2013年3月21日木曜日

引き続き軌道敷設と桁架設業務を遂行せよ

宇出津・松波間が開通した当日、10月15日付け転勤の事前通知書が渡された。
その通知書の裏に、「本通知書に不服がある場合は苦情処理委員会に申し立てすることができる」と記載されていた。辞令は10月15日に正式に発令となるが、何らかの事情で転勤に不服がある場合の救済の道として2週間前に事前通知書が手交される制度があった。
私としてはもう暫く現場事務所勤務を続けたいという気持ちがあったが、辞令を受ける覚悟を固めた。
開通後も軌道工事は急ピッチで進み、鵜飼駅設置予定位置が発進基地として貨物留置線を増設することになった。
鵜飼駅予定地に貨物留置線が増設された
鵜飼駅予定地から終点方の状況
そして最後の仕事が上戸駅手前の竹中川橋梁の鉄桁架設であった。

竹中川橋梁位置図
鉄桁架設前の準備作業状況
鉄桁は製作工場から松波まで部材ごとに貨車で運搬され、土工線に乗り入れて谷崎トンネル出口付近で取り卸され、そこで組み立て作業が行われた。
組み立て完了
鉄桁はディゼル機関車で約400m運搬された
工法は手延べ式架設法によった
慎重な移動作業の実施状況
これ以遠の能登線建設は他人の手に委ねることになった
無事架設が終了し、私の能登線建設工事に関わる業務は完結した。
転勤を間近に控えたある日、職員家族慰安旅行が行われた。
行先は能登金剛、千里浜方面
皆さんお元気で さようなら
昭和36年7月中旬、右も左もわからないグリーンボーイは、2年と2か月にわたり能登線建設に関わり、軌道工事に関しては一人前の技術者になることができたと自負すると共に、青春時代を郷土のために尽くすことができ、数々の思い出を残してくれた。そんな機会があたわった私は幸せ者に違いない。

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