2017年8月19日土曜日

地域コミュニティ崩壊の理由


〇地域コミュニティが崩壊寸前だという。どういう理由があるのだろうか。
その理由をある対談記録から読み取れる。

地域のコミュニティーが崩壊寸前で、老人会や消防団などの組織率もどんどん下がっている。現代人というのはあらかじめ用意された繋がりではなく、趣味や人生のテーマなどで共通項のある仲間を意識的に求めていますよね。高齢者も、老人会に行ったって面白くないわけですよ。だから行かない、仲良くなろうとも思わない。
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〇この意見には賛同しかねるが・・・・

 そういう状況を見ていると、実は老人が嫌いなのは老人自身なんだと思ったりしますよね。例えばJR横須賀線なんか乗ると、向かい合わせの4人席にお年寄りが4人乗っているけど、ブスッとして全然話そうともしない。昔は他人同士でもそういう場で会話が弾むようなシーンがあったと思うのですが・・・。

〇平均寿命の更新が続く現在、定年退職してから死亡するまでの期間がどんどん長くなっている。さあ、どうすればいいか?

19世紀以降、国家運営の一つの柱は教育だったと思いますが、それは21世紀も続いていきます。子供の教育は国家を成長させ、支えていく柱ですから。それでは、高齢者はどうかといえば、平均寿命が80代まで延びてきている状況で、もうすぐ死ぬから放っておけばいいということでは全くないわけですよね。

 そうであれば、子供の教育に匹敵するような場所や、退職してから死ぬまでの時間をどのように過ごしてもらうかというノウハウを国が公的に提供するような仕組みが必要だと考えます。
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〇金沢では高砂大学などかなり充実した教育が行われている。

老いの自覚
歳とともに老いの兆候としてさまざまなことが心身に現れる。夜眠るのに、中々寝つかれない。心の中でさまざまな記憶がよぎる。子供時代のことがまるで昨日のことのようにあざやかに心の中に浮かぶ。ひとりひとりの名前もはっきり覚えている。そしてその記憶の中で遊んでいる間にますます目が冴えて眠れなくなる。
夜中にトイレに起きる。もう朝かと思うほどはっきりと目が覚めてしまう。尿意を催している。トイレに立つ。夜の帳の中に鳥の鳴き声や雨の音が身に染み入るように聞こえる。昼間では聞こえない声や音が聞こえる。そのとき老境に入った自分の心を覗き見る気がする。
老いとともに朝早く目が覚めるようになる。四時くらいに目が覚めてそれからもはや眠れない。散歩に出るにはまだ早すぎる。床の中でさまざまなことを考える。今まで考えもしなかったことが思い浮かび、どうしてこんなことがわからなかったのだろうと思ったりする。老境に入って初めて気づく人間の心というものは無限にある。

〇退職前にあれほどあこがれていた「自由時間」、それがもてあまし気味になっている今。贅沢過ぎる今があるが、これほどもったいないことがあろうか。さぁ、もっと充実した時間を過ごそう!




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