高3の時であるが、S35年の年末にも北陸地方は豪雪に見舞われ、北陸線が不通となった区間があった。金沢から帰省するときに七尾線の列車が大幅に遅れて宇出津駅に到着した。親父が10kmの雪道を歩いて駅まで迎えに来ていた。中3の弟と3人で深い雪道の峠を登った。細い一本道をこけながら長靴に入る雪を出しながらとぼとぼと半泣きで歩いた。そんな光景を思い出した。
さて、家族水入らずで紅白歌合戦を楽しみ、間もなくS38年の新年を迎えた。家には1月15日の成人式の案内が届いていた。
これには訳があった。親父が村議をしていた関係で、柳田村役場が1人でも多くの給与所得者から住民税を徴収する目的で、親父に私に対する柳田村の住民登録を求めたのである。
年末年始は心配するほど積雪はなかった。御用始めのため4日早朝職場に復帰した。その日から少しづつ積雪が増え始めた。
8日は前期の給料日である。給料は本部経理課職員が派出払いで中部一円の現場事務所に出張していた。8日昼過ぎに到着するはずの列車がいつまでも来なかった。当然その日には給料の支払はなかった。
寮で就寝中、玄関で戸を叩く音で目が覚めた。午前3時を過ぎていた。遅れた列車が到着したのである。9日、経理課職員が宇出津の銀行で金種別に仕訳けられた金を受け取り各職員、臨時雇用員に給与が支払われた。
軌道工事は請負業者が正月休みが明ける8日から再開される予定であったが、積雪のため作業は不可能となり暫く様子眺めとなった。
15日の成人式はそんな状況下で出席することができた。
当日夜から雪が降り積もり、明け方には80cmを超えた。このため、北陸地方全域にわたり交通機能が全面的にマヒした。降雪は来る日も来る日も降りやまず、2月初旬まで雪にうずもれた。
宇出津駅構内も雪にうずもれた |
そんなことで、通常業務は不可、毎日事務所でダルマストーブのお守りが主たる業務となった。
能登線の列車は2月に入ってようやくダイヤが通常に復旧した。
ようやくダイヤ復旧した宇出津駅ホームにて |
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