2013年3月10日日曜日

38豪雪、能登線建設工事が2か月間以上中断

S37年12月28日、御用納めとなり宇出津から単車で実家に帰った。柳田村まで10km、宇出津の町はずれからすぐ長い登り坂となる。町には殆どなかった雪が、坂道にさしかかった途端、1,2cmの積雪があり、峠の頂にあるトンネルまで果たして運転して行けるのか不安になった。登坂しながら進んで行くと5cmが10cmと深くなり雪でハンドルが取られるようになったが、新雪なのでどうにか走行することができた。家には父母、高1の弟、小6の妹、小4の弟が待っていた。みやげに持って行ったバナナ1房を見て喜んでくれた。
高3の時であるが、S35年の年末にも北陸地方は豪雪に見舞われ、北陸線が不通となった区間があった。金沢から帰省するときに七尾線の列車が大幅に遅れて宇出津駅に到着した。親父が10kmの雪道を歩いて駅まで迎えに来ていた。中3の弟と3人で深い雪道の峠を登った。細い一本道をこけながら長靴に入る雪を出しながらとぼとぼと半泣きで歩いた。そんな光景を思い出した。

さて、家族水入らずで紅白歌合戦を楽しみ、間もなくS38年の新年を迎えた。家には1月15日の成人式の案内が届いていた。
これには訳があった。親父が村議をしていた関係で、柳田村役場が1人でも多くの給与所得者から住民税を徴収する目的で、親父に私に対する柳田村の住民登録を求めたのである。

年末年始は心配するほど積雪はなかった。御用始めのため4日早朝職場に復帰した。その日から少しづつ積雪が増え始めた。
8日は前期の給料日である。給料は本部経理課職員が派出払いで中部一円の現場事務所に出張していた。8日昼過ぎに到着するはずの列車がいつまでも来なかった。当然その日には給料の支払はなかった。
寮で就寝中、玄関で戸を叩く音で目が覚めた。午前3時を過ぎていた。遅れた列車が到着したのである。9日、経理課職員が宇出津の銀行で金種別に仕訳けられた金を受け取り各職員、臨時雇用員に給与が支払われた。

軌道工事は請負業者が正月休みが明ける8日から再開される予定であったが、積雪のため作業は不可能となり暫く様子眺めとなった。
15日の成人式はそんな状況下で出席することができた。
当日夜から雪が降り積もり、明け方には80cmを超えた。このため、北陸地方全域にわたり交通機能が全面的にマヒした。降雪は来る日も来る日も降りやまず、2月初旬まで雪にうずもれた。
宇出津駅構内も雪にうずもれた
能登線建設現場と岐阜工事局を結ぶ鉄道電話の専用回線も、電柱が倒れ電話線がいたるところで切断され、連絡用務は公衆電話(電電公社回線)を利用せざるを得なくなった。公衆電話も回線が少なくなったためか、普通報で申込みしても2,3時間を要した。急ぎの連絡は特急報で申込みしたが、料金が高額のため極力電話をしないよう指示があった。
そんなことで、通常業務は不可、毎日事務所でダルマストーブのお守りが主たる業務となった。
能登線の列車は2月に入ってようやくダイヤが通常に復旧した。
ようやくダイヤ復旧した宇出津駅ホームにて
 だが、能登線の軌道工事再開は3月中旬まで待たなければならなかった。事務所の前の雪かきとストーブのお守りだけで2か月分の給料をもらうことになった。

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