2017年7月6日木曜日

心に残る金大附属病院の風景

金大付属病院の長期間に亘る整備工事が完結してその佇まいが一変してしまった。新装なった今、大学病院のイメージが遠い彼方へ去ってしまった。
広大な駐車場の奥にエントランスができた。
一歩足を踏みいれると、「あっと驚く為五郎!」一気に3階まで行けるエスカが眼に入る。

昭和33年4月、この金大付属病院の入口付近の道路角の旅館の隣にあった桂月堂というお菓子屋さんと棟続きの運送店2階に下宿した。
当時の病院の入口に守衛室があって、いかめしい顔つきをしたおっさんが院内の安全に目を光らせていた。
昭和33年頃の大学病院
 病院門柱と正面玄関建物の間は、約30mほどの間隔をおいた広場になっており、守衛室の裏側と反対側にかなり大きな防火水槽があった。
この水槽には鯉や鮒がいて、夜中に守衛の目を盗んで釣りを楽しんだのである。このころの構内には、薬学部の左手にグラウンドがあって、空いていればソフトボールをして遊ぶことができた。
ミミズを取るのも構内、クルミを採るのも構内であった。

この構内の最も奥まった場所に、鉄筋コンクリート5階建ての病棟があった。全自動のエレベーターが備え付けられており、用事もないのにその自動エレベーターで昇降を楽しんだのである。
また、無免許でバイクの練習をしたのも、構内外周の幅3mくらいの道路であった。もちろん無舗装のでこぼこ道で1周2kmはあった。床屋も院内の施設を利用した。売店しかりである。

下宿の2階から撮影 向かいの店はタバコ屋
電車通り方向の景色
現在の正門方向の景色
戦前の医専時代
昭和37年医学祭
昭和33年当時でさえ本館の歴史は長かったのであるが、さらに50年以上もこの建物が機能していたとは驚きである。
新生大学病院
最奥部の病棟(ここに5階建ての旧病棟があった)
今では紹介状がないと診察はしてもらえない。町内の高齢女性が、他の病院では高熱の原因は不明だといわれたので、診察してもらおうとしたが、受付で今まで受診していた病院に行きなさいと門前払い、診察を拒否されたという。そんな冷たい病院に変わってしまった。また、難病患者が予約しても何か月も待たされるという。
下宿していた頃は、「大学病院は行くもんじゃない、モルモットにされる」と不評だったのだ。

大きく変わった大学病院ではあるが、私の海馬体に、昔の大学病院がしっかりと記憶されている。

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