今年は第99回だという。毎年この時季、甲子園で繰り広げられる熱戦をテレビ観戦すると、60年ほど前の出来事である「吾が心の甲子園」が蘇ってくる。
昭和35年(1960年)第42回大会、今から57年前に遡る。
福井、石川で北陸代表校を決めるため、福井球場で開催された準決勝戦は武生を6:0で破り決勝戦は敦賀と対戦することになった。その時点から記さねばならない。
3回裏、敦賀に3点を奪われ、6回まで吾が母校は無得点に抑えられていた。が、7回表に猛攻撃同点とし、8,9回と各1点を上げ5:3で逆転勝利し北陸代表を制した。
狂気乱舞の応援団 |
私は選手ではなかったが、8人の応援リーダーの一人であった。駅広から選手、応援リーダー、ブラスバンドのメンバーがトラック2台に分乗して市中パレードとなった。トラック荷台で応援歌を歌い応援モーションを続けた。
駅前から武蔵、香林坊、片町、広小路とゆっくり通過、沿道は群衆で埋め尽くされていた。
翌日の新聞に出場校が紹介された。
試合前日、大阪心斎橋近くの旅館に選手団と一緒に宿泊した。
試合当日は今にも雨が降りそうな曇天。前の試合の青森高校の応援をしたところ、青森高校は勝利を挙げ感謝された。
対戦相手は京都平安。後にプロの道に進んだ大崎投手を擁する古豪である。甲子園に入って試合開始前から応援リーダー8人は客席最前列の前にあるフェンスの基礎コンクリートの上に乗って応援団を指揮した。
試合開始! |
地元紙掲載 |
翌日の朝日新聞朝刊スポーツ欄を見て小躍りした。何と吾が応援リーダーがずらりと並んで応援の指揮をしている写真がでかでかと掲載されたのだ。それも自分が最も大きく写っていたのである。
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西永先生の開会式感激の譜は何度も読み返すほどの名作である。
この大会の3か月前に北信越高校野球選手権大会が長野球場で開催された。そこでは順調に勝ち進み決勝戦へと進んだ。が惜敗したが準優勝ということで帰りの急行白山の列車内は喜びに沸き返り、ブラスバンドと応援リーダーが選手の前で応援歌を合唱し祝福した。
長野球場で 中村トラ右隣に先月急逝した別所君が
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「松」のトランペットが響き渡った |
12年前、山代温泉ホテル百万石で開催した甲子園出場50周年記念祝賀会では、まだブログをやっていなかったのが残念に思う。
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