黒板3枚が活用され、学生5人は「海の中の宇宙(そら)」をテーマに、ブリやサワラ、甘エビなど石川県沖で取れる魚介類を表現した。
昨日の17日は公開プレゼンテーションが行われ、学生が黒板中央に同小の校章を仕上げて作品を完成させた。同大大学院1年戸田伸英さん(25)は「日本画特有の細かなタッチを黒板でも表現できたと思う。多くの人に石川の海の魅力を感じてほしい」と話した。

この黒板アートなのだが、ネットで検索してみるとこれが本当にチョークで描かれた絵?と驚く作品が多くある。

静岡県立富士宮東高校生の作品
チョークでこんな繊細な絵が描けるとは!
ある高校の卒業式に自分の教室に入ってみると、ワーッと驚いた。黒板に自分の顔が写真もどきに。

実にリアル!
そしてこんな絵も。

これは大作だ
好評なのでこんなイベントも企画されている。

消すのがもったいない
町内には3人の女性画家がおられるのだが、一度、チョークで絵が描けるものなのか聞いてみたい。

2018年9月17日月曜日

老人クラブ社会奉仕の日

今日9月17日は国民の祝日「敬老の日」である。10日ほど前に、町内のシニアクラブ会長から、社会奉仕の日に参加してもらいたいと依頼があったので快く同意した。今日がその日、AM7;00、法光寺町の線路横にある公園に集合した。
千坂校下老人クラブ連合会が主催する社会奉仕の日、各老人会から5~6名前後、トータル40名前後が集結した。そこで連合会長からあいさつがあって、ももさかプラザを境としてAグループが森本方、Bグループが柳橋方面に分かれて、道路のごみ拾い、除草を実施した。

吾々の班はAグループ、道路左右の歩道に分散して清掃・除草を担った。
約40分の作業時間で終了、公園に戻りお茶と弁当が配付され帰路についた。


調べてみると老人クラブでは、昭和31年より老人週間を契機に地域 社会に対する感謝と高齢者の活力を示す全国一斉「社会 奉仕の日」に取り組んでいる。
この運動は、昭和59年に神奈川県、横浜市、川崎市老連 が「敬老の日」に感謝する取り組みとして行った一斉奉 仕活動が各地に波及し、全国運動につながったものである。





現在は、“きれいな地球を子どもたちへ”をスローガンに、 「花のあるまち、ゴミのないまち」を目指した美化活動、 環境活動に取り組んでいる。
ちなみに、石川県老人会のホームページを調べると


今日は敬老の日だが、老人の日でもあるのだ。


敬老の日は若者が老人を敬う日であり、老人の日は主役が老人、今日の奉仕の日のように老人を連れ出して運動させるのだという。フーン、知らなんだ。

昨日の新聞に年金70歳から支給もという見出しの記事が掲載された。
今朝、奉仕活動に参集した老人会の皆さん、本当にまだまだ現役並みの仕事が十分こなせる方ばかりだった。その一員となって奉仕できたことに満足している自分がいる。