2020年11月30日月曜日

勝手に現場調査(2)

海環工事現場で、先週調査した時よりも重機の数がグンと増えたように見受けられたので、昨日1週間ぶりに現場をウォーキングした。海環の正式名称は金沢外環状道路海側幹線、白山市乾町~金沢市今町の全長18.4kmの地域高規格道路。現在、期区間とされた、白山市乾町から金沢市大河端町までの側道が開通している。

現在の工事はⅣ期区間とされ、金沢市大河端町から金沢市福久町までの3.2kmが建設中であり、完成すれば、白山市から金沢市福久まで、渋滞が慢性化している国道8号を通らずに金沢市街地を回避でき、渋滞の解消に大きく寄与するものとしている。

なぜ溝がある?
大河端から福久地内3.2kmが工事中となっているが、1週間前から8号線との取り付け部に重機が何台も投入され始めた。

本来は赤の破線部分の今町までの区間が正規ルート
福久南交差点付近から順次写真撮影を行なった。

福久南交差点付近の模様

海側歩道は福久南交差点から通行禁止となっている
この場所にレストラン「ココス」があったがイオン駐車場内に移転した

交差点から取り付け部まではかなりの距離がある

国道との取り付け部
一体、今何をしているのか、何をどうするのか、今の状況では完成の姿が想定し難い。
8号線の路面より高く盛り土してあるが「なーんでか?」

もう一つ不可解、この溝は何のため?

圧密沈下促進のための盛り土か
この一帯は軟弱地盤。深さ30mまでは貝殻の混じった堆積土なのだ。免許センター造成の際に圧密沈下促進対策としてサンドパイル工法が採用されたが、玄関階段付近が浮き上がった状態に見えるが実際は地盤が下がったのだ。
この付近も完成後の沈下を防ぐ必用があるので、盛り土して圧密沈下を促している。

ということで、長くなるので次回に。

2020年11月29日日曜日

雨に打たれる小さな花

木曜日(26日)は毎週1回割り当ての児童下校時の見守り当番だった。午後2時20分に1年生が下校時間となっていたので、10分後に交差点に立った。傘をさして児童を待っていたのだが、一向に帰ってくる気配がない。あたりを見回すと垣根に赤い色があった。サザンカの花とつぼみだった。そうか、そんな季節なんだなぁ・・・と。

つぼみと半開きの花
この垣根は、交差点の角から建物の玄関口まで15mくらいなのだが、3年ほど前に事故で車が垣根を踏み潰して建物の外壁も破損した。そのため、2m位は歯抜け状態になっている。

一つだけ満開の花があった
30分待っても誰1人来ないので、2年生が通過する2時15分まで家で待機することにした。
2時20分頃2年生が数人やってきた。それから2時30分まで立哨していたが人影が無くなったので家に戻った。
昨日は「特別日課」と称して土曜日登校があった。この日の下校時も当番で立哨した。6年生まで一斉下校なので4,5人グループで40人くらい通過した。当番は基本的に週1回の割り当てなのだが、当番を引き受けて貰っていた人が体調(足が痛い)を崩して何人か辞められたので、足りない分は責任者となった自分が引き受けざるを得ない。積極的に協力者を探すことにしたいが、町会にも協力を求めることにしよう。


2020年11月28日土曜日

悔しい思い「たかが岩礁、されど岩礁」

今日から3日後の12月1日の夜、プロジェクトマッピングで見附島を彩る・・・というニュースを見た。あの島にどのようにして映像を投影するのか、そんなことが可能なのだろうかと疑問に思う程である。投影は正面?それとも側面?興味が尽きない。

無数の映像を建物などに投影する「デジタル掛け軸」で知られる、小松市在住の映像アーティスト長谷川章(あきら)さんが十二月一日午後八〜十時、珠洲市宝立町鵜飼の見附島をプロジェクションマッピングで彩る。宝生流能楽師の辰巳満次郎さんも共演し、アートが映し出された見附島を背景に能舞を演じる。新型コロナウイルス対策で無観客とし、インターネットで動画を生配信するという。

ネットで見られるというので楽しみである。この見附島だが、能登線建設の事務所が鵜飼にあったので、事務所と併設されていた寮に住んでいた昭和38年の夏、ここで泳いだ。この付近は遠浅になっている。見附島の左側に小さな島、ま、岩礁なのだが、見附島の風景に欠かせない点景物であった。

昨年2月に完成したのとじ荘のふすま絵にも岩礁が描かれている
ところが、昨年10月下旬頃にこの岩礁の影形が見当たらなくなったという。
〇印の中に写っている岩礁が消えた!

消えた!
消えた原因は台風19号で海が荒れ、その波浪が打ち付けて崩れ去ったという。
昔、プリントゴッコで年賀状を作ったのだが、この見附島を版画に掘った。その版画に当然その岩礁を入れた。その風景がもう二度と見られなくなったのが悔しく思う。

2020年11月27日金曜日

60年前お世話になった旧三所町(みどころまち)

パソコンに収められている写真データを整理していたら、60年前の大学病院正門やその付近の写真に注目した。当時、運送屋の二階に住んでいたが、その二階から写真を何枚か写した記憶があった。昭和35年、高校3年である。運送屋の隣が桂月堂というお菓子屋さん、その隣が西明旅館だった。今はどうなっているのか気になったのでストリートビューで見てみた。


左端が大学病院正門、家並みの左端が西明旅館(現在は薬局)、その右隣に一棟の建物にお菓子屋さんと運送店が入っていた。その二階の一部屋に住んでいた。左隣が大学アパートというネーミングのアパートだった。

二階から大学病院正門を写した

正面左側 なつかしいオート三輪が
それが今はこうなっている。
4年ほど前に一新された病院に行った
60年経つと全く別世界である。正門に入ってすぐ左手に守衛室があった。当時は駐車場というものは無かった。だが、構内は広々とした空間があった。この道路の背面は市電小立野終点だった。
電停「小立野」付近から大学病院方向
ストリートビューの写真を見て驚いた。シラサワ写真館が今も営業しているではないか!
写真館の子どもで、自分より3つくらい上の人がいたが、今もお元気だろうか。
この建物から大学病院前まで旧三所町(みどころまち)界隈であった。ここに住んでおられた皆さんによそ者である自分を可愛がってもらった。旅館に風呂屋、貸本屋、仕立屋、みんな無くなってしまったようだ。しばし往時を懐かしんだ。

2020年11月26日木曜日

高齢者にピッタリのスポーツ

昨日の朝、グラウンドゴルフ例会に行くのに家を出たのだが、気温が低く手が冷たかった。先週はあんなに暑い日が続いたというのにこの急変に驚いた。プレー仲間はもうタイヤ交換をしたという。そういえば何年前かに11月の15日過ぎに積雪したことがあった。

風も無く気温も上がり最高のコンディション
4ラウンドして終了。前回はホールインワン1回だったが、今回はなし。5人のグループで2回も出したメンバーがいた。
東屋の下に集まって納会の会費が集められ、準備をどうするか協議した。準備するのに余り時間が無いので来週に延ばすことになった。和気藹々の雰囲気がなかなか良い。

さて、一昨日のウォーキングで大型クレーンが作業をしていたので、足を止めて眺めた。
大型鉄骨製品をトラックに積み込みしていた。

クレーンにネームが入っていたので読んでみると、「ONISHI」と記してあった。ここ近年に業容が急拡大している大西運輸なのである。自宅前の道路にも毎日「ONISHI」と記したトラックがひしめいて運行している。国8にもトラックターミナルが何カ所もあって、トラックが群れている。こんな鉄骨製品も運送しているとは知らなかった。それにしてもトラックの台数が異様に多い。新しい輸送システムを構築したのかもしれない。

森本駅前に駅前広場の整備計画図が掲示してあった。


バスが描かれている部分から駅側が完成済み。現在重機が入っている部分はグリーンで囲まれた植栽升の工事と思われる。年度内に完成すると推定できる。
今日も何とかウォーキングできそうだ。
 

2020年11月25日水曜日

自分には到底不可能な「驚きの救出劇」

3日程前のアメリカの出来事。何気なく映像を眺めていたのだが、画面にただ池が写っていただけだったが、しばらく見ていたら親父さんの姿が浮いてきて一生懸命に何かをしていた。

何をしているのか、かなり長い時間がこの状態で続いた
その内、犬がワニにかみつかれて、それを放そうと親父さんがワニの口をこじ開けているのがわかった。

ワニは小さいといえども捕らえた獲物は放さない
その口をこじ開けているのだ


犬救出に成功!
この親父さんの勇気に感動した。犬がワニに噛まれ池に引きずり込まれたので、池に飛び込んで潜って状況を判断しワニの口元を摑んだ。自分の腕が噛まれる危険を顧みずにである。そして両手で力一杯ワニの口をこじ開けた。凄いの一言だ。

顛末を記事はこう伝えた。米フロリダ州エステロで池の近くを散歩していた際、愛犬の子犬がワニに突然噛(か)みつかれて水中に引きずり込まれそうになったものの、飼い主の74歳男性が池に飛び込んでワニのあごを力ずくで開けて助け出す騒ぎがこのほどあった。

飼い主のリチャード・ウィルバンクスさんはワニとの水面上の格闘で両手を負傷し、医師から破傷風の予防注射を受けた。CNNの取材に応じ、「ワニはミサイルのような速さで水中から現れた」と振り返り、「ワニがあれほど速いとは思っていなかった」と説明。無意識に池に飛び込んだとし、ワニを押さえ込むのは難しくなかったが、あごをこじ開けるのにひどく難儀したと述べた。

この親父さん、ガンナーを襲ったワニを池から駆除し処分することは望まないと指摘したという。「彼らは自然の一部であり、我々の生活の一部でもある」と主張した。この親父さんに感服である。

2020年11月24日火曜日

3連休狂想曲

3連休狂想曲が終わった。この人出、家にジッとしている我慢の糸もこれが限界だったか、プツンと切れて全国各地の観光地にドッと人が押し寄せた。全国で新型コロナウイルスの感染が急拡大する中で迎えた三連休は、全国各地の観光地はもとより、石川県内も多くの観光客でにぎわった。

到着するどの列車も「満員御礼」
首都圏からドッと観光客がやってきた。

兼六園内が観光客の長ーい行列、コトジ灯籠を背景にした石橋写真スポットは順番待ち

東茶屋街の賑わい

近江町の食事処も長蛇の列 何時間かかったのだろう

輪島朝市もわんさか観光客が


京都渡月橋の歩道は歩けないくらいの観光客がひしめいていた。
さて、10日後のデータがどう出るか。最近の急速拡大も数ヶ月続くニュースに馴れて余り驚かなくなった!
知事は政府に何とかしてもらいたい、政府は知事が判断すべきと譲り合っているが・・・狂想曲のあとがこわーい。

2020年11月23日月曜日

勝手に現場調査してみた

いつものルートではつまらないので、昨日は国道8号線福久南交差点地下道をくぐって国道海側の歩道を歩いて海環現場を見ようと思ったら、工事中につき立ち入り禁止の柵が設けられていた。仕方がないので広い道路の突き当たりで左折して田んぼに通じる道を歩いた。

そうすると直ぐ海環工事現場を眺められる場所に出た。いつのまにか地下道が完成していた。その入り口付近から海環が8号線にドン突きする部分を写真に収めた。

まだまだ何がどうなるのか判断が難しい

歩行ルートと写真撮影方向位置図

先ず最初に新しい地下道の手前から海環が8号線にドンづけとなる位置を撮影した。
①今の段階で完成の姿を予想するのは困難

新設された地下道 この上部に盛り土され海環が造成される
海側の状況を写した。
位置図②の方向

上の写真の続き8号線方向となる
そして国8方向③を写した。

この写真でもドン突きがどんな状況になるのか想像することが困難である。写真撮影した場所付近の農耕者は現在、土地利用方法について協議中という噂話があるようだ。
海環の終点は今町。したがって、ドン突きは暫定的な措置なのだが、今町まで整備されるのはまだズーッと先のことになるだろう。イオン前の空き地は将来の海環道路予定地は当分草原のままが続く。

さて、話しを戻して8号線歩道はシャットアウトなので地下道をくぐり反対側を歩くことにした。

この地下道を抜け反対側から歩くことに
山側の住宅街を通り抜け、ラーメン世界という店舗の裏側から8号線の歩道を歩くことにした。
スタンドのむこう側に何ができるのか?

高速道路下の歩道は初めて通る

この一帯もアパートが多い
かくして、幼稚園前の歩道から帰路についた。半年後にもう一度このルートを歩いてみよう。

2020年11月22日日曜日

「高さ」のコントロールポイント

次の写真は昨日ブログアップした踏切で写した写真の反対側、森本駅方を写したものである。

この写真の線路の上部に横断している構造物は北陸自動車道である。右側線路は上り線、左側は下り線。昨日も触れたが、左側の空いている土地にもう2つ線路があった。東金沢駅が海側に移転するまでは、ここに4つの線路があった。その時まで、右側線路が上り貨物通路線、隣に北陸線上り線、北陸線下り線、下り貨物通路線と並んでいた。貨物通路線は、昭和55年、金沢駅付近高架化工事の前段として、客貨分離する必要があったため乙丸地内に貨物ヤードを集約し、森本駅まで貨物専用線を建設することになった。

そして昭和57年、その工事管理担当要員として岐阜から金沢に赴任した。昭和60年までの約3年間、単身赴任が解消し家族と同居できたのである。

今日のタイトルは高さのコントロールポイントとした。森本駅付近高架橋はどうしてあんなに高いのか疑問に思う方もおられるだろう。実はこの写真がその理由。北陸自動車道を跨ぐための必用な高さの位置がコントロールポイント。北陸線を高速道路が跨ぎ、新幹線がそれをまた跨ぐので高くなっている。

金沢駅までにもう一つコントロールポイントがある。それはどこかというと乙丸陸橋である。
乙丸陸橋付近新幹線高架橋
金沢駅を過ぎるとすぐ次のコントロールポイントがある。中橋高架橋である。ここは道路を跨ぐだけだからそんなに高くなっていない。

森本駅付近の高架橋だが、この高架橋構造が不可解なのである。なぜ、この部分に広い空間が確保されたか?
推測だが、この下に線路を跨ぐ道路を想定しているとしか考えられないのである。何十年後かに正解がわかるだろう。

2020年11月21日土曜日

初めて歩いた道

一昨日のウォーキングは、そんなに遠くはないのだが、初めて歩く道を行った。家から直ぐの交差点を右折して、先が見えないほど直線が長い歩道を歩いた。実はこの道、孫4人が順番に幼稚園に通った道である。家から5分ちょっとの位置にある幼稚園。

家内が13年間4人の孫の送迎をした幼稚園
その孫の最も上は今年大学に進学し、2番目は高校に進学、3番目は中学に進学、4番目は小学4年生になった。送迎しなくなってから3年半ほど過ぎた。だが、幼稚園の佇まいを眺めると、入園、運動会や文化祭、色々な情景が目に浮かぶ。
幼稚園の周囲は広大なレンコン田が広がっている。
もう収穫の終えたレンコン田もあった。横枕地内のレンコンは「泥付き鍬堀の小坂レンコン」と称され、もっちりとした食感が大好評となっている。わが家の食卓には欠かせない食材となっている。
長い歩道を過ぎると、高速道路の下をくぐり抜け、今回は左折して高速沿いに歩くことにした。
約300m間の初めて歩いた道
この町内には顔見知りの方が何人かおられるのだが、場所は把握していなかった。案内図が掲示してあったのでそこで確認することが出来た。
やがて踏切にさしかかった。

右側空き地にも貨物上下線の線路があった
当時は新幹線の計画中心杭はあったが高架橋はない時代。この写真で北陸線の上下線が写っているが、複々線化工事で上下旅客線、上下貨物通路線と4本の軌道があった。
何故上下線だけになったか・・・、実は新幹線の計画ルートは東金沢駅も森本駅と同様に北陸線の上部に新幹線高架橋とする予定だった。それが、すったもんだの議論の末に、貨物ヤード内に北陸線を移す計画変更となったため、貨物専用線の必用がなくなったのである。
で、東金沢駅移転工事が実施され、現在の形になった・・・という訳である。

長くなるのでウォーキングの続きは明日にしよう。

2020年11月20日金曜日

グラウンドゴルフのサークルに入れてもらった

10年前に町会々館が竣工した時、会館を広く開放し、コミュニティ強化として住民が同館を「使い倒す」ことを目的に、十数種類の同好会(サークル)を立ち上げた。その一つにグラウンドゴルフ同好会ができ、会館とは関係なく八幡公園で毎週水曜日に例会を開催している。

ウォーキングの途中にどんな様子なのかと会場に寄ってみたら、数人の人たちから「一緒にやろう」と誘われていた。先週の水曜日から入会しようと思っていたのだが、今にも雨が降ってきそうだったので見合わせた。で、一昨日水曜日は素晴らしい好天!9時スタートだというので、家を20分前に出た。途中、Tさんが家の前で深呼吸していたので、「一緒にやりませんか」と誘った。ならば行こうとなって、二人で公園に行ったら用具の据え付け等の準備中だった。

メンバー12人に新入会の二人が加わって14人でプレーすることになった。パーティ組み合わせはくじ引きだった。会員は男女半々、夫婦のカップルも何組かおられる。


高級なマイステックにマイボールのメンバーも何人もおられるが、町会備品を使わせて貰うことにした。
8ホールを三回、コースは短いがそれでも難しい。約2時間のプレー、例会は11月末まで、再開は3月。来週、月末に会館で懇親会を開催するのだという。これから楽しみだ。