2017年7月7日金曜日

新幹線工事監理業務3年目(その3)

昭和48年10月20日、この日は早めに退庁し瀬戸内海の海岸線を走り、国立大竹病院に向かった。駐車場から2歳の長女の手を引いて病院入り口に向かった。
快晴であったこの日もやがて日没、今日は次女の誕生予定日であった。車を降り病院の入口まで、長女の履いている草履は歩くたびに「ペコチュー」と鳴り響き渡った。
妻は分娩室に入っていた。30分ほど待っていただろうか、「オギャー」という声が聞こえた。それから2,30分して看護婦に抱かれた次女が吾が前に来た。「こんにちわ赤ちゃん、私はパパよ」と口ずさんだ。

次女誕生2か月目
インフレ対応業務で超繁忙ではあったが、月に1度はドライブすることにした。
音頭の瀬戸へ
長女3歳、宮島さんへ初詣
昭和49年を迎え、私は31歳、長女3歳、次女3か月となった。この頃、現場では大騒動が起きた。
高架橋工事が進捗したある日、私の担当する高架橋工事の主任技術者を呼び、次のように指示した。
「もう一度高架橋の基準高さを再測量し、隣接工区の業者とも高さを再確認すること」。
2,3日後、主任技術者が息を切らせて事務所に駆け込んできた。
「主任、大変なことになった。隣接工区とすり合わせたら床板の高さが40cm違う」という。
2,300mのトンネルの基準も違うことになるから、施工ミスであれば業者倒産では済まない!工期が大幅に遅れることになり、広島新幹線工事局の責任問題になるであろう。
「隣の工区の測量担当者と即刻再確認せよ」と指示し、隣の工事事務所長に直ちに再確認するよう依頼した。

翌日、原因が判明した。隣接する工区の軌道構造はバラスト軌道からスラブ軌道に変わる2タイプ方式、一方の当工区の軌道構造は直結式スラブ軌道構造であるため、高架橋床板仕上げ高さは40cmの違いがある。隣接の測量担当者が勘違いをしていて、スラブ式となる区間をバラスト区間と同じ取り扱いで床板高さを決定していたのである。
隣接工区の測量担当者は即配置換えでほかの現場へと消えていた。そしてその業者は、スラブ式高架橋部分の橋脚を全て40cmかさ上げし、桁もジャッキアップして据え付け直した。

そうこうしている内に、試運転列車が走行するようになった。そのため、試運転列車の走行しない夜間に工事をしなければならなくなった。
事務所内では、東北新幹線建設要員を確保するため、仙台から顔見知りの課長が勧誘に来たのである。

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