2017年12月16日土曜日

人生は短い、それでも人間は退屈する

一昨日は小学生下校時の交通安全ボランティア。
12月に入ってのこの時季、寒くて立哨しているのが苦痛である。それでも吾が町内でボランティアに協力してくれる14人のメンバーがいる。長い人は10年以上も続けておられる。そんな人に町会から2万円の慰労金が交付された。

長くパトロール隊の町内代表をされていた方が、昨年この時期に突然急逝された。私は10年ほど当番表作成のお手伝いをしていたのだが、急逝されたのに伴い、吾が町内の代表者を誰にするのか当惑したのだが、代表を支えていた一員として自分がやむを得ず代わりを務めんなんかなぁ~ということになり、はや1年が経過した。

町会からの慰労金はこれまで、入浴剤・マスク・ホッカイロを購入し、その詰め合わせがボランティアの皆さんに配布されていた。それを踏襲することにして女房と「武蔵」へ行き、いつもの品物に手袋とLEDの懐中電灯を加えて配布した。
懐中電灯は安くて優れものである。乾電池別売りだったので、電池も購入して配布した。

さて、今日の新聞を見て「すごく共感」した記事があった。


「知識として、命が有限であることを知っていても、日常の中に、自分の死はない」
その通りの自分がいる。
「やりたいことはいくらでもある。だが、今日、何をするのか。」
「あれも、これも、すぐにはできないと思うと、そこから退屈が始まる」

全く自分のことを指摘されているようなのだ。
フランスの小説家のことばらしいが、人間の性を言い当てて妙である。

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