2017年7月2日日曜日

香港が返還されて20年

昨日、習近平国家主席が香港で開催された返還20周年記念式典に出席したという。
中国は返還後50年間は資本主義を踏襲し、自由を保障すると協定書に調印したことになっているが、大規模デモが発生し、中国の締め付けが厳しくなった。
昨日の式典では習主席は香港独立運動を厳しく糾弾したという。今後の30年がどのようになるのか注目される。

中国の圧力に高まる不満=1日に香港返還20年
 出席した中国の習近平国家主席は「中央の権力と香港基本法の権威に対する挑戦は決して許さない」と警告し、香港でくすぶる独立の動きに強硬姿勢で応じる考えを示した。
 習主席は香港に適用されている「一国二制度」に関し、「『一国』が根になる」として、「一国」が「二制度」に優先すると強調。また、「青少年の愛国主義教育を強化する必要がある」と述べ、香港独立を視野に入れる新興の反中勢力「本土派」の中核を占める若年層に対し、思想面で変革を図っていく意向を明らかにした。
 このほか、香港の親中派と民主派の対立を念頭に「政治化の広がりの渦に巻き込まれれば、経済と社会の発展をひどく阻害することになる」と指摘した。
 式典では香港行政長官の就任式も行われ、今年3月の選挙で当選した親中派の林鄭月娥氏が習主席を前に宣誓し、正式に就任した。



は返還される半年前に香港に旅行した。当時の香港国際空港は啓徳空港と呼ばれ、香港の東端部にあった。 

旧香港国際空港

 この空港は世界一離着陸が難しいと言われた。高層ビルすれすれに飛ばないといけなかった。


正にアクロバット飛行だ

どの写真も目を疑う光景である。そんな空港であったが、香港返還とほぼ同時期に西端部に位置する島に移転している。
返還が半年後に迫る中、日本語が堪能な30代の男性ガイドが悩みを打ち明けた。このまま住むかイギリスかシンガポールに転出するか悩みが尽きないと心のうちを吐露していた。20年を経てそのガイドは50代の筈。どこでどうして暮らしているのか気になるところである。

20年前の香港は、現在とそんなに変わっていない。超高層ビルが雨後のタケノコのように林立していた。建築中のビルが多数あったが、どれもこれも足場が竹。ガイドに転落事故は起きないのかと質問したら、落ちるのを前提に労務者が集まってくるから何の心配もいらないのだとか。もちろん障害保険なんていうもんはなし。人間の代替えは無尽蔵にいるということか。

今でもそうだが、2階建て電車の車体にでかでかと「正露丸」の広告がある。日本では子どもの頃は家庭常備薬だったが、今では滅多に買わなくなった。まだ正露丸が売れているんだーと感心した。
繁華街の道路を横断する歩道橋で
ビクトリアピークの中腹あたりには、超高級住宅地がぎっしり頂上付近まで連なっていた。香港には富裕層が非常に多いなぁと感心したり、麓付近の住宅には勝手に電力線を引き込む盗電者もいると案内があった。不思議なところである。
写真撮影の人気スポットで
先のブログでも触れたが、空港に到着する10分ほど前に飛行機は、香港島上空を遊覧飛行のように低空で飛行した。だがおびただしい灯は行燈の光のように思え、函館の夜景の足元に及ばずと思ったものである。 
また、つい最近、香港島からマカオまで橋で繋がったという。もう一度行ってみたくなった


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