2017年6月12日月曜日

兵馬俑坑を見ずして始皇帝語ること能わず

16年前、西安の東方50kmに位置する兵馬俑坑博物館を訪れた。
何せ広大な広場の奥の方にその入り口があった。

ガイドに引率されて広場を歩いた

入り口が見えてきた
 入り口に入ると兵馬俑の第一発見者である初老の男性が当時の説明をしていた。
昭和49年(1974)、6人の農夫たちが当地で井戸掘りをしていた矢先、その男性のショベルに何かガチンと異物の感触が手に伝わった。窯かな?と思ったらしいが上半身のような物が現れたので役人に届けたという。役人はたいしたものではないと判断し放置していたが、赤旗の記者が記事にしたところ、共産党の幹部の目に止まり、大々的な調査を命じて大発見ということになった。

掘り返して見たところ、次々と際限なく発掘された。何年もかけ発掘したのだが、風化を防止するために全部を覆う上屋を建てたのが博物館となった。その数8千体にも及ぶという。
今日、たまたまテレビを見ていたら、この発見者がインタビューを受けている映像に遭遇した。
年齢は80歳代か
インタビューで、「農夫の頃は食うのがやっと。それが発見して以降、まあまあで生きて来れた」と話していた。
兵馬俑坑のパノラマ
整然と軍隊の隊列
1人1人顔も衣装も違う
この兵馬俑は彩色が施されていたという。
その当時の状況を復元した写真が作られていた。
この迫力!
それにしても始皇帝はこのようなものを何故作らせたのか。
それは始皇帝死後の世界を護衛するためなのだという。始皇帝は50歳で亡くなった。その護衛軍団が2千年以上の時を経てその全容がこの世に明らかになったのである。
これだけの権力があった秦ではあるが、始皇帝の死後十数年で滅んでしまった。だが、長城と兵馬俑坑は秦の始皇帝が造り現代にその威容を見せ付けてくれている。やはり始皇帝は偉大なのだ。
現在の博物館の入口



0 件のコメント: