2017年6月13日火曜日

ギャンブル&ニコチン依存症との格闘履歴

去年12月、「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案」、略して「IR推進法案」が可決された。IRとはカジノだけでなく、ホテルやショッピングモール、巨大なMICE(会議場・展示場等ビジネス関連施設のこと)を含む複合観光施設を指すが、IRで観光客を呼び込み、雇用が生まれ、地域の活性化につながると期待されているのではあるが・・・・

ここで懸念されるのがギャンブル中毒者への対策である。ある大学教授は「これは将来ではなく現時点での問題。国は、公営競技やパチンコなども含め、実態を精査し、総合的な対策の枠組みを制度として設けることが必要」と論じる。すでに日本はギャンブル大国であり、厚生労働省によると536万人ものギャンブル依存症の疑いがある人がいるからだ・・・・と。
例:パチンコ依存症の場合
実は私も536万人の一人であった。最も重症だったのはパチンコ依存症であった。昼休みの時間に職場からパチンコ屋に直行。1時直前に残った玉を箱にいれて店に預けた。夕食後もパチンコ屋へ直行した。日曜日は開店から閉店まで入り浸った。しかし、借金するほどのめり込むことはなかったが、20年間ははまっていたといえる。40代でこれを脱した。

広島在職中は宮島競艇が近かったためボートにはまった。コーナーリングの技術で勝負が決まるのであるが、予想屋を当てにして大いに外れた。競輪や競馬にしても共通して言えることは、負けが込むと財布の中身のお札が紙くずのように思えてくることだ。千円札の値打ちが全くなくなるのだ。レースが終わって、もうやめようかなぁーと思うときもあるのだが、時間がたつとどーしても会場に足を向けてしまうことになる。
宮島競艇場

岐阜では競輪にはまった
私の場合、これらに麻雀が複合していた。現場事務所では深夜に仕事を終え、それから宿直部屋で麻雀をしたのである。麻雀はツケで給料日に精算する。半チャンごとに〆てハンディを胴元が召し上げる。頻繁にやるものだから、てら銭で全員九州旅行に出かけることができたというメリットはあったのだが・・・。
しかし、50歳になる前に一切のギャンブル依存症から脱することができた。
元関脇の貴闘力もギャンブル依存症だったという
どうしても数回のチャレンジを試みても元に戻ってしまったのであった。20歳から始めたタバコなのだ。あれから50数年たって今があるのだが。

5,6年前の大幅な値上げがあった時に女房に、「2万円分だけ買いだめして、それが無くなったら禁煙する」と宣言。ところが、これは無くなってたった1か月の禁煙で元に戻ってしまった。
そして今年の4月末、肺炎球菌とやらで入院。当然入院中は禁煙。約2週間で退院したのだが、何と現在も禁煙は継続しているのである。時々、強い誘惑感に悩まされるのだが、それを乗り越えたいと現在奮闘中である。




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