2017年7月16日日曜日

新幹線工事監理業務3年目(最終章)

昭和49年も半ば、軌道敷設工事が着々と進められ、残る土木工事も急ピッチで進められた。現場事務所では東北新幹線建設のため、福島や仙台に転勤する者が出てきた。
そのころ、北陸新幹線建設の兆しが見え始めたので、「俺は北陸新幹線だ」と決意した。が、当時の新幹線建設は駅部区間を除き、上越新幹線と北陸は鉄建公団で実施することが決まっていた。担当は駅部区間でもいいし、公団出向でもいいかなと思っていた。
そんな考えのため、東北新幹線への勧誘は頑として拒んだのである。
12月初頭から試運転列車が運行を開始した。
土煙りを上げながら疾走する試運転列車
疾走する試運転列車を眺めていると、困難を極めた過去が頭をよぎった。
異常出水の現場確認

ここを何往復したことか
8月には同僚2人と片道1千kmの能登へドライブした
全職員で南九州旅行

宴会で、はっちゃかめっちゃかもあった
工事の安全祈願は宮島さんへ行った。
当時元気だった人だが物故者も何人か
5年前、孫と一緒にこの思い出多い宮島へ。当時の思い出が走馬灯のように頭をよぎった。
11歳と8歳の孫と69歳のじいじ
試運転が開始されたことに伴い、広島新幹線工事局全職員を対象に、博多まで「線見」という名目で試乗が実施された。
私は隣接工事区の5年後輩と博多まで、こだまの最後尾運転席に乗り往復した。途中、こんな状況で本当に3月10日に開業できるのか心配した場所が何か所もあった。

時速200km/hで担当現場通過、このシャッターチャンスをとらえるのに困難を極めた

同上か所の工事中の写真
昭和50年が明け、職員がどんどん少なくなってきた。ところが、隣接の五日市工事区、玖波工事区が閉鎖統合されて数名が増えた。
3月に入ったある日、分散会が開かれた。
紐を回しながら歌を唄い、止まった結び目の職員が次の歌を唄う
そして3月10日、全職員が広島駅ホームに整列して新幹線開業式典が挙行された。
広島駅での開業式典
3月月末の岐阜工事局転勤まで、大量に処理しなければならなかった残務整理で、引っ越しの車が到着するまで徹夜作業を続けた。
4月1日付け、岐阜工事局線増第三課勤務を命ぜられた。

0 件のコメント: