この無念さを表現する適切な言葉を見つけることは不可能である。
だが、この無念さは私だけではなく、ほかにも大勢の人がいることがわかった。ネットで「能登線」と検索すれば廃線後の情報が容易に知ることができるのである。廃線を惜しむフアンが何と多勢なのかと。
月日の経過とともにすたれ行く能登線全駅を、そうしたフアンが驚くべき行動力を以って隈なく写真撮影したものを見ることができる。
次の写真と比較し、変わり果てた小浦駅を見ると涙がにじむ |
開業準備を急ぐ50年前の小浦駅新設工事 |
真脇駅あとも無残・・・・ |
50年後にそのような姿になろうとは誰も考えもしなかった |
恋路・鵜島間第2宗玄橋りょうの「橋りょう標」が |
能登線建設に携わった職員は、私より1年~5年上の先輩が10人以上を数え、適齢期のその人たちは現地からお嫁さんをもらう人が続出した。
ちなみに私が最年少のハタチ前後で、結婚適齢期に時期早尚であった。
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