2019年3月31日日曜日

駅西地下道に庭園?磯部に「あめるんパーク」?

明日から4月。月が替わると金沢市の施設が二つオープンする。その一つが前に紹介した卯辰山の「眺望の丘」、もう一つが磯部の市民交流広場に整備中であった「屋内交流広場」である。



左は金沢市民プール
四月に金沢市磯部町の城北市民運動公園内にオープンする「屋内交流広場」の愛称が、「あめるんパーク」に決まったという。
市内に在住、在学の小学生以下の子どもから募った案のうち、雨でも楽しく遊べることがイメージしやすい「あめまるパーク」、遊具で遊べる施設を連想させる「スポるん城北」「わくわくたのしいルンルンパーク」を組み合わせたのだとか。

二月に一~十二歳の二百三十一件の応募があり、小学二年の二人と六年の一人の案が採用された。完成記念式典が四月七日にあり、記念メダルや屋内交流広場の年間利用パスポートなどが贈られる。
屋内交流広場は三階建てで、人工芝を敷いた多目的ゾーンやアスレチック、乳幼児の部屋などがある。 
屋内交流広場は、天候に左右されず年間を通して様々な運動ができ、
子どもの運動機能の発達をサポートする施設です。
金沢は年間を通じて国内有数の降雨日数が多い都市である。そんなことからこの施設が造られた。

場所は市民プールに隣接して設けられた
ボルダリングができる部屋もあるというので、高齢者も行って楽しめそうだ。

ボルダリングウォール
最近完成した施設なのだが、広岡地内にある駅西広場の地下道に「やまほたるの庭」が完成したという。
JR金沢駅西広場の地下道にある庭園がリニューアル工事を終え、完成式が今月十七日、同所で開かれた。新たな名称は「やまほたるの庭」。ホタルやカエルをかたどった九谷焼の作品や植物、発光ダイオード(LED)の光などを組み合わせ、二十四時間楽しめる庭が誕生した。

やまほたるはどこ?

黄色に光る九谷焼のホタル(右)九谷焼のカエル

やまほたるの庭オープンセレモニー
一見、植物が植えられているだけに見えるが、「生き物」が隠れている。小さなカエルやバッタが五匹。黄色の光を一日中ゆらゆらとさせているのは、十四匹のホタルだ。
これらは、庭の名付け親で、デザインを担当した金沢美術工芸大の高橋治希准教授が仕上げた九谷焼の作品だ。全て医王山で暮らす生物で、医王山に自生するヤマモミジ、ヤマツツジなども新たに植えた。LEDで照らされた柱の溝にも九谷焼で作った草花が並ぶ。

庭は市が整備した。七十八平方メートルで天井がなく、時間によって日光の差し込み方が変わる。(地下道に日光が差し込むのだ)
保水性が高い戸室石(とむろいし)で竹を模した作品は、コケで緑色に染まる可能性もあるという。高橋さんは「庭は二十四時間三百六十五日、いつ見てもさまざまな風景が見られるところ」と話し、「ただ見るだけでなく、発見を楽しんでほしい」と呼び掛けた。

庭をのぞき込んでいた金沢市小立野小学校三年の高橋和見(なごみ)さん(9つ)は「バッタとカエルを見つけたよ。あれ」と指をさし、にっこり。同級生の上山まはろさん(9つ)は「パパとママと夜にも来る。ホタルがどう光るか見たいな」と話した。

暖かくなったらこれらの3か所(卯辰山・駅西地下道・あめるんパーク)をじっくり見てきたいなぁ。

2019年3月30日土曜日

8050問題再浮上

〈ひきこもり〉 国が用いる定義では、仕事や学校などの社会参加を避けて家にいる状態が半年以上続くことを言う。内閣府調査では、ほとんど自室や家から出ない「狭義のひきこもり」に加え、趣味の用事のときだけ外出する人も含めた「広義のひきこもり」を推計している。従来は専業主婦(夫)や家事手伝いは一律にひきこもりから除外していたが、今回から変更。回答から、最近半年間に家族以外との会話がほぼ無かったとわかる人は、ひきこもりに含めている。



 厚労省が以上の定義で調査対象者を調査した結果、何と61万3千人もいることが分かった。
町内でも該当者が何人かおられる。そのうちのある人は、3年ほど前に親が亡くなって一人暮らしとなった。玄関フードは自分が出入りする以外は施錠している。このため、町費集金、回覧板を回すときは班長や隣人泣かせ。回覧板なんかは雨に濡れて次の人が読めなくなっている場合もあるという。親の年金に頼って生活していた筈が今は生活費の捻出はどうなっているのか他人事ながら心配だ。


中高年のひきこもりが全国で推計61万3000人に上るとの内閣府の調査について、根本匠厚生労働相は29日の記者会見で「大人のひきこもりは新しい社会的課題だ。さまざまな検討、分析を加えて適切に対応していくべきだ」と述べた。

内閣府が2015年度に実施した調査で、15~39歳の「若年ひきこもり」は54・1万人と推計された。今回、40~64歳の「中高年のひきこもり」について国レベルで初の調査を実施。調査方法の一部変更があったため単純比較はできないが、その結果に基づく推計数は、若年層を上回った。 


分析にあたった内閣府の北風幸一参事官は「想像していた以上に多い。ひきこもりは決して若者特有の現象ではないことがわかった」と述べた。
今回の推計は、ひきこもる中高年の子と高齢の親が孤立する「8050(はちまるごーまる)問題」が、特殊な例ではないことを示すものといえる。また、「就職氷河期世代」(おおむね現在の30代後半~40代後半)の多くが40代に達したため、中高年のひきこもりが増えているとの指摘もある。

調査時期や手法の違いから「若年」と「中高年」の推計を単純合計はできないとしつつも、北風参事官はひきこもり総数が「100万人以上」になるとの見方を示した。

今回の調査は18年12月、無作為抽出した40~64歳5千人を対象に実施(有効回答65%)。その結果、ひきこもっていた人の年齢層は40代が38・3%、50代が36・2%、60~64歳が25・5%だった。期間は5年以上の長期に及ぶ人が半数を超え、20年以上の人が2割弱を占めた。性別は男性76・6%、女性23・4%で、男性が多い傾向があった。ひきこもり状態にある人の比率は全体の1・45%。この比率から全体状況を推計した。 

ひきこもりに詳しい精神科医の斎藤環・筑波大教授の話
中高年のひきこもりが社会問題化してこなかったのは、国による調査がなされなかった影響が大きい。全国の自治体や研究者から、ひきこもりの半数が40歳以上という調査結果が次々と出ていたにもかかわらず、国は放置してきた。こうした国の姿勢は「ひきこもりは青少年の問題」という先入観を広げることにもつながった。その責任は重い。今回の調査をきっかけに、中高年の当事者のニーズを丁寧にくみ取った就労支援に加え、当事者や経験者らが集まって緩やかに経験を共有できる居場所を全国につくることが必要だ。 


そうなった一因として、「40歳以上の男性は、社会と家族を支える役割がある。そういう意識の強い年代だから、助けてと言うことさえ、はばかられる方たちがいてもおかしくない」という見方もある。

「どんどん自分が嫌いになっていく。なんでこんなまぬけで、根性がないのか。脱力してやる気がそがれて、気力が起きない。何をするにもおっくうだった。職業人としての旬も外してしまい、後は死ぬまでの時間の方が短いと考えると、なおさら身動きがとれなくなっていった」。

当時を振り返った男性の言葉なのだ。親とともに老いていく不安を感じながらも、頼れる場所を知らなかった男性。収入もなく、自己破産した。債務整理を行った弁護士からたまたま紹介されたのが、田中さんという方だったという。ひきこもり始めて10年近くがたっていた。

この10年で、1615人のひきこもりの人を支援してきたNPO法人「STEP・北九州」の理事、田中美穂さんが今、特に力を入れているのが中高年の支援だという。

民生委員に任せておけばという意見が多いのだろうが、ある民生委員曰く、「玄関の敷居をまたいではいけない」という社会福祉協議会の方針があるので、家には入らないのだという。これではひきこもりの本人から何に困っているか聞きだすことはおろか、心を開いてはくれないだろう。本人とのコンタクトが極めて難しい。さぁ、どうする?


2019年3月29日金曜日

2塁ランナーのしぐさは完ぺきにサイン盗み

履正社戦で奪17三振と好投した奥川投手は、習志野戦でもその実力を発揮してくれるだろうと楽しみにしてTV観戦した。ところが習志野の打線が星稜打線を上回り「まさか」の敗退をしてしまった。途中、試合が中断し審判団が集まって何やら協議していたようだが、放送アナも「何でしょうね」「わかりませんね」というのみだったので何の協議かおかしなシーンだなぁと思ったものの、余り気にしていなかった。3塁強襲のゴロだったが、めったにない3塁手エラーとなって追加点、そしてダメ押しのホームランであっけないくらいに敗退してしまった。

そのあと、ネットでニュースを見ていたら「オヤッ」とおもう記事に目が行った。


 サイン盗み疑惑が浮上したという。
  「二塁走者がサインを出していた。それは(習志野の1回戦の)日章学園戦からずっとだった。これはもうフェアじゃない。問題提起したい」
報道陣にこう話したあと、事件は起きた。林監督は習志野の控室へ向かい、敵将・小林監督に直接抗議。無視を決め込まれ、一度は引き下がったが収まらず、「(問題行為の)ビデオを見せましょうか」と再抗議する前代未聞の事態となった。

林監督が指摘したのは、習志野が初めて二塁に走者を置いた四回1死の場面。4番打者の打席中、二塁走者が打者に球種を伝達していると、捕手・山瀬を通じて北田球審に訴えた。さらに、1-1の同点とされてなお2死満塁の場面では、8番打者が初球をファウルにしたあと、林監督自身が「セカンドランナー!!」と声を張り上げ、審判団に抗議した。

審判団はそこで4人が集まって協議したが、そうした行為はなかったとした。大会審判員の窪田哲之副委員長は「サイン盗みは判断できなかった。現段階で、『ない』というのが最終結論」と話した。

審判と云えどもサインを盗んでいるなんて誰も気づくわけない!
試合中4人の審判が2塁走者を見ているわけがない!
それなのに抗議に「そんなことはない」と断言。変じゃこざんせんか
林監督は「審判から注意をしてもらったが、最後までやり続けていた」と納得いかない表情。七回には2死二塁、2番打者の打席で見逃しストライクが捕逸になった。これも林監督によると、「捕手のサインがのぞき込まれるから投手からサインを出すようにした」ことによるバッテリーの連係ミス。「こちらがそれ(サイン盗み)にこだわりすぎた部分がある。気持ちが浮ついた」と悔しさをにじませた。

大会規則では「サイン盗み」を禁止しており、日本高野連の竹中雅彦事務局長は「こういう指摘があったので、明日から攻守決定の時に、もう一度担当の審判、大会役員から『フェアプレーの精神を忘れず、まぎらわしい行為はやめてください』と各試合前に伝えるよう、大会本部から要請します」と語った。大会屈指の右腕・奥川が登板して注目された好カードは、思わぬ波乱を呼ぶ試合となった。

北國新聞の関連記事
★大会規則9項
走者やべースコーチなどが捕手のサインを見て打者にコースや球種を伝える行為を禁止する。もしこのような疑いがあるとき、審判委員はタイムをかけ、当該選手と攻撃側ベンチに注意をし、やめさせる。 

動画を見たのだが、2塁ランナーの挙動が確かにおかしい。何度も繰り返してヘルメットに手を挙げ降ろししている。これは誰が見てもバッターにサインを送っている動きである。

頭に手を乗せすぐ降ろす(上の写真が降ろしたところ)
それに習志野のブラスバンドの音がうるさいと近隣から数件の苦情が寄せられたという。
写真を見て驚いた。何と超大型楽器であるスーザホンが8本、トランペットやトロンボーンその数知れぬ大編成なのだ。

大編成のブラバンではあるがコンクールで入賞したことあるのか?
星稜3塁手のエラーはこの大音量大音声に動揺したためだったというではないか。
明徳が松井5敬遠をした苦々しいシーンを思い出した。
去年は桐蔭1塁手が仙台育英に足をけられてエラーで負けた試合もあった。

アンフェアーの試合が如何に多いか、何せ昨日はがっかりだった。



2019年3月28日木曜日

ネット募金二カ月で目標額到達

インターネットを始めたのが平成15年頃だから、まだ20年にも満たない。平成18年に「頼むこっちゃ、町会長引き受けてくれ」と前任者から泣くようにせがまれて1年だけならと云ったら、「うんうん、そんでいいさかい」となって1月に就任した。
町会長の最大の仕事はコミニュティの強化なのだが、どんな方法でどうすれば早く強化できるか悩んだ。その頃、一般家庭にもインターネットやメールをする人がボチボチ増え始めた。

そーだ、これからの時代はネットだ、これをコミュニティ強化のてだてにできない筈はないという思いに至った。そして4月に高齢者を対象にした町会独自でパソコン教室開設に漕ぎつけた。パソコンができる役員をヒヤリングした結果、幸いなことに3人の副会長が出来ることが分かった。
町会で32吋ディスプレィのパソコンを購入し、公民館から5台借用、自分の家からノート1台、それに持参できる人と16名の受講生の教室がスタートした。

町会集会所でパソコン教室
7月に所定のカリキュラムが終了して受講生や町会役員を含め20数名の会員で「荒屋団地ネットサークル」を組織した。

それから十数年経た今日、スマホを持たない人を探すのが困難となるくらい普及し、「インスタ映え」云々という新語も誕生した。
こんな世相を反映して、ネット募金があちこちで行われるようになり、信じられない額が信じられない速さで目標を達成するようになった。

1月末にこんな記事が掲載された。
事業資金の支援を求める武藤社長=羽咋市の神子の里
羽咋市のブランド米「神子原米」を使い、地元の農産物直売所が地域の酒蔵と連携する酒造りが始まった。1日からインターネット上で事業資金も募る。自然豊かな里山の棚田と里の営みを後世に伝えるプロジェクトの第1弾となる。

神子原米の純米大吟醸造りは、同市神子原町の直売所「神子の里」と同市大町の御祖(みおや)酒造が取り組む。ローマ法王に献上したことでも知られる神子原米のうち、最上級の新米の「心白」を使い、米を育てた碁石が峰の雪解け水の清流で醸し、能登杜氏の横道俊昭氏が仕込む。
インターネット上で事業資金を集める「クラウドファンディング」では出資金に応じて、純米大吟醸酒「神子―Son of God―」(4合瓶)や生酒「神子雫―Son of God―生酒」(2合瓶)、神子原米、棚田のオーナー権、神子の里の商品券、カフェ「神音」のランチ招待などの特典がつく。

担い手の高齢化や減少で耕作放棄地が増える中、住民によるまちおこしへの応援を求めており、武藤一樹社長は「100年後へつないでいくプロジェクトのスタートで、私たちの大きな第一歩に皆さんの力添えをいただきたい」と話した。


それが昨日の新聞で今月26日、その募金額に到達したという記事が掲載された。

神子の酒粕 どうぞ 羽咋の直売所 募金400万円突破
インターネットを用いた小口の募金「クラウドファンディング」を活用し、純米大吟醸酒造りに取り組む羽咋市の農産物直売所、神子の里は「神子の酒粕(さけかす)」の販売を始めた。鼻に抜ける爽やかな香りが特徴で、武藤一樹代表取締役(43)は「お酒をお待ちいただく間に、期待を膨らませてもらえれば」と話す。

募金は、二月一日から受け付け、二週間で当初目標の二百万円を達成。総費用の四百七十万円を賄うべく、倍額の四百万円を新たな目標に設定したが、二十六日までに突破。二十九日が期限で、引き続き受け付けている。


聞くところによると、金沢のある人が80万円もポンと出してくれたという。
ふるさと納税も予定額をはるかに超え、国からの交付金が全額カットされる自治体もあるのだとか。
いやはやネットの威力は凄いと認識を改めた。

2019年3月27日水曜日

12年前も晴天だった

能登半島地震が発生して12年経過した。平成19年3月25日といえば3月末に退職する5日前の出来事だった。当時、県の外郭団体の石川県建設技術センターに勤務していた。この機関は県土木事務所や、市町村に対する技術支援業務を主としていたので、地震という突発したアクシデントには建設技術センターのパワーを全開発揮しなければならない機関である。
地震発生の2カ月前くらいに「もう1年延長しませんか」と意思確認があった時、「パソコン画面の図面を長時間見ていると外の景色が二重に見えるようになった」と理由を述べ、年度末に64歳で退職する旨を告げていた。


自分が退職後、おそらく技術センター職員はてんてこ舞いの業務に追われたことだろう。
その頃、町会長をやり始めて2年目だった。老朽化した集会所の改築計画を真剣に取り組み始めた頃であった。まだこの団地に引っ越しする10年ほど前の台風で屋根が吹き飛んで大被害を受けたという。
3月25日のその日は確か日曜日、9時頃から集会所でパソコンに向かい改築関係の資料を作成中だった。9時41分だったそうだが、突然グラグラ揺れだした。一瞬身がすくみ動けなかったが、二階で会議中だった婦人会の方々がキャーと叫びながら階段を駆け下りてきた。老朽建物なので「すぐ外に避難だ」と叫んで外に出た。

空を見上げたら太い電話線のケーブルが縄跳びの縄のように大揺れしていた。外も危険なので家に帰ったら、震度4の割には被害はなかった。
倒壊家屋や負傷者のニュースが続々流れたが、死者が1名にとどまった。これは奇跡的なことと思わざるを得ない。
12年前を振り返る門前町住民

倒壊家屋が多かった割には、死者が1名だったことには理由があるという。
発生した日は晴れだった。高齢者が多い能登の住民だが、野良仕事などで外に出ていた人が多かったからだという。それにしても能登有料道路が至る所で崩壊していたが、走行車両に乗っていた人に全く被害が出なかったのが奇跡的といえるだろう。


この震度分布図を見て死者1名だったことが信じられない。神が多くの人々を救ってくれたに違いない。

2019年3月26日火曜日

今年も花は咲いたが

風はまだ冷たいが今朝も晴れた。この天気は明日まで、明後日からは数日間雨が続く予報となっている。この時季には家の前に「ヒメコブシ」、家の後ろに「ウメ」と「アンズ」の花が満開となる。今日は絶好のシャッターチャンス日和なので写真撮影した。
何だかいつもの年と様子が違うなと感じた。どの花も咲いている花が去年よりも随分少ない気がした。

で、去年の写真と比較してみた。

今年のヒメコブシ
去年のヒメコブシ
ウメはどうだろう。

ウメは去年と同等くらいかな
そしてアンズ。

何だこりゃ、パラパラじゃんか
去年はこんなに咲いたのに
ウメは例年並みだが、ヒメコブシにしてもアンズにしても極端に花が少ない。
去年はアンズが大豊作でジャムやウメボシ風に漬けたり、大勢の人にもお分けしてとても喜ばれた。収穫は去年の1割前後の2,3kgだろうなぁ。
去年は大豊作
考えてみれば、去年の大豊作だったアンズに肥料を施してはいない。なので樹勢回復の年なんだろう。
裏の猫の額ほどの畑は連休前に草むしりして耕す仕事が待っている。夏場しか日当たりがないので植え付けは数種類に限られ年中の畑仕事ではない。この年になれば丁度良い仕事量ではある。




2019年3月25日月曜日

人生「至福」のとき

3月11日は50回目の結婚記念日だった。今月に入って二人の娘たちが相計り、一昨日23日に湯涌温泉において金婚式のお祝いをしてくれた。


案内された部屋は特別仕様の離れ、16畳と8畳間、露天風呂付の豪華版だった。
宴が始まる前に露天風呂に入ってみた。

室内の浴槽は広くはないが
何と浴槽は露天風呂に続いていた
外に出るドアの構造に「エッ」と。水面下数センチまでのドアとなっていた。なるほど、こうすれば出入りが楽にできるし、雨風も吹き込むことがない。旅館の女将さんに話したら大工さんが考えてくれたのだと。

昨日の朝は雪景色!
この露天風呂の人気が高く、孫二人、娘二人が次々に入って満喫していた。小2の孫なんか一人で30分近くも楽しんでいた。
所定の6時となって宴が始まった。冒頭に二組の娘たち家族に感謝の言葉と50年の経過を紹介した。

3番目の孫によるお祝いの言葉
小2の孫も上手にお祝いの言葉を述べた
総勢10人の宴が続いた
ケーキまで用意されていた
昭和44年3月11日、旧柳田村の実家で挙式して近くの料亭まで花嫁行列したことを思い出した。

路上に雪が
披露宴 挙式関係の写真が少ないのが残念
「金婚式」をネットで検索してみた。金婚式とは結婚して50年目を、夫婦そろって祝う式のことをいう。夫婦で長い人生を乗り越えてきた意義を、家族・親族・知人などを招いて祝う。おもに父母や祖父母のために、子供や孫が主催して祝う会を催す。結婚式を祝う風習は、ドイツで始まり、その後ヨーロッパ全域に広まった。1624年に銀婚式、1860年に金婚式が行われたのが最初であるという。

一昨年と去年はこの時期前後に2週間づつ入院していた。それが今年の50年の節目は夫婦とも健康で迎えることが出来た。正に人生「至福」のときだった。
娘夫婦や孫たちに感謝々々である。ありがとう。


2019年3月23日土曜日

信開産業と称していた頃

つい先日だがアパホテルプライド国会議事堂前が完成して祝賀会が行われたというニュースがあった。


今では業界だけでなく財界にもその名が高い元谷外志雄氏だが、ホテルの客室数は6万室を超え世界的なホテル王に駆け上がった人物である。
元谷外志雄氏は、アパホテルを始め、マンションやレストランなどの事業を中核とする14の事業からなる、アパグループの代表である。

アパホテルと言えば、個性的な帽子スタイルがトレードマークの社長、元谷芙美子さんが有名だが、外志雄氏はその夫である。

ホテルの大看板である芙美子夫人の方の知名度が高いが、芙美子夫人をホテルの社長に抜擢し、広告塔に仕立てたのは夫の外志雄氏なのである。

いつも帽子が決めて
元谷外志雄とは一体どんな人物なのだろうか。
実はこの人と「商談」したことがあったのだ。平成7年、国鉄清算事業団では土地処分を急いでいた時代だった。当時、本社が犀川の大豆田大橋たもとにあるマンションの1階にあった。大垣駅と金沢駅の事業団用地を紹介しに何度か足を運んだ。

事業団用地はバブルの影響で価格が高騰していた頃であった。事業団は地価が顕在化しない売却方式を幾通りか考案し、大垣や金沢駅前は建物提案方式という仕組みで処分することになった。

貴方はこの土地にどんな建物を建てますか、そしてその事業収支計画はどのようなものですかと提案してもらう方式だった。
複数の提案のうち、最も土地利用の方法が法令規制をクリアし、かつ、土地価格が高い提案が採用されることになる。

結果、大垣駅前と金沢駅前は信開産業(当時改名前)に落札採用された。

アパホテル大垣駅前

アパホテル金沢駅前
社長室に入ると元谷代表がリモコンでドアをロックした。
「当社はバブル時期には土地は買わなかった。銀行が金を借りてくれというので困っている」と。「土地はだれも見向きもしないものに付加価値をつけて売却する」とも。

33歳の時にマンション事業を起業。そこで得た利益でホテル事業へ乗り出す。これは、マンション事業で発生する多額の税金を抑えるためでもあった。外志雄氏は次々とホテルを開業し、妻となっていた芙美子さんをホテルの社長に抜擢した。

芙美子社長は営業の仕事で素晴らしい手腕を発揮しており、その資質を見抜いての抜擢だった。ただ抜擢しただけではすまさず、今やトレードマークとなった帽子やミニスカートなどでキャラクター付けし、『私が社長です』のキャッチコピーでメディアに登場させるなど、芙美子社長をホテルの広告塔に仕立てていった。

その戦略と、芙美子社長の細やかな心遣い、営業力がマッチし、アパホテルは海外も合わせて400を超える店舗数、6万室を超える客室数を誇る一大ホテルチェーンに発展した。

このような人に出会ったことがあるということは誇りのように思う。今でも顔を覚えておられるだろうか。
だが、出会った当時は自転車操業の信開はいつ倒産してもおかしくないという風評があった。帝国データバンクには資力信用に問題ありとは一切記載されていなかった。
風評とはいい加減なものだと知った。

2012年の外志雄氏の年収は33億円であり、石川県で1位。資産は約2200億円であるといい、日本で5本の指に入るほどの超がつく金持ちなのである。
実はアパグループは本社こそ東京に移転しているが、登記上は外志雄氏の故郷である石川県金沢市に本店を置いている。そのため、納税地は今も石川県。外志雄氏は多額の税金を石川県に収めているという。

石川県金沢市は、外志雄氏が初めて事業を興した地。彼にとっては特別な場所なのである。東京進出の際、全てを東京に移してしまうことをいったんは考えたようだ。

しかし、当時の県知事から、県の税収の5%を占めるアパグループの移転はやめて欲しいと要請され、考え直したという。県知事の願いもあっただろうが、故郷を大事にしたいという外志雄氏の思いも強かったのだろう。

現在、外志雄氏のアパグループは、故郷石川県に多大な恩返しをしている。
こんな記事を見て、やはりただ者ではないという思いを強くした。

2019年3月22日金曜日

かつて金沢にも水郷風景があった

水郷といえば潮来の風景が代表的なイメージなのだが、かつて金沢にもそんな風景があった。
昭和30年代前半、釣り竿を持って北鉄浅野川線蚊爪駅で降りて10分も歩けばフナ釣りが楽しめる水路があった。細長い舟に稲を満載して運んでいた水路である。水路に沿って設けられた稲架(ハサ)に稲が隙間なく架けられていた。河北潟にほど近い一帯は水郷風景が広がっていた。

もうこんな風景は見たくても見れなくなった
農家のすぐ前が水路だった。

農家の前の水路には必ず舟が繋いであった


今ではこのような風景の片鱗さえ無くなった
対岸の大根布地区の風景
確かこのあたりの水路だったと思うのだが・・・
季節は今頃、この地域の田圃は河北潟の水位の変動に合わせてか、田面に数センチの水があったのだが、人の足跡の窪みにフナが潜んでいてそれを手づかみすることが出来た。
フナの習性として、背に触れると直ぐ逃げられるが、腹の下に手を入れギュッと握ると容易に捕獲することができることを覚えた。

干拓されて1/4くらいしか残っていない
干拓地の端部に道路が整備された。この道路に1550本の桜が植えられており、もうすぐ花見ができる。桜のトンネル、今年も行ってみよう。

北海道の道路を思い出す直線道路に満開の桜が咲く
昨日の大相撲、炎鵬が幕内豊ノ島と対戦して見事勝利!

あと1勝すれば幕内力士に