職場と一体となった寮生活で、軌道工事発進基地宇出津までバス通勤していたが、宇出津寮が開設されてそこへ住まいを移転することにした。
閑散とした内浦町市ノ瀬と違って、宇出津は奥能登でも活気に満ちた町であった。現在よりも数段好景気を享受していた町なのである。キャバレーが3軒、旧遊郭街、バー、寿司屋、飲み屋等がひしめいて男の誘惑施設は十分過ぎるほど存在していた。
そうした住環境が一変したため、仕事が終わってからの過ごし方も当然一変した。西茶屋街で脅えた者がそれから脱皮するのにそれほど時間を必要としなかった。
まず川辺に並んだバーに「スワン」という店があり、そこに通うようになった。カウンターで5,6席、ボックス席が2つとこじんまりした店であった。通うといっても一人で出かける勇気はなかったので、ジープの運転手と、4月から着任した事務掛である3年上の先輩の2人に金魚のウンコのように連れだって行った。
客層では苦い思いをさせた漁師がいなかったこと、朝日新聞支局の記者等が常連客で、ホステスが薄給の我々にも分け隔てなく応接してくれるのが気に入った。
S37年12月、ボーナスを懐にいつものメンバーでバーに向かった。酒に弱い自分であるが、ホステスに勧められるがままにカクテルやハイボールを何杯か口にした。
ほろ酔い気分で店を出て、運転手がもっといいとこに行こうと誘った。アルコールの勢いもあって、よし行こうと話が決まった。旧遊郭街の一角のある店に入って座敷に上がった。頃合いを見て「遊ぶ娘いない?」と切り出した。「うちにはそんな娘いません」と不愛想にいわれたので店を出た。次の店でも断られた。一限さんと見られ、警戒されたのであろう。
その店を出たあと運転手が「バーで常連客から聞いたところに行ってみんか」と誘った。そこは〇〇旅館と看板が掲げられていた。中年の恰幅のいい女将が雰囲気を察してか「どうぞ2階へ」と案内してくれた。当然3人それぞれ個室に入った。期待感と不安感が入り混じった複雑な気持ちでかなりの時間を一人で過ごした。襖が静かに開いて「今晩わ」と声がかかった。そのあとは当然の成り行きとなった。
目覚めると一人だけの自分がいた。勘定をすませ面映ゆい気持ちで寮に帰った。
満20歳を2週間後に控えた「男の遊び」に開眼したできごとであった。
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