2020年10月3日土曜日

見附海岸の中秋の名月

昨日の新聞で、見附島で中秋の名月を地元の住民が楽しんだという写真を目にした。
その写真を眺めていたら、遙か57年前の出来事が蘇った。
一昨日の中秋の名月を愛でる地元の皆さん
昭和38年の夏、海面に中秋の名月が写っている真ん中付近で泳いでいた。ここは遠浅なので、膝くらいの深さであった。海中を覗いていたら、何か動いたように見えるものがあったので、それを勢い付けて踏んづけたのである。その途端、針に刺さったような激痛が走った。それはオコゼだったのだ。それからが大変だった。1kmくらい離れた寮に戻ってもこの激痛に苦しめられた。

中秋の名月の一日、珠洲市宝立町鵜飼の見附海岸で月見会が開かれた。地元住民ら五十人が月見団子を味わいながら、水平線から昇る月と海岸近くの観光名所「見附島」との共演を楽しんだ。 
見附島は別名「見月島」とも表記され、一帯は古来、月見の名所と伝わるという。月見会は二〇一六年から、地元住民らでつくる地域おこし団体「空海伝説活用実行委員会」を中心に毎年企画している。

この日は夕方から海岸に住民らが集まり、見附島の奥で雲の切れ間から月が昇り海面を明るく照らすのを「でっかい月や」と喜びながら眺めた。光景を題材にした俳句会と写真の撮影会も開かれ、作品は後日宝立公民館に展示される。

ここには平成16年6月に能登線乗り納め会で訪れた。その時にもオコゼの思い出が蘇った。
国民宿舎能登路荘付近を歩く能登線乗り納め会のメンバー

また、元職場である岐阜工事局OB会がここを訪れた写真を送付してもらった。能登緯線建設は昭和28年に着工され、自分が昭和38年10月までの約2年間、建設業務に従事したのである。

見附島も複数回の地震により57年前に見たそれよりも島が「痩せた」ように見受けられる。そしてこの島の左側にあった岩も今では姿が無くなった。自分はそれだけ年いったということか!

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