2017年6月1日木曜日

定年後何をしようかと悩みもしたが(その1)

60歳で定年となって、「嘱託で延長しますか?」と問われてから4年目の64歳の時、「もう1年延長しますか?」と問われた。
業務は1日中パソコンで予定価格工事費積算業務や設計図面の審査。土木系の設計図面では鉄筋コンクリート構造物が多い。パソコンで細かい配筋図を見ているとパソコン画面から目を離しても、ものが二重に見えるのである。電柱が2,3本に見えるときもあって、もうこれ以上仕事を続けることはやめようと決断した。
12月の誕生日で64歳を迎えたが、役所関係は年度末退職となるので翌年の平成19年3月末を以って退職した。
退職記念に貰った花束と孫と 自宅に帰って退職記念写真
60歳になる頃、定年になったら何をしようかと考えた。囲碁教室に毎週通っていたので碁会所通いもいいかな・・とか、写真をやろうか・・とか、夢は膨らんだ。

平成15年、私は60歳だった頃、4年毎にまわってくる町会の役員(ブロック長)を所属する班から出さなければならないという話があって、まだ1回も役員という役割をやったこともなく、今やらなければ4年後になるので若いうちにやってしまおうと考え、役員を引き受けることにした。そもそも、これが後の人生に大きな影響を及ぼすことになるのだが。

西欧人は1日も早く定年になりたいという。日本人の感覚とはずいぶんかけ離れている。定年になれば人生を謳歌できるというのが西欧人である。
何十年か前、金沢の山環道路予定地に軽飛行機が不時着した。この人はイギリス人で定年になって飛行機を購入して世界一周中の事故だった。こんな趣味は定年後でなければできないことだ。怪我が回復後、予定通り世界一周に飛び立った。
海外旅行でも西欧人の高齢者夫婦の旅行客に多く出会う。日本人と数のスケールが違うのである。

町会役員になって町会長から総務担当を指示された。町会の行事に全く参加したことのない人間には、その行事執行のノウハウから学ばなければならなかった。
パソコンは何でもこなせたので町会長は私を重宝した。町会だよりも編集することになった。任期は1年が基本だが、町会長の権限でさらに1年の延長を命じられた。

そして3年目となってお役御免。囲碁に集中した。囲碁は格闘技と云われるのをご存じだろうか。
相手の石を死滅させたり攻められている石の生還に全力を傾けるのが囲碁なのである。
これも先天的な能力差は如何ともしがたい。ただ実戦を多く踏めばいいというものでもない。だが、下手は下手なりに楽しむことができるゲームではある。

平成17年の年末、町会役員4,5名が家にやってきた。町会長が体調を崩したため退任する、その後任にと説得に来たという。毛頭その気が無かったので当然お断りした。2,3日してまたやってきた。しばらくしてまた。「何遍来てもらっても絶対やりません」と断っていた。
そのうち町会長からちょっと家までご足労をお願いしたいと電話があった。
訪問すると「早速だけど書類をまとめたのがここにある。よろしく頼む」といわれたので、「冗談じゃありません、私にはそのつもりは全くありません」といったが、70を回って急に体調がおかしくなった、なんとかお願いしたいと哀願された。
「1年だけなら引き受けてもいい」と返答してしまった。そして、1年しかやらない担保として、総会で規則の付帯事項の決議を承認してもらうことを条件にした。

町会長という役職はピンからキリまでこなさなければならない。やれどもやれども終わることがないのである。旧態以前とした町会業務の改革に着手した。文書類の電子データ化のために町会にパソコンとプリンターを導入することにした。毎月班長が町会費を集金していた役割を年2回払いに簡素化した。防犯意識向上のため、わんわんチャリンコパトロール隊を結成した。中高齢者を対象にしたパソコン教室も開設した。

こうして63歳が終わってしまった。定年後何をするかなんて悩むことはどこかへすっ飛んでしまったのである。
この町会は十数年前から集会所改築資金積み立てをしていた。集会所の2階は床が抜ける心配のため2階の使用を制限したり、エアコンが不調、床がぶかぶかするなど老朽化が目立ってきた。

そのため、改築経費の試算をやってみたら、補助金を含め若干の借り入れをすれば改築できるという目途が立った。こうして任期1年が過ぎようとしたので、町会長候補者を募集することにした。役員全員で20数人の適任候補者宅へ一人ひとりお願いして歩いた。だが誰一人として受け手が現れなかった。役員会の善後策を協議していたら、ある役員が「集会所の改築に取り組んだばかりで、途中から後は知らんでは余りにも無責任ではないか」という意見が出た。義を見てせざるは・・・と自分に言い聞かせて2年目に入った。

2年目は集会所改築プロジェクト検討委員会を立ち上げたり、マルハン進出計画に伴う協議を実施したり、町会ホームページ制作に挑戦、町連役員就任など多忙を極める年になった。
この年末にも町会長募集をしたが立候補者なしで次年度もやらざるを得なくなった。

平成21年に入り集会所改築計画の諸団体との調整、補助金申請や設計書をまとめ、いよいよ3階建てエレベーター付き集会所の起工式を挙行した。
仮集会所の借家交渉もからんで業務はひっ迫状態が続いた。

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